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昨日、移植しました。移植日は、朝から気持ちが悪かった。重怠いな……と思いつつ、iPad抱えて、仕事していたら2時間くらいで終わった。移植中に普通に電話で指示を飛ばしてくるボッス……仕事したいから良いんやけどさ。なんかこう感傷に浸らせてくれよとは少し思った。今はとにかく身体がしんどい。ここは地獄の一丁目か?って感じです。移植後は、40度超の高熱が続くと言う反応はまだ来ていなくて、前処置で浴びた放射線の副作用がここにきて、じわじわ襲ってきて本当にしんどい。移植前に2日間に分けて
安定してきた血球数毎週2回の採血で体の状態を確認してます。ここしばらくは優秀で輸血なしで過ごせるように。移植したらもう大丈夫なんでしょ?と、いろんな人に言われてきましたが声を大にして言いたい。そんなわけあるかいっ!切った貼ったの手術ではないんです。自分が本来持ってる免疫を他人の免疫へゴロッと変える骨髄移植。免疫細胞ってすごいもんで自分じゃないものが外部から入ってくるとこいつ、敵やっ!と認識して攻撃するんです。それが熱や痛みなど様々な症状となって現れるんですが
ついに昇格!今まではストレッチャーでのお風呂。もうね、気分はまな板の上の鯉。右向いて~左向いて~と言われながらストレッチャー上でコロコロと動かされなされるがままだったんですが『お風呂の時間』お風呂の種類前回入院時は普通に歩けてたのでお風呂は部屋付きのに一人で入ってました。シャワーだけですが時間も気にせずのんびりと。今はまだベッドでの生活がメイ…ameblo.jpそして自力で立ち上がれる膝が上がる手すりを持ちながら立ってる姿勢をキープ上記ができれば車椅子になり
造血幹細胞移植を受けてから前から私のブログを読んでくださってる方は私の病気と状況についてはご存じかと思います。私の患ってる再生不良性貧血は骨髄での造血が難しくなる指定難病です。白血球の減少=感染症にかかりやすい赤血球の減少=貧血症状血小板の減少=血が止まりにくい、アザの出現といった症状があります。外見はいたって普通なため病気を持っているとは思われません。白血病などの悪性ではなく病気自体は良性の部類に入りますが支持療法に効果があまり見受けられず維持をすることも難し
みなさま、こんにちは・こんばんは!末梢血幹細胞移植のドナー体験を綴ったこのブログも、いよいよ終盤に差し掛かってきました。はじめましての方は、さかのぼって、”はじめに”・”その1”あたりからお読みいただけると幸いです。前回は、4時間弱に渡った末梢血幹細胞採取が、ようやく終わったというところまでを書きました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆採取後、まさかの報告にあ然!無事採取が終わりました。お昼ももちろん食べてませんが、
入院10日目▼朝6時台に採血🩸まだ眠剤貰ってまで寝るのもなぁと思いながらも、2.3時から寝て起きての繰り返し担当の薬剤師さんが、今後の分かりやすいスケジュール表を作ってきてくれてて、諸々説明をしてくれました先週の骨髄検査も、前回から特に変異したのが増えてるでもなく、白血病にもなってない状態。(MDSから白血病に移行する事も25%くらいある様子)ガンではないとはいえ、移植には血球を無くすために抗がん剤に加えて放射線も使うとの事。悪い細胞....よりまだかろうじて動いてくれてる細胞を無く
今月で移植から4ヶ月が経ちます1月の寛解導入法から始まり、地固め、移植、維持療法(ビーリンサイト)1クール目と経て、今回で最後の入院であるビーリンサイト2クール目開始して1週間が経ちました1クール目が終わってから今回の入院まで3週間、自宅で過ごすことができました。3週間も自宅で過ごせたのは3月にコロナにかかって治療が延期された時ぶり4月に再入院した時は、長い間家族と過ごせた分余計に辛くて子供たちの前で泣いてしまったけど、今回は泣かずに行ってきますできました今回が終われば本退院だっていう
