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秋山風月清書き下し|秋しゅう山ざん風ふう月げつ清きよし出典|杜甫『全唐詩』巻231秋の山は風も月も清らかに澄み渡っている。原文は「笛吹」から始まる七言連詩。笛がきれいに響き渡るのを聞くと、秋の山々に吹く風も山に掛かる月も清らかに澄み切っていることが見て取れる……とでも訳せましょうか。原文|吹笛秋山風月淸誰家功作斷腸聲風飄律呂相和切月傍關山幾処明胡騎中宵堪北走武陵一曲想南征故園楊柳今揺落何得愁中卻盡生笛ふえを吹ふく秋しゅう山ざん風ふう月げつの清きよきに
すっかり、涼しくなりました。今日は、「茶花」の中でも、「育てやすい茶花」について、考えてみました。茶花は、野に咲くような草花を使うことが多いですが、その中でも、根付きやすいもの、庭土と相性のよいものがあるようです。夏の代表的な花として、「木槿」や「芙蓉」「蛍袋」があります。幸い、2つとも令和庵の庭で、綺麗な花を、次々と咲かせてくれています。また、「縞芦」「すすき」「水引き」「とくさ」などは、花を添えるのにぴったりですね。秋から冬にかけては、「椿」が代表的です
私が所属している松山桃夭会では現在受講生を募集しています。桃夭会(とうようかい)とは茶道研究家の筒井紘一先生が昔の茶会記を読み解き、お茶に係るあらゆる事、例えば、歴代裏千家宗匠の話、茶室の話、唐物、高麗物、和物のお道具や作者の話、古今の数寄者の話などを学ぶ会で、全国各地に約20か所以上の会があります。会の活動は主に2つ。上述の筒井紘一先生の年4回の講話と全国各地の桃夭会で催されるお茶会への参加です。講話の様子です。会の始まる前には呈茶もあります。以前、松山桃夭会が催した
愛媛県松山市裏千家茶道教室「晃々庵」こと島﨑宗昌です。教室の案内は⇒こちら◎茶道教室体験見学会(無料)開催中⇒詳細はこちら先日の茶箱花点前のお稽古のとき、ある生徒さんから「先生の花形盆の置く向きが本と違います。」との指摘を受けました。先日の茶箱花点前のときの盆の向きです。この本の写真については私も既知であり、正誤については私ごときがとやかく言うことではありませんので、生徒さんには次のように説明いたしました。花形盆は縁が五弁の輪花になっていますが、陰陽では1,3,5,
老松茶器の素材について質問されました。老松ですお稽古用の写しは、ホントに松かわかりませんが…~老松茶器の由来~1582年山崎の戦い(いわゆる天王山の戦い)で羽柴秀吉の陣中に作られた待庵(たいあん)。千利休が作ったと言われる二畳隅炉の茶室で、現在は国宝です。戦いの後すぐに移築されたようで、今は大山崎の妙喜庵にあります。ここに秀吉の袖がふれたという、袖摺りの松(そでずりのまつ)がありました。中国大返しから山崎の戦いを経て、太閤になるまで出世街道を突き進む秀吉の袖が触れた松ですから、大変お
水屋見舞いっていつからお菓子になったのでしょうか。#水屋見舞#茶道#茶の湯#本来は次第の拝見のための見料—曲斎@都流/『数寄の長者〜竹馬之友篇〜』第二章執筆中(@darkpent)September20,2023というTweetに対してええ…😰茶券方式が一般化してからですかね?—🐟小花菜緑子(@inouesakana)September20,2023というお返事をいただきました。確かに、茶券方式になってから、水屋に伺って、次第の拝見をする
懐石で使われる箸お客様のお膳には杉でできた「利休箸」というものをつけます料理を食べるときは「杉の箸」です口当たりが柔らかいと感じます料理の取り箸は「竹」でできたもの菓子をいただくときには「黒文字」をつけます縁高には一人一本ずつ取り回すように人数分菓子鉢(食籠)には二本つけ挟んで菓子をとるためにつかいますこんな使い分けと理解していましたが今回の無庵茶事では初めての使い方を体験しました善哉に赤杉箸一本と黒文字一本で一膳の箸として使うという方
