ブログ記事10,237件
さてさて…先週の「豊臣兄弟!」は…次から次へと局面が目まぐるしく変わって…ついていけなくなりそうでしたが…とても見応えがありましたね😆まさかの公方様の甲斐国出張には…(義昭はドラえもんからどこでもドアを借りているのでしょうか⁉️)信長の時と同じく従者になりすましているところまでもが同じで…流石に二番煎じと思わざるを得ませんでしたが🆖信長のそれと違っていたのは…同行していたのが明智光秀ではなく…三渕藤英(みつぶちふじひで)だった所でしたが…あれほど固い主従の絆で結ばれていた
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第17回、「小谷落城」の感想です。(第16回のラスト。)(この回の前半で歴史がバタバタと進みましたね。)<甲斐>武田信玄を幕閣・三渕が訪れた。三渕は公方(義昭)の意思を伝えた。信玄は織田と戦うことを固辞していた。途中から、三渕のお供の従者が義昭であることを明かして、直接、義昭&信玄での話になった。義昭:「さすがは甲斐源氏の嫡流。」と源氏の再興をほのめかすような話で始めた。
大河ドラマの話です(本作を楽しみにご覧になってる方はスルーしてくださいね)3日の放送ですけどね三方ヶ原の戦いも一乗谷の戦いも小谷城の戦いも何と言うか、サササ~と流されてしまって残念でした(まっ、主人公が主役の戦いではないので仕方がないのかもしれませんが)で、ビックリしたのが武田信玄の死因ですなんと餅を喉に詰まらせてあっという間に死んでしまったのです💦ドラマが始まってわずか9分のことでしたさらに、エッ?っと思ったのは浅野長政の介錯を嫁のお市がやったこと
本ページにはプロモーションが含まれています【ふるさと納税】長野県諏訪市の対象施設で使える楽天トラベルクーポン寄付額100,000円楽天市場「諏訪町(すわちょう・すわまち)諏訪」という地名を見かけたことはありませんか?「諏訪」といえば、長野県の諏訪大社が有名ですよね。でも不思議なことに、この地名は長野県だけでなく、東京、名古屋、九州…と、日本中のあちこちに存在しているんです。「なぜ、こんなに全国に広がっているんだろう?」その理由を紐解いていくと、江戸幕府を開いた徳川家
今日は、昨日見た大河ドラマ「豊臣兄弟!」の武田信玄のあっという間の退場にビックリした事・他、色々と書いたのですが...見事に、BLOG記事を飛ばしてしまいましたダメです。もう一度、全部作り直す気力が湧きません...これ、本当に体力と気力を根こそぎ持っていかれますよね今日はもう、このままがっかりして寝ちゃいます。おやすみなさい。明日は、良い日でありますように。おっさん野球の大会まで
教育心理学に於いては『遺伝』という言葉が、親からの継承性や生涯変わらない普遍性を連想させる事から、これまで遺伝要因の探究はタブー視される傾向にありました。この遺伝を強調する事により必然的な悲観的宿命論に結び付いてしまい、一般的な教育上では不都合なため低評価なまま等閑にされてきたと。本来、様々な人間の成長過程に於いては、それぞれの異なる遺伝的性向があるわけで、遺伝的影響の性質を探求し教育的な知見を得る事は意義があるはず。知能の個人差に着目する場合には、遺伝要因
静岡県・掛川市明日こそは、晴れて欲しいなぁ。。。なかなか歴史のある場所と思った圭那です。と言うことで・・・913年に藤原鶴翁山頂に宮柱を建てたのが始まりです。後に、砦が築かれ城に発展していきます。この城の特長として、大きく2つに分けられます。一城別郭と呼ばれる構造で、東峠側には本丸(中心より)や三の丸。西峠側には、二の丸等が有ります。登城のスタートは、鳥居から・・・。「搦手門跡」こんな、少し急な石段を登って、東峠と西峠の間くらいに進みます。
