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大阪より今晩蕨W(^o^)W今日よりスタートした東海地区キャンペーン1日目無事に終わりました久し振りの東海地区お邪魔出来て嬉しかったですまずは岐阜にお邪魔しぎふチャン様へお昼の生放送にて出演して参りましたメッセージもありがとうございました岐阜に来たら〜ピカピカの織田信長ひつまぶしも食べられて幸せ続いて東海ラジオ様コメント録りでしたこちらの放送は…🌟12/4「ミッドナイトスペシャル〜金シャチ劇場〜」26:20頃か
「虎姫時遊館」から、「小谷城」に向って歩をすすめます。先ほどまでは集落の中を歩きましたが、ここからは田園の中の散策です。んー、天気も良くて気持ち良すぎる~夏の日差しは容赦なく照りつけるので汗かきますが、暑い中歩くのが大好きな奇特な人間なので、アドレナリンが出まくっております左側には「虎御前山」、右側には「田川」が流れます。田んぼアートみたいなんやってますね~「虎御前山」の展望台も見えています。路傍
前回は、アメリカの強さについて書いた世界中から能力のある人材を集め新しい技術を取り入れ企業、大学、金融市場軍事力をつなぎながら自国の力へ変えていく「織田信長を制度化した国」と表現したアメリカが世界最強であり続ける限り途中で株価の下落や調整があっても長い目で見ればアメリカへの投資は正解なんやと思う特に20~30代の若い人には時間があるNISAを使ってS&P500やオルカンへ長期投資する日本で働いて得たお金の一部をアメリカを中心とした世界経済の成長へ乗せるこ
名古屋市博物館に行ってきました現在名古屋市博物館はリニューアル改修工事中で9月5日から11月1日までの間プレオープン11月2日から再び改修工事に入りますプレオープンでは特別展の「リトアニアバルトの森に響く歌」と「名古屋には秀吉がおるでよ!秀吉と尾張の歴史」が開催されています改修工事に入るプレオープン中に是非行ってみたいな……と思っていてじつは博物館にも行ったことが無かったから思いきって行ってみたのです先ずは晩年の秀吉を想像して描いた豊臣秀吉画像写真はオッケーだけど
予約不要で駅からスタートの名鉄ハイキング・電車沿線コースの「歴史ロマン!桶狭間の合戦、信長公の軌跡をぶらり巡る」常設コース②に参加してきた秘書です。(14日)コースは、距離:約8㎞時間:約2時間10分①名鉄名古屋本線・鳴海駅駅西口(スタート)②鳴海城跡公園③善照寺砦跡④岡家住宅⑤有松・鳴海絞会館⑥桶狭間古戦場観光案内所⑦長福寺⑧桶狭間古戦場公園⑨信長坂⑩名鉄名古屋本線・有松駅(ゴール)みどころ・・・日本で最も有名な合戦と言っても過言ではない「桶狭間
こんにちは、そら豆です。今日、仕事でミスをして落ち込んでいます。ある報告書の事務局をしているのですが、私が設定した期限が来たので、上の者にその報告書を上げたのですが、実は、まだ未完成のものでした。上の者からは、こんな不完全な状態で上げてくるなんておかしいじゃないかと言われたので、では担当者に戻しますね、と伝え、担当者にもその旨、メールを入れたのですが、よくメールを見直したところ、担当者は、まだ完全ではないから少し待ってほしいと事前に私に伝えていたことが判明しました。すぐに両者
伊勢神宮に参拝した後、松阪市にある「東横イン伊勢松阪駅前」に宿泊し、三重県津市の四天王寺を参拝して、次はいよいよ旅の最後の目的地である、愛知県名古屋市の熱田神宮へと巡ります。津市も名古屋市も、どちらも東海三県の県庁所在地ですし、僕が生まれ育った町は、残りの県庁所在地である岐阜市で、最後はそこへ帰るので、今回の旅は3つの県庁所在地を連続して巡ることになります。県は違っても、この3つの市は近いのですが、意外にも僕は、津から名古屋へ行くための電車のルートを、しっかり分かっていませんで
