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❖大阿闍梨の道比叡山に取り憑かれた三人の阿闍梨三章酒井雄哉生々流転の行者142千日回峰行は、最初は一日三十キロ、六年目になると一日六十キロ歩く。七年目は一日八十四キロ歩く。いっぺんに八十四キロと思うと、目の玉が飛び出しちゃうかもしれない。でも、あそこから清水寺さんまで行って、拝んで、次は三年坂をみて下をずーっと降りて、ここを拝んで、、、って、長い道のりもちょっとずつ頭の中で細かく区切りながら歩いて行くと、いつの間にか終点についちゃうんだと雄哉は簡単に言う。行の集大成の京都大廻りのとき
こんにちはココロカラダハッピーLABOまこです鎖骨と肩関節を後ろに回すとイタッという微妙な痛みがあって(多分、PCの使い過ぎ)はしもと先生に漢方処方していただいたのですが松本阿闍梨先生(はしもと先生と一緒に人助けなさっていらっしゃいます)の所へ行かれた方が瞬時に腰痛が治ったというお話を聞いて天龍神社さんへ行ってきました。とってもいいお天氣で日差しが強く暑くて暑くていい色にこんがりと焦げました少しはやく着いたので
❖大阿闍梨の道比叡山に取り憑かれた三人の阿闍梨三章酒井雄哉生々流転の行者127そうして雄哉は、歩くことを大きくいろんな方面から見てきたらこそ、色んな形に応用できるという。他愛もない日常でも、例えば、うろうろ歩いていると、いろんなものがちょこちょこ目につく。それで、「これ、いいな」と思って買ったものを、仕事に行く時にぶら下げていく。そうすると、周りの人から「阿闍梨さん、買い物上手だなあ」とか、「どこでそんなセンスを身につけたの?」って聞かれることがある。しかし雄哉にしてみたら、買い物が
今できることをやればいい酒井雄哉大阿闍梨「人生とはなにか?」と聞かれたら、それは自分を知ることだとか、自分を知ることが悟りだ、なんてよく言われる。人生を生きていくうえでは、自分をよく知ることがとても大事なことなんだよ。どんなときでも、最終的には自分が頼りだからね。物事の善し悪しを判断するのは、自分以外にいないし、自分の人生を、他の人が代わりに生きることもできない。行動するのは自分だから、どんな問題でも、答えは自分で見つけなければならないんだ。そうは言っても、道に迷っている人や、自
❖大阿闍梨の道比叡山に取り憑かれた三人の阿闍梨三章酒井雄哉生々流転の行者132人間は、神様や仏様に、この世に生かしてもらっているが、神様や仏様に頼ってばかりの、他力本願では自分の役割は果たせない。人生の節目になると、神様や仏様に拝みに行く人が沢山いる。『受験に合格しますように』とか、『いい会社に就職できますように』などと、みな一生懸命拝んでいるが、ただ拝んでいるだけでは、うまくいかない。神社の絵馬に『受験合格祈願』と書いて『もう拝んだからいいや』と思って遊びに行ってしまったら、受かる
酒井雄哉大阿闍梨の世界七十四護摩堂の完成と十万枚護摩供昭和五十八年十月二十八日、比叡山の中で北に位置する飯室谷で、大護摩堂の落慶法要が、山田恵諦天台座主をはじめ一山の僧侶、工事関係者、多数の信者らが参列して営まれた。比叡山の無動寺谷にしかない十万枚の大護摩の焚ける護摩堂を飯室谷に建立しようと、全国の信者が勧募して、舞台付きの木造二層本瓦葺きの壮麗な護摩堂を完成させ、この日に至った。これによって、飯室谷で初めて十万枚護摩供を修することができ、事実上、飯室回峰行の本拠地が誕生した。この陰には
酒井雄哉大阿闍梨の世界三十二子供の時からそうらしいんだけど、何か大きなことが始まると、すぐに寝る癖があるんだ。人に会うのが億劫になって、何も考えずに寝てしまう。周りが、「千日回峰だ」「堂入りだ」「赤山苦行だ」「十万枚護摩供だ」と騒いでも、本人は案外ケロッとしているんだ。何も考えずに寝てしまって、パアッと起きあがって、すぐに行に入ってしまう。人間が変わっているんだろうね。『酒井雄哉大阿闍梨の世界三十一』酒井雄哉大阿闍梨の世界三十一毎日歩いていると、動物とおんなじになるのかなあ。石ころも
酒井雄哉大阿闍梨の世界四十三千日回峰行とは、どんな行なのか④六年目の百日(八百日)は、比叡山を巡拝するほかに、京都修学院にある赤山禅院にお参りする。住復約二十数キロの行程が加わるから、これを「赤山苦行」という。九百日は、「京都大廻り」といい、比叡山を巡拝した後、京都に下り、京都市内の神社仏閣を巡拝して宿泊。翌日は京都を同様に一巡して山に帰り、比叡山を巡拝して自坊にもどる。これを百日間繰り返すことになる。この間の行程は一日九十五キロ(飯室回峰の場合)にも及び、特に京都市内では信者にお加持も
