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うっちーこと宇都宮芳綱です本日2度目の更新です13日に引いたくじの結果ですまずは影城主ですグッジョブ♪('-^*)/以前にも出た信秀信長親子に、ここではお初の道三さんも出ました続いて本城主ですグッジョブ♪('-^*)/秀長さんはソロ凸用にするにしても、他の2枚はどうしようかなぁちょっと考えますねブログ更新のモチベアップのためポチッとお願いします♪にほんブログ村
4月21日火曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物滝川一益(猪塚健太)滝川一益(たきがわかずます/いちます、旧字体:瀧川一益󠄁)戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。織田氏の宿老であり、主君・織田信長に従い、天下統一に貢献した。没年から逆算すると、大永5年(1525年)生まれ。出生地は近江国甲賀郡大原(滋賀県甲賀市甲賀町)とされる(『勢州軍記』)。尾張国の織田信長に仕えるまでの半生は不確かである。甲賀流の忍者であったという見解も
このご時世に、熊の話を気楽にするのは憚られますが。歴史の話題ということで、お許し下さい。熊本には、熊はいないそうですが。では、なぜ熊本という地名なのか?「隈」というのは、川が湾曲している地形のことを指します。川が湾曲した内側の土地だから「隈本」、三方を川に囲まれているのだから、これを天然の堀にすれば、築城に有利な土地ですよね。それを加藤清正が、熊本という文字に改めたというのは、記録があって確かな話です。なんで熊なんてケダモノの名前が、戦国武将の城の名前に相応しいんだ、とか思います
嫁をとることになった小一郎。しかし、寧々ちゃんはこの嫁さんについて、良からぬ噂を聞いていて。しかし、主命での嫁取り&小一郎が割とその気なので、秀吉は阻むこともできず。そして、嫁入り当日。小一郎のもとに現れた慶は、出迎えた家族全員の名前を覚えており、まずは、一同(特に男衆)によい印象(ねねちゃんは『女狐⋯』とボソリ)。が、小一郎と慶が部屋に下がった時、あとから訪ねて(?)きた利家から慶の身の上を聞かされた秀吉夫婦は血相を変えて、新婚さんが酒を酌み交わしている部屋に乗り込んでしまいます(と
エミー賞18部門制覇、RottenTomatoes99%、海外で大絶賛された『SHOGUN将軍』。真田広之主演ということで、めちゃくちゃ期待してDisney+で全10話一気見しました。結果……正直、面白くなかった。最初の2〜3話までは「これはすごい!」と思ったのに、後半になるにつれてイライラが募り、最終話では「え、どういうこと?」という気持ちになりました。同じように感じた人は意外といるんじゃないでしょうか。ここでは、私が特に面白くなかったと感じた理由を、ネタバレありでグダグダ本音で書い
3月27日金曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物細川藤孝(亀田佳朗)細川藤孝(ほそかわふじたか)戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名、歌人。細川幽斎(ほそかわゆうさい)、長岡藤孝(ながおかふじたか)、長岡幽斎(ながおかゆうさい)としても知られる。天文3年(1534年)4月22日、三淵晴員の次男として、京都東山にて誕生。のちに、晴員と共に12代将軍・足利義晴の近臣であった細川晴広の養子となる。天文15年(1546年)、
5月20日水曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物織田信孝(結木滉星)織田信孝(おだのぶたか/のぶのり)安土桃山時代の武将、大名。織田信長の三男。伊勢国北部を支配していた豪族(国衆)神戸氏の養子となり、第8代当主となったため、神戸信孝(かんべのぶたか)とも名乗った。永禄元年4月4日(1558年4月22日)、尾張国の戦国大名・織田信長の三男として、熱田にあった家臣・岡本良勝(太郎右衛門)の邸で生まれた。童名(幼名)は勘八とも伝わるが、不詳。