◆本日入院(この歳で初めて(^^♪)@都内の某おっきい病院今朝、会社に顔を出し、皆さんにご挨拶してから一人電車で病院へ。この忙しい時期に、なんだかんだ文句を言いながらも、餞別持たせて送り出してくれる社長様です。病院には、採取前健康診断で一度来ていたので、(その時は会社の車でしたが...)すんなり到着。病室のある18階は、個室のみのフロアーでIDカードがないと中に入れないようになっていました。エレベータ前インターホンで名前を言うと、オートロックのドアが開き、少しの間
息子の容態が悪化したので、娘を病院に呼びましたが…その後は落ち着いていると思っていたオカンです。殆どの時間を眠り、ときどき目を覚ましては氷を欲しがる息子でしたが…今は、何か言いたそうな顔をしています。オカン『…ん?なんや?』息子の口元に耳を近づけました。息子『もう、眠らして…。』オカン『しんどいんやな?お薬、入れて貰うんやな?』確認するオカンに、息子は頷きました。平静を装っていましたが…息子から"眠らせて"と言う言葉を聞いたオカンは、胸が締め付けられる思いで、この言
骨髄バンク☆末梢血幹細胞ドナー体験記その1◆入院一週間前!コーディネーターさんから生存確認(?!)のTELあり(※骨髄バンクの規約により日付や場所、個人名などはふせさせていただいています)今日○月☓日夕方、自分の携帯に、骨髄バンク移植コーディネーターのAさん(女性)から電話がありました。「あれからおかわりありませんか?」Aさんとは何度かお会いしていますが、最後に会ったのは先月の採取前健康診断に同行いただいたときです。その時には、下の息子(中3)がインフルエンザ
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。久し振りの更新です。急に実家の母が入院しましてそのお世話でバタバタしておりました幸い体調も回復し、先日無事に退院することが出来ましたまた、ぼちぼちブログ更新していきますのでどうぞ宜しくお願いします。H29年2月6~8日翔平の味覚がなくなりました・・・・。抗がん剤とかの副作用だと思いますが前回までとは比べものにならないくらいです何を食べても味がしない・・そ
勢いよく病室に来られた主治医が、仰るには、息子の心拍が下がっているそうです。主治医が大きな声で、息子に呼び掛けています。慌てて、息子の側に行きましたが…オカンには、息子の変化が分かりません。さっきと一緒やん?何が違うの?息子の右手を握り、息子の名前を呼びました。夫も、息子の左手を握りながら、息子の名前を呼んでいます。これが最期なん?逝ってしまうん?息子に声を掛けようと思いましたが…オカンは、言葉に詰まりました。"頑張って!"違うやん。もう十分頑張ったやん。"もう
三人の子供のママです(高3、中3、小4の全員男の子)2018年30代でPh陰性急性リンパ性白血病と診断されました7回の科学療法(Hyper-CVAD/MA)を経て2019年に弟からハプロ造血幹細胞移植をうけました2024年6月、無事に移植後5年が経ち移植合併症と向き合う日々です前回の体調不良から次々と家族へうつっていき結局コロナの感染でした対処が早かったからか喘息へ移行するわけでもなく、副鼻腔炎にもならず寛解へ免疫弱いのに重症化しなかったのは素晴らしい白血球ありがとう
12年振りのATG2日目、3日目も終わりました〜どちらも昼間は何事もなく夜になると高熱40度超……布団にくるまってずっとさむいさむいさむいさむきさむ……って言っていた。看護師さんが布団を2枚くれたのは、神さまかと思ったね。その後も、夜中なのに先生に連絡を取ってくれて、追加で解熱剤を入れるか等々打ち合わせをしてくれて、朝には体温も下がったよ。先生24時間連絡取れるんやな……凄い。なんか看護師さんに聞いたら、先生は病院が家かな?くらいいつもいるって言っていた。で、抗がん剤や放射
妻を病気で亡くしてから、1年も立たないある日、仕事中の私の携帯に1本の電話がありました。相手は骨髄バンクのコーディネーターを名乗る女性。あなたのHLA型と適合する患者さんが現れたので、登録住所あてに送付する郵便物を確認してほしいという内容でした。もう忘れかけていたことですが、私が骨髄バンクにドナー登録をしたのは、5・6年くらい前のこと。職場の先輩の弟さんが急性骨髄性白血病にかかったことがきっかけでした。(その方は幸いにも兄である職場の先輩とHLA型が一致して、骨髄移植により命を