水戸偕楽園は桜の名所でもあります春は三寒四温冷たい雨が降ったり暖かい風が吹き荒れたり実は激しい季節だったりします長谷川宗佳先生の教場にて七事式をしました5人1組になって札を引いて役割を決めたりお茶が飲めたりゲームのようなお稽古茶道や剣道など「道」がつくと己の探求、内向きの力を連想しますがそれだけでは成立せず自分の境界をもっと広げて周囲と溶け込むような意識「無言のコミュニケーション力」が必要なのだと思います自分の役割を理解して周囲が滞り無いように行動するそ
北九州でお茶を教えて30年。とうりん茶道教室です。信長の死後、そのあとを継いだような形になった豊臣秀吉ですが、それを茶の湯においても示すために、信あ長が持っていた茶道具は秀吉が受け継ぎます。多くの名物道具は本能寺で燃えてしまいましたが、それ以外もたくさん残されていたのです。百姓から成りあがった秀吉は、高尚な茶の湯を身につけることによって、周囲の大名たちと肩を並べるのに千利休を茶の湯指南役に召し出しました。千利休は秀吉にお茶だけを教えていたわけではなく、堺出身の利休は貿易流通に
愛媛県松山市裏千家茶道教室「晃々庵」こと島﨑宗昌です。教室の案内は⇒こちら◎茶道教室体験見学会(無料)開催中⇒詳細はこちら先日、風炉になって初めて大円之草のお点前をしました。大円盆は以前購入した圓能斎好みの大円盆です。やはり大きい方が扱いやすいです。唐物茶入は吹上文琳(写し)、和物茶入は金華山三輪山(写し)です。茶入が瀬戸ですので、水指は朝鮮唐津にしました。大円之真でも、茶碗の仕覆の紐の扱いで茶杓をひっかけなくて済みますので、圓能斎好みの方が扱いやすいと思います。
皆さん、こんにちは!シュミネ茶道教室です。9月も下旬となり、すっかり秋めいてまいりました。先日9/23(月・祝)に開催した、「茶事勉強会~初級編」のレポートをお届けします。うちは初心者さんばかりの教室ですので、みんなまだお茶事を経験したことのない方がほとんどです。私たちは詰まる所、お茶事を目指して日々稽古しているので、「お茶事って一体どうゆう中身?」をまず知ってもらうため、今回は茶事の基本となる「正午の茶事(炉)」に沿って、実際の懐石道具を扱っていただき、ひとつひとつ流れをみんな
愛媛県松山市裏千家茶道教室「晃々庵」こと島﨑宗昌です。教室の案内は⇒こちら◎茶道教室体験見学会(無料)開催中⇒詳細はこちら東京オリンピック2020がいよいよ始まりましたが、暑い日が続くなか皆さんお稽古に励まれています。四カ伝、行之行台子、大円之草とお稽古を進めてきて、いよいよ真の点前として真之炭と大円之真のお稽古をしました。真形釜を釜敷におろしました。炭をついで羽を清めています。炭に火がまわりましたので、いよいよ大円之真のお稽古です。大名物の茶入れを清めてい
愛媛県松山市裏千家茶道教室「晃々庵」こと島﨑宗昌です。教室の案内は⇒こちら◎茶道教室体験見学会(無料)開催中⇒詳細はこちら今月は小習事の稽古をしていますが、滅多にやらない茶筅荘り(水指に由緒あり)の稽古のリクエストがありましたので久しぶりにやりました。水指の拝見のタイミングについては、茶入、茶杓、仕服に続いて拝見する方法と、後炭、薄茶が終わった最後に拝見する方法とありますが、私は前者の方法でご指導しています。楽茶碗でおこないました。こちらは、萩茶碗で稽古しました。茶
(朝顔尺八掛花入れ竹台子)今日も、残暑の厳しい一日でした。最高気温34℃まで上がり、あと1℃で猛暑日でした。まだまだ、クーラーなしでは、過ごせませんね。今日は、「天然忌(てんねんき)」で行なう「七事式」の中の「且座(さざ)」のお稽古をしました♥「且座(さざ)」は、ふつう、客3人、東(とう)、半東(はんとう)の5人で行われます。正客は、花を入れ、次客は、炭点前をし、三客は、香をたき、東は、濃茶を点て、
上京区堀川一条上ル。陰陽師で知られる安倍晴明公を祀る神社『晴明神社』があります。現在放映中のNHK大河ドラマ『光る君へ』にも登場する安倍晴明公。さらに後の時代、この場所には茶の湯で知られる茶人・千利休の屋敷があり、利休が使った井戸もここにあったと言われています。豊臣秀吉に振舞った最後のお茶も、このお水を用いたとか。洛中名水の一つにも数えられます。この日はいよいよ暑さが本格的になってきた京都。そろそろ境内の桔梗が開花している頃か、とやってきました。そしてこの日は平日でしたが、安倍晴