2025年夏に、子どもたち(当時小4、年少)と私と両親で、三世代静岡旅行に行きました残念ながら富士山は見えなかったけど、気持ちを切り替えて次へ!次は織田信長好きの私と豊臣秀吉好きの長男がどうしても行きたかった久能山東照宮へ実は私はもともと地理も歴史も全く分からない、本当に一般常識すら知らないような人間ででも2025年の9月に国内旅行業務取扱管理者の国家資格を取得するために、国内地理の勉強をしていて、そこで久能山東照宮を初めて知ったの(ちなみに試験は無事合格しました)徳川家康が亡くな
大河ドラマをここ数年見始めているのですが、主演俳優の年齢と歴史上の人物の年齢との差を調べてみました。22歳;『義経』(2005)滝沢秀明,『篤姫』(2008)宮﨑あおい,23歳;『源義経』(1966)尾上菊之助,24歳;『竜馬がゆく』(1968)北大路欣也,『信長』(1992)緒形直人,『葵徳川三代』(2000)尾上辰之助,『江』(2011)上野樹里,25歳;『武蔵』(2003)市川新之助,26歳;『武田信玄』(1988)中井貴一,『琉球の風』(1993)東山紀之,『北条時宗』(
我が家の旅の宿はいつも主人がしています今回は一泊目はあまり予算を取らずに・・・ゆったりと温泉に入れる宿ということで選んだとのこといきなり非日常感たっぷりの赤い橋!!そして町屋風のお店がありました。土曜だったのですが到着は3時なのに人はまばら・・・日帰り温泉も対応していますが混み合ってはいませんうれしいような・・・心配なような・・・混んでいるのではと心配していたので拍子抜けといっ
いつもお付き合いくださり、ありがとうございます。真田丸最終盤ついに真田丸ができました。大阪冬の陣では、真田家は家康を相手に三度目の完勝。と、まあ、ここまでは良かったのですが、そこから先の真田丸、まあ、嫌な奴ばかりでストレス満載です。こんなにいらいらするメンバーが出てたんだっけ・・本当に、敵も味方も邪魔者ばかりで、みたくない!!って思ってしまう。笑まずは大蔵卿・・・淀殿の乳母です。戦のド素人です。しかし威張りまくってます。あああああ、このおばはん、何にも
夏休みは、丹波篠山方面に行ってきました東京でいうと、秩父みたいな位置づけかな?山の里の暮らしもあり、歴史も古く、小旅行にぴったりです。1325年に開創された高源寺に寄ります。風鈴の並ぶ石の階段を進みます写真では分かりにくいんですが、周辺はよい感じに苔に覆われており、丹波の古刹、という風情が漂っています。三重の塔も。なかなかに良いお寺でした。この日は、大阪から車で2時間ほどで現地へ到着し、高源寺+グランピング施設へ行き、翌日は生野銀山を回
旋回の続きです。今回は徳川兄弟と台所で最終回です。前回黒木書院が清須の家康住居で、これを名古屋城に移築したと言いました。家光が何故家康を父と言ったか?からです。徳川家光と徳川忠長は、江戸幕府第2代将軍徳川秀忠の次男と三男(家光が兄、忠長が弟)でした。母も同じお江でした。徳川家光肖像画です。江戸城でお福(春日局)により育てられました。武家の習いで乳母に養育され、父母の愛情を受けていません。武を好まず。女に興味がないというおとなしい性格で男色を好んだそうで
以下はhttp://utzsugi-rei.com/info/informations.htm#005中に書き綴ってて埋もれてた「歴史関連メモ類」の抜き出し転載である。うつぎれい『歴史異聞色々』その1~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(情報)秋田犬と秋田美人の系譜イヌの血液型物質にはA型とG型があり、全世界のイヌの血液型はAG混合とA型単独のふたつに分けられる。この血液型の分布からみると日本の在来種
徳川家康公を御祭神として祀る「東照宮」を巡る【東照宮巡り】。今回は千葉県にある東照宮を訪れてみました。埼玉にある我が家を出発してから約3時間半。辿り着いたのは、JR総武本線の「八日市場」駅。駅前から伸びる一本道を、ひたすら真っ直ぐ10分ほど歩いていった先に、東照宮がありました。隣に建っているラーメン屋のほうが明らかに存在感が強いのですが(笑)、その陰に隠れるように小さな鳥居があります。こちらが千葉県で唯一「全国東照宮連合会」に加
