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【継報】天台宗性被害問題2024.4.19山陽中央新報『逆らえば地獄に落ちるぞ』住職にマインドコントロールされ、14年間性暴力を受けた」天台宗の尼僧が実名告発、口をつぐむ大僧正、「閉ざされた世界の真実は…天台宗の寺の住職から性暴力を受け続け、14年間にわたりマインドコントロール(洗脳)されたとして、50代の尼僧叡敦(えいちょう)さんが1月、記者会見を開いて被害を告発した。この住職の師匠は、天台宗で最高位の大僧正。叡敦さんは、大僧正が加害行為を手助けしたとも訴えている。住職から
最近またサジェストワードを「神社」の語で検索してみましたら、1番に「神社英語」ってあって、さすがにそれは翻訳サイトで解決しているだろうしブログの記事にもならないから、2番目にあった「神社属性」を取り上げてみようと思います。このワードは日々、変わっていきますが、私が見た時には3番目に「神社お参り」まあそれはいいとして、4番目に「神社モドキ」ってあって笑いました。世の中「神社モドキ」が横行してるんでしょうか?どんなんだ?そして5番目には「神社イラスト」でした。さて、神社の属性と自
鰐淵寺(島根県出雲市)の摩多羅神さんの社殿のところまでやって来ました。前回記事のつづきです。『これは龍の雰囲気?~鰐淵寺~』鰐淵寺(島根県出雲市)に到着しました。前回記事のつづきです。『わざとピシャっと閉じられたわけ』私は今回の出雲行きを半年以上前から計画していました。…ameblo.jp識子さんの本ではここのことを「拝殿と本殿のある本格的な神社」と紹介されていました。拝殿と本殿、なるほど~。たしかに。
阿闍梨【外伝】一隅を照らす❖ありのままに生きる引用天台宗公式サイト法話集ありのままに生きる時は春。植物は一斉に芽吹き花を咲かせ、様々な動物や虫たちが徐々に緑色づく季節を待ってましたとばかりに謳歌しているように見えます。それはもちろん我々人間も同じで、「今年は何処にお花見に行こうかしら」などとこの時期ならではの計画を立てておられることでしょう。毎年この時期に思い出す言葉があります。「百花為誰開」有名な禅語であり茶事などでもよく用いられます。「美しく咲き誇る花々は誰の為に咲
あやしすぎるタイトルきました。「どんな願いも叶う法力」を使えるとしたら、どうしますか?世の中にはそれを叶えるアイテムがあるらしい。正直ワタクシも知りませんでした。それは比叡山延暦寺根本中堂の不滅の法燈、これに深い関係があるのです。ご存じの通り比叡山の根本中堂には、不滅の法燈として知られている灯りがあります。最澄が788年に灯して以来一度として消えたことがないという灯り。そして1236年もの長きに渡って、毎日毎日比叡山の僧侶たちがその場所でお経をあげ続けています。それだけ
おはようございます。はるるです。今日もブログへのご訪問、ありがとうございます。レイキやリーディングなどのお申し込み受け付けております。メニューにつきましては、こちらをご覧ください。→<メニュー>弘前公園の桜です。きれいですね。*.゜。:+*.゜。:+*.゜。:+*.゜。:+*.゜Y様から龍の編みぐるみをいただきました。可愛いですね。ありがとうございました。きのう、レイキ交流会を行いました。ご参加してくださった皆様、ありがとうございました。
目次のリンクはページ内のジャンプ用リンクです。各寺院名の説明にあるリンクは各公式サイトへの外部リンクです。◆連絡事項◆【令和6年4月21日更新】荒陵山四天王寺を更新しました。知多高野山喬正院を更新しました。八事山興正寺を削除しました。【4月】の高野山東京別院を削除しました(春季開壇が無くなったため)【11月】の高野山東京別院を更新しました。◆目次◆このページの目的掲載基準表記について結縁灌頂に関するQ&A五重相伝会を載せていない理由(令和5年10月21日追加)
そろそろ年の瀬ですね✨この一年を振り返るとどんな年だったでしょうか?わたしにとっては今まで見ないようにしてきた「かなしみ」「苦悩」に気づき、浄化する年になりました。兄と弟と父と2年前の冬至。脳梗塞で倒れ、生死を彷徨って命をながらえたものの四肢に麻痺が残り、喋ることも食べることもできなくなり、唯一動かせるのは眼球のみとなった兄。8年前。自死した弟。今年の5月。同じく脳梗塞で倒れた父。兄とはコロナ禍で面会できなかった状態なので、今年の春、一年ぶりに会うことがで
