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酒井雄哉大阿闍梨❖一度で成功する人はいない一度で成功する人はいない人生なんてものは、経験の積み重ねだからね。積み重ねていく間には、失敗なんかなんぼでもある。失敗は失敗と認めて、それを踏み台にして、前に進んでいけばいいんだよ。何をするのだって、いっぺんで成功する人なんてなかなかいない。逆にスムーズに成功したら、あとになってからが怖いよ。失敗したときは、必要な経験を積んでいるんだ、教えてもらっているんだと思うことだね。戦後間もないころ、手づくりのラジオが流行ったけれど、あれ、聴きたい局
◇酒井阿闍梨「出堂」をみる、(酒井雄哉大阿闍梨)昭和35年、のちに「赤山の御前さま」と呼ばれる叡南祖賢師の筆頭弟子、「叡南覚照師」が満行、戦後五人目の「小林栄茂師」が六年目、六人目の「宮本一乗師」が「堂入り」の儀式に入るなど、無動寺谷では千日回峰の行が相次いだ。(昭和53年10月26日の堂入り前(右)と11月3日出堂(左)の酒井雄哉大阿闍梨)行道に生きる東京の大成建設で働き出した末弟の昌幸が東京から遊びに来た。「いいところに連れていってやろう」、酒井阿闍梨は比叡山の無動寺谷に誘った。こ
酒井雄哉大阿闍梨❖ダメ人間も変わる「一日一生」の極意北嶺大行満大阿闍梨酒井雄哉大僧正―何よりも実践を重んじる。それが酒井雄師の生きざまだ。「大行満大阿闍梨(だいぎょうまんだいあじゃり)」など最高位の尊称を持つ高僧だが、その経歴はいささか異色。特攻隊からの復員後、さまざまな職業を経たのちに僧侶としては異例の40歳で得度し、数々の修行を重ねた末に、比叡山に伝わる最大の難行「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」を2度も満行した。これは歴史の残る天正13(1585)年以降、3人目という偉業
❖尼僧を強姦し14年間監禁・性加害…住職に蛮行を促し尼僧を「ロボット玩具」にした80代"生き仏"の地獄の所業3/5(火)14:17プレジデントオンライン▷天台宗は空中分解してしまうことも十分あり得るだろう。◁■天台宗の開祖・最澄も泣いている…大阿闍梨が性加害に“加担”「日本仏教の母山」として知られる天台宗(総本山・比叡山延暦寺)が、高僧の性加害をめぐって揺れている。四国に住む住職が、尼僧を14年間にわたって監禁、性暴行、恫喝などを繰り返していたというのだ。そこに、後述する千日回
今日も見えない世界がはたらきかけてきた不思議な話です。輪王寺の護摩祈祷でもらったおふだを寝室に飾ってからよく眠れるようになってとても助かっているんですがあるとき夜3時頃だったか変な時間に目が覚めて眠れないということがありました。起きたはいいけど何もする気になれない…。しかたなくリビングのテレビをつけました。以前、見えない世界が私にあるお寺を見せたくて夜中に私を起こしてテレビをつけさせたということがありました。
律院(りついん)御朱印*山号【比叡山】*院号【律院】*寺号【】*正式名称【比叡山律院】*宗派【天台宗】*ご本尊【釈迦如来】*札所等【びわ湖百八霊場第10番札所】*開基【玄俊】*創建年【1583年】*住所【滋賀県大津市坂本5-24-13】律院はかつては松禅院という比叡山・横川の総里坊であったとされています山号は「比叡山」坂本には比叡山の延暦寺で修行を積んだ老僧の隠居坊、「里坊」と呼ばれるものが50近くあるそうです律院も里坊の1つ小さなお寺のようです
◇延暦寺の総理大臣小林隆彰②(酒井雄哉大阿闍梨)延暦寺の僧侶の階級は、権律師・律師・中律師・大律師・権少僧都・少僧都・僧都・権大僧都・大僧都・権僧正・僧正・権大僧正・大僧正と十三の位(階級)があります。その他に、長臈など呼び名がありますが、探題大僧正が最上位にありその筆頭が『天台座主』、次席が次の座主になるなど厳格に規定されています。一方、『天台宗』という宗教法人も存在します。こちらは天台宗の寺院を包括するもので、事務一切仕切るのが「天台宗務庁」になります。『天台宗総本山延暦寺』、組織
