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仏法における師弟の関係は、師としての仏が覚知した生命の極理をそのまま弟子の生命に伝えることにあります。故に、師が自らの悟った法をそのまま弟子に伝えていくことをも、「血脈」と称するのであります。したがって、「生死一大事血脈抄」ということを一言に要約して述べれば生命の究極の法が、いかにして仏から衆生に伝えられ生死流転の衆生の生命に顕現(けんげん)されていくかということであります。これこそ、仏法の最も肝要でありたんなる観念ではどうしようもない実
https://www.facebook.com/share/15Wwqjwxfg/安原稔安原稔さんはFacebookを利用しています。Facebookに登録して、安原稔さんや他の知り合いと交流しましょう。Facebookは、人々が簡単に情報をシェアできる、オープンでつながりのある世界の構築をお手伝いします。www.facebook.com
明暗(一)松村さんと圭子さんと正一とが、牧田先生のもとから帰ったのは、夜の十時ごろであった。十三夜の月に照らされて、電車通りを歩む三人の声には、生き生きしたものがあった。松村さんは信仰する決心した時から、心が明るくなったようだ。明日御本尊をいただくと決めて、時間やその他を正一と約束しながら、正一に向かって『今日は非常に楽しい気持ちになっているが、明日の二時になれば、又地獄の行だ』その言葉の中に投げやりの調子はなくて、しみじみした生活の実感があった。『松村さん
ノート6冊にわたり、母が書き写していた、この、"生死一大事血脈抄"高齢の母が、一文字一文字、本当に丁寧な字で書いています。これを私にくれた時、もっとしっかり見てすごいね!って伝えればよかった…もっと会いに帰ればよかった。母が作った料理、お手玉、もっと絶賛すればよかった、あんなに美味しかったのに、愛情たっぷりだったのに。お手玉の綺麗な縫い目を見ては泣いて母の字を見ては泣いています…母がいつも、一生懸命伝えてくれた信心に
第6回異体同心皆が心を一つに団結連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励(はげ)ましを教学のテーマ別に掲載。併(あわ)せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。第6回のテーマは「異(い)体(たい)同(どう)心(しん)」です。小説「新・人間革命」第13巻「光(こう)城(じょう)」の章【あらすじ】1968年(昭和43年)秋、各地で芸術祭が開催される。芸術部の首脳(しゅのう)と懇談(こんだん)した山本伸一会長は、“芸術祭を成功させるうえで、一番大
【第9回】誠実と忍耐で勝ち光れ仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり(諸経と法華経と難易の事、992ページ)(通解)仏法は体であり、世間は、その影のようなものである。体が曲がれば影はななめになる。同志への指針春4月。新社会人の友も、新天地で出発の友も、健康第一で明朗に新風を、と祈りたい。仏法は一人一人が胸を張って社会に貢献し、人生を勝利するための根本の柱である。我らには、一切を打開できる信心がある。励まし合える同志がいる。大変な時ほど、題目を唱え、負
奇妙な世界(一)貞三は小切手を借してほしいと云われても、銀行には預金がないので振出すわけにはいかない、こばみ続けて松村さんを送り出した後味は、非常にいやなものであった。翌日の一時ごろ松村さんから又電話があった。正一が取り次ぎに出たが今日から十日先の小切手をぜひ借してほしい、その小切手は十日の後でなければ絶対に貴方の銀行に取り立てに行かない、その十日の日には必ず私が二万円お金を持って、貴方の銀行へ行きますから、決して和泉君に迷惑をかけない、ぜひ頼んでほしというのであ