酒井雄哉大阿闍梨の世界七十六完比叡山千日回峰行者の歴史比叡山の千日回峰行は師資相承の形で、千百年以上の歴史を刻んできた。元亀二年(一五七一)、織田信長の比叡山焼き討ちによって、多くの資料が焼消し、残念ながら、それ以前の文献を求めることはできないが、それ以後の記録は『大行満名帳』などによって、回峰行者の歴史を知ることができる。これによると、天正十三年の幸運大僧都の千日満行以来、酒井阿闍梨は四十六人目の回峰行者となり、しかも二千日を満行したものは、わずか三人しかいない。小寺文潁師の書かれた「玉
酒井雄哉大阿闍梨の世界六十五回峰行最大の難関の堂入り千日回峰行の最大の難関は「堂入り」という荒行である。七百目の回峰行が終わって、その日から九日間、不眠、不臥、断食、断水で不動明王に祈りを捧げ、十万遍の不動真言と『法華経』全巻を唱える。文字通り、死を賭した行である。酒井阿闍梨はこの荒行を二度行なっている。昭和五十三年十月と昭和五十九年の二回である。酒井阿闍梨は最初の堂入りに先立って、「ここに愚鈍の行者雄哉、日畢生の悲願を凝らし、九日間断穀、断水、心身を清めて不動明王の心地に到達せんことを期
直木賞の「カフェーの帰り道」の時にノミネートされた「白鷺立つ」を読み終えた。これは松本清張賞を受賞している。賞のことを書きたいのでなく、久々に心打たれる本に出会って、しみじみと静かに読後感に浸っている。読書好きの人にはお勧めしたい。300頁位の本。たまに面白くない本だと斜め読みしたりとばすこともあるが、この本は一字一句かみしめて読んだ。この本を手に取ったのは友達の影響だ。その人をAさんとしよう。気に入ったら何度でも同じところを訪ねる人で比叡山に何十回と通ったと聞いた。叡山に呼ば
❖大阿闍梨の道比叡山に取り憑かれた三人の阿闍梨三章酒井雄哉生々流転の行者125雄哉はどこかへ行くと、その時、些細なものでも、必ず何か買ってきてみんなに「これ、あげるわ」と渡す。そうすると、「お土産ありがとうございました」ってニコニコして、ちょっと下がってペコンと頭を下げる。そんなの見てると、こんなに喜んでくれるんだから、どこかへ行ったら、また何か買ってこようかな、という気持ちになって嬉しくなるのだ。喜ばれるということは、自分も嬉しいし、仕事に行った甲斐もある。だから、安心して出かけら
❖大阿闍梨の道比叡山に取り憑かれた三人の阿闍梨三章酒井雄哉生々流転の行者137雄哉がかねてから行ってみたいと思う国にブータンがある。本などを読むと、ブータンの人たちは、いまだに輪廻転生の世界観の中で生きているそうだ。たとえば、目の前を野良猫が通りすぎたとしても、ブータンの人は、この猫は何代目かのご先祖の生まれ変わりかもしれないと考えるという。決していじめない。蚊がいても叩いたりしないで、飛んで行くまでじーっと見ている。目の前の蚊も、足元にいるアリも、もしかすると自分たちの親類だったか
続・一日一生続・一日一生仏教では、この世で人間には避けることのできない四つの苦しみがある、と説きます。「生老病死」の四苦です。「死(死ぬこと)」などと同じように「生(生まれること、生きること)」も、四苦に含まれています。人間は、ただ一直線に「老」「病」「死」へと流れていくためだけに生きていくのだ、と捉えることもできます。だとしたら、私たちは生老病死の苦しみをどう乗り越え、生きていったらよいのでしょうか。本書では、二〇一三年九月に八七歳で逝去された天台宗大阿闍梨・酒井雄哉師が「生老病死」に
酒井雄哉大阿闍梨の世界十ニ仏教でいう慈悲って言葉?さあ、どういったらいいだろうね。母親みたいな存在かなあ。子供を産み、育てるのに何の分け隔てもなく愛情をそそぎこみ、しかも何の報酬も求めない。自分は行者だから、そんなことできないから、拝むだけやね。どんな人だろうと分け隔てなく、拝ませてもらうだけや。『酒井雄哉大阿闍梨の世界十一』酒井雄哉大阿闍梨の世界十一常行三味をやることに対して、師匠の小寺先生は、最初反対だった。規則まで変えて、せっかく三年籠山の仲間に加えてもらったんだから命を
酒井雄哉大阿闍梨の世界六十八伝統ある回峰行者の夏の荒行比叡山の回峰行者にとって、絶対に欠かすことのできない修行に「葛川夏安居」がある。これは毎年七月十六日から二十日まで、千日回峰行者、百日回峰行者らによって、裏比良の葛川明王院で、回峰行の始祖・相応和尚を偲んで行なわれるもので、「葛川入寺」とも呼ばれている。相応和尚の遺徳を讃えるとともに、その苦行の一端を体得し、同時に不動明王に一歩でも近づこうとする、千年を越す長い歴史を受け継がれてきた伝統ある回峰行者の夏の荒行である。相応和尚の苦行とはこ
酒井雄哉大阿闍梨の世界二十四飯室の回峰行は、だいたい一時半に飯室を出峰して、帰ってくるのは九時半頃だね。四十キロを八時間ほどかけて歩くんだけど、馬力をかけていけば七時間で廻れないことはないの。だけど、一週間や十日間ぐらいの行じゃないからやっぱり、ペースだけは守らないと、無理すれば、必ず目に見えない疲労がたまるからね。『酒井雄哉大阿闍梨の世界二十三』酒井雄哉大阿闍梨の世界二十三回峰中に辛いことはないかいって。そりゃ、ないと言えばウソになる。でも、辛いからっていったって、引き返すわけにはい