昨日から唐物茶入について書いてて、茶入の形には、肩衝(かたつき)、茄子、丸壺、文琳、尻膨、大海などがあると書いたが、私が「唐物」なる名前のついた茶入をみたのは、実は2017年に東京国立博物館で開催された「特別展茶の湯」という展覧会だったこの展覧会は、テレビなどでも報道され曜変天目茶碗が脚光を浴びていたので、どうしても本物を見てみたいという衝動にかられて出かけたのだが、その展覧会は、茶の湯の歴史をおって年代順に茶の湯で、名のある道具がずらりと展示されていて
「歴史好きの親を喜ばせる、特別な温泉旅行をプレゼントしたい!」「ただの温泉じゃ物足りない。戦国武将が愛したロマン溢れる名湯に浸かりたい」そんな「歴史と温泉」を愛する大人のトラベラーの皆様へ。日本全国には、織田信長や徳川家康といった「天下人が実際に愛し、傷を癒やした」と伝わる名湯や、彼らの歴史に深く刻まれた地にあるホテルが存在します。今回は、徹底リサーチして厳選した「織田信長・徳川家康ゆかりの温泉ホテル・旅館6選」をご紹介します。戦国の世に思いを馳せながら、天下人と同じ湯に浸
栃木県にあります、日光東照宮です。関東圏の方だと行ったことのある方も多いかもしれません。でもまあ、なんと言っても家康公をお祀りしている神社ですから。日光東照宮ホームページ日光東照宮は、日光霊峰の山懐聖地恒例山にあり、中禅寺湖から流れる大谷川と女峰山から流れる稲荷川との河合いの山岳水明の地に鎮座します。神域は、樹齢400~800年神杉につつまれ、その中に点在する社殿群は自然環境と見事に融合する宗教的文化空間です。toshogu.jp日光東照宮は徳川家康を祀る神社で、世界遺産「日光の
【衝撃の真実】家康が豊臣一族を根絶やしにした本当の理由とは?-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be2025/02/04#豊臣秀吉#徳川家康#日本史なぜ家康は豊臣家を滅ぼしたのかについて解説しています。ーーーーーーーーーー▼チャプター00:00イントロダクション00:40徳川家と豊臣家の関係04:32豊臣家を滅ぼした理由17:
高市早苗さんの前世…徳川家康!?ナターシャさん霊視よりhttps://youtu.be/zD6CLoYZSHQ?si=5sqe1h76xdCAEUv2-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.beナターシャさんの霊視が本物の霊能力から来ているなら、驚き🤯マリア先生はマリー・アントワネットの生まれ変わりの日本人女性に実際に自らお会いしたことがありましたし…。徳川
5月19日火曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物織田信忠(小関裕太)織田信忠(おだのぶただ)戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。岐阜城城主。弘治3年(1557年)、織田信長の長男として尾張国清洲城で生まれる。『寛政重修諸家譜』(以下『寛政譜』)では生駒家宗の娘を母とする。「織田家譜」では、生駒家長の妹を母としており、『寛政譜』と同じ。「崇福寺宛信忠書状」では実母は不明とする。信長の正室濃姫が信忠を養子にしたともいう(『勢州軍記』)。
前回のつづき御社殿の奥に向かい廟門を抜けると石塔が並ぶ参道に出ます。石段を登り鳥居をくぐるとよりピンと張り詰めた空気を感じて言葉を失います。石の鳥居石をくみ入れて作られた精巧な鳥居この鳥居から来た方を見ると御社殿や廟門が見渡せますそして鳥居をくぐると突き当たる壁壁に沿って行くと右側に広がる中心に神廟(しんびょう)徳川家康公の遺体が納められた廟があります最初は小さな祠が建て
皆さん、こんばんは。早速ではありますが、駿府城公園散策の後編をレポートしたいと思います。※前編のブログはコチラから『駿府城公園散策~前編~』皆さん、こんばんは。報告が遅くなってしまいましたが、今年の山焼きは、無事2/15に開催されました伊東の一大イベントですので、ゆっくりレポートしたかったのですが…ameblo.jpまずは、当時駿府城を誰が築城したのかというと・・・凛々しい顔で鷹狩りをしている銅像が符号④の場所に建てられているのは、かの征夷大将軍「徳川家康」公です。静
