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4月21日火曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物滝川一益(猪塚健太)滝川一益(たきがわかずます/いちます、旧字体:瀧川一益󠄁)戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。織田氏の宿老であり、主君・織田信長に従い、天下統一に貢献した。没年から逆算すると、大永5年(1525年)生まれ。出生地は近江国甲賀郡大原(滋賀県甲賀市甲賀町)とされる(『勢州軍記』)。尾張国の織田信長に仕えるまでの半生は不確かである。甲賀流の忍者であったという見解も
うっちーこと宇都宮芳綱です本日2度目の更新です13日に引いたくじの結果ですまずは影城主ですグッジョブ♪('-^*)/以前にも出た信秀信長親子に、ここではお初の道三さんも出ました続いて本城主ですグッジョブ♪('-^*)/秀長さんはソロ凸用にするにしても、他の2枚はどうしようかなぁちょっと考えますねブログ更新のモチベアップのためポチッとお願いします♪にほんブログ村
東照宮と宇都宮餃子鬼怒川グランドホテルの朝食もバイキングではなく、個別出しで、とても豪勢だった。集合時間までに温泉♨️にも入ることができた。そして、いざ出発となった。まずは、観光地化しているお土産屋に寄り、東照宮に向かった。何とか耐え続けていたのだが、この旅行初めての☔️だった。観光客で混雑していたが、小学校の移動教室以来だったので、短い時間で要所を回った。陽明門見ざる言わざる聞かざるの三猿鳴龍ここまでは、集団行動。眠猫徳川家康の墓奥宮叶杉207段の石段
尾道[写真A]伝荒木屋敷のあった場所(現在の様子)(土堂2丁目)尾道本通り商店街と浜の小路の交差する地点の西側です。下記の水之庵の他に、この辺りにも荒木村重の住居があったという言い伝えがあります。(「尾道志稿」福善寺由緒より)[写真B]尾道市立中央図書館辺り荒木村重は、図書館界隈にあった寺(後の「水之庵」という時宗の寺、廃寺になり現存しない)に居住し、その井戸(同図書館建物の北角マンホールの下)の水を茶の湯に用いたと伝わっています。(「尾道志稿」水之庵由緒より)[写真C]西郷寺(
このご時世に、熊の話を気楽にするのは憚られますが。歴史の話題ということで、お許し下さい。熊本には、熊はいないそうですが。では、なぜ熊本という地名なのか?「隈」というのは、川が湾曲している地形のことを指します。川が湾曲した内側の土地だから「隈本」、三方を川に囲まれているのだから、これを天然の堀にすれば、築城に有利な土地ですよね。それを加藤清正が、熊本という文字に改めたというのは、記録があって確かな話です。なんで熊なんてケダモノの名前が、戦国武将の城の名前に相応しいんだ、とか思います
大河ドラマをここ数年見始めているのですが、主演俳優の年齢と歴史上の人物の年齢との差を調べてみました。22歳;『義経』(2005)滝沢秀明,『篤姫』(2008)宮﨑あおい,23歳;『源義経』(1966)尾上菊之助,24歳;『竜馬がゆく』(1968)北大路欣也,『信長』(1992)緒形直人,『葵徳川三代』(2000)尾上辰之助,『江』(2011)上野樹里,25歳;『武蔵』(2003)市川新之助,26歳;『武田信玄』(1988)中井貴一,『琉球の風』(1993)東山紀之,『北条時宗』(
1月19日月曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物今川義元(大鶴義丹)今川義元(いまがわよしもと)戦国時代の武将。駿河国および遠江国の守護大名・戦国大名。今川氏第11代当主。姉妹との婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義理の兄弟にあたる。「海道一の弓取り」の異名を持つ東海道の広大な地域の支配者。姓名は源義元。天文18年(1549年)に松平広忠が死去すると、義元は領主が死去して不在となった松平家に対して支配していた西三河地域を今川家の領土にしようとし