大河ドラマ「豊臣兄弟」の第17回を、鑑賞。今回も、歴史的経緯は、トントンと進み、あっという間に、小谷城が、落城。お市と、浅井長政のシーンに、多くの時間が、割かれていましたね。この間の、歴史の経緯を、簡単に。元亀元年(1570)、「志賀の陣」で、将軍、朝廷の仲介によって、朝倉義景、浅井長政らと和睦をした織田信長は、窮地を脱した。この頃、織田信長は、摂津方面では、三好氏の攻勢。近江では、六角義賢の挙兵。伊勢方面では、長島の一向一揆と、周囲に敵を抱えていた。六角氏、三好氏とも、
きゃーきゃー否〜!❣️豊臣兄弟👬!では、徳川家臣団のめっちゃいいところを端折られました、、夏目漱石の、御先祖様が徳川家康さんの身代わりに?!ありがとう!❣️が、豊臣兄弟👬!では端折られています!なんでこうなるの?な、瀬名ちゃん穏やかすぎてすぐに終わっていた豊臣兄弟👬!の武田信玄、、、お餅だった、、、殿、いいのですよ、これで。殿は、今、情け無い時じゃない!いいの!いいの!待てばイイのよ、待てば❣️今は、嵐のライブに集中するところでしょ❣️殿
今年はNHK大河ドラマ見てます。昨日の回は地元のヒーローたちが多く亡くなりました。武田信玄が餅をのどに詰まらせ亡くなったということで山梨県民がSNSで激怒しておりました。戦国武将って地元のヒーローですからね。取り扱い注意です。浅井長政は格好良く亡くなりました。信長に服従すれば死なずに済んだという設定。でも信念を貫くことを選びました。良いですね。浅井長政は人気あるし。朝倉義景は今回の大河でも腰抜け的な扱いでした。でも地元ではヒーローなんだろうね。そんな義景の息子は越後の
いいところが、いいところが、、豊臣兄弟👬!では端折られている、、、ショック、、😨、、豊臣兄弟👬!ではいいところがとばされている、、の、目そう、例え敵でも人には敬意🎩を持てる徳川家臣団そこがいいのよ徳川家臣団徳を積むのよ徳川家臣団どうする家康ではいいところを見せたのにね、本多忠勝平八郎見せ場でした本多忠勝平八郎呼んでも来てくれなかったよね、三方原の合戦、、え?!なんだって?!素通り?!豊臣兄弟👬!では??!色々と素通りだって?
なんぼ何でも唐突過ぎるでしょう。昨日の「GIFT」は、少しずつ前を向くようになってまいりましたが、ラスト近くで、とんでもないエピソードをぶっ込んでまいりました。これでは、まるで大映テレビです。大映テレビといえば、出生の秘密ととんでもない不幸です。その両方を、いきなりです。ならば、偶然の出会いの連発です。あのね、昨日の「豊臣兄弟!」における、武田信玄や浅井長政の扱いもそうですが、奇をてらえば良いというものではありません。時代劇ですから、何でもありはわかりますが、前者は唐突に過ぎるし、後者は
5月4日月曜日みどりの日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物武田信玄(高嶋政伸)武田信玄(たけだしんげん)/武田晴信(たけだはるのぶ)戦国時代の武将。甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の第19代当主。武田氏の第16代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。正式な姓名は、源晴信(みなもとのはるのぶ)。表記は、「源朝臣武田信濃守太郎晴信」。「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。尾張の織田信長とは永禄年間から領国を接し、外交関
豊臣兄弟!17話「小谷落城」視聴しました~戦国大河なので辛い展開が続くのは仕方ないけど、今週も俳優さん方々の素敵な演技で楽しめました。高嶋政伸さん演じる、武田信玄が予想以上に早い退場だったのが個人的にツボ浅井夫婦の悲恋はこれまでも繰り返しドラマで再現されてるけど、中島歩さんの長政と宮崎あおいさんのお市の如何にも戦国らしいけじめのつけ方が悲しすぎでした。長政は「大好きだった」と過去形にするのに、お市は「いつまでもお慕いしております」と現在進行形。中島歩さんの浅井長政、