入院中そして退院後、食生活が変わった。というか変えざるを得なくなった。僕自身は妻の協力(強力?)もあり、自分としても今のところ受け入れており、我が家で言ういわゆる"優しい"食事を心がけている。ブログ等を見ていて興味深いのは、似たような境遇の人でも食欲に負けて、食べたいものを食べてしまう人もいるようであるということ。しかもそれは子供で分別がつかないからとかでもない。いい大人が妻に隠れて唐揚げを食べてしまい、それを妻が偶然見つけてしまい怒る💢といったものだった。確かにそういう生き方もあって
花の師匠に誘われて急遽、比叡山無動寺明王堂へ。そこはどこ???仕事でもプライベートでも何度も比叡山には行っていますが聞きなれない名前。調べると根本中堂の近くっぽい。坂本ケーブルの選択肢もありましたが足の悪い師匠のことを考えて車で行くことにしました。あまり運転、得意ではないのでドキドキです。当日は、3月なのに雪が舞降っています。結構、ちらついてきた。無事帰れるのか心配。ともかく、根本中堂目指したらなんか表示あるかなーと進んで行きましたが。。。分から
先日、比叡山無動寺に行ってきました。何も知らずに訪れましたがそこは阿闍梨さまが護摩をたいてくださるとても特別なお寺でした。大体のいきさつはこのブログをみてくださいね。さて、ぜひ行ってみたいという方に行き方、注意点など簡単にまとめました。比叡山無動寺明王堂滋賀県大津市坂本本町4220TEL0775-78-0450護摩行は大体、毎日11時~されています。阿闍梨さまがご不在の時などもありますので前もって電話で確認したほうがいいとのことです。・比叡山無動寺明
律院の住職、千日回峰行者、叡南俊照(えなみしゅんしょう)大阿闍梨の7年に渡る壮絶な修行「千日回峰行」を撮影したカメラマンの方が頸椎手術を受けました。一流の人は一流の人を選びます。医療法人社団親和会京都木原病院京都木原病院はK-methodをはじめとする低侵襲(負担の少ない)で安全な手術や治療をひとりでも多くの方々に知ってもらいたいと考えます。そして、手遅れになる前に治療させていただくことにより、車椅子や寝たきり予備軍の人々を救い、ひいては地域や社会の健康寿命を延ばすこと
❖比叡山行院今日は久しぶりに比叡山の行院(ぎょういん)に伺いました。比叡山行院は、比叡山の一番奥「横川(よかわ)」の元三大師堂のもう一つ奥にあります。ほとんど人の訪れることのない静寂な聖域です。天台宗の僧侶となるには、まずお師匠さまの弟子になって「得度式」を受けさせていただきます。得度式はお坊さんとしてのスタートで、仏さまの弟子として精進していくことを誓う大切な儀式です。得度式を終えた後は、しかるべき時期に行院での60日間の修行に入ります。大学在学中か卒業後に入る人が多いかなぁ。
◇幻の常行三昧(酒井雄哉大阿闍梨)酒井阿闍梨は百日回峰を無事に終ると、次の行に入ることを義務づけられていた。三年籠山中に果たさなければならない修行として、祖廟浄土院での侍真奉仕、百日回峰、そして「四種三昧」のうちから「常坐三昧」か「常行三昧」のどちから一つ、この三つが定められている。四種三昧とは、比叡山で最も歴史的が古く、基本的な修行で、「常坐三昧」「常行三昧」「半行半坐三昧」「非行非坐三昧」の四種をさす。これは天台宗の高祖、中国の天台大師が法華経の修行法を説いた「摩訶止観」に示されている
今年の3月4日、香川県に住む50代の女性Eさんが同県にある天台寺院の住職から十数年に渡り性暴力等を受けた事により、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症したとして、滋賀県大津市の天台宗総本山・延暦寺の事務所を訪ねて被害を訴えている。被害者の女性Eさんは今年1月、都内で開いた会見で「長い間、僧侶Aから性加害や恫喝、暴力による心理的監禁を受けて参りました。」と語り、2009年から約14年間に渡ってこの寺の60代の坊主に心理的に支配されていたと明かした。又、彼女の代理人弁護士は会見で「僧侶A(6
前回のこの不思議な話には実はまだつづきがありまして。『夜、誰が私を起こしているんだろう』今日も見えない世界がはたらきかけてきた不思議な話です。輪王寺の護摩祈祷でもらったおふだを寝室に飾ってからよく眠れるようになってとても助かっているんです…ameblo.jp今日はそのつづきです。45年前のNHK特集『行~比叡山千日回峰~』が再放送されて1週間くらい経った頃です。夜、私は寝ようとしてリビングでつけっぱなしになっていたテレビを消