前処置2日目💊今日は朝イチで採血あり🩸看護師さんによって、それぞれペースやら手順やら若干違うところがありますよね今日の看護師さんは初めて当たる人だったけど、初っ端からタバコの臭い。気のせいだったのかもしれないけど、匂いに敏感なので、ちょっと凹んだよね。2日目の抗がん剤は、特に途中で何かあるわけでもなく終了。採血の結果で、血小板輸血になったんだが、10年前のATGの時に、何回かは大丈夫だったけど、途中なら湿疹が出たことがあって。それから、輸血する時は洗浄血小板を使ってたんだが、
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月11日~12日あんまり調子が良くない・・・。今、食べれるものは牛乳カロリーメイトのチョコ味カフェオレベビーチーズでも、ほんのちょびっと・・。抗がん剤、輸血、血小板輸血次々と点滴に繋がれ可哀想になる服用しているお薬も10種類もあってそれでなくても口内炎で痛いのに、それでも頑張って必死に飲んでる姿を見て目頭が熱くなった。そんな時にプレゼントが
自宅に戻ってから、葬儀について考えました。息子の希望は"家族葬"です。オカン『親しいお友達とか…連絡した方が良いんやろか?』夫『どやろな?親しかった人とか…分からんよな?』オカン『そやねん。中学の頃くらいまでしか知らんし…。』娘『LINEのグループとか見たら分かるんちゃう?』オカン『勝手に携帯見るのは…アカンやろ?』オカンの言葉を聞く間も無く、娘は兄の携帯を操作していました。娘『アカンわ。家族以外は残ってない。全部、消したんちゃうかな?』オカン『ちゃんと、片付け…しと
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月13日・・その①翔平君の担当をします・・と緩和ケアチームの方々が病室にやって来た。えっ!翔平そんなに悪いの?!私の勝手な認識で申し訳ありませんが『緩和』って聞くと末期の癌患者さんが心穏やかに最期を・・というイメージがありました。※気分を害した方がいらしたらごめんなさい。あくまでも、私個人の今までの考えでした※担当医はもちろん看護師さん・栄養
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。先日(2月5日)の誕生日にはたくさんのおめでとーのメッセージが携帯にありました。でも再発、移植、生存率、など『死』の文字が頭をよぎるその日の翔平には『ありがとう』と返信する事が出来ませんでした。でも、後日・・移植に望みを託す事を決心した翔平は親友たちへメッセージを送ってました。誕生日のメッセージありがとう。なかなか言い出せんかったけど実は俺の病気なか
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月21日...③これまで大変な難病を患っているとは到底思えない位元気に振る舞っていた翔平でしたが今回、カテーテル挿入をしてガクっと気力体力が落ちた気がした。少しでも、頑張ってる翔平の力になりたい!と今日から病院へ泊まり込みを決めた。先生や看護師さんたちから「翔平くん、良かったね~」と言われ「俺、子どもじゃねぇし(^^;」と反論!私は側
主治医から電話を頂いたので、ベッドが搬入された事をお伝えしました。主治医『それは良かったです。準備が整ったのなら、なるべく早く退院した方が良いですね。息子さんが良ければ、明日にでも退院しますか?』オカン『息子の気持ちと体調に問題がないのなら、明日でも大丈夫ですが…。』今までは、どんなにお願いしても外泊や退院の許可を出して下さらなかった主治医が、この一週間程で急に退院を急がせます。ずっと怖くて聞けなかった事を…主治医に聞いて見ました。オカン『息子は…あと、どれくらい…』主
