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今回は、甲斐・信濃の領国開発にチャレンジ!村上義清や小笠原長時が南北信濃に分かれて統治していたシナリオもあるけど、安定した領国開発したいので、武田信玄にしました。甲斐・躑躅ヶ崎館(甲府城)信玄堤が築かれていたので、この状態で進めます。ぶっちゃけ、信虎・信玄(晴信)の武田2代がいなかったら、甲府市は田舎町としてスルーされてたかも。北信濃・海津城(葛尾城)信濃川(千曲川)がめちゃくちゃ長い!村上義清が治めていたが、真田幸隆の応援で北信濃を制圧できた。なお、東南には小諸城が支城になって
甲府駅を利用する方に、おすすめの駐車場情報をまとめてみました駅の近くで「長めに安く」車を停めたいと思ったとき、意外と迷ってしまうのが駐車場選びです今回は、1日利用はもちろん、1泊・2泊・連泊OKな最大料金ありのパーキングをご紹介しています。48時間以上対応のところもあるので、旅行や出張でも安心です駅から徒歩でアクセスしやすい場所を厳選しているので、ぜひチェックしてみてくださいね甲府駅の安い駐車場12選|1日・1泊・連泊・48時間以上OKも解説。甲府駅周辺の安い駐車場につ
松前兄弟。最近、ますますいい味出してますが。この2人の家紋に注目。菱形してますよね。(この写真だと小さくて分かりづらいですが)武田信玄と同じ、いわゆる武田割菱というやつ💠。松前氏というのは、もとは武田の一族です。といっても、甲斐とは別系統の、若狭(福井県)の武田氏で。武田信広という男が、戦国時代に若狭に居られなくなって、流れ流れて陸奥の南部氏を頼った(南部も、同じく新羅三郎義光の家系で、遠い先祖が同じ、という縁らしい)。下北半島の蠣崎に領地を貰い、蠣崎氏を名乗った信広は、新天地を求め
小杉右近(こすぎうこん)概要甲斐武田氏の家臣。武田信玄の近習。?年ー?年別名左近主君武田信玄氏族小杉氏父母不明兄妹不明妻不明子不明生涯1572年小杉右近は武田信玄の近習として上洛戦に従軍した。天竜川を渡らせたくなかった徳川家康は自身を含め本多忠勝・内藤信成らとともに3000の兵を率いて天竜川を渡河した。家康の予想に反して武田軍はより早く進軍しており一言坂で徳川軍の本多・内藤の軍に遭遇した。徳川軍は撤退を始めたが、武田軍は追撃を始め馬場信春隊が坂の下の徳川
甲斐善光寺にて源頼朝&実朝そして甲府グルメ山梨県甲府にある甲斐善光寺川中島の戦いで信州善光寺(長野)のご本尊や宝物が焼失することを恐れた武田信玄は甲府に甲斐善光寺を作り多くの宝物を移しました甲斐善光寺の宝物館ではその一部を見ることができます(写真撮影NG)そのひとつが源頼朝像これも元々信州善光寺(長野)にあったものと考えられています鎌倉時代荒れ果てていた信州善光寺を再建したのが頼朝でその縁でこの頼朝像がつくられたとか現在の教科書の頼朝はほとんど↑この像
檜洞丸に登った帰りに立ち寄った「中川温泉ぶなの湯」をご紹介。『檜洞丸1ツツジ新道を登る25.03.22』丹沢遠征三日目は檜洞丸に登ります。東京に大雪が降ってから三日。今日は全日程で一番標高が高い場所まで登るんで雪の状態が気になるところではありますが…。「まずは行…ameblo.jp中川温泉は河内川の渓谷の上にある温泉です。西丹沢からの帰路に立ち寄りやすく便利な温泉です。県道76号から温泉までのアプローチ道路が狭隘で急傾斜なので少々注意が必要です。でも、駐車場まで下りてし
