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娘の到着から暫く経って、主治医が病室に来て下さいました。娘の側に寄り、背中を撫でながら声を掛けて下さいます。主治医『お兄ちゃんの診断してもいいかな?』主治医は、娘が落ち着くのを待っていて下さいました。まだ、泣きじゃくる娘でしたが、小さく頷いてくれました。聴診器を胸にあて…『心音、呼吸音はありません。』ペンライトを持って…『瞳孔散大、対光反射の消失を確認しました。16時20分、ご臨終です。』オカン『ありがとうございました。』主治医に深くお辞儀をすると…涙が床に溢れ落ちました。
ここ10日間ぐらい体調がいい😊みぞうちの激痛は胃だと思っていたが、胃カメラの結果とっても若くて綺麗な胃だと言われたw15年ぐらい前に胃カメラ検査をした時も「久しぶりにこんなにキレイな胃を見た」と先生に言われたなぁ😵激痛の原因は胃ではなかったし、造影剤を入れてのCTの結果も血腫の先生が懸念していた胆のうでもなかった。でっかい腎臓結石は相変わらず右の腎臓にいるけれども、そいつが悪さをしているようでもない。石ができやすい体質やから胆石かとも思ったんやけど、胆のうにはおらんらしい😥ほな、あ
今回は提供の方法について書こうと思います書き方や内容に素人感ある所はお許しください🙏提供の方法は2つあります・骨髄(骨の中の液を採取)・末梢血幹細胞(体を流れる血液から採取)いずれか、またはどちらも大丈夫とするのかまた患者さんがどの提供を希望しているのかそれによってマッチングが決まってきます例えばドナーさんは末梢血幹細胞の採取を希望患者さんは骨髄提供を希望となるとここでコーディネートは終了になる訳です私の場合は私も患者さんもどちらでもOK🙆♀️でしたではそれ
入院記録✏︎2025.04.14入院して70日目。骨髄移植から51日経過し、生着36日目。今朝の採血結果🩸白血球5.9(平均3.30-8.60)赤血球3.40(平均3.86-4.92)ヘモグロビン11.17(平均11.6-14.8)血小板7.3(平均15.8-34.8)タクロリムス、血中濃度気持ち低めなので、薬の微調整が永遠続いている。これ切りないと思うけど
入院記録✏︎2025.04.07入院して65日目。骨髄移植から45日経過し、生着29日目。今朝の採血結果白血球5.7(平均3.30-8.60)赤血球3.27(平均3.86-4.92)ヘモグロビン11.1(平均11.6-14.8)血小板6.5(平均15.8-34.8)タクロリムス、血中濃度安定。持参したミネラルやバイオリンクも残りわずか。早
入院記録✏︎2025.03.09入院35日目、骨髄移植から16日目。いやはや。食トレ頑張ろうと思った翌日から、いよいよ口腔内の炎症勃発。口内炎は出来なかったものの、歯茎⇨ほっぺたの内側⇨ベロの下⇨喉と日に日に痛むところや違和感が移動。うがい薬の麻酔入り?が効いて、ギリ口の中はマシになったものの、喉がすんごいの。飲み物も通らなくて2日間苦しみ、サブ医者から、医療用の痛み止めがあるから使いましょうと。いや、早よ使ってぇぇぇそこは出し惜しみすなーと流石に思いましたわ。翌日から薬が効い
5日の夜に緊急入院してはや2週間。4日から何にも食べてません...イレウスチューブてのを鼻から小腸に入れ、流れずパンパンになっている胃や腸の腸液を抜きつつ1日3回手動でも吸い取り痛み吐き気やパンパンなのはほぼ治まった。が、肝心の閉塞している小腸に改善は見られず、手術する事になるそう😰10歳の時に受けた虫垂炎の手術跡が癒着を起こしてるらしい。場所がちょっと違う...??みたいな事も言うてはったけどよくわからん。え!今さらですかー!?言うたわ48年経ってますけど...^^;白血病
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月19日・・の続き。入院中の楽しみはシャワータイムでした数日前までは銭湯♨️にでも行くかのようにお風呂セットを抱えて足取りも軽く・・しかし、ここ最近は急激に体力が落ち、歩くのもちょっとキツそうになりました。それでもお風呂の許可が出るとやっぱりちょっと嬉しそうな顔になりゆっくりゆっくり準備を始めます。若い男子だしちょっぴり恥ずかしさもあり大丈