◇火焔の十万枚大護摩供、、(酒井雄哉大阿闍梨)紅蓮の炎が燃え上がり、酒井阿闍梨が祈禱しながら護摩木を投じると、火焔はさらに天井まで焼きつくすかのように凄まじい火勢でめらめらという音をたてた。「ナーマクサーマンダーバーサラナンセンダンマーカーロシャナソワタヤウンタラターカンマン」信者たちが唱和する真言が、一大合唱となってそれに和する。一つひとつ護摩木に込められた衆生の祈願を声に出して読みあげ、それを火焔の中に投じる阿闍梨の顔は、真っ赤に炎にそまり、さながら生きた不動明王を彷
リトグリですさて、エバーグレイズ琵琶湖を11:00amにチェックアウトした後、ふたりは滋賀県大津市へ向かいました🚘歴史を感じる琵琶湖疏水(琵琶湖と京都市内をつなぐ水路)付近を、お散歩しながら🚶♀️🚶♀️滋賀県大津市を代表する古刹三井寺(長等山園城寺)へ近江八景とは、江戸中期に東海道五十三次で有名な、歌川広重が描き、全国でも有名になったと言われていますそして「三井寺」正式には長等山園城寺(おんじょうじ)といい、天台寺門宗の総本山です。平安時代、第五代天台座主・智証大師円珍によって、
◇箱崎文應②(堂入り酒井雄哉大阿闍梨)「俺は坊主にもなれない人間なのだろうか。この山の坊主は、どうして俺の気持ちをわかってくれないのだろう。もう俺には帰る所がないんだ。もしこの山で坊主になれなければ、、」中山玄雄師によって無動寺谷宝珠院につれられて『奥野玄順大阿闍梨』に引き合わされた箱崎師、「寺男」として使ってもらえることになった。寺の雑役である。三千日回峰行中に足を痛めた奥野大阿闍梨は、籠で毎日三十キロの山道を歩くことになり、箱崎師は、奥野師の乗った籠の先棒をかついで回峰道を歩く役
今年の申込用紙が届きました〜!!!(めっちゃ待ってた)【日程】6月8日(土)6月9日(日)6月16日(日)6月22日(土)6月29日(土)6月30日(日)【応募締切】5月25日【結縁灌頂会当日】受付&説戒会場:阿弥陀堂…!?(´゚д゚`)延暦寺会館じゃないの…???いあ、移動が楽だとは思いますけれども。※阿弥陀堂〜灌頂堂(結縁灌頂会の会場)まで徒歩1分くらい。特に雨天とか…。でも、足の悪い方って阿弥陀堂へ自力で行くのキツくない…?とちょっと疑問( ̄▽ ̄;)※
☆【外伝】三千日の回峰行を目指した行者正井観順大阿闍梨②あどけないトシ、テイ、リウの三人の童女は、父親との永遠の別れのことを露知らず無心の寝顔をみせていた。一八九四(明治二十七)年四月、猿賀の神宮寺と仙台の仙岳寺の紹介状をたずさえて、覚蔵は黒石を出た。首には、父母と一昨年亡くなった姉のお骨を下げていた。菩提寺の大本山東本願寺に納めるためだった。この行事を終えて、いよいよ比叡山に入った。比叡山では、のちに大僧正として天台宗全体を指導した山岡観澄師の弟子となり、観順と改名、無動寺谷明王堂で修行
おはようございます。こんにちは。こんばんは。日中は過ごしやすい日が続く今日この頃皆様いかがお過ごしでしょうか?さて昨年にも案内しましたが『日吉大社』から『比叡山延暦寺』への行き方についてご案内します。①『延暦寺』への道日吉大社と延暦寺は、地図上では、ほぼ隣りあわせですが実際にはかなり距離があり、基本的には『お車』か、『ケーブルカー』での移動をお勧めしています。歩いて行けなくもないですが、それなりの準備が必要です。②車で延暦寺へ車で行くと『延暦寺』へはだい
◇不動明王朝の会、、(酒井雄哉大阿闍梨)二回目の堂入りから出堂した、酒井阿闍梨の姿を見て、思わず土の上野に座り込んで礼拝する中年の女性もいた。「昭和の生き仏」の姿に、真言はますます高まるばかりだ。阿闍梨の顔は憔悴して頬がこけ、眼窩は落ちくぼんでいたが、瞳は澄み、表情には人間の顔を超越したような不思議な輝きと静謐さがあった。酒井阿闍梨は、堂入りがすんだ翌昭和六十年三月二十八日から赤山苦行に入った。今度は足の怪我もなく、雲母坂を一気に駆け下り、駆け上り、七月五日に千八百日を満行した。そして六十