十言の神咒(とことのかじり)とは、十の言霊で神様の御名を唱える、祝詞の一種です。ここで言う神様とは、日本神話に登場する最高神である天照大御神のことを指します。天照大御神の呼び方は十言の神咒においては「アマテラスオオミカミ」となり、発音するとちょうど十文字です。十言の神咒は、「神道天行居」の創始者である友清歓真(ともきよよしさね)氏が世に広めたものであり、唱えることによって天照大御神に、さらには八百万の神々に呼びかけることが出来るのだと言われています。要は開運と邪気払いです。太陽を見
「武田信玄」NHK大河ドラマ「武田信玄」1988年NHK大河ドラマ。史上第2位の高視聴率。初回視聴率42.5%、最高視聴率49.2%、平均視聴率39.2%。前年の『独眼竜政宗』と僅か0.5%差で史上2位の平均視聴率で、あわせて大河ドラマ史の絶頂期を形作った。若尾文子は、武田信玄の母を熱演。併せて、本編のナレーションも兼任。「今宵はここまでに致しとうござりまする」という毎回の締めのセリフが流行語大賞に!本作は、信玄の母・大井夫人(若尾文子)が“息子
◆2025年3月有楽町朝日ホールにて観覧した三山ひろし君出演!初の浪曲【南部坂雪の別れ】!!◆三波春夫さんの浪曲!リスペクトを込めた渾身の演目!あの日の感動を再び享受させて戴きました!!◆感動の演目に天晴れ!【若き曲師◇彩青】君の絶妙の三味線が冴え渡りました!三波春夫さんから戴かれた素晴らしい御衣装を纏い◇三山ひろし君の晴れの舞台に再びの感動を戴きました!◆浪曲【南部坂雪の別れ】三山ひろし♪◆【曲師】【彩青】三山ひろし君が【日本三大話芸】の中に【演歌のルーツがあ
【歴史】『戦国時代の闇』大名たちが黙認した残酷な「乱妨取り」〜雑兵の報酬は"略奪"だった*草の実堂編集部(6月14日)より*数多の有名武将がしのぎを削り、名声を高めた戦国時代。武将や士豪など、ある程度の地位にある者は戦に勝利すれば、主君から褒美や所領を得られた。しかし、歴史に名を残さない"大勢の雑兵たち"には、よほど大きな手柄がない限り、大した報酬や優遇措置は与えられなかったという。かの織田信長は「兵農分離」を先駆けて取り入れ、雑兵にも
第3章歴史に生きる名馬伝説日本の歴史を彩る武将や英雄たちの足元には、常に馬の姿がありました。戦国の戦場、街道を駆ける使者、そして儀式や祭礼の場──。名馬の伝説は、人の物語と切り離せない形で語り継がれています。ここでは代表的なものをさらに詳しく見ていきます。源義経と「青海波(せいがいは)」源義経を象徴する名馬が「青海波」です。一の谷の合戦で、鵯越の断崖を駆け下りて平家を奇襲した伝説は、日本人なら一度は耳にしたことがあるでしょう。そのとき義経を支えたのが、まさにこの馬だったと伝えられ
毎年恒例のりんご狩りをした後に八ヶ岳&石和温泉に行ってきました紅葉真っ盛りの清里高原飲んだくれオールインクルーシブマイクラ少年歓喜の宝石探しと盛りだくさんの旅になりました時期:2025年11月メンバー:パパ、ママ、小3長男、5歳次男移動手段:自家用車宿泊先:ホテル風か1000Mのおもてなし八ヶ岳ホテル風か楽天トラベル無料の宝石博物館を見学した後はいよいよ宝石発掘体験に向かいます博物館からは細い道路を挟んだお向かいに施設があります。発掘場所は武田信玄邸とい
先日「今日の一言」として投稿した、**「修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)」**という言葉。改めて、その意味と私が感じていることをお話ししようと思います。もともとは儒教の教えで、天下を平和にするには段階(順番)があるという考え方です。①修身(しゅうしん):自分の行いを正す⇓②斉家(せいか):家庭を整え、まとめる⇓③治国(ちこく):国家を治める⇓④平天下(へいてんか):世界を平和にする…と、ここまでが一般的な説明なのです