あらためて彼が初めて歴史に登場するのは1568年の生駒家長にたいする書状であるこの人物は織田信長のもっとも愛した女吉乃の兄にあたる人で吉乃は後の織田家の相続者になる織田信忠の母です他に徳川家康の長男である信康(のちに謎死)に嫁ぐ五徳姫と次男になる織田信雄を産んでいる織田家にとってとても親密な家であることがわかるその生駒家長に対して当時の木下藤吉郎(秀吉)と木下小一郎(秀長)の2人連名で年貢代行のお礼と追加微収のお願いを頼んでいるのだ桶狭間の戦いが1560年だから藤吉郎も小一郎もきわめて
おはようございます。愛知県・名古屋旅行記おはようございます。大須に行きました。娘とお孫ちゃんペアと別行動私はひ〜ちゃんと大須を朝散歩朝、8時過ぎに到着人がまばらな大須商店街をぶらぶら織田信長公のゆかりのものが多く納められているらしい。写真を撮る人ちらほら📷織田兄弟は今、正にブームだしね。9時半辺りから徐々に人が増え始めました。活気がある大須商店街シャッター街ではなかったのが嬉しい☺️珈琲屋さんにも立ち寄りました♪そしてお目当てのお店へ大須商店街には沢山の台湾・タピ
色が寂しげです( ̄▽ ̄;)しょうがない…とにかくお野菜高すぎて買えないんですよね💦それでもナス、にんじん、ごぼう、玉ねぎは入ってるぞー!母頑張ってるぞー!今日も一日頑張ろー♪作れる幸せ♡今日もありがとう♪毎日沢山ご訪問いただきありがとうございます♪『お土産から生まれる会話。』お土産かわいい♡織田信長。他にも隣の席の人は徳川家康をもらっていました。こういうお土産って、話も弾むしいいですよね!最近やたらお煎餅が食べたくなるので、尚更嬉…ameblo.jp
伊吹山頂で撮影今日は、長浜の孫が入院する一宮の病院へ二人で行ってきます。申し訳ございませんが、本日、無人販売所の営業は休ませていただきます🙇午前6時30分、上野の家を出発。午前7時30分、一宮西病院に到着です。近い❗どでかい病院です。これから、手術の終わる午後5時過ぎまで、私たちの可愛い孫と共に闘います。昼食は、病院のレストランへ。値段の割には、安くて豪華で美味しい。午後4時に手術が無事終わりホッとしています。
10月15日の歴史天正10年(1582)10月15日羽柴秀吉が亡き主君織田信長の葬儀を京都大徳寺にて盛大に行った秀吉が自分が信長の後継者である事を世に示すための葬儀であった!!以前行った特別拝観記事を再投稿です↓↓2015大徳寺総見院秋の特別拝観大徳寺総見院京都に数ヶ所ある中の1つの信長公の墓があるお寺さんですでは総見院内を探検しましょうまずは本堂で総見院の説明会に参加念願の信長公木像と対面この信長公の像が総見院さんのご本尊様
人間五十年下天のうちをくらぶれば夢幻のごとくなりひとたび生を受け滅せぬものあるべきか織田信長(1534-1582)は田楽狭間の合戦の(私はこの地名が押し)出陣前に幸若舞を舞ったということですが本能寺の変、のとき信長は数えの49歳だったようです。まさに人間50年。私は漠然と信長は本能寺の変のとき30歳ぐらいだったように思っていましたが実際は「壮年」だったのですね。その後すぐに豊臣秀吉の天下統一があったとばかり思っていましたが実際には豊臣秀吉と織田信
今朝金山駅に掲出されているラグーナテンボスの広告が更新されているのに気付きましたが、「名探偵プリキュア!」と「Re:ゼロから始める異世界生活」のコラボ企画が紹介されていました。左側のマツケンが目立っていますが(笑)。その後千種駅から職場へ向かう途中千種駅東の公園に設置されている防災倉庫に、名古屋おもてなし武将隊の織田信長を登用した住宅用火災警報器設置を呼び掛ける名古屋市消防局の広告が掲出されているのを目にしました。そして昼頃職場の用事で栄へ行った際にオアシス21iセンターを
振り分け髪は、古代から中世にかけての童男・童女が八歳ごろまで結っていた、髪を頭頂から左右に分けて肩のあたりで切りそろえた髪型のことです。その髪型を名前にしたお刀が有ります。織田信長の差し料と成った、相州広光作のお刀です。細川幽斎か(藤孝)が「伊勢物語」に出てくる「くらべこし振り分け髪も肩過ぎぬ君ならずしてだれかあぐべき」(背丈や髪の長さを比べ合っていた私の振り分け髪も、今や肩を過ぎるほど伸びました。あなた以外の誰のために、この髪を結いあげましょうか)という和歌にち