入院記録✏︎2025.02.08sat(6日目)4日目の木曜は、朝イチのCTのみで、わりとゆっくりday年末調整ができなかったから、結局今年も確定申告やらなきゃいけなくて。でも、ちょうど投薬が始まってきつい時期の1ヶ月とちょうど被る....と悩んでいたが、受付は先だけど送信できるようなのでポチポチ作成。5日目の金曜日は、肺の検査と耳鼻科の検査。肺の検査、鼻閉じられて検査するやつだし、逆に酸欠状態になったんだが耳鼻科は、先生がなんかダルい...のかなんなのか、とりあえずやっとけって言わ
入院記録✏︎2025.03.18入院して43日目。骨髄移植から24日経過し、生着9日目。どこまで悩まされるのか....と思っていた口腔内の粘膜障害。あれから数日したら塩味も感じれるようになり、まだ水が甘く感じるなど微妙なところではあるけど、長らく口にしてなかったチョコ次郎先生のお菓子やプリッツが食べられるところまで回復👅だからこそではあるけれども、まぁ病院食が口に合わないこと作り手さんの事もあるし、お金もかかってる。廃棄なんて....って言えない所まで食べる事にストレスがかかっている
day440(臍帯血移植)day202(末梢血移植)医大へ戻る前日の事です…眠っていた息子が目を覚ましました。オカン『どうや?苦しい?』息子『ん?まぁ…大丈夫。』オカン『さっき、医大に電話してん。いつでも病院に行けるしな?』息子『病院?』眠る前は、"苦しい、助けて"と呟いた息子ですが、"いつでも病院に行ける"と伝えると、微妙な反応です。オカン『病院、嫌なんか?でも、しんどいやろ?病院やったら、何か処置してくれはるし…。』息子『…。』オカン『ずっと一緒に居ら
day278(臍帯血移植)day40(末梢血移植)前回のマルク時に依頼していたキメリズム検査の結果が届きました。キメリズムの説明を載せておきます。"キメリズム解析は、造血幹細胞移植を行った患者の細胞において、ドナー由来の遺伝子と患者由来の遺伝子の割合(キメリズム%)を決定する検査のことです。移植前は患者由来の細胞しか存在しませんが、移植後はドナーと患者、両者に由来する細胞が混合した状態(混合キメラ)となります。ドナーの細胞が正常に生着すると、ドナー由来の細胞のみとなります(完全キメラ
自宅に戻ってから、葬儀について考えました。息子の希望は"家族葬"です。オカン『親しいお友達とか…連絡した方が良いんやろか?』夫『どやろな?親しかった人とか…分からんよな?』オカン『そやねん。中学の頃くらいまでしか知らんし…。』娘『LINEのグループとか見たら分かるんちゃう?』オカン『勝手に携帯見るのは…アカンやろ?』オカンの言葉を聞く間も無く、娘は兄の携帯を操作していました。娘『アカンわ。家族以外は残ってない。全部、消したんちゃうかな?』オカン『ちゃんと、片付け…しと
入院記録✏︎2025.04.02入院して58日目。骨髄移植から40日経過し、生着24日目。2025.04.02白血球6.0(平均3.30-8.60)赤血球3.19(平均3.86-4.92)ヘモグロビン10.3(平均11.6-14.8)血小板50(平均158-348)なんか全然アップしてなかった今朝の採血結果、リアルタイムで渡された。血小板
落ち着いたところで、自宅に一人居残り中の娘にLINEをしました。道道って…堂々ですね(笑)こんなので大学生なのだから、心配になります。そんな事より…一泊5万円の特別室に入院となりました。相変わらず"ケチ"なオカンは、今まで使わせて頂いていた普通の個室を希望しましたが、付き添いの許可が下りるのは、この特別室だけでした。ビックリ価格ですが、宿泊するしかありません。一泊5万円、二泊で10万円、十泊で50万円…想像するだけで、倒れてしまいそうなオカンです。以前、特別室を無料で使