「精神革命」の扉を開け2024年11月24日【写真説明】秋晴れの空の下、紅葉が水面まで色とりどりに染めている。1995年(平成7年)11月、池田大作先生が大阪城公園で撮影した。寒さの中でも鮮やかに照り映える紅葉のように、苦難に負けず、一瞬一瞬を燃えて生きる人の姿は美しい。いわんや、生命尊厳の哲理を学び、「世界広布」即「世界平和」を目指して行動する人生は、黄金の輝きに包まれる。広布誓願の祈りも深く、御書を心肝に染め、確かな幸福の軌道を歩もう。池田先生の言葉日蓮大聖人の仏法は、
【第8回】人間王者の凱旋の道を!法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし、三類はすでにあり法華経の行者は誰なるらむ、求めて師とすべし一眼の亀の浮木に値うなるべし(開目抄、230ページ)(通解)法華経の行者がいれば、必ず三類の怨敵が現れる。三類の怨敵は、すでにいる。法華経の行者は一体、誰だろうか。探し求めて師とすべきである。(法華経の行者に出会うことは)一眼の亀が浮木にあうようにまれなことである。同志への指針日蓮大聖人の仰せ通り、現代において、三類の強敵と戦い、難を受け
(五)おつやに起こされて目を覚した貞三は、昨夜来の珍らしい世界を思い出して、『よし俺も一人前の事業家になろう』と強い決心にうながされた。工場に入る前に事務所に入ると正一は熱心に仕事をしている。貞三は見るなり、『社長、裏を継ぎ足して四・六判二台を入れましょう。専務はがんばりますぞ。折伏だってあんなヒョロヒョロ共になんか負けるものか』意気、然として当たるべからずの勢いである。『正一君、昨晩はどうだったね』『沖山さんが、大先生の顔を見い見い折伏するったら、おかしくてし
〈四季の輝き――池田先生の心〉御書に学び「精神革命」の扉を開け2024年11月24日【写真説明】秋晴れの空の下、紅葉が水面まで色とりどりに染めている。1995年(平成7年)11月、池田大作先生が大阪城公園で撮影した。寒さの中でも鮮やかに照り映える紅葉のように、苦難に負けず、一瞬一瞬を燃えて生きる人の姿は美しい。いわんや、生命尊厳の哲理を学び、「世界広布」即「世界平和」を目指して行動する人生は、黄金の輝きに包まれる。広布誓願の祈りも深く、御書を心肝に染め、確かな幸福の軌道を歩もう。
第5回宿命転換―負けない自分をつくる小説「新・人間革命」第13巻「楽(らく)土(ど)」の章【あらすじ】1961年(昭和36年)12月、沖縄・名(な)護(ご)の地区担当員・岸山富士子は、火災で2人の娘を亡(な)くす。その報告を聞いた山本伸一会長は、自身の思いを沖縄の幹部に語っていく。◇「岸山さんは、さぞかし辛(つら)いだろう。悔(くや)しいだろう。胸が痛みます」伸一の目には、涙さえにじんでいた。「私たち凡(ぼん)夫(ぷ)には、自分が、どんな宿(しゅく)業(ごう)をもって
【第7回】令法久住のバトンを託さん釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏菩薩・虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり(諸法実相抄、1360ページ)(通解)釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏・諸菩薩が虚空会にあって、釈迦・多宝の二仏がうなずき合い、定められたのは別のことではない。ただ、ひとえに末法における令法久住のためである。同志への指針今、世界中で、青年が令法久住のバトンを受け継いでくれている。地涌の若人の躍動を、恩師もどれほどお
「生死」とは生まれては死に、死んでは、また生まれてくる、すなわち、生死流転の運命、この生命をいいます。「一大事」とは、最も根本の肝要という意味であります。「一」とは、たくさんあるなかの一つということではなくこれ一つ以外にないという意味の、「一」であります。その唯一無二の根本の大事ということが、一大事なのです。したがって、「生死一大事」とは、生命における最重要の大事ということであり生命の極底の法をさすのであります。「血脈」とは、生命