以前にブログでお話をしていましたが、自分に関わる先祖の歴史を知り、記録に残しておきたいという思いから書いていきたいと思います。(私の推測、感想もまじえてなので、間違えのある部分もあるかと思います。ご了承ください)先祖探しのきっかけは、娘が小学生の時に夏休みの自由研究で「私の先祖を知る」という課題で、祖母に話を聞いて書き留めた一覧表が残っていて、最近発見したからです。年表一覧表盛安寺でお墓探し現在先祖を辿れるのは、江戸末期までと
徳川家康に対する主な批判・否定的評価を、歴史上・後世の指摘に基づきまとめます(功績や肯定的側面は一切触れません)。1.義理人情に薄い「薄情さ」・裏切り今川義元に従属していたが、桶狭間の戦い後に今川を見限り、織田信長と同盟を結んだ。小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉に勝利しながら臣従し、秀吉死後に豊臣家を打倒した。「主家を3度裏切った」との見方があり、日本人好みの「絆」や「義理」を出世の道具としてしか見ていなかったと批判される。2.「狸親父」と呼ばれる狡猾・権謀術策三河一向一揆で一旦和睦
伊勢神宮に参拝した日の夜は、伊勢市にほど近い所にある三重県松阪市の東横インで宿泊しました。前日の夜に少し飲み過ぎてしまい、この日の朝、朦朧(もうろう)とした状態で「神馬のブログ」(2026/10/12ブログ「午年の伊勢神宮の神馬」参照)を書き上げて、予定していた目的地へと向かいました。向かった先は、三重県津市にある四天王寺(してんのうじ)……ここに来るのは、一年半ぶりです。(2025/6/26ブログ「三面大黒天様に会いに~前編~」参照)前回は、月美結
昨日は笑ヨガ仲間5人と京都に行ってきました。京都駅からバスに乗って着いたのはしょうざんリゾート京都まずは敷地内に有る日本庭園を散策こけの色が綺麗でしたコチラは酒樽を利用した茶室ですって今回の目的は「渓涼床」でのお食事画像はお借りしました。緑の中で水の音を聞きながらゆったりと・・・お食事とは、いかずお喋りに花が咲きますお食事は美味しかったけど私のは物足りない量でしたしょうざん
岡崎城は愛知県岡崎市にある平山城で、その起源は15世紀中頃に、明大寺の地に西郷頼嗣によって築城されたのがその始まりです。その後、1531年に徳川家康の祖父・松平清康が現在の位置に移して以来、ここが岡崎城といわれるようになりました。家康は1542年にここ岡崎城内で誕生し、6歳で織田信長の父・信秀の、8歳で今川義元の人質となりましたが、1560年の桶狭間の合戦で今川義元が戦死したことを契機に、岡崎城で自立しました。1570年、家康は本拠を遠江・浜松城に移し、
にほんブログ村名古屋市南区にある名山「丹八山」登頂記が今回のテーマ標高11メートル名古屋で1番低い山??らしいんだな…なので、遭難(そうなん)者はゼロ…おそらく…だけど、登頂してみると「そうなんだ???」と驚くことがいっぱい「丹八山」は、かつてここは「鳥居山」と呼ばれ、七所社(七所神社)が建っていたそう…だけど、七所神社が平安時代後期に現在地に遷座され明治時代、石川丹八郎さんの所有地に石川丹八郎さんは「鳥居山」を自身の名前に由来する「丹八山」
更新が前後してしまいましたが、沙沙貴神社さんに彼岸花の撮影に行った後、安土城郭資料館に立ち寄りました。『沙沙貴神社の彼岸花』フォロワー様に沙沙貴神社さんにまだ彼岸花が咲いていると教えて頂き、先週末に主人に連れて行って貰いました🚗💨鳥居周辺は白萩が満開で綺麗でした✨残念ながら干支…ameblo.jpJR安土駅南口のすぐ目の前にある資料館。入館料は200円とリーズナブルです🎵館内中央に展示されている安土城の模型🏯建築史家・内藤昌氏の監修によって実物の1/20スケールで復元さ
