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先日、10月8日(木)午後3時からに続いて、今日は午前10時半から、同じく生前での授戒会を行った。亡くなってからの授戒会は(本尊さまの方にご遺体やご遺骨があるので)本尊さまの方に向かって座る。皆さんには背中を見せるようになる。生前授戒の場合は、最初は本尊さまへの法楽で本尊さまに向かって座るが、その後に受戒者に向かって座る。加持香水をして、一打一洒。その時、受戒者は合掌して頭を垂れる。その頭に散杖を当てる。灌頂(かんじょう)と言