日蓮大聖人ご内証の法門を認められた書である故に何回も拝読し、我が生命に刻んでいっていただきたいことをまず最初に申し上げておきたいのであります。本抄は、文永九年、二月十一日、佐渡、塚原において認められた書であります。対告衆は、「諸法実相抄」と同じく、最蓮房日浄です。この人については、「諸法実相抄」で述べた通りですので、対告衆についての解説は略させていただきます。もとよりこれは御消息文であり、「生死一大事血脈抄」は、後世に付されたものでありますが、
別な世界(一)独立してからも貞三と正一は、真面目に頑張って一年の月日も近くなった。五人の職工も真面目だし、仕事は能率的だし、家は日々に楽になって来た。おつやも昔のかげもなく。立派な奥様ぶりで貞一はすこやかに育って居る。貞三と正一は久方振りの休みを幸いと、一度も出かけたことのない学会の本部に出かけた。錦町の裏通りの二階建の家である。貞三は牧田先生の宅へ向かった時の事を思い出し、変わった自分の境地、家庭、身なりを見て牧田先生を一(ひと)しお恋しくなっていた。自
第九章日蓮大聖人の御遺命一、御遺命とは何か日蓮大聖人は、本門戒壇を建立して日本および全世界を仏国と化し、全人類を現当二世に救済することを究極の大願とあそばされた。ただし、この本門戒壇は一国の総意に基づく国家的な建立であるから、日本一同に南無妙法蓮華経と唱え奉る広宣流布の暁でなければ実現できない。御在世には未だその時いたらず、よって未来国立戒壇に安置し奉るべき「本門戒壇の大御本尊」を二祖日興上人に付し、この大事を日興上人に御遺命されたのである。されば本門戒壇の建立こそ御本仏日蓮大
【第6回】広布の丈夫よ勇んで進め!人身(じんしん)は受(う)けがたし爪(つめ)の上の土・人身は持(たも)ちがたし草の上の露(つゆ)、百二十まで持(も)ちて名(な)を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ(崇唆天皇御書(すしゅんてんのうごしょ)、1173ページ)〈通解〉人間に生まれることは難しく、爪の上の土のようにまれである。人間がその身を全(まっと)うするのは難しく、草の上の露のようにはかない。120歳まで長生きしても悪い評判(ひょうばん)を残して終わ
(『人間革命』第12巻より編集)121〈後継〉19彼は、満面に笑みをたたえながら、細く痩せた体には不似合いな、気迫に満ちた声で語り始めた。「今日は、私とともに喜んでいただきたいのであります。今まで、日蓮といえば身延だと、日本中が思い込んでいた。今でも、そう思っている人もいる。しかし、言うまでもなく身延は大聖人の教えから外れた宗派であります。ところが、その身延に、当山が、何をやっても、負けてばっかりい
暁(一)和泉貞三はしみじみと、自分が歩んで来た世界以外に、力強い不思議な世界があることを感じ出した。罰と利益の海に抜手を切って、勇しく泳ぐ自分達夫婦は、怒濤に恐れぬ大魚の如くで、朝の出がけに、御本尊に合掌した清清しさを胸にだきしめ、勇気に充ちて職場へと出かける日常は楽しいものであった。おつやは、夫の出かけた後に、すくすくと育つ貞一を見まもりながら、この五ヵ月間の信仰生活を深く味いながら、近所の頼まれ物の針仕事をして、静かに毎日を暮らしていた。楽しみはその後
(『新・人間革命』第8巻より編集)142〈激流〉15彼女は必死だった。だが、事態は、日一日と厳しさを増していった。そのなかで大井は、「魔競わずば、正法と知るべからず」との御聖訓の通りであることを実感していた。“みんなにも、何があっても負けないように、訴えなければ・・・”嵐の渦中、市内の中華料理店にソウルのメンバーが集った。監視の目が光っており、個人の家に集うことは危険であったからだ。