入院記録✏︎2025.02.05入院3日目🏥2日目に、前回の入院中にアレルギー反応が出てしまった血小板を洗浄じゃなくて通常バージョンでお試しでした大きな問題なく、アレルギー抑える薬で保てたけど片方の瞼が腫れてしまった。が、許容範囲内とのこと。大丈夫ならいいけど本日3日目は、朝早くから採血して、11月ぶりの骨髄検査。来週からの投薬の種類とか色々決めるために多めに取る?からなのか、いつもの倍刺された最初の麻酔の注射はチクリとくるけど、正直採血が下手な方に当たった時の方が痛みは強い←
点滴を減らす予定が、まだ糖分?がたらないらしく、結局終われないのかよ1500キロカロリーって、普通に生活してたら必要な値だから、入院中そんなに摂らなくても影響ない気がするけどと、そこでまた栄養士さんが来てくれて色々相談。パンはたまにしか食べないけど、ごはんよりお腹空くの早いし量も多くないので、🍚⇨🥐を主食気味にしてもらえることに。糖分は、果物やプリンで補いましょうとのこと。※それでも多いけど幸い、口内の炎症がそこまでひどくない為、味覚も劣らず食べれてるのでありがたき。パンだと、好きな
日曜は特に検査もなく、すでに無菌室に入れられてるので暇で暇で仕方なかったアマプラ閲覧してたら、久々のかもめ食堂発見小林聡美ともたいまさこが出てるこの系列の映画大好きすぎて、永遠見てた〜。プールっていう映画にも影響されて、チェンマイに行ったもんね笑しかも往復1人で2018年は、ロミプレートでなんとか生活できてるレベルだったから、全然問題なく旅行もしてたけど、海外行ってもお腹下したり体調崩したりする事なく過ごせてたのもなかなか凄いなと今更で、移植日は一応決まっていたものの、前処置の抗がん
この間の髄液検査は問題なしでしたこれで髄注はもうしなくていい予定です良かったー!!血小板の値も少しずつ上がってきて、やっと正常値の半分くらい。肝臓の数値も下がってきているので、順調とのことですただ、移植後からずっと続く食欲不振が辛くて毎食のご飯が憂鬱すぎますまっっったく食べたいと思わないし、お腹空かないし、でも食べなきゃ栄養剤を点滴棒に吊るされてしまうのでー移植後から長い間24時間一緒だったエルネオパ(栄養剤)。お陰様で小さなゼリーすら食べれない時期も生き延びることができたのですが
入院10日目▼朝6時台に採血🩸まだ眠剤貰ってまで寝るのもなぁと思いながらも、2.3時から寝て起きての繰り返し担当の薬剤師さんが、今後の分かりやすいスケジュール表を作ってきてくれてて、諸々説明をしてくれました先週の骨髄検査も、前回から特に変異したのが増えてるでもなく、白血病にもなってない状態。(MDSから白血病に移行する事も25%くらいある様子)ガンではないとはいえ、移植には血球を無くすために抗がん剤に加えて放射線も使うとの事。悪い細胞....よりまだかろうじて動いてくれてる細胞を無く
息子の容態が悪化したので、娘を病院に呼びましたが…その後は落ち着いていると思っていたオカンです。殆どの時間を眠り、ときどき目を覚ましては氷を欲しがる息子でしたが…今は、何か言いたそうな顔をしています。オカン『…ん?なんや?』息子の口元に耳を近づけました。息子『もう、眠らして…。』オカン『しんどいんやな?お薬、入れて貰うんやな?』確認するオカンに、息子は頷きました。平静を装っていましたが…息子から"眠らせて"と言う言葉を聞いたオカンは、胸が締め付けられる思いで、この言
day442(臍帯血移植)day204(末梢血移植)入院2日目息子は、殆ど眠っています。枕元に椅子を置いて、寝ている息子の顔を見ていると、ときどき目を覚します。息子『こおり…』オカン『氷やな?ちょっと待っててな。』急いで冷凍庫まで、氷を取りに行くオカンです。氷を口に入れてあげると、ゴリゴリボリボリ…良い音をさせて、噛み砕く息子です。息子『パパは?』オカン『家に、荷物を取りに行ってもろてんねん。オカンらの荷物、用意すんの忘れてしもたから。そろそろ戻って来るんちゃうかな?』