小牧山安土城のモデルとなり織田信長が美濃攻めの拠点として築城し、後の小牧・長久手の戦いでは、徳川家康の陣城となった濃尾平野の独立峰である小牧山に築城された城で、信長が美濃攻めを終えるまでの4年間しか使用されなかったこのため、急造の砦に近いものと想像されていたが、近年の発掘調査の結果で、城郭を取り巻く三重の石垣(三段の石垣で一番下の段は腰巻石垣)が発見されたそして城の南部の発掘調査では、小牧山築城によって移転してきた住民によって営まれた町割も発見されたこれにより小牧山城は戦時急造の城
2月19日木曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物まつ(前田利家の正室)(芳春院)(菅井友香)芳春院(ほうしゅんいん)(天文16年7月9日(1547年7月25日)〜元和3年7月16日(1617年8月17日))戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。加賀国(石川県)の戦国大名・前田利家の正室。名はまつ。篠原一計の娘。戒名は芳春院殿花巖宗富大禅定尼。母(竹野氏)が利家の母の姉であるため、利家とは従兄妹関係にあたる。学問や武芸に通じた女性であったと伝わ
少し小高いところにお城があるとはいえ。今までのお城と比較したらなんて上がりやすい!結構、これまで行きましたが、一番過酷だったのは真夏の小牧城。景観が良いわけでもなく、周囲に何もなく。ただただ暑いだけだった・・・・・・。浜松城は岐阜城と同じく市民の憩いの場になっているようで。公園も広くて、スタバの他、コーヒースタンドがあったりして小洒落てる。御城印は通常タイプと秋限定をゲット浜松城の石の積み方も魅力的ですねぇ。徳川の城!って感じが出ておりま
黒田官兵衛は、九州平定後、豊前国に配置となりますが。これは、豊臣秀吉が官兵衛の才を恐れ警戒し、官兵衛は中央から遠ざけられたのだ、と言われているが、それは違うのではないか?経済先進地帯であり、しかも大陸進出を控えて益々発展が見込まれる九州への転封は、栄転ではないのか?と論じておられる方が、いましたが。そもそも、この異動が栄転なのか左遷なのか、というのは、客観的な数字で決まるもんではありません。形式的な肩書の上下でもありません。左遷か否かは、本人たちの「捉え方」によるものです。異動させる側
「征夷大将軍より、関白のほうが位は上ですよね、だとすれば徳川将軍といえども、関白の命令は聞かなきゃいけないんですよね?」それは、全然違います。関白は公家のトップ、征夷大将軍は武家のトップ、ともに天皇の一の家来という意味では、横並びです。征夷大将軍は関白の家来でも部下でもありません。関白は必ず将軍より偉いかっていうと、そうとも限りません。関白も征夷大将軍も共に令外官であり、決まった位階はありません。敢えて言えば何大臣を兼ねているかで格は決まりますが、関白が右大臣や内大臣に過ぎないこともあ
大相模不動尊大聖寺久伊豆神社を後に大聖寺に向かいます大聖寺(だいしょうじ)は、通称、大相模不動尊ここの住所が越谷市相模町立派な山門であり嫌が負うにも足をむけてしまうであろうその証拠にこの私も掃除機に吸い込まれるおゴミのように入ってしまった天平勝宝2年(750年)の創建とされ、本尊は不動明王である。この山門は鎌倉風建築と言われ正面左右には「阿吽の二王」といわれる一対の仁王尊がある正面額字「真大山」寛政時代の老中「松
大河ドラマでも戦国時代と幕末は繰り返し題材になっていますが。そのたびに「同じこと」をやっていては、視聴者から「またか」と飽きられてしまいます。だから、つねに「新解釈」を盛り込んで、今年の大河はなんか違うぞ、新鮮だぞ、と思わせなければなりません。特に、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は、大河では何度も何度も取り上げられ、いわばコスり倒されているので、毎回、演出を変えて「おお、今年の家康はなんか違うぞ」と思って貰わねばなりません。だから「白信長と黒信長」「白秀吉と黒秀吉」が交互に出てきたりします。