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相応和尚比叡山の千日回峰行は、「此の峰を巡礼し山王の諸祠に詣じて毎日遊行せよ」と、根本中堂の薬師如来の夢告を受けて相応和尚によって始められました。なぜ歩くか。行を始めて最初の700日は、自分のために祈って歩きます。何を祈るか。他人のために祈れる資格を自分が得られるようにと祈るのです。700日目と701日目の間に、千日回峰行中最大の難行「堂入り」があります。自利行(自分のために祈る)から他利行(人のために祈る)に移る節目の行です。9日間、断食、断水、不眠、不臥といい、つまり一切食べ物も水も
東博の特別展へ行った際には、いつも上野公園内の寺社を巡っているのですが、寛永寺まではなかなか足を延ばせなかったのですが、今回約9年ぶりにお参りさせていただきました🙏『東叡山寛永寺』東叡山寛永寺円頓院天台宗寺院ご本尊薬師如来創建寛永2年(1625)開基徳川家光開基天海大僧正京都の鬼門(北東)を守る比叡山に対し「東の比叡山」として建立された寛永寺。天海さんは、天台宗の拠点として江戸に寺院を造営したいと考えており、それを受けて将軍徳川秀忠公が現在の上野公園の地を天海さん
◇子連れの坊さん、勉強する、(酒井雄哉大阿闍梨)将来、住職になれるかどうかの保証も何もない四十の男が、食事の世話から掃除、洗濯、買物、子どもの遊び相手まで、ひたすら小僧になりきって働いた。それに学校も加わった。昼の疲れから、いつも夜八時頃にはぐうぐう寝ていた。ある夜、夜中に目がさめたら、書斎に明かりがついている。覗いてみると、小寺師が一生懸命勉強していた。次の日も次の日も、同じように勉強している姿は変わらない。学校に行くようになって、酒井阿闍梨は、「えらいことになったなぁ、とおもったんだ
【7月15日】京都市東山区にある天台宗妙法院門跡塔頭香雪院さんへ。15日阿弥陀如来御縁日の御朱印。
続きましてこちらは8年ぶりとなる『浄名院』へ♪寛永寺のお向かいにございます✨『東叡山浄名院』天台宗寺院ご本尊阿弥陀如来創建寛文6年(1666)開基圭海大僧都寛永寺三十六坊の一江戸六地蔵第6番浄名院は「八万四千体地蔵」と「へちま供養」でもよく知られています。☆浄名院江戸六地蔵こちらはかつて江戸六地蔵第6番があった深川永代寺が、明治維新の時に廃寺になったため、それと日露戦争の戦没者を弔うため、明治39年に新たに建立されたものです。☆へちま地蔵尊八万四千体地蔵の
阿闍梨【外伝】一隅を照らす1995年生まれの女性僧侶が語る、今に生きる親鸞の教えー片岡妙晶(真宗興正派慈泉寺僧侶)❀天台宗ではありませんが、興味深く読ませて頂きましたのでご紹介させて頂きます。引用2023年8月28日中央公論編集部生きづらさを救った親鸞の教え──なぜ僧侶になったのでしょうか。私はお寺の生まれで、僧侶はもともと身近な存在でした。生まれ育った慈泉寺(香川県まんのう町)は創建500年。祖父が先代、父が現在の住職を務めています。高校卒業後は京都の美術短大に進学し
✱豊川荼吉尼天様東京別院奥の院拝殿に飾られている絵人気ブログランキング稲荷神荼吉尼天その2荼吉尼天(だきにてん)荼枳尼天はどの様な人の願いも叶えて下さる優しい女神です。荼吉尼天は未来を見透せる神力を備えています。失礼が無い限りは怖い神様ではありません。福をもたらしてくれる神様ですので安心して下さい。荼枳尼天はどんな人の願いも聞き届けてくれると言われ、古くから身分の高い低いに関わらず多くの人が様々なお願い事を祈願し願いを聞き届けてくださっていたと言います。荼吉尼天は参拝