2026年5月風林火山武田信玄武士漢字赤円相書道スタイルTシャツ-2XLAmazon(アマゾン)1,495円今年のGWはのんびりと思っていたのですがツレがこんな記事⬇️⬇️⬇️を見つけ急遽山梨へ行ってきました風林火山御朱印いまだけ限定!武田信玄公ゆかりの“風林火山”の御朱印がゲットできる山梨の4つの寺がコラボ(UTYテレビ山梨)-Yahoo!ニュース※5月3日追記:4寺院は大型連休中、非常に混雑しています。このため4寺院は、特別な御朱印の配布期間を当面
発行:2025年7月30日武田信玄の没後3年余りで長篠の合戦で大敗し武田家滅亡へと向かう武田勝頼に焦点を当てた物語り。最強を誇った武田軍がどの様に衰退し敗北に至るのか。勝頼は凡将だったのか?勝頼の心に響く木霊の声とは?余りに偉大なる父信玄の後を継いだ勝頼の宿命。父に仕えた家臣団と偉大だった父の影。時を待てば待つほど増大する織田、徳川の勢力。設楽原の敗北は果たして無謀な愚将の一戦だったのか?長篠の戦いは厳密には設楽原での戦いだったと云うのを初めて知りました。そして勝頼はここで討ち死にしたもの
大河ドラマでの退場の描写は色々ありましたが、昨夜のアレは酷かったですんね。とりあえず、金精軒と桔梗屋は営業妨害で訴えていい。
後半は役者の演技に助けられてなんとか見ることができたが、最初の出だしははひどかった。なんと室町幕府の第15代征夷大将軍がまたもやお忍びで現れたのである。武田信玄が子供と一緒に餅ついてる。。。。このハゲボーズ信玄だったのか。。。。そこだけでもなんとなく不安な気配が。。。「おやかた様」なんて言われているからもしやと思ったけど、、、それならまだ産屋敷耀哉のほうがおやかたさまという名にふさわしい威厳があるぞ?『豊臣兄弟!』、武田信玄の“まさかの最期”に視聴者からは不
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」視聴完了しましたえらい早回しで、あっという間に信長時代の一番つらい時を終わらせたなとこのダイジェストは、GWでちょっと見層を強引にとりにきたのかと勘ぐってしまうくらいだったが、なかなかハイペースにあれこれを消化して終わって衝撃でありました武田信玄については、数話前のこれからの敵たち紹介の撮影時に、一気に全部撮ったんじゃないかと思うくらいのあっさりっぷりに衝撃的だったのであるまさか、信玄が餅くって死ぬとか、毒殺を回避してからの結局というのがもうそれ
室町幕府の終焉と小谷城の落城が描かれます。ドラマのあらすじ1572年(元亀3年)から1573年(元亀4年)になります。足利義昭(尾上右近さん)自ら武田信玄(高嶋政伸さん)を説得に出向きます。(史実は元亀3年5月13日、義昭は甲斐の武田信玄に対して、「天下静謐」のために軍事行動を起こすように命じた御内書を下した)総勢25,000の兵を率いて遠江へ侵攻した武田信玄は、徳川家康(松下洸平さん)と激突(三方ヶ原の戦い)。武田信玄は大勝利を収め、勢いづいた足利義昭も挙兵します。しかし、信玄が
今夜の豊臣兄弟です。武田信玄が、対織田への兵を挙げました。遠江に侵攻し、三方が原で迎え撃った徳川家康は、大敗しました。そして引き上げましたが、、。しかし、武田信玄は、家老が持って来た毒饅頭を家老と一緒に食べてしまいました。苦しんで亡くなった家老。武田信玄も亡くなりました。ここで、登場は終わりですか?武田信玄は、もっと活躍した筈です。足利義昭将軍も京で挙兵し、織田信長は絶体絶命と思われました。朝倉氏の棟梁です。又、織田信長に攻められています。浅井長政は、織田信長に寝返りました。
オープニング割愛の今回の「豊臣兄弟!」怒涛の様な45分が展開されました・徳川家康三方ヶ原大敗・武田信玄急逝・足利義昭追放・朝倉義景謀殺(朝倉家滅亡)・浅井久政自刃・浅井長政自刃(浅井家滅亡)この期間歴史的に見て約8ヶ月の出来事・徳川家康三方ヶ原大敗※家康脱糞せず😅・武田信玄急逝※餅を喉に詰まらせての急死❗・足利義昭追放※光秀爆発・朝倉義景謀殺(朝倉家滅亡)・浅井久政自刃・浅井長政自刃(浅井家滅亡)※お市様介錯❗驚きの新解釈が続きましたが、長