天台宗、比叡山延暦寺には「千日回峰行」という荒行が伝わっています。比叡山には三つの地獄があるそうで、元三大師堂の看経地獄、浄土院の掃除地獄、回峰行の回峰地獄、この三つを地獄と称するそうです。が、一日回峰行の際、先達を務められた小鴨覚俊師によれば、○○地獄等というのは外の世界から見てそう呼ばれるのであって、実際に行じている僧侶からすれば幸せなんだとか。伝教大師御廟の前で、「掃除地獄」の只中にある侍真僧の読経を聞きつつ、そう説明を受けたのを思い出しますね。僧侶からしてみれば、いずれの地獄
先日、友人の子どもが自死を選び、亡くなりました。まだ10代で、ショックと悲しみはもちろんのこと、誰よりも辛いであろう友人のことを考えると、どんな気持ちで過ごせばいいのかわかりません。自死に対して仏教ではどのように考えるのでしょうか?こんなとき、どうやって前に進むのでしょうか。ど~も~でっかいおっさんです。自殺をすべきではないし死にたいと言われたら全力で止めないといけません。ただ自殺は本人が
2022年4月に投稿した記事を再投稿させていただきます。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆『和食の底力』を読んでいたら、そばは日本を救ってきた救荒植物であること、またそば好きに長命が多い理由が分かったので、そばの栄養などについてまとめてみます。日本を救ってきた救荒植物そばはタデ科の植物で、5月から6月にかけて栽培される夏ソバと、9月から栽培される秋ソバがあるそうです。痩せた土地や寒冷地でも育つ強靭な生命力を持ち、植えて50~70日で
【外伝】正井観順大阿闍梨①比叡山の荒行『千日回峰行』、二千日を満行した行者は三人。その中に三千日に挑んだ行者がいた。正井観順大阿闍梨その人である。前回の投稿で、小林隆彰師の書籍から正井阿闍梨の足跡を紹介させて頂いたが、阿闍梨についての文献は少ない。その中で、正井阿闍梨の故郷、青森県黒石市が地元の中学生に向けて「伝記」をつくっているのでご紹介させていただきます。(正井観順大阿闍梨)「大廻りのあじゃりさんがいらはったよお母さん、早うおいで」「はいはい、カンジザイボーサーツ、ハンニャハー
◇堂入り①(酒井雄哉大阿闍梨)いよいよ、千日回峰の行のなかでも一番の荒行といわれる「堂入り」である。無動寺回峰では天正年間以来、四十五人がこの「堂入り」を満行してるが、飯室回峰は永く絶えていたばかりでなく、「堂入り」するお堂がなかった。飯室回峰の酒井阿闍梨の堂入りをどうするか、先達会議が開かれた。いくつかの古い書類も持ち出されたが、無動寺のなかに「七百日以降は本流に従うべし」という一項目が記されていた。先達会議の結果「堂入り」八百日目の「赤山苦行」「京都大回り」も無動寺谷で行なうことに決定
相応和尚比叡山の千日回峰行は、「此の峰を巡礼し山王の諸祠に詣じて毎日遊行せよ」と、根本中堂の薬師如来の夢告を受けて相応和尚によって始められました。なぜ歩くか。行を始めて最初の700日は、自分のために祈って歩きます。何を祈るか。他人のために祈れる資格を自分が得られるようにと祈るのです。700日目と701日目の間に、千日回峰行中最大の難行「堂入り」があります。自利行(自分のために祈る)から他利行(人のために祈る)に移る節目の行です。9日間、断食、断水、不眠、不臥といい、つまり一切食べ物も水も
21日(日)、吉野から山上ヶ岳まで大峯奥駈道を往復してきた。大峯奥駈道で『大峯千日回峰行』が行われるルート。行~比叡山千日回峰行~千日間、一日四十キロの山道を歩くという荒行youtu.be昔、比叡山の千日回峰行を行われた酒井阿闍梨のTV番組を見て、カッコいいと思った。大峯千日回峰行の道を行く修験道・塩沼亮潤の世界大峯千日回峰行の道を行く修験道・塩沼亮潤の世界2020年10月18日(日)BS1スペシャルNHKBS1https://youtu.be/GK_wOWELKZUy
