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第128回日本小児科学会で講演をするため、名古屋に行っておりました!講演については、写真が届きましたらレポートしますが、まずは、熱田神宮で起きた奇跡について書きたいと思います♡講演を無事に終えられたことに対して、翌朝、熱田神宮に御礼参りに行ったときのことです。自然いっぱいで気持ちがいいなと思いながら歩いていたら、なんと、白鳥(しろとり)がいらしたのです!熱田神宮御祭神のヤマトタケルノミコトは、戦いに行かれた際、病にかかられ、亡くなられたのですが、ミコトの御霊が白鳥
先日、愛知、岐阜、滋賀、福井、京都を巡ってきましたので、今回はこの旅をご紹介します写真は日本100名城、名古屋城の天守です2025年4月の国宝を巡る旅、1日目の9日は名古屋からスタートです名古屋市営地下鉄名城線名古屋城駅の階段には、何と「名古屋城」がありました二の丸東門跡から入場です左手の空堀は桜が満開でした二の丸の西側にあるのがこちら大手二之門です桃山時代の建築で重要文化財です門を出て西に進むと、飲食店などが並ぶ「金シャチ横丁」がありました西南端のお堀も桜が満開でした
実像に迫る010荒木村重天野忠幸著A5判/並製/104頁戎光祥出版(2017/6/15)荒木村重というリアル戦国ドラマ戦国時代って、ただの「戦いの歴史」じゃないんです。そこに生きた一人ひとりの「決断」や「葛藤」、そして「信念」が重なって、今に続く物語を形づくっている。そんなことを、改めて感じさせてくれたのがこの本。**天野忠幸さんの『荒木村重』**です。荒木村重という名前、歴史好きじゃないとあまり馴染みがないかもしれません。でもこの人、実はかなりすごい。織田信長から実力
・1歳斎藤道三の家臣で、土岐氏の分家である明智光綱の長男として美濃多羅城に生まれ、その後、明智城へ移る。通称は十兵衛・5歳斎藤道三が、稲葉山城から美濃の守護・土岐頼芸を追放して城主となり、実質的に美濃を支配下に治める・7歳父明智光綱が死去し、明智光秀が家督を相続。叔父で明智城主の明智光安の後見を受ける・17歳稲葉山城の斎藤道三を織田信秀が攻め入る「加納口の戦い」に参戦。斎藤道三の計略で織田軍は大敗を喫する・29歳斎藤道三と長男・斉藤義龍が「長良川の戦い」で争い、斎藤道三は
おはようございますこんにちは、そしてこんばんは皆さん。ジーラックです。ご存じの方も多いかもしれませんが、織田信長は10代のころ、だらしない格好で家臣と城下を練り歩いていたらしいです。また、父親の葬式の時も普段着であらわれ、焼香の時は抹香を位牌に投げつけたそうです。このようなこともあり、「大うつけ」(「うつけ」とは〇鹿ということ。つまり大〇鹿者)と言われていたそうです。ただし、実際はとても勤勉な人で、常日頃から水泳、乗馬、鉄砲の訓練、兵法の習得に励んでいた
どうもブネです。今回は天正3年(1575年)長篠の戦いについて、私の思うままに書いていきたく存じます。読者の皆様には織田・徳川連合軍の鉄砲隊へ武田勝頼の騎馬軍団が激突していったというイメージから脱却を図ってくだされば、ありがたく存じます。個人的には、藤本正行氏の考えるように、長篠の戦いは織田信長が示す新たな鉄砲戦術による戦いではない・3段撃ちが全てではないと考えています。また、武田勝頼は騎馬隊を過信してこだわっていたわけでもないとも考えています。では、なんとなく書く散文詩
1月に備中高松城跡を訪れた。「高松城水攻め」が有名。私のニワカ歴史知識で、歴史的転換点の場所であることも知る。■高松城水攻め・織田信長が羽柴秀吉に中国攻めを指示・備前(現岡山県)の宇喜多忠道は、毛利勢から織田勢に寝返り、羽柴秀吉と共に中国攻めに参加。・備中高松城は周りが池に囲まれており、攻めにくい。・西から毛利軍が駆けつけている間に、軍司の黒田官兵衛の知恵により、高松城まわりに関を作り、足守川より水路を引き水攻めを提案し、秀吉軍が実行。・水攻めにあった高