以前も2度紹介したお仕事の電話のみでとても好感が持て現在友人としてやりとりしている素敵な方からまた贈り物が届きましたまず私の”修学の参考になれば”といってパンフレット3種中国語の簡体字版・繁体字版・韓国語版その方は剣道で中国人の友達がいらっしゃるとのことだったので以前からDuolingoを勧めていたら始めました!とのことでフォローしあいこしたらフレンズクエスト
令和六年三月二十一日四国遍路四日目の記録の続きです。橘谷の休憩所を出発し、引き続き県道21号線を歩きます。鮎喰川沿いには、懸造りの家が立ち並んでいました。おや?落石防止柵のコンクリート基礎に洞窟のような凹みがあります。気になる所は欠かさずチェック。仏様がいらっしゃるようなので拝ませていただきましょう。お不動様がお祀りされていました。補修された形跡がありますが、古の時代からこの地におられたのでしょうね。合掌礼拝。ガードレール沿いには注意喚起の札が立っていて、落石の多い場所のよう
◇幻の中の堂入り、、(酒井雄哉大阿闍梨)勝手知ったる峰道を歩く、酒井阿闍梨の二千日回峰は順調に満行を重ねていた。昭和五十六年十月十三日、千二百日満行、五十七年は春と秋二回歩き、十月十三日に千四百日満行、五十八年七月四日に千五百日満行。そしてこの年の十一月二十三日に十万枚大護摩供も満行したのだった。酒井阿闍梨は翌五十九年、三月二十八日から歩いて十月十三日に千七百日を満行した。そして、二度目の「堂入り」を迎えたのである。今回の堂入りは、毎日お勤めをしている不動堂で行われるが、なんといっても憂
◇箱崎文應師と再会、小僧に戻る、、(酒井雄哉大阿闍梨)酒井阿闍梨は、無動寺谷宝珠院の住職のまま、飯室谷長寿院の箱崎師の弟子となり、昭和四十九年八月に東塔から横川へ移って来た。まさに「仏縁」だと、酒井阿闍梨は不思議な見えない糸を思った。得度する前に、役行者(えんのぎょうじゃ)の仏像を持ってきて、「お御霊」を抜いてもらい、そしてまた入れてもらったことがあった。箱崎師から、そんなもの持っていると、裏山をのそのそ歩くようになるぞ、と怒鳴られたが、それでも「お御霊」を入れてもらった役行者の仏像を手元
阿闍梨【外伝】一隅を照らす❖元三大師さま元三大師さま正月、一月三日のご命日にちなんで、「元三大師(がんざんだいし)さま」と親しんでお呼びしていますが、お名前は良源(りょうげん)といい、また、のちに一条天皇より「慈恵」の諡号(しごう)を賜ったので慈恵大師(じえだいし)ともお呼びしています。天台宗では宗祖の伝教大師(でんぎょうだいし)や、入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)をしるされた四祖の慈覚大師(じかくだいし)など、大師(だいし)の号がつくお方が、ほかにもおいでですが、
比叡山延暦寺って言いますが、延暦寺という建物があるわけではなく、比叡山の東塔西塔横川のすべてのエリアが延暦寺なわけです。これ書いてて思いましたけどね、東塔、西塔、横川の3つとも全部正しく読める人って一般的にどれくらいいるんでしょう?そんな僕も、初めて比叡山行った時は東塔の読み方間違えてました。比叡山といえば延暦寺ばかりが知名度高いですけど、山上の延暦寺に対して谷の無動寺で成り立っているのはあまり知られていません。そりゃそうですよ。坂本ケーブルの駅の横のここから降りて
◇当行満阿闍梨(酒井雄哉大阿闍梨)明王堂の鐘が鳴りひびき、正面の大扉が軋む音をたてて開かれた。信者たちが一瞬どよめき、それから水をうったようかな静寂になった。酒井阿闍梨は蓮華の葉をかたどった笠を手にして、ゆっくりとした足どりで再びこの世に生きて還ってきた。信者たちの間に声にならない感嘆の波がうねり、「生き仏」を迎える真言の唱和が鐘の音とともに、いつまでも無動寺谷にこだましていた。ミカと美佐子は、ただただ数珠を握りしめて、酒井阿闍梨の姿を追っていた。「死者の顔」の酒井阿闍梨は、一段また一段と
今朝は鴨川散策飛び石体験しました。そして…月曜日のホットヨガの先生にお誘いいただき日曜日のホットヨガの先生もご一緒に比叡山延暦寺の明王堂阿闍梨さまのお部屋でヨガをさせていただきました。私のコンディションは…火曜日のホットヨガで肩甲骨あたりが筋肉痛💦木曜日のホットヨガでハムストリングが筋肉痛状態でしたが筋肉痛はありがたいこと筋肉が成長しているしるしだよね。ヨガは心地よい空間で心地よい呼吸ありがたい気持ちでいっぱい。ここにたどり着く道中旅をするにあたっては