10月11日はさわやかウォーキング清州駅(きよす・東海道本線・愛知県清須市)スタートのコースに参加しました。いきなりだけど、清州公園の信長像。信長が桶狭間に出陣する前、コレ↑で舞を舞ってましたね。ドラマの話ですけど。めずらしく大河ドラマ見てます。話のはじめが尾張中村だったので。清州城周辺は、「清州城信長まつり」開催のため、混雑していました。晴天の清州城。ここから、豊臣兄弟の生まれた尾張中村まで5kmほど、桶狭間まで13kmほどです。去年も
乃木坂46・井上和、「どうすべきか悩み続けていたのでは」茶々の人物像を語る!第39回『茶々の本心』の場面写真公開!乃木坂46・井上和が話題になってますね^^「どうすべきか悩み続けていたのでは」茶々の人物像を語る!それは10月11日に放送されたNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』より第39回『茶々の本心』の場面写真と彼女のコメントが公開されました浅井長政と織田信長の妹お市の間に生まれた“浅井三姉妹”の長女、茶々を演じる彼女第39回の放送では茶々が豊臣秀吉の妻になることを決意する
11日、12日と場所をかえて、連日のお祭りイベントに参加場所は碧南市の大浜地区上の宮さんでは、語りの方に合わせて、法被!下の宮さん両日ともに秋晴れ、祭囃子のなか、織田信長・徳川家康にゆかりある場所で紙芝居上演のBGM(三弦)をしてきました「信長の初陣」「信長と家康の夢」(youtubeにもUP)-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。yout
伊吹山頂から琵琶湖を望む10/12夕陽を受けて紅葉鮮やか連休最終日は来山者もボチボチでした。今日は、二人で山頂へ。営業を兼ねて公衆トイレのトイレットペーパーを上げに行ってきます。今日のメインは、伊吹よもぎ餅ぜんざいと掻き揚げそばです。よろしくお願いいたします🙇
豊臣兄弟!感想|戦国時代の本当の勝ち組は浅井三姉妹?茶々の側室入りと浅井長政の血脈こんにちは、名古屋スタバ番長なつです。昨日のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」を見て、改めて考えたことがあります。それは、戦国時代の本当の勝ち組って誰なんだろう、ということ。織田信長?豊臣秀吉?それとも徳川家康?天下を取ったという意味では、それぞれ歴史に名を残した人物です。でも、わたしが思う戦国時代の勝ち組は、ちょっと違います。実は、浅井家こそが最後に大きな存在感を残した家なのでは?そう思うの
本日の朝んぽは、四條畷市と大東市にまたがる飯森山にある城壁跡に行きました。キャンピーだいとうのそばの駐車場に車を置いてスタート。飯盛城は戦国時代に山の上に築かれた山城。城主や家臣が住んで政治と生活が行われていた痕跡が残っています。1560年に、阿波出身の三好長慶が城主となり、織田信長より前に天下人と言われています。地元民は三好長慶公を大河ドラマにと運動してます。虎口生活の他、茶会、連歌の会なども模様されていた千畳敷廓土橋の両側に笹が生えて見えませんが、崖です。人一人
NHK「豊臣兄弟!」を見ていると、放送最後にゆかりの地を紹介してますよねその影響もあって、ちょっくら福井越前方面へ遊びに行ってきました!お市の方は織田信長の妹お市が嫁いだ先は、近江(滋賀)で勢力を持っていた浅井長政、これによって織田と浅井は同盟関係となるこれからドラマの主役のひとりになろう茶々、初、江の三姉妹を授かるしかし、信長・家康連合軍が浅井と関係が深い朝倉義景を攻めたため、浅井は朝倉につき信長を急襲し信長は撤退し京へ逃げ帰ったこの戦いが金ヶ崎の戦いだ金ヶ崎城跡
こんばんは☆彡松田聖子/風立ちぬ10月3日(土)昔から気になってた滋賀県湖東の山間部へ行ってきました紅葉のシーズンとなると駐車場渋滞したりするので紅葉が話題になる前に行きたかったまずは...旧愛東町エリア色々幟あったけど惑わされませんでした( ̄▽ ̄;)後で道の駅に行く予定なので我慢まずはね...百済寺(ひゃくさいじ)信長に焼き討ちされたんだよね~信長は力のある寺を嫌