笈摺(おいずる)の語源は、笈(背に負う物)から着物を守るために着用していた白衣です。昔は今と違い、巡礼中に命を落とす事もありましたから、もしもの時はそのまま埋めて貰えるよう...死装束も兼ねていたと言う事です。観音巡礼の笈摺は、基本的には【南無観世音菩薩】や【南無大慈大悲観世音菩薩】と記されている物を羽織る事になります。観世音菩薩の霊場巡礼ですからね。四国遍路と兼用されてらっしゃる方なら【南無大師遍照金剛】、他には【南無阿弥陀仏】の笈摺を着ておられる方もいます。厳密には違うのですが、個
阿闍梨【外伝】一隅を照らす❖『道心』道心の中に衣食あり衣食の中に道心なし引用臨済宗妙心寺派大本山妙心寺法話の窓第二五三世天台座主山田恵諦探題大僧正筆これは天台宗伝教大師最澄の『伝述一心戒文(でんじゅついっしんかいもん)』の中のお言葉であります。道心とは、仏教を学び実践する心をいい、衣食とは、衣食住の生活環境のことです。道を求めて努力を重ねる向上心があれば、その目的を達成するのに必要な衣食住は、十分とはいえないまでも、おのずとついてくる、一方いくら生活に恵まれていても、
【京都】新たにステキな【御朱印】がいただけます今回お受けした【香雪院(東山聖天)御朱印】御朱印帳にいただきました※通常御朱印2種類あり【山門】【花手水】【本堂】【宗派】天台宗【山号】宝山【寺号】香雪院【御本尊】聖天尊(歓喜天)【霊場】尼寺三十六所霊場11番札所【通称】東山聖天江戸時代初期妙法院23世・尭恭親王が妙法院の丑寅の方角にあたるこの地に慈覚大師が唐から持ち帰ったと
阿闍梨【外伝】一隅を照らす❖ご縁とは引用天台宗公式サイト法話集「ご縁」とは護摩木や祈祷札の願意を拝見いたしますと「良縁成就」と書かれてあるのをよく見かけます。また「悪縁断絶」などというものもあります。「縁結び・縁切り」。良いことは自分に来るように、悪いことは自分には来ないようにというのは、誰もが共通した願いでしょう。この「縁」という言葉は「縁起の法」「十二因縁」などといい、お釈迦様が悟りを開かれて最初に弟子たちにお説きになった根本教理の一つ、悟りの内容そのものであります。「
●慈恵大師(じえだいし)(※画像は文化遺産オンラインより)(愛媛県鬼北町の等妙寺所蔵「絹本著色慈恵大師像図」)天台宗の第18代座主。延喜12年(912年)に近江国の豪族の子として生まれ、12歳頃(15歳頃とも)に仏門へ入り「良源(りょうげん)」の名を与えられる。元は低位の僧であったが、才知に優れた人物であったため、数え55歳となった年に座主にまで上り詰めた。永観3年(985年)1月3日に入寂。「慈恵大師」を謚名と与えられ、また1月3日が命日であるため「元三大師(がんぞ
❖食事は一日二回千日回峰行のうち、七百日までは自利行という自分が不動明王に近づくための修行をする。そのうち百日につき一日だけは、利他行といい、人のために祈る修行をする。七十五日目のこの日、『京都切廻り』をする。この日は比叡山を下り、京都市中四十五キロを行をしながら歩く。多くの人々が沿道にひざまづき、首(こうべ)を垂れて阿闍梨さんのご加持を待つ。不思議にこの日には便意をもよおさないと阿闍梨さんはいう。千日回峰行中でも最高に体調がよいときは何日も便意がない。便そのものが体中にないのだとい
比叡山時報第829号天台宗のお寺でいただきました。「比叡の新緑めぐり」開催4月27日~5月6日座禅体験や特別御朱印も弁慶ゆかりのにない堂常行堂、法華堂特別御朱印通常、にない堂の御朱印はありません。比叡山御朱印まとめ『【霊場】比叡山御朱印めぐり』170815BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」で、比叡山延暦寺の御朱印が12種類紹介されました。これ以外にも、弁才天の御朱印など、何種類かあります。●根本中堂…ameblo.jp
阿闍梨【外伝】一隅を照らす❖ステキな每日を引用天台宗公式サイト法話集椿堂本尊千手観音菩薩立像ステキな毎日を比叡山には、世界中からたくさんの人々がいらっしゃいます。海外から来られた方々から、日本という国や私達日本人の何気ない日々の生活をほめてもらえる事があり、嬉しくなったりします。「日本はどこへ行ってもゴミが少なくてきれい」、「日本は昔からの伝統をきちんと守っていて、その文化にふれると心が癒される」、「日本人はいつもマナーが良く、他人を思いやる気持ちがあり、親切だ」等々。