◇堂入り、、②(酒井雄哉大阿闍梨)無動寺谷に鐘が鳴り響く、午後一時、真新しい白の浄衣に身を包んだ酒井阿闍梨は、内海俊照師にみちびかれて法曼院を出て、明王堂の急な石段を一段また一段と踏みしめるように上った。明王堂のまわりには、信者たちがつめかけている。酒井阿闍梨の姿に合掌し、数珠音も高く、「ナーマクサーマンダーバーサラナンセンダンマーカーロシャナソワタヤウンタラターカンマン‥‥‥」といっせいに真言を唱え始めた。それは真言の大合唱となって、うねり合い、重なり合って、無動寺谷全
平家物語の2話が放送されました。2話は平家の女性たちを中心とした話になっていました。今回は、平家の女性たちと、平徳子が嫁いだ高倉天皇などについて解説します。1.平盛子について序盤に、11歳の未亡人である平盛子の話が出てきます。盛子は平清盛の娘で、母親は判明していません。保元元年(1156年)生まれで、1164年に数え9歳で22歳の近衛(藤原)基実に正室として嫁ぎます。清盛が藤原摂関家との関係を作るためです。基実は藤原氏のトップである藤氏長者で、二条天皇の関白でした。基実は藤
『2023年京都・滋賀ひとり旅④ロテルド比叡』『2023年京都・滋賀ひとり旅③大山崎山荘美術館』『2023年京都・滋賀ひとり旅早朝の伏見稲荷大社』『京都のホテル「サクラテラスザ・ギャラリー」』昨…ameblo.jp↑の続きです。比叡山延暦寺の総本堂の根本中堂にてお坊さんがお経を読み上げる「朝のお勤め」に参加。ロテルド比叡のオプションです。朝6時にホテルのバスで送っていただけます。一般の拝観が始まる前の時間なので他に人はおらず、とても静か。根本中堂は60年ぶりの大改修の真
◇幻の常行三昧(酒井雄哉大阿闍梨)酒井阿闍梨は百日回峰を無事に終ると、次の行に入ることを義務づけられていた。三年籠山中に果たさなければならない修行として、祖廟浄土院での侍真奉仕、百日回峰、そして「四種三昧」のうちから「常坐三昧」か「常行三昧」のどちから一つ、この三つが定められている。四種三昧とは、比叡山で最も歴史的が古く、基本的な修行で、「常坐三昧」「常行三昧」「半行半坐三昧」「非行非坐三昧」の四種をさす。これは天台宗の高祖、中国の天台大師が法華経の修行法を説いた「摩訶止観」に示されている
◇堂入り①(酒井雄哉大阿闍梨)いよいよ、千日回峰の行のなかでも一番の荒行といわれる「堂入り」である。無動寺回峰では天正年間以来、四十五人がこの「堂入り」を満行してるが、飯室回峰は永く絶えていたばかりでなく、「堂入り」するお堂がなかった。飯室回峰の酒井阿闍梨の堂入りをどうするか、先達会議が開かれた。いくつかの古い書類も持ち出されたが、無動寺のなかに「七百日以降は本流に従うべし」という一項目が記されていた。先達会議の結果「堂入り」八百日目の「赤山苦行」「京都大回り」も無動寺谷で行なうことに決定
令和五年四月十六日(32012歩/24.11km)西国三十三所の徒歩巡礼の初心者向けコースである、第二十六番「一乗寺」から第二十七番「圓教寺」へと続く西国古道を二回に区切って歩いてみました。長編になるので、今回は一乗寺から野里駅までの記録を残しておきたいと思います。まず、一乗寺へは姫路駅から路線バスの始発(9:00)に乗って向かいました。一乗寺の参拝は約一年ぶりです。綺麗な新緑が見れる時期のお参りもまた良いですね。一直線に続く石段を登って本堂へ向かいます。快晴の青空と国宝の三重塔
こんばんは。ご訪問くださり、ありがとうございます。こちらでは、腎不全のかたのためのお役立ち情報などを中心にご紹介しておりますが、病気平癒祈願などの関係で神社仏閣参拝についてもご紹介をしております。今日は、比叡山の無動寺谷辨天堂と、そちらで毎日修法されておられます護摩供についてご紹介します。【12/28の加筆について】2023年12月28日に護摩供に参加したところ、最初にこの記事を書いた同年11月当時とは変更になった点がかなりあるほか、輪番様(住職様)から、写真を撮ってブログアップ