🔵織田信長以前の天下人とする説がございますね。🔵室町幕府で将軍を傀儡としながら、三好政権→織田政権の流れということでしょうね。
最近、ロードバイクの調子がよろしくないです。変な音がしたりたまに、ギアが空回りしたり不安で、一人で出かけることができなかったんです。ママチャリ1台分のお金をかけてワイヤー、ブレーキ、チェーンを交換してもらいました。そしたら、素晴らしく変わりました。まるで、新車の乗り心地です(^^♪ギヤチェンジが滑らか(^^♪完璧になりました(^^♪そして、快晴の今日初ソロライド!!!「蛇池」に行きました。蛇池神社説明を読むと「織田信長
珍しい羊羹を見つけた。皇居御用達お菓子の店があった。富士山羊羹が美味しそうだった。YouTubeを観て下さい。https://youtu.be/-qdl5tPy89w金ケ崎の戦い(織田信長が負けた)食べた。普通の羊羹の味だった。富士山羊羹があった。食べてみた、普通の羊羹だ。名前にひかれた食べた。ネーミングは大切な条件だ。おわり
「春の高山祭」を訪ねる旅の3日目の朝は岐阜駅前のホテルで迎えました。岐阜市内でも夜中に雨が降ったようですが、朝には雨も上り青空も顔を出してました。この日は日本の上空に強い寒気が居座って、東海地方は晴れてもにわか雨があるかも知れない不安定な天気の予報、園内が広い明治村を訪ねる予定は1日伸ばし、名鉄沿線の織田信長ゆかりの地を巡りました。◾️有松駅最初に訪ねたのは桶狭間古戦場、有松駅からバスで10分ほどの所です。桶狭間古戦場公園は、桶狭間合戦から450年目の2010年に整備された小
画像などで振り返ります。。。今回も閲覧注意ですwwwwww青春18きっぷツアー3日目の朝を名古屋の伏見で迎えました8時00分起床でした。。。すると異変に気づいたのです。。。なんかお腹の辺りがちょっとおかしいぞ。。。その後約30分以上トイレがお友達状態になってしまいましたwwwもう本当に脂汗が出てきまして、やや意識朦朧となりまして、これは旅行中止しないといけないかもしれないねと思いながら悶絶しておりました😭😭😭ゲーリー🎵ゲーリー🎵ホームラン🎵🎵🎵ゲーリー🎵ゲ
小さなお花畑まるたまcraft長津田(金)クラスいろんな作品を同時に教えるという聖徳太子&千手観音スタイルのレッスン(笑)皆さんのちょっとした言葉もすかさず聞き取り、チャチャを入れ、ギャグを飛ばし、絵の具出し、粘土配り、穴あけ、あっちで呼ばれ、こっちで呼ばれ、5時間まったく座らず、休まず…というレッスン(//∇//)定期…「藤娘」ぷち歳時記…「鯉にのった金太郎さん」ジオラマ…「春」スペシャル…「歴女のお節句・戦国三英傑」リクエスト…「お節句段飾り」もりもり盛り沢山な内容でし
にほんブログ村にほんブログ村「琉球古文書」専門家が初調査首里城再建の手がかりに天理|NHK奈良県のニュース【NHK】奈良県天理市の図書館にある琉球王国の歴史を伝える「琉球古文書」と呼ばれる資料について、沖縄の専門家による初の調査が行われました。「琉球…www3.nhk.or.jp明智光秀が築いた2つの城、「福知山城」と「周山城」の謎に迫る解説本発行(両丹日日新聞)-Yahoo!ニュース福知山ゆかりの戦国武将・明智光秀が築いた福知山城=福知山市=と周山城=京都市右京区
4/26(土)21:00〜22:00、無料オンライン講座を行います!私の所属している「一般社団法人teachersBrainAchademy」のオンライン体験講座の一環として、私も講師を務めさせていただきます!お申込みはこちらのフォームから!https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSddXLo052Tf8QVDm1qaAyV5ktw6Oz34BxHi5vsRivzWwjSqxw/viewform