はんにゃいん鷹尾山般若院こんばんはご訪問ありがとうございます最上三十三観音巡り、再開です【所在地】山形県尾花沢市丹生1699【宗派】天台宗【札所本尊】聖観世音菩薩【通称】丹生村観音【札所】最上三十三観音霊場第30番由緒・歴史昔、一人の老僧が旅をしている途中、この地まで来て病気で亡くなった。老僧が目をおとす直前、「私は江戸浅草観音堂から、観世音の木像を頂いて、諸国を遍歴してきた。ここで命数つきて永眠するのも、何かの因縁でしょう。思うに観音がここに止ま
◇大阿闍梨を生んだ男小林隆彰①(酒井雄哉大阿闍梨)酒井阿闍梨の『導きの師匠』となる『小林隆彰師』とは一体どんな人物か。小林師は、昭和3年10月20日、香川県善通寺市の生まれ、弘法大師空海が生誕された土地柄だけに、古来から信仰心が篤い。小林師は幼くして父を失い、信心深い母の手で育てられたが、小学六年のときに交通事故にあったことがきっかけで出家得度した。◇土讃線でお遍路さんが私の目の前で汽車にはねられましてね、亡くなられた。その一週間後、今度は私が自転車に乗って登校する途中、同じ場所で汽
最初に断っておきますが、あくまで自我流です。僧侶の方々や、信心深い方々からしてみれば相当邪道な覚え方となっております。日々の勤行や読経に真面目に取り組んでおられる方は、真似せずちゃんとお坊さんの助言を聞いて、経典を読みながら読経することをお薦めします。...と、まあ...かた苦しい事を冒頭に語ってみた訳ですが...。宗教行為ですからね。そこは様々な考え方もあり...断っておかねばならんのです。私の様に...気休めレベルで仏教ライフを楽しんでいる人ばかりではありませんから。なので、
自己啓発書ランキング隔月(奇数月)マンガ雑誌「HONKOWA(本当にあった怖い話し)」にあった実話マンガです。僕は、このマンガ雑誌を25年間は読んでいます。連載の最初から読んでいたのですが、また読みたく成ってAmazonの古本で単行本全5巻を購入しました。案外に安かったです。とても綺麗な本でした。中古とは思えない程です。本の内容は密教を知らない人にはかなり怖いです。怪談話しでは無くて、神仏関係なので取り扱い注意な内容です。密教入門書の知識本としては良いと思います。神仏への禁秘
【調査のルール】『総本山(大本山),宗務所(宗務庁)が発行している経本』『異字,旧字,代替文字は対象外とする』〜補足説明〜【宗務所(宗務庁)】宗務所(宗務庁)は『宗派を運営する事務所』みたいなもので・総本山(大本山)→修行や経典研究など、その宗派の宗教面の中心となる組織・宗務所→法人としての法律上の事務や財務などを統括する組織みたいな感じの役割。企業でいうと、総本山は営業部門,宗務所は経営部門,みたいなイメージ。宗派によって『宗務所』『宗務庁』『宗務本所』など、名称が異なりま
4月28日春の大祭に向けて護摩木10本束を奉納して、書いて頂きました。凄く格好いい。☺️護摩木10本束奉納の受付は、4月24日まで。ご住職がいてはる時をホームページで確認して下さい。2回目は、2日灯を奉納そちらは5月1日から8日まで。
上の梵字は私、隆健の筆による、サンスクリット語・般若心経からの一文字です。ブログを途中からお読み頂いた方々の為に、過去のブログを、改めてご案内させて頂いております。なお、私のつぶやきは実生活には何の役にも立ちません。謝謝。長いこと、物質についてご案内をして来ましたが、ここから、物質とは何か?そろそろ最後のつぶやきに入りましょう。この『物質』の世界(あらゆる物質世界)をひとつひとつ把握することが『密教の瞑想』に必要です。なぜなら、ひとつひとつの『物質』を『空』の世界に転換(消滅)することが