パソコンが2週間の入院になったので、スマホで慣れない投稿をしている鹿吉です。こんばんは!購入したときから動きが悪くって、いろいろと努力をしていたんですが、CPUの性能だけ重視したのが敗因でした。その性能に見合うメモリとハードではなかったので、新しく移植することが決定したんです。無事に退院してくれること、期待しています。さて本日は母がいただいた言葉を改めて思い返して感銘を受けたので書かせてください。過酷な行としても有名な千日回峰行を満願された偉大な阿闍梨さまの講演会に行ったときのことで
比叡山の千日回峰行とは別に、吉野の金峯山で行われている大峯千日回峰行については何度も推敲の上で再投稿しているのだが、まだまだ誤解されている方が世の中には多いようなので、改めてまとめてみることにする。さて、この大峯千日回峰行という行は、1000年以上の歴史がある比叡山の千日回峰行を模して、近年に始まったものだ。つまり、この行自体は新しい行なのだが、大峯山を始めとする各地の山岳霊場を開いたとされる役行者は7世紀頃の人だから、大峯山の歴史そのものは、比叡山より古い。ちなみに、
ご覧頂きありがとうございます実は本日、とても貴重な体験を致しました....タイトルにも書いちゃってますが...(笑)光永圓道大阿闍梨様の護摩祈祷を見学し、お加持も受ける事が出来ました!!!!【光永圓道】2003年より千日回峰行と十二年籠山行に入る。2007年10月13日午後1時すぎ、無動寺谷明王堂において行の最難関である「堂入り」に入り、10月21日午前3時頃に満行。堂入りを達成した行者としては、2001年の藤波源信師以来6年ぶり
荒行、なんのためにするものなのか。死と隣り合わせのものらしい。断食と断水。それを乗り越えて何をつかむのか。それは、助けてくれる方々のありがたさ。1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書Amazon(アマゾン)2,000〜7,496円1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書Amazon(アマゾン)1,748〜88,800円
久しぶりの更新となりました(。-人-。)8月末、お不動さまにお参りしてまいりました✨葛川息障明王院は比叡山無動寺谷の奥院です。貞観元年(859年)円仁和尚の師弟である相応和尚が厳しい修業の末に生身の不動明王を感得しその木像を安置したのが始まりといわれています。天台修験の道場として現在も回峰行の行場として信仰を集めています。とても厳かな空気が流れているように感じるのは・・・ここへ来たのが2回目で1回目は「夏安居げあんご」により
❖阿闍梨【外伝】赤山禅院今回は、日頃ご紹介しています、酒井雄哉大阿闍梨さんの足跡とは少し離れますが、千日回峰行の大切な修行の一つ『赤山苦行』の舞台である、『赤山禅院』をご紹介します。赤山禅院山門赤山禅院について由緒赤山禅院(せきざんぜんいん)は、平安時代の仁和4年(888年)に、第三世天台座主円仁の遺命によって創建された、天台宗総本山延暦寺の塔頭のひとつです。慈覚大師円仁(794年〜864年)は、838年、遺唐使船で唐に渡り、苦労の末に天台教学を納めました。その行程を守護した
☆【外伝】三千日の回峰行を目指した行者正井観順大阿闍梨②あどけないトシ、テイ、リウの三人の童女は、父親との永遠の別れのことを露知らず無心の寝顔をみせていた。一八九四(明治二十七)年四月、猿賀の神宮寺と仙台の仙岳寺の紹介状をたずさえて、覚蔵は黒石を出た。首には、父母と一昨年亡くなった姉のお骨を下げていた。菩提寺の大本山東本願寺に納めるためだった。この行事を終えて、いよいよ比叡山に入った。比叡山では、のちに大僧正として天台宗全体を指導した山岡観澄師の弟子となり、観順と改名、無動寺谷明王堂で修行
私が26歳の頃天台宗比叡山支院【伊崎寺】にて、寝ずの行を1週間しました。最初に、御守りしていた【光永阿闍梨】さまと話しをした。頑張って修行してくださいと励まされた千日回峰行してる阿闍梨様に。午前零時に、琵琶湖に入り、般若心経を唱え、不動真言も、真っ暗の中、懐中電灯で、足の悪い階段を降りて琵琶湖に入りますそれから、かく堂まわりをしますが、本堂は、1300年の歴史がある本堂で中に木の三体🌲彫った【大日大聖不動明王】が、ご鎮座してまた、聖徳太子も祀ってありますそこでは、五体投地108回しま