ちょっと我が社中で問題がありました。新しいお弟子さんが姉弟子にお裾分けをしようとしたんですね。姉妹弟子が仲良くするのは良いことなのですが、これ、先生にお伺いを立てずにするとどうなるかわかりますか?友達というのは、何処で出会おうが友達になるときはなるし、ならないときはなりません。人と人の繋がりですから、どう繋がっていても自由……でしょうか?茶道の教室というのは「先生が開いたもの」ですね。この辺りが「カルチャーセンター」や「サークル」、「クラブ活動」と異なる点で
なかなか本格的な紅葉狩りが出来なくて困っている。今年は直前の天候が紅葉には適していないので、冴え渡った色鮮やかなモミジは期待薄だが、それなりの紅葉景色は撮るつもりでいるものの、躊躇している今日この頃。取りあえず現在考察中の桂離宮の続きを。。。桂離宮のモダニズム建築として注目させたのは、ヨーロッパの建築家達である。一般的にはドイツの建築家ブルーノ・タウトとされているが、タウトは表現主義、色彩感覚を基本とする、モダニズム建築とはかなり距離のある建築家である。フランス人のル・
愛媛県松山市裏千家茶道教室「晃々庵」こと島﨑宗昌です。教室の案内は⇒こちら◎茶道教室体験見学会(無料)開催中⇒詳細はこちら昨年は自分の不注意から手指をチェンソーで切ってしまい、真の点前の鱗灰を作れませんでしたので、今年こそはと鱗灰用の灰の手入れをしました。裏千家では真の点前の際、眉風炉に二文字の灰型を切り鱗灰を一面に置き火を鎮めます。(聞いた話ですが、表千家は乾いた鱗灰を作るそうですが、裏千家では湿った鱗灰を作ります。)私は風炉灰は100目で篩いますが、鱗灰用の灰は150
今日は、長板で諸飾り(もろかざり)のお稽古をしました。白木の長板の上に唐銅の風炉釜を設置し、杓立(しゃくたて)、建水(蓋置)、水指を置きます。杓立(しゃくたて)の中には火箸(ひばし)と柄杓(ひしゃく)が入っています。濃茶の場合は、茶入を水指の前に置きます。「座り火箸、立ち火箸」と唱えながら、お稽古を始めると良いです。建水はもう、据えてあるので、お茶碗を持って入り、戸を閉めます。そして、点前座に座り、茶碗を左に仮置したら、すぐに火箸を取ります。(
令和庵には、小間があります。2畳台目の小さな茶室です。小間は、少ない人数で、亭主と客が近い場所でおこなうので、より和やかで、親密なやり取りができます。今は、コロナウイルス感染予防のため、なかなかお稽古できませんでしたが、空気清浄機を設置しにじり口をや窓を全開して、お稽古をしました。風が穏やかでまさに新緑の薫風の中、お稽古できたのはとても気持ちがよかったです。小間では、広間とは、勝手の違うところがいくつ
前回の表千家の続きは裏千家。表あっての裏だが、実質、日本の茶の湯の代表格は裏千家でもある。千利休の孫に当る宗旦の長男の千宗拙(せんそうせつ)は父との折り合いが悪かった為、家を継がず早くに家を出て江戸で浪人暮らしを送っていた。最初に茶道を継いだ三男の江岑宗左(こうしんそうさ)は、父の茶室である「不審庵(ふしんあん)」を継ぎ表千家を創設。そして四男の仙叟宗室(せんそうそうしつ)は、表通りに面する不審庵の裏側に茶室「今日庵(こんにちあん)」を建立し、これが裏千家の由来となる。その
まだまだ残暑が厳しいのですが、夕方になると虫の音も高くなりました。日暮れも早くなり、山の友だちは夜は掛布団がないと寒いと言っています。秋はすぐそこまで来ているのですね。毎月息子の名前で届くお茶。9月のお茶は抹茶入り煎茶「葉葉清風」と、紅茶の「バースデイ」偶然にも今月は私の誕生月です。今月のおたよりの特集は、「利休二つの系譜」です。毎月のおたよりにはお茶についての特集がありますが、千利休についての話は今までなかったような・・・?☆日本の伝統文化の一つ、「茶道」
茶道を、さまざまな理由で辞めてしまった人、離れてしまった人がいます。経済的な問題。距離的な問題。家庭的な問題。人間関係的な問題。そして【流儀を強制される問題】。正直にいいますと、上の4つについては「どうしようもない」と私は考えます。それは、それぞれが、乗り越えるべき問題だからです。経済的にどうにもならないなら、収入を増やすか、支出を見直すかで、月謝を捻出すべきです。月5~1万円というのは、そんなに高額でしょうか。私にはちょっと分か