ブログ空いてしまいましたコロナに罹ったり、保育園入園準備に追われてて気がついたら4月中旬息子くん、1y10m入園式を迎え翌日から慣らし保育でした1日目と2日目は1時間だけ3日目は1.5時間だけ3日目ほぼ遊ばずにずっと泣いてました息子くん、毎日家ですごい遊ぶし外遊びも大好きだし、私じゃ正直手に負えないくらい大変で保育園行ったらおもちゃもいっぱい、お外でも遊べる、お友達もいっぱいですぐに楽しめると思ってたのでそういうタイプだったの?って驚きました。毎日後ろ髪ひかれて、保育園からダッシ
やって来た光秀と信長は天守閣の最上層で顔を合わせた。「日向、どうだ、この眺めは」「結構にございます。されど殿はもっと高い所をお探しで?」「おう!よう分かったのう。さすが日向じゃ。して、どこが良いと思う?」光秀は、信長が居城の移転を考えていることをすでに察していた。本当に頭の切れる男である。おそらく、それを見越して信長は光秀を呼んだのだろう。秀吉も頭の回転は速いが、自ら考えを生み出すのは苦手だ。誰かが出した案に対して最善の策を練る、それが秀吉である。そして信長は、次に移るべき地もすでに
今回娘が褒めてくれたのは一泊目の宿と二泊目の宿のタイプが全然違くて良かった、ということそう、二日目は和風温泉宿になります。夜:定食、朝:バイキングであったルートインと異なりこちらはすべて一定量の提供になります。温泉も天然ですしね。(値段はかなり高いけど・・・。)そんなわけで最終日この日はメインである「竹生島(※)」に向かう間にある史跡を巡りながらフェリー乗り場へと向かいます。※琵琶湖に浮かぶ島、歴史的建造物や史跡が多数ある。まずは柴田勝家と羽柴秀吉が激突し
白い花が咲いていた。名前を聞いて驚いた。一人静(ヒトリシズカ)と言う。静御前とは、どうしても結びつかない。YouTubeを観て下さい。https://youtu.be/-qdl5tPy89w金ケ崎の戦い(織田信長が負けた)白い紐みたいなものが伸びている。なんでヒトリシズカなんだろうか。濃い緑色から花が伸びている。個性的な花だ。踊りを踊っている。イメージだろうか。白い色を静御前のイメージだろうか。個性的な花だ。おわり
まとまりようのなかった記事です。3~4つ位の話を混乱して書いてしまいました。幻聴・幻覚を起こしいていた、という状態、これは珍しいことなのですが、こんなに疲弊していては、書けなかったのも当然です。構成を改めて、リライトしなけばならないくらい、混乱した文面・記事です。本当に、申し訳ございません。第1原稿をそのまま上げてますが、この冒頭のみ付加します。もっと、筆力を上げてブログに真面目に、取り組みたいと思います。お目汚しにしかなりませんが、どうかご容赦ください。///////
おはようございます。昨日、17日は南から高気圧に覆われて、日差しの届いた所が多くなりました。日本海側ではフェーン現象も加わり、気温が早いペースで上がりました。全国で1番気温が高くなった所は、大分県豊後大野市の犬飼で28.9度でした(今年一番の暑さ)。今日も夏日のところが多くなりそうです。4月とは思えない暑さです。体がまだ暑さに慣れていない時期のため、体調を崩しやすくなります。こまめに水分補給をなさってください。出典Wikipediaさて、今日は「お香の日」です。よくある語呂合わせの日で
久しぶりに素人小説の話題です。以前よりアルファポリスというサイトで、連載しておりました素人小説が、本日完結しました。歴史好きの方ならお分かりになるかもしれませんが、織田信長とその妻の濃姫(のうひめ)のエピソードをアレンジしました。舞台は西洋の王族・貴族社会ですが、ご覧になっていただけますと幸甚です。【完結】政略結婚で、敵国に嫁ぐことになった公爵令嬢|恋愛小説|小説投稿サイトのアルファポリスバイル公爵の娘リーゼは、ある日両親から、政略結婚で隣国レーヴェ王国に嫁ぐことになったと告げら
おしい。途中まで、おもしろかった。信長の反乱がはじまったあたりから、説教臭くておろもなくなった。もっと、コメディー寄りにしてもよかったんちゃうかな。せっかく、秀吉を竹中直人を起用しているんだから、もっとコメディ感ほしかった。シャクが足らなすぎるのか。江口のり子の北条政子なんて、もっとイジリがいがあるのに。原作はおもろいのかな。むかしむかしの偉人たちが、AIで復活して、空席の総理大臣や、各大臣を務めて、今の政治ではほぼできないトランプ的強硬政策を実行する。ま、机上の空
