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こんにちは。ご訪問くださり、ありがとうございます。今日は、比叡山無動寺谷明王堂の一日萬拝という、年に一日だけ、毎年6月23日に行われる御開帳についてご紹介します。なお、明王堂がどんなところかについては、こちらの過去記事をご覧くださいね。↓無動寺谷明王堂について『比叡山千日回峰行者特別祈祷と無動寺谷明王堂の護摩祈祷』こんばんは。ご訪問くださり、ありがとうございます。こちらのブログでは、基本的には腎不全や腹膜透析のかたに何らかのお役に立つと思われる情報を書くようにしておりま…
【比叡山飯室谷不動堂】を訪れて動画を作成しましたのでご案内です🌟飯室谷(いむろだに)不動堂は根本中堂、釈迦堂、横川中堂、無動寺明王堂と並ぶ延暦寺五大堂の一つで別所飯室谷の山腹に位置している、天台宗のお寺。御本尊は不動明王立像です。千日回峰行を2度満行した酒井雄哉大阿闍梨が、かつて住職を務められた場所でもあります。現在の住職は2003年に千日回峰行を満行された藤波源信大阿闍梨です。◼️護摩供は毎月第2日曜日、28日開催(12月28日は無し)護摩供の後に阿闍梨様から御加持が受けれる
こんにちは。ご訪問くださり、ありがとうございます。このたび、千日回峰行者の光永圓道大阿闍梨様のお寺である覚性律庵(かくしょうりつあん)と、光永圓道阿闍梨様の師匠で、同じく千日回峰行者の光永覚道大阿闍梨様のお寺、南善坊(なんぜんぼう)にお参りして、御護摩とお加持をしていただいて参りましたので、概要についてご紹介いたします。【光永圓道大阿闍梨様について】戦後12人目として、2009年に千日回峰行を満行された大阿闍梨様です。2017年から、仰木にある覚性律庵というお寺の住職
❖大阿闍梨の道比叡山に取り憑かれた三人の阿闍梨三章酒井雄哉生々流転の行者77雄哉は二千日回峰行を満行した後は、なにも考えていなかった。まわりは「どうしますか、今どんなことをお考えですか」って聞くが、「今日で終わったのかなあ」という感覚だった。たとえ『生き仏』と崇められても『大阿闍梨』の称号を授けられても何も変わらないのである。人からすごいと思われたくもない。雄哉のところに来ると、みな力が抜けてしまう。会う前は『なんだかすごい坊さんらしいぞ』なんて思って、ガチガチになってやってくる。気
❖大阿闍梨の道比叡山に取り憑かれた三人の阿闍梨四章酒井雄哉の足音7『勝手に自分で学ぶしかしょうがない』これは弟子の藤波源信行者に向けて発したもの。自分に厳しい阿闍梨は、また弟子にも厳しい。『何かをするのは辛くないことはない。何をしたって、普通に生きていくことだって辛い世の中、それを承知で皆生きている。弟子の藤波も行をすると決めたなら、他の道にとらわれないで、ただその道をひたすらに進んでもらったらそれに越したことはない』と、阿闍梨は言う。その阿闍梨には、三人の師がいる。比叡山の仏門に
❖大阿闍梨の道比叡山に取り憑かれた三人の阿闍梨四章酒井雄哉の足音28人が信じ合うって、ほんとうかなあ?『そう思うなら、それはそれでええ。でも、今はまずワシを信じろ!それができんかったら、何も身に付かん!』雄哉の言葉である。宗教には、いろんな宗派がある。どんな宗教だって、年月を経ればいろんな解釈が生まれて、現実に合わせて独立者が出てくるのは分かる。会社から独立するヤツもいるし、のれん分けで自分の店を出すヤツもいるから。しかし、キリスト教から分派しても最終的にはイエスに帰依することは変
酒井雄哉大阿闍梨の世界五十七酒井雄哉二千日回峰行の記録前項で「三百九十年ぶりの飯室回峰」と書いたが、実は、この久しく絶えていた飯室回峰の復興を願って百日回峰を満じたのが、酒井阿闍梨の師匠である箱崎文応師であった。昭和十五年九月に、無動寺回峰を千日満行した箱崎師は、昭和十九年に古い回峰手文を見ながら百日の飯室回峰を満行した。だが、昭和四十九年、酒井阿闍梨が千日回峰を決意し、無動寺谷から飯室谷に移ってきた時には、箱崎老師は八十三歳になっていた。先達を務めることができず、酒井阿闍梨に回峰コースを
❖大阿闍梨の道比叡山に取り憑かれた三人の阿闍梨三章酒井雄哉生々流転の行者54『生き仏さまがお出ましになる』明王堂の鐘が鳴りひびき、正面の大扉が軋む音をたてて開かれた。信者たちが一瞬どよめき、それから水をうったようかな静寂になった。雄哉は蓮華の葉をかたどった笠を手にして、ゆっくりとした足どりで再びこの世に生きて還ってきた。信者たちの間に声にならない感嘆の波がうねり『生き仏』を迎える真言の唱和が鐘の音とともに、いつまでも無動寺谷にこだましていた。ミカと美佐子は、ただただ数珠を握りしめて、
こんにちは今年8月半ばに日帰りで福井県へ行った続きで、帰り道です。ちょうど寄り道したいところがあり、渋滞も避けたいと思いましたので、鯖街道を通ることにしました鯖街道とは、福井県小浜市と京都を結ぶ「若狭街道」が、若狭湾で獲れたサバを運んだことから名付けられた街道です。画像はありませんが、道中は空いていて、景色も綺麗でした久しぶりに、日本遺産熊川宿も通りました最後にやって来ましたのは、鯖街道の中間地点にある、滋賀県高島市の道の駅「くつき新本陣」です。こちらで、焼き鯖寿司を購入しまし
:❖大阿闍梨の道比叡山に取り憑かれた三人の阿闍梨一章正井観順津軽の覚蔵⑨行の最中に『比叡山の土に』還った観順。大往生を遂げた場所には、杉の木の根が土の上を這うように盛り上がっている。「ひとが横たわるように盛り上がってきたのだから決してふんではならぬ」と小僧のころ師匠から教えられた。今でも修行者は道の真ん中に盛り上がっている杉の根を決して踏まない、合掌して通るのだと。毎日三千仏礼拝行も行った。畳には五つも六つもの穴が開いた。頭と両肘、両膝を地につけ、続いてその場に立って合掌する。これ
第32回松本清張賞受賞作『白鷺(はくろ)立つ』住田祐(すみださち)江戸後期の比叡山延暦寺に、大きな秘密を抱えた仏僧の師弟がいた。命懸けの修行〈千日回峰行〉を成し遂げ、自らの存在を証し立てよ。「死ぬか、名を残すか」命懸けの修行に挑む僧侶たちを描いた松本清張賞受賞作『白鷺立つ』に感情を揺さぶられた!直木賞作家・川越宗一が読む比叡山延暦寺に伝わる、命懸けの仏道修行〈千日回峰行〉に挑む二人の僧侶の姿を描く、第32回松本清張賞受賞作『白鷺(はくろ)立つ』(住田祐(すみださち))が、20
こんにちは。サイキックチャネラーキュアサロンマナです。キュアサロンマナとは?キュア:治す、治療する、癒すサロン:部屋を意味する言葉マナ:超自然的または神の力、奇跡の力奇跡の力で、あなたの心と体を癒します『霊視鑑定と解脱供養承っています』こんにちは。サイキックチャネラーキュアサロンマナです。キュアサロンマナとは?キュア:治す、治療する、癒すサロン:部屋を意味する言葉マナ:超自然的ま…ameblo.jp