入院記録✏︎2025.04.02入院して58日目。骨髄移植から40日経過し、生着24日目。2025.04.02白血球6.0(平均3.30-8.60)赤血球3.19(平均3.86-4.92)ヘモグロビン10.3(平均11.6-14.8)血小板50(平均158-348)なんか全然アップしてなかった今朝の採血結果、リアルタイムで渡された。血小板
前回は、追加の血液検査をしたこと、そして白血球を増やす注射を打ったことなどのお話をしました。今回も本編の前に、病院食の紹介を。入院二日目の朝食です!メインは肉団子。紙パックの牛乳と、デザートにライチが付きました。果物大好きです!ちなみに、ドナーでの入院でも、食事の内容や量は、一般の入院患者さんとかわりません。それでは今回も、ドナー体験レポート第四号をお送りします。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆入院二日目の体調
入院記録✏︎2025.04.07入院して65日目。骨髄移植から45日経過し、生着29日目。今朝の採血結果白血球5.7(平均3.30-8.60)赤血球3.27(平均3.86-4.92)ヘモグロビン11.1(平均11.6-14.8)血小板6.5(平均15.8-34.8)タクロリムス、血中濃度安定。持参したミネラルやバイオリンクも残りわずか。早
看護師さんに鎮静をお願いすると、主治医が病室に来て下さいました。主治医に、息子が鎮静を望んでいる事を伝えると、直ぐに対応をして下さいました。オカン『もうすぐ、眠れるしな…。』息子の手を握りながら伝えました。息子は挨拶の出来る子でしたが…自宅で過ごすために退院した頃から、"おやすみ"と言わなくなりました。眠るのが怖かったのかも知れません。"おやすみ"と言わない事に気付いてからは、オカンも"おやすみ"とは言わない様にしていました。眠るのが怖かった息子が、眠りた
入院3日目の夕方…眠っている息子の枕元に座っていると、主治医と看護師さん達がバタバタと病室に入って来られました。息子の容態が悪化しているそうです。眠っている息子…容態が悪化している様には見えません。オカンは、息子の名前を呼ぶ事しか出来ませんでしたが…夫が、自宅で待機している娘に連絡をしてくれていました。急いで病院に向かっても、自宅からは1時間程かかります。緊張が走りましたが…娘が到着する頃には、息子の容態も落ち着いていました。娘『大丈夫なん?』オカン『今は、落ち着いてる。
夜も更けて…夫と娘は仮眠中です。息子の側に座っていると、息子の様子がおかしい?と感じました。息子は、目を見開いて…身体中に力が入っています。手を握ろうとすると、上半身を起こそうとしている様子です。オカン『どうしたん?そんな…起き上がったら、しんどいやろ?』凄い力で、ベッドから起き上がろうとする息子。オカンの声は、聞こえていない様子です。息子の身体に、何が起こっているのか…"もう、ずっと寝返りすら出来ない息子の身体に、こんな力があるん?"オカンの頭はパニックでした。起き上
何も考えられず…息子の側で、ぼんやりとしていたいオカンでしたが、やらなければいけない事が沢山ありました。親戚への連絡、寝台車の手配、病室の荷物も片付けなければ…。涙が止まらず、動ける状態では無かった娘は、息子の側に居てもらう事にして、夫と二人で手分けをして片付け始めました。片付けをしていると、看護師さん達が次々と病室に来て下さいました。息子に声を掛け、涙を流し別れを惜しんで下さいます。勤務時間外だった息子の担当看護師さんも駆け付けて下さいました。皆さんに可愛がって頂いていたのだと、
看護師さんが様子を見に来て下さった時には、息子の強ばりは治まっていました。息子の様子を説明しながら、暫く見守っていると…また、息子に異変が起こりました。先程と同じ様に、声を掛けながらトントンするオカンです。深夜でしたが、看護師さんが主治医に連絡をして下さいました。その頃、仮眠中の夫が起きてきました。夫『何かあったんか?』オカン『うん。』夫に説明していると、また息子の強ばりが始まります。オカン『こんな感じ…。30〜40分おきに、こんな風になるねん。』夫『こんなん…ゆっくり眠