椿の会のブログにお越しくださりありがとうございます。【圧倒的なブランド力】〜本日大切なご報告があります〜茶道に圧倒的なブランド力があるとあなたは思いますか?(教えてください)学生時代の私はそんなことを知る由もなく茶道=地味でダサい習い事だと思っていました。母が茶道を習っていてなぜそんなダサい習い事しているの?と思っていた私です。華やかな習い事といえばバレエ、ヴァイオリンフラワーアレンジメント?それが、まさか茶道の道に浸っていく未来が訪
「お茶会に洋服で伺う場合は何を着たらいいですか?」というご質問を何度もいただきました。きものでいらっしゃるのが一番ですがそうもいかない諸々の事情があれば「きものがお茶飲む訳じゃない」むしろ、このポイントを押さえればどんどんお洋服でお茶会に来てください!と、言えるまず迎えて下さるおもてなし側、ご亭主やお運びさんは袴付き、十徳、女性でしたら最低でも一つ紋をお召しでしょうね。その姿に迎えられて失礼に当たらない洋服、ドレスコードのマナー再確認です。画像を拡大してごらんください。
飯後の茶事(はんごのちゃじ)にお客としてお招き頂きました。といっても内々の稽古茶事なので予めネタバレしてましたが。飯後の茶事、またの名を菓子茶事とも言います。食事の時間を避けて、お菓子でおもてなしする茶の湯です。数あるお茶事の中では比較的自由で型にはまらないのが特徴。もちろん正式な流れでやっても全然構わないのですが亭主やお客の都合で如何様にも変化させることができます。今回は前席で七事式の花寄(はなよせ)を取り入れました。札を引いて、当たった人から花を入れていきます。水屋の方々も
北九州でお茶を教えて30年。とうりん茶道教室です。戦国時代のさなか、武士は皆、茶の湯に親しんでいたことをお話ししました。また、道具を手に入れるために苦労していました。好みのものがないと、韓国や中国の窯元に注文を出して作らせたりしました。そのような品々が、現代まで名物品として残されているものもあります。茶会というものは、当時は道具の自慢をしたり(=これはその人自身の価値を高めることになるからです)、あらたな道具を手に入れるための交渉に使ったり、山海珍味やお酒でもてなしたりして
令和3年(2021年)8月22日:投稿皆さん、こんにちは!シュミネ茶道教室の西田宗佳です。8/21(土)、午後の短時間ではありましたが、「名水点て」による稽古茶会を催しました。ご参加いただいた社中の皆様、暑い中マスクをしながらでも、浴衣や着物をお召しいただいてお運びくださり、ありがとうございました。茶会・茶事では、亭主の心入れを存分に汲み取って、客として十分に理解し味わうことが大切です。茶会が初めてという新しい方も多くいらっしゃり、その場の事だけだと何が何だかさっぱり分か
日曜日乾燥させた藁を焼き藁灰をつくりました灰といっても黒いので藁の炭?塩水につけてから焼くことで形が残るようです化学はわかりませんが塩が燃えないものなのでその影響でしょうか?カセットコンロの上に使わなくなったフライパンを乗せてフライパンの中にはいるサイズに藁を切りアルミホイルで蓋をして中火で20分昨年のブログを参考にしながらやってみました何故か夜になってしまいました気になっても蓋を開けてはいけません煙と藁の焼ける匂いがします20分後
茶道具が出て来る落語で、茶碗ではなく、珍しく建水が出てくる噺があります。それは「大仏餅」。黒門町の師匠と呼ばれた、名人八代目桂文楽がよく演じて、最後の高座の演目になったので、落語通の間では有名な噺だそうです。しかし、今はどうでしょう、それほどやられる噺なのでしょうか?主人公が盲目の新米乞食という設定が、差別的とか言われそうですし、オチ(サゲ)の大仏餅と大仏に掛けた「目から鼻へ抜ける」という洒落が、今、まず通じそうもない。ことに重要な小道具である、朝鮮砂張の建水という物が、どんな物で、どんな