息子が逝ってしまった…オカンは、息子の手を握りしめたまま、呆然としていました。ふと気がつくと、夫が電話をしています。夫『今から、病院に戻れるか?…慌てんでいいから。』娘に電話をしてくれた様です。病院までは距離があります。娘が動揺して事故に遭わない様にと考えて、詳しくは伝えずに病院に呼び戻す事にしました。とても急いでくれたのでしょう。娘は、1時間と掛からずに病室に戻って来ました。娘『どうしたん?大丈夫なん?』オカン達に声を掛けながら、息子の元に駆け寄る娘です。夫『頑張りよった
移植からもうすぐ3ヶ月です。維持療法(ビーリンサイト)1クール目終了しましたあと1クールで本退院ですここまで来れたこと、本当に感謝です。お陰様で昨日は綺麗な月を見ることができましたそろそろ慢性GVHDが出てくる頃…出ない人もいるけど確率的に出る人の方が多いそう今のところ大きな症状はないですが、体重が更に落ちてきていますそして体力検査で握力が17でした移植後1ヶ月目は25くらい。移植前はもうちょっとあった入院してからずっとステロイド三昧なので筋力低下はそのせいもあるかなぁと…。
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月13日・・その①翔平君の担当をします・・と緩和ケアチームの方々が病室にやって来た。えっ!翔平そんなに悪いの?!私の勝手な認識で申し訳ありませんが『緩和』って聞くと末期の癌患者さんが心穏やかに最期を・・というイメージがありました。※気分を害した方がいらしたらごめんなさい。あくまでも、私個人の今までの考えでした※担当医はもちろん看護師さん・栄養
9月14日に入院してから次男くんの移植に覚悟を決めて家族みんなで臨みました。10月19日にパパをドナーで末梢血幹細胞移植。長男くんの経験から合併症のリスクを最小限にする治療法を選択。息子たちの遺伝子疾患である「ファンコニー貧血」への日本初の治療を行なっていただきました。長男くんの時にはなかった治療法。先生方も私たち家族の経験を察していただき、治療を実現していくために色々と動いてくださいました。皆様からの応援と祈りにも心から感謝です。本当に本当にありがとうござい
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。久し振りの更新です。急に実家の母が入院しましてそのお世話でバタバタしておりました幸い体調も回復し、先日無事に退院することが出来ましたまた、ぼちぼちブログ更新していきますのでどうぞ宜しくお願いします。H29年2月6~8日翔平の味覚がなくなりました・・・・。抗がん剤とかの副作用だと思いますが前回までとは比べものにならないくらいです何を食べても味がしない・・そ
取り急ぎ、アレルギー反応なく輸注終了。磯の香り、本当にするんだ.....。とんでもなく気持ち悪い匂いだった睡眠不足と移植の緊張で、ご飯も喉を通らず。単純だなぁと思いながら今日を迎えた次第。明日から熱が上がったり、諸々あるようなので、気をつけていかなければ
いよいよ、前処置の抗がん剤スタート吐き気止めの点滴と飲み薬を済ませて、フルダラを3日間投薬💉サブの医者も言ってたけど、割とこの抗がん剤は入れる時はそこまで作用が出る人が少ないっぽい。※作用といっとりますが、一般的に副作用と言われてるものを指してます。良いも悪いも薬の作用なんですよね案の定でしたねって、めーっちゃさっぱり。点滴はあっという間に終了。だけど、昨日から24時間水分点滴が始まっとるのでずーっと繋がれたまま。地味に辛いやつ
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H29年2月13日・・その②それは突然でした。『ちょっと仕事を抜けて外に出てこれるか?』『何、何、どうしたの?』主人の半ば強引な誘いに困惑しながらも、取り敢えず外に出た。外で待ってる車に乗り込むと、そこには今まで見たことのない形相の主人が・・。『一緒に行ってもらいたい所がある』いつもの主人とは明らかに違うことに私は戸惑いました。落ち着きがなく、声もうわずって