★2026年5月3日1947年(昭和22年)5月3日に日本国憲法制定。施行されたことを記念し、1948年に制定された国民の祝日。秩父だけで無く皆んな何処でも?統合されている。秩父や皆野の土地活かし、“自然文化教育”演って欲しい。夏は他校と共同参画した、林間学校など良いかも知れないよね。皆野も高齢化されて居るようなので、高校に寮生活できる寮も有れば、越境できると想ふ。秩父高校・松本校長と澁澤教頭が描く「夢を語り、秩父から世界とつながる学校」秩父経済新聞秩父高校・松
足利義昭もあっちに行ったりこっちに行ったり、今度は武田信玄の所に行くのか、どっちつかずの公方様だな😊、でもだから足利義昭はしぶとかったんだろうな、最終的には島根県の方にまで追いやられる事になるけど、そこでまた決起しようと企んでいたみたいだから、足利義昭はただでは転ばない人だな😊、そして皮肉なものだな、浅井と朝倉は織田信長と争ったから滅ぼされたけど、その織田信長も本能寺で襲撃されるんだからな歴史というのは皮肉だな😊、だから歴史は面白い😊
武田信玄のマンホールカード昨日(5/2)から甲府の自宅に戻っています。朝6時半ころに世田谷宅を出ましたが、中央自動車道は大渋滞順調であれば1時間半でつくところが、なんと、3時間超かかってしまいました(汗)。それでも10時前には帰宅できたので、遅めの昼食を兼ねた朝食を済ませた後にちょっと一服していつも通りに大掃除に取り掛かりました。玄関前の伸びた雑草をこまめに摘み取り、電動草刈り機で庭の雑草を取り除いてから自宅周辺を散歩しました。それでもまだ午後3時、せっかくな
こんにちは、藤井愛菜です。4/19に春の舞台がありました。仕事や家事、祖母のお世話をしつつ、合間で振り付けにお稽古や衣装準備事前の会場予約、音響照明との打ち合わせプログラム作成と発注と各会への送付当日の司会がすべて私の役割なのでばたばた。無事に終わってホッとしています。私の今回の演目は「武田節」と「迷い道」。「武田節」は甲斐の名将、武田信玄のうた。”人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵””風林火山”が使われています。
甲府盆地からは富士山の頭だけが顔を出している甲府到着は午後3時夜まで少しだけ甲府観光甲府はかの武田信玄の城下町駅前には武田信玄像が鎮座駅からクルマで10分の武田神社を参拝あとは個人的趣味でやってる全国都道府県庁巡りで山梨県庁へ趣のある方が別館ホテルみたいな外観が本館らしい山梨県庁も旧甲府城(別名「舞鶴城」)の敷地に建てられた城跡県庁近くには城跡が公園に整備されていました天守閣を復元すれば観光の目玉になるんじゃないのかな
桃源郷と呼ばれる山梨県の各スポットを巡る旅ですが、「釈迦堂遺跡博物館」「花鳥山展望台」「笛吹市八代ふるさと公園」と立ち寄り、「山梨県曽根丘陵公園」までやってきました。公園内には「山梨県立考古博物館」があるので、続いてはこちらを見学して行きます。入館料は常設展のみが220円で、特別展は別料金です。今回は常設展を見ていきましょう。展示は旧石器時代から縄文時代、弥生時代、古墳時代、歴史時代と分かれていました。旧石器時代は、様々な形をした石器から黒曜石と図を使って石器の
R153号線を長野方面に走ると『信玄塚』と書かれた巨大な看板に出会う『ねばねの上村』と言われる武田信玄終焉の地の1つとされている場所である元亀4年(1573)武田信玄は約3万の大軍を率いて破竹の勢いで西に攻め上がっている最中であったが、野田城(新城市)攻略後その勢いを止める事となるそして春になるとそのまま本国に引き揚げてしまうこの不可解な行動の裏には、重篤だった信玄の死が秘されていた。しかし信玄の遺言により、彼の死は隠されたため、その正確な終焉の地も
覇)名古屋山三郎:傾奇・壱の鑓覇)武田信玄:甲州法度次第覇)赤井輝子:金剛烈女覇)黄梅院:錦衣玉食覇)北条氏康:虎朱印の権威覇)武田勝頼:かくれなき弓取覇)足利義輝:剣気森然覇)愛姫:懐剣の気概覇)上杉謙信:陥陣の軍神覇)上杉景勝:烈戦の志©コーエーテクモゲームス