来福寺を後に、再びお寺横の緩やかな坂を今度は上がって、商店街の通りに出たら左に5分ほど歩くと、また坂があり、その途中に大福生寺があります。一見、神社かと見まがうような入口ですが、天台宗の寺院です。このような形の鳥居は山王鳥居と呼ばれる。大福生寺(だいふくしょうじ)山号:三宝山院号:神護院寺号:大福生寺宗派:天台宗ご本尊:大聖歓喜天、十一面観音菩薩札所:東海三十三観音霊場十六番江戸時代の中期、老中松平定信が霊巌島(現中央区)にある吉祥院に祀った
人気ブログランキング弁財天(弁天様)弁財天にはニ種類いらっしゃいます。天部メンバーの女性アイドル弁才天・弁財天(べんざいてん)は、美人の天女というだけでなく、農業、音楽から始まって学問・芸術・財福・智慧・延寿その上弁舌も立つうえに、梵天の妃と云う方です。七福神の中の紅一点です。・手が二本の弁財天(天女尊)は、学問・芸術を司る神様です。・頭上に宇賀神様を乗せた弁財天様は宇賀弁財天と呼ばれます。五穀豊穣と戦いの神様です。また、美人に成りたい、娘さんを美人にしたいなら、弁財天(弁天
阿闍梨【外伝】一隅を照らす❖幸せに生きる引用天台宗公式サイト法話集青年時代伝教大師像JR比叡山坂本駅前幸せに生きる法華経の教えに生きとし生けるものはすべて仏になることが出来ると説き、この世のすべてのもの、私たち人間も動物も草木もすべてに尊い命があり、差別なんて無い、無駄なんて無い、みんな一緒だと。全ての命はみんな平等だと考えます。幸せはなぜ平等に与えられていないと思われているのか?今の世の中お金があれば何でも出来る時代です。美味しいものを食べたり、旅行したり、
◇比叡山への道(酒井雄哉大阿闍梨)戦後、GHQによる「神道指令」により、国家神道は廃止され明治維新後から廃仏毀釈により肩身の狭い思いをしてきた伝統仏教教団や、戦前から厳しい規制にさらされた新宗教も息を吹き返しおびただしい数の宗教、宗派、団体が派生しました。「信仰の自由」は広く庶民にも浸透していた。酒井阿闍梨の叔母は、比叡山の弁天さまを篤く信仰していました。「お山に行かへんか。」妻に先立たれ毎日を放心状態で過ごす酒井阿闍梨を立ち直らせるには何か精神的な支えが必要であると考え、ある日、
禅宗のお坊さんは『指導』とか『警告』って意味で、指をパチンと鳴らします。※密教だと『印』の一部なので、伝授が必須禅宗の場合だと『道場の中で言葉を発してはならない』という規則があるそうで、指を鳴らして警告するのだとか。この指鳴らす動作。マジシャンの方々のものと禅宗のもので、手の形が違います。【弾指(たんじ)】修行道場で指パッチン?修行僧がみんなビックリする音#曹洞宗#仏教#お坊さん#禅活お坊さんの必殺技!?【弾指(たんじ)】についてご紹介します!・弾指を実演・弾指のやり方・弾指
黒壁山薬王寺九万坊大権現(´Д`)。奈良時代の養老二年(718)に泰澄大師が開いたとされるお寺です。九萬坊・八萬坊・照若坊の三聖をお祀りし、伏見川を見下ろす山腹の岩洞に祠があります。これが現在の奥の院です。◯宗派:天台宗◯御本尊:八萬坊大権現・九萬坊大権現・照若坊大権現◯所在地:石川県金沢市三子牛町本日は奥の院に向かう参道についてご紹介したいと思います。写真が多いので、数回にわたってお送りしたいと思います。奥の院参道こちらが奥の院参道入り口です。本堂の裏にありました。
【福島】お盆でお忙しい時期でしたので今回は事前連絡の上御朱印帳をお預けさせていただく形でリベンジ参拝させていただきました。【鳥渡観音寺御朱印】【鳥渡観音寺御朱印】【鳥渡観音寺御朱印】【山門】【観音堂】1737年現本堂にお祀りされてたいた聖観世音菩薩像を安置するため建立。【本堂】【宗派】天台宗【山号】瀧寿山【院号】普門院【寺号】【御本尊】阿弥陀三尊来迎像築380年が経ち平成
【4月2日】京都市東山区にある天台宗妙法院門跡塔頭香雪院さんへ。4月の御朱印。