横浜、川崎で占い師をしております朴美花と申します✨中国吉林省生まれで、2000年に来日しました💫今は、占い師活動をしながら女の子2人を育てています💫✨“て”の形のマスかけ線+強い財運線がある人は強運の持ち主だよー皆さんも出てないか調べて見て☘️🤲韓国手相では、“て”の形のマスかけ線は天下を取るくらい強いエネルギーをお持って方に現れる線☘️💕歴代織田信長、豊臣秀吉、徳川家康にもあった吉相の線☘️この講座ではまず、受講生自身や家族を中心に手相写真を撮って鑑定しながら講座
小さなお花畑まるたまcraftおうちclass今月の作品は定期は「藤娘」ぷち歳時記は「鯉にまたがる金太郎」スペシャルは「歴女の段飾り・戦国三英傑」久しぶりに歩いて電車のSaoriちゃん戻りガツオのTucchiさんいじりまくって朝から笑いました(//∇//)免疫力爆上がりです(笑)作品もこんなに可愛く完成!笑って手が震えたのがちょうどいい感じに(〃ω〃)どうぞご覧くださいませ!#小さなお花畑#まるたまcraft#まるたまクラフト#藤娘#こいのぼり#金太郎
にほんブログ村にほんブログ村「散歩にちょうどいい」甲府の新名所「花小路」がプレオープン城下町の街並み再現山梨(YBS山梨放送)-Yahoo!ニュース甲府市が甲府城の南側に整備している商業施設「小江戸甲府花小路」が12日、1日限定でプレオープンしました。プレオープンしたのは、かつて「小江戸」と呼ばれた甲府の城下町を再現する商業施設「花小news.yahoo.co.jp「初音ミク」と伝統工芸「江戸切子」の大好評コラボ第4弾!『千本桜』の世界観を表現した、浪漫あふれるモダ
小生は、今年、49歳となる1年を過ごしており…この方が、無念にも散った年齢となります…第六天魔王織田信長(AIに描かせたらこうなった🤣)小生、この年齢となるが、小生の気持ち的には、『何もなし得ていないなぁ…』という想いがあり、この年齢に対して、思うところがありまして…人間50年これはきっと、人生が50年の頃は、当然、今よりも短い人生観の中では、濃く生きているのだろうなぁ…そう言う意味でも、(いつ小生の寿命が終わるか分からないが)50年という考えが薄れた
一回は言ってみたい言葉なんです。織田信長が明智光秀に裏切られ、本能寺の変で、「誰の仕業だ」と近習(森蘭丸)に言うと、「桔梗の紋の旗印にございます。明智(当時は惟任と呼ばれていたと思いますが)の仕業かと」と言うと、信長が「是非に及ばず」と言ったとか。つまり光秀ほどの男の仕業なら、もう逃げられないだろう。いちいち議論しても仕方がない。そんな境地でしょうか。ちなみに色々説はありまして「余は自ら死を招いたな」と言ったという説もあります。これは黒幕説とか色々ありまして、光秀に家康を討たせよう
徳川家康、江戸幕府の初代将軍、その後260年続く、徳川政権の祖です権力闘争に勝ち天下を納めたからにはたくさんの部下を持っていたはず思い通りに動いてくれなかったり失敗をしたり、様々だったと思います織田信長はそんな時罵詈雑言を浴びせて怒っているようなイメージがあります家康の場合も2代将軍秀忠が関ヶ原の戦いに遅参したときはめちゃくちゃ怒ったはずでは、家康はどのように怒っていたのでし
「おとぎ話は、大抵は実話である」「キタ、キタ、キター!」石田が、手を叩いて喜ぶ。女性の神秘は1話きりで、今日からおとぎ話の不思議だ。なんでも、クレームが殺到したみたいで、1話で終わったらしい。世の中、俺みたいな男が大勢いるのだろう。「まずは、ウサギとカメですが、これは織田信長と徳川家康のことに題材を得て書かれました。信長は天下取りを急ぎ過ぎて謀反に倒れてしまいましたが、辛抱強く待った家康はやがて天下を取り、江戸時代が長く続いたのです」事の真偽はわからないが、このシリーズに