エミー賞18部門制覇、RottenTomatoes99%、海外で大絶賛された『SHOGUN将軍』。真田広之主演ということで、めちゃくちゃ期待してDisney+で全10話一気見しました。結果……正直、面白くなかった。最初の2〜3話までは「これはすごい!」と思ったのに、後半になるにつれてイライラが募り、最終話では「え、どういうこと?」という気持ちになりました。同じように感じた人は意外といるんじゃないでしょうか。ここでは、私が特に面白くなかったと感じた理由を、ネタバレありでグダグダ本音で書い
3月27日金曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物細川藤孝(亀田佳朗)細川藤孝(ほそかわふじたか)戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名、歌人。細川幽斎(ほそかわゆうさい)、長岡藤孝(ながおかふじたか)、長岡幽斎(ながおかゆうさい)としても知られる。天文3年(1534年)4月22日、三淵晴員の次男として、京都東山にて誕生。のちに、晴員と共に12代将軍・足利義晴の近臣であった細川晴広の養子となる。天文15年(1546年)、
昨日から唐物茶入について書いてて、茶入の形には、肩衝(かたつき)、茄子、丸壺、文琳、尻膨、大海などがあると書いたが、私が「唐物」なる名前のついた茶入をみたのは、実は2017年に東京国立博物館で開催された「特別展茶の湯」という展覧会だったこの展覧会は、テレビなどでも報道され曜変天目茶碗が脚光を浴びていたので、どうしても本物を見てみたいという衝動にかられて出かけたのだが、その展覧会は、茶の湯の歴史をおって年代順に茶の湯で、名のある道具がずらりと展示されていて
2025年3月8日浜松2日目。朝から食べるところを探すのは面倒だし、コンビニ飯もむなしいので、ホテルの朝食付きプランを選んだ。ビュッフェ形式の朝ご飯は、なんとうなぎ付き!さすがにうなぎは食べ放題ではなかったが、朝からうなぎが食べられるだけでも嬉しい。浜名湖うなぎが名産なので、まさか中国産のうなぎではあるまい。やわらかくて美味しかった。出汁茶漬けにまでできるようになってる!★*゚*☆*゚**゚*☆*゚*★*゚*☆*゚**゚*☆*゚*★*゚*☆*゚**゚*☆*゚*★伯父の葬儀は昼か
5月20日水曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物織田信孝(結木滉星)織田信孝(おだのぶたか/のぶのり)安土桃山時代の武将、大名。織田信長の三男。伊勢国北部を支配していた豪族(国衆)神戸氏の養子となり、第8代当主となったため、神戸信孝(かんべのぶたか)とも名乗った。永禄元年4月4日(1558年4月22日)、尾張国の戦国大名・織田信長の三男として、熱田にあった家臣・岡本良勝(太郎右衛門)の邸で生まれた。童名(幼名)は勘八とも伝わるが、不詳。
「歴史好きの親を喜ばせる、特別な温泉旅行をプレゼントしたい!」「ただの温泉じゃ物足りない。戦国武将が愛したロマン溢れる名湯に浸かりたい」そんな「歴史と温泉」を愛する大人のトラベラーの皆様へ。日本全国には、織田信長や徳川家康といった「天下人が実際に愛し、傷を癒やした」と伝わる名湯や、彼らの歴史に深く刻まれた地にあるホテルが存在します。今回は、徹底リサーチして厳選した「織田信長・徳川家康ゆかりの温泉ホテル・旅館6選」をご紹介します。戦国の世に思いを馳せながら、天下人と同じ湯に浸
近江八幡の街を離れて前回はコチラ↓『滋賀県へのんびり旅⑩近江八幡の街をウロウロ』引き続き近江八幡の街をウロウロ前回はコチラ↓『滋賀県へのんびり旅⑨八幡堀と仲屋町通りをウロウロ』次は八幡堀へ行きます。前回はコチラ↓『滋賀県へのんびり旅…ameblo.jpちょっとした山や田園風景が広がってますね編成の長い在来線(琵琶湖線?)の鉄道車両も見えますやってきたのは「安土城天主信長の館」です建物の裏から見るとこんな感じ中へ入ると徳川家康、織田信長、豊臣秀吉がお出迎え
今日は歴史とエネルギーを感じられる日比谷のパワースポットを歩きました2018年3月に東京ミッドタウン日比谷がオープンしてから、日比谷の雰囲気や人の流れは大きく変わりました✨演劇の聖地としてミュージカルファンが集う一方で、実は「知る人ぞ知るパワースポット」が点在する場所でもあるんですね~🌿その代表格とも言えるのが、日本を代表する老舗ホテル、帝国ホテルです🏨日比谷のパワースポット体験ミッドタウン日比谷が誕生する前の日比谷といえば、帝国劇場、日生劇場、シアタークリエ
「関ヶ原の戦い」のとき、大坂城の秀頼は、というより現実に秀頼の行動を決めていた淀殿は、本当に石田三成の西軍を後押ししていたのか?そんなのあたりまえじゃないか?いえいえ、意外と、そうではない、という説もあるんですって。石田三成が蜂起して大坂城を占拠すると、淀殿は徳川家康に「石田、大谷が叛乱を起こした、上方に戻って鎮圧するように」と書簡を送っているんです。これを根拠に、「淀殿は実は東軍(徳川)寄りだった」と言う人も、世の中にはいます。つまり、司馬遼太郎の「関ヶ原」をはじめとする、東軍=徳川方
今日はオタク全開です。許してください(笑)「なんで善光寺に何度も行きたくなるの?」調べたら歴史がすごかったおはようございます。突然だけど、上越市民なら善光寺は親しみのあるお寺じゃないかな。私も善光寺が大好きだ。幼い頃から両親に連れて行ってもらい、鳩に追いかけられて半泣きになったこともある。あの明るくて開放的な空気が好き。宗派を問わず受け入れてくれるところも好き。近いこともあって、「年に一度は行きたいな」と思う場所だ。でも、秋田県出身の夫と結婚して
手を出さずに来ていましたが・・・とうとう、つい、購入してしまいました。こちらは「全国東照宮めぐり」の御朱印帳こんにちは。ひだまり花梨館の香川ミカです。絵本の力と胎内記憶教育®を通して幸せであり続けるヒントをお届けしています♡~*~*~*~*~*~そう・・・岡崎城のお隣り、龍城神社で新しい御朱印帳を求めたところ「こんなのもありますよ」と案内されてしまって。一度は拒んだというのに、また別の日に(気になってい
僕はこれまで、国内や海外の様々な場所を旅してきた。旅の楽しみは、グルメにショッピング、ゴルフやアクティビティなど様々だが、もう一つ外せないのが現地の見どころ。観光には、2つのタイプがあり、ひとつは、グランドキャニオンや阿蘇の大観峰のように、壮大な自然が作り出した景色がある。これらは事前の知識がなくても、その雄大さに圧倒され、十分に楽しむことが可能だよ。そして、もうひとつは、歴史的な背景を持つ跡地や文化財で、これらの場所は、歴史を知っているかいないかで、感動の深さが全く違っ
【問題】林羅山は徳川家康の命で僧形となった際、次のうち何と号したか?【選択肢】迎円尊庵鼎克道春【正解】道春【解説】林羅山は江戸時代初期の儒学者で、若い頃からその才能を周囲に認められていた。20代で家康の側に置かれ、家康の意向で剃髪して僧形となり「道春」と号した。
愛知県の城や戦国史跡を巡る歴史サークル、愛知ウォーキング城巡りクラブで知立(ちりゅう)市の知立神社に行ってきました。知立神社は徳川家康の側室・於万の方の実家です。>>知立神社の地図於万の方は家康の次男・結城秀康を生みますが、地元の伝承では双子を産んだといわれます。その弟が知立神社の神主を継ぐ永見貞愛(ながみさだちか)です。親子の銅像知立神社境内の奥に於万の方の銅像がありますが、よくみると2人の赤ちゃんを抱いています。この話はNHK大河ドラマ・どうす
大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公・豊臣秀長の家臣・藤堂高虎の築城について歴史探偵『戦国の築城名人藤堂高虎』の内容メモ秀長の家臣として築城術を学び、家康の下で時代に合わせた築城の才をいかんなく発揮した藤堂高虎(NHK歴史探偵『戦国の築城名人藤堂高虎』より)内容や感想について藤堂高虎がいかにして築城の名人となったのかを探る回(NHK歴史探偵『戦国の築城名人藤堂高虎』より)秀長の下で学んだ築城術高虎が築いた三重県熊野地方の赤木城で、その縄張りや防御力を高めた石垣な
取材途中、徳川家康の側近・本多忠勝公の墓所である浄土寺で開催された地蔵盆に参拝し、非常に珍しい伝統飴「幽霊飴」をいただいた。夏の終わりの清涼な風が境内にそよぐ中、提灯の柔らかな光が揺れ、参拝者の静かな祈りが響き合う。私は、浄土寺に伝わる「幽霊飴」の由緒ある物語に惹かれ、その飴を求めてこの地を訪れた。また、浄土寺が徳川家康公の忠臣・本多忠勝公の墓所であると知り、歴史と霊性が交錯するこの聖地に身を置くことに深い感慨を覚えた。元禄の半ば、1695年頃の夏の終わり、浄土寺門前の三崎通りにある飴屋
「明石市立天文科学館」の後は、同じ明石市内にある国指定史跡「明石城」(兵庫県立明石公園)を目指します🚙🏯日本100名城🏯No.58「明石城」11時50分100名城スタンプ設置場所がこちらに変更になったみたいです🕵️♂️兵庫県立明石公園にある「明石公園サービスセンター」に来ました🚶♂️ありました👀「日本100名城スタンプ」です🏯「日本100名城スタンプ」No.58「明石城」御城印もこちらで販売されていました🏯「明石城」御城印300円明石城入城記念証御城印御城印の
徳川家康の魂というのは、「東照大権現」のことですね。栃木県日光の東照宮に鎮座ましましている。日光は、江戸からみて真北にあります、つまり関東全域を宇宙に見立てたとき、日光は北極星の位置にあります。天において唯一「動かない」星で、他のすべての星はその周りをまわります。従って北極星は「天帝」と言われます。東照大権現は、ここから江戸と関東を護っているんです。ちなみに北極星を守護する「北斗七星」に喩えられているのが「平将門」です。江戸には将門を祭る神社が北斗七星の形に並んでいます。このシステム
前回のつづき御社殿の奥に向かい廟門を抜けると石塔が並ぶ参道に出ます。石段を登り鳥居をくぐるとよりピンと張り詰めた空気を感じて言葉を失います。石の鳥居石をくみ入れて作られた精巧な鳥居この鳥居から来た方を見ると御社殿や廟門が見渡せますそして鳥居をくぐると突き当たる壁壁に沿って行くと右側に広がる中心に神廟(しんびょう)徳川家康公の遺体が納められた廟があります最初は小さな祠が建て
大河ドラマ『豊臣兄弟!』で浜辺美波さんが演じる秀吉の正妻・北政所(寧々)について『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|全番組が無料放送』の内容メモ秀吉と二人三脚で成り上がるも、秀吉死後の家臣団崩壊を防げず、次の秀頼の代で滅亡するのを見届けた北政所(『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|』より)内容と感想今回は、秀吉の正妻・北政所(おね)の人生を見ていくものです。<北政所(おね)年表>(『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|』より)
日光東照宮③奥社(徳川家康公のお墓)日光東照宮の本殿の裏には・・奥宮(奥社)が存在します!奥社は・・日光東照宮の中でも最も高い標高に位置徳川家康公が眠る霊廟、日光東照宮の最奥概略坂下門をくぐると207段の石段を登った先にあり、拝殿・鋳抜門(いぬきもん)・御宝塔からなります。御宝塔の隣には「叶杉(かなえすぎ)」という杉の木があり、この木に向かって願い事をすると「叶う」といわれているパワースポットもあります!(撮影日2026・5・22)それでは、奥社に向かいます・・・
大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物浅野長政(浅野長吉)(大地伸永)浅野長政(あさのながまさ)戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。豊臣政権の五奉行の一人。浅野家14代当主。常陸国真壁藩初代藩主。尾張国春日井郡北野に宮後城主・安井重継の子として生まれる。織田信長の弓衆をしていた叔父・浅野長勝に男子がなかったため、長勝の娘・やや(彌々)の婿養子として浅野家に迎えられ、のちに家督を相続した。同じく長勝の養女となっていたねね(寧々、のちの北政所、高
続きです。「末法修羅」「まっぽうしゅら」と振り仮名がありましたが、検索しても出て来ませんでした。「末法」は、仏教で釈迦の本来の教えが何か分からなくなり、悟り・涅槃に入る人がない時期のこと。正しい教え、つまり正法が失われる時代を末法というそうです。また、釈迦の死後1500年、あるいは2000年以降の時期のこと。釈迦の入滅が紀元前543年2月15日とされていますから、本書の舞台の時期からすると、「もうすぐ2000年が経過し、末法に入る」みたいなタイミングなのかもしれません。「末法思想」な