今日も心と体を鍛えました。室内ウォーキング12,021歩スクワット30回3セット血圧123/8054お題目3時間半題目の力(4)<題目の力は全宇宙のすみずみまで届き、無間地獄の衆生をも即身成仏させる>日蓮大聖人は、「御義口伝」に仰せである。「今、日蓮とその弟子たちが、亡くなられた聖霊を追善し、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱えるとき、題目の光が無間地獄にまで至って、即身成仏させる。廻向の文は、ここから事起こるのである」(御書712頁、通解)題目
二、日目上人の死身弘法第三祖・新田卿阿闍梨日目上人は、少年のとき修学のために伊豆の走湯山に上られていたが、文永十一年十五歳の時、たまたま走湯山を訪れた日興上人の、山内随一の学匠・式部僧都との法論における凛々たる破折にふれ、深き宿縁一時に薫発して日興上人の弟子になられた。行体堅固二年後の建治二年、日興上人に伴われて身延山の大聖人のもとに詣で、それより御在生の七年間、大聖人に常随給仕の赤誠を尽くされた。その行体がいかに堅固であられたか、第五十九世日亨上人は「目師はいちじるしく
後の【人の心】の章で出てきますが、以下のようなストーリーは、文庫本にはありません。なぜ、文庫本の内容が違うのか。そして、文庫本の、「あとがきにかえて」戸田城聖とありますが、はたして戸田城聖先生の書かれた文章かな?と思います。私の常識では、師匠と思う人の書いたものを、書き換えることなんか考えませんけどね?時が経ち表現が不適当というようなこともあったとしても、時代が違うことの注意書きでいいのではないでしょうか。学会員皆さん、日本人なら理解できると思いますけどね。※私見上の部分のテキスト
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【第5回】地涌の誇りを胸に上行菩薩・末法の始の五百年に出現して南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして無明煩悩の闇をてらすべし(寂日房御書(じゃくにちぼうごしょ)、903ページ)(通解)(法華経神力品(ほけきょうじんりきぼん)の「斯人行世間(しにんぎょうせけん)〈斯(こ)の人世間に行じて〉」の5文字は)上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)が末法(まっぽう)の始(はじ)めの五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字の光明(こうみょう)をさしいだして、無明煩悩(むみょうぼんのう)の闇(や
月々日々に――池田先生の折々の言葉苦境の時ほど御書を繙くのだ。そうすれば目の前が明るくなる。闇夜が晴れ、希望の光が差し込む。勇気の太陽が昇るのだ。※2010年11月14日付聖教新聞「随筆我らの勝利の大道」を基にしています。名字の言「自他共の幸福」を築くドラマをある地域の池田華陽会の集いで、手作りのカードが配られた。大切な友人の名前を書く「宝」という項目とともに「祈りたいこと」「挑戦したいこと」が書ける欄があった▼かけがえのない友人たちの名前を記し、その一人一人がどんな夢を抱き、
迷夢(一)身延の本尊を妹からもらって来て、おつやをだまして、それを一生懸命拝まして、自分も時折拝んで、小泉さんを悪い人だと大先生が言ったと思い込まして。三ヵ月後におつやの家には大事件がおこった。おつやはじめじめした破れ畳にふとんをしいて、ねんねこ一枚かけたきりの貞一の熱ぽい顔をじっとみつめて涙ぐんでいる。手には、派手な長じゅばんを持ち、青ざめた顔で低い声で『南無妙法蓮華経』『南無妙法蓮華経』と唱えている。十六燭の電灯は八畳の部屋にうすぼんやりとともっ
(『新・人間革命』第8巻より編集)141〈激流〉14語るにつれて、チェの言葉には、力がこもっていった。「これは、御書に照らして考えるならば、信心を妨げようとする三障四魔の働きです。つまり、私たちの信仰が試されているのです。状況が状況だけに、社会的な配慮は大切ですが、一歩たりとも退くことなく、今こそ、堂々と、仏法と学会の正義を訴え抜いていこうではありませんか。もし、私たちが、こんなことに負けて、信心