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翻(ひるがえ)って、かかる大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)の大(だい)慈(じ)大(だい)悲(ひ)は広宣(こうせん)流布(るふ)に戦う私達にも注がれている。その事(こと)を心を静めて拝し奉(たてまつ)れば有難(ありがた)さで五体が打(う)ち震(ふる)えてまいります。先(せん)生(せい)は仰(おお)せ下(くだ)さいました。「もったいなくも大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)が『湿(しめ)れる木(き)より火(ひ)を出(いだ)し、乾(かわ)ける土(つち)より水(みず)を儲(
では、その実例をいくつか挙(あ)げます。本年4月23日、衆院憲(けん)法(ぽう)審査会長の古(ふる)屋(や)圭(けい)司(じ)が会長を務める超党派の「明(めい)治(じ)の日(ひ)を実現するための議(ぎ)員(いん)連(れん)盟(めい)」が国(こっ)会(かい)内(ない)で総会を開(ひら)き、明(めい)治(じ)天(てん)皇(のう)の誕(たん)生(じょう)日(び)である11月3日の文(ぶん)化(か)の日(ひ)に「明(めい)治(じ)の日(ひ)」を併記する祝日法改正案を今国(こっ)会(かい)に提出し、
謹んで開目抄の一節を拝したてまつる私が大聖人様の御書を拝読したてまつるにさいしては、大聖人様のおことばの語句をわかろうとするよりは、御仏の偉大なるご慈悲、偉大なる確信、熱烈なる大衆救護のご精神、ひたぶるな広宣流布への尊厳なる意気にふれんことをねがうものである。私の胸には御書を拝読するたびに、真夏の昼の太陽のごとき赫々たるお心がつきさされてくるのである。熱鉄の巨大なる鉄丸が胸いっぱいに押しつめられた感じであり、ときには、熱湯のふき上がる思いをなし、大爆布が地をもゆるがして、自分の身
幸福論だれ人も、幸福でありたいということは、申すまでもない。老人にせよ、若者にせよ、同じことである。ことに、世の先達者たる者は、自分自身の幸福はもちろんのこと、世の人を、いかに幸福にすべきかを意識的に考えて努力している。この先達者をみるに、人生の当然のことながら、物質方面と精神方面と二つに分かれている。一方の代表は科学者であり、一方の代表は宗教家である。この二つの方面をよく考察してみると、科学者は自分の外界を見つめ、そして外界の事物を分析し、かつ総合して真理を発見し、かつ
無糖博英です。令和8年3月の日曜勤行における浅井先生指導を掲載いたします。平成21年3月8日浅井先生指導信心強き弟子を大聖人様が必ず御守護下さる広布前夜の末法濁悪の姿日々新しい信心、新しい感激に立て平成21年3月1日浅井先生指導『撰時抄』の2つの大事日蓮大聖人こそ末法の御本仏にてまします広宣流布はもう眼前である平成21年2月15日浅井先生指導日蓮大聖人が示同凡夫の姿で示された罪障消滅の原理身の卑しきをもって法の尊きを顕わす「日蓮大聖人の弟子」こそ現当二世
まことに、この『諸法(しょほう)実相(じっそう)抄(しょう)』の御(ご)文(もん)は有難(ありがた)い御(ご)文(もん)でしょう。何とももったいない仰(おお)せですね。私達は、みんなそれぞれ『自分なんか言うに甲斐なき凡(ぼん)夫(ぶ)だ』と思ってるんです。ところが、大(だい)聖(しょう)人(にん)の御眼から見れば、その三毒(さんどく)強(ごう)盛(じょう)の凡(ぼん)夫(ぶ)が、今『有難(ありがた)い』と言う気持(きも)ちを起こして南無(なむ)妙(みょう)法蓮(ほうれん)華(げ)経(き
おはようございます若女将です。昨日の予告どおり今日は全くの余談です。よかったらお付き合いください^^;7月28日のお話にさかのぼります。団体参拝の受け入れを終了した7/28の午後1泊帰省した娘とともにまずは御廟所・御草庵跡へ御礼参りにいきました。常唱殿にてお線香をいただいて今年も無事終了したことに感謝して。ナムナムそのあとひと休憩したところで娘と共に東京から来てくれた義妹に留守を託しまして夜中12時仮眠した若旦那とともに🚙で出発。高
『新尼(にいあま)御(ご)前(ぜん)御(ご)返(へん)事(じ)』に宣(の)給(たま)わく末法(まっぽう)の始(はじめ)に、謗法(ほうぼう)の法(ほっ)師(し)一閻(いちえん)浮(ぶ)提(だい)に充(じゅう)満(まん)して、諸天(しょてん)いか(怒)りをな(成)し、彗星(すいせい)は一天(いってん)にわた(渡)らせ、大(だい)地(ち)は大波(おおなみ)のごと(如)くをど(踊)らむ。大旱魃(だいかんばつ)・大(だい)火(か)・大水(だいすい)・大風(だいふう)・大疫(だいやく)病(びょう)・
無糖博英です。令和8年5月の日曜勤行における浅井先生指導を掲載いたします。令和3年4月28日立宗769年御報恩勤行会浅井先生指導説明立宗の説明人生と国家の根本問題20年に渡る御修学末法における成仏の大法立宗の時の大誓願数々の大難と竜の口の大現証佐渡における『開目抄』の大誓願広宣流布の原動力は大慈大悲大悪起これば大善来たる広宣流布はもう眼前平成20年11月23日浅井先生指導讃嘆行こそ信心の根本である学会・宗門の信心なき実態日蓮大聖人の御心のままの顕正会の
『乙(おと)御前(ごぜ)御(ご)消(しょう)息(そく)』に宣(の)給(たま)わく人(ひと)の心(こころ)固(かた)ければ、神(かみ)の守(まも)り必(かなら)ず強(つよ)しとこそ候(そうら)へ。是(これ)は御(おん)ため(為)に申(もう)すぞ、古(いにし)への御(おん)心(こころ)ざし申(もう)す計(ばか)りなし。其(それ)よりも今(いま)一(いち)重(じゅう)強(ごう)盛(じょう)に御(おん)志(こころざし)あるべし。其(そ)の時(とき)は、弥弥(いよいよ)十(じゅう)羅(ら)刹女
「法華(ほけ)経(きょう)は、女人(にょにん)の御為(おんため)には暗(くら)きにともしび(灯)・海(うみ)に船(ふね)・おそ(恐)ろしき所(ところ)にはまも(守)りとなるべきよし(由)ちか(誓)はせ給(たま)へり」と。「法華(ほけ)経(きょう)は」という事(こと)は「法華(ほけ)経(きょう)の肝心(かんじん)の文底(もんてい)下(げ)種(しゅ)の御(ご)本尊(ほんぞん)」という事(こと)ですね。「この御(ご)本尊(ほんぞん)様(さま)は『暗(くら)きに灯(ともしび)』という風に『どう生
山本さんの事と義の混同を破す御内拝文の一句をもって「御宝蔵=事の戒壇」とする説は成り立たない山本氏は、御内拝の文書に「眼前にまします処本門事の戒壇と拝す」とあることを根拠として、御宝蔵そのものが本門事の戒壇であると断定している。しかし、この理解は教学上成立しない。なぜなら、ここでは「拝し方の文言」と「法義上の定義」とが混同されているからである。一、問題の所在相手の論法は単純である。御内拝の際に「眼前にまします処本門事の戒壇と拝す」とある。ゆえに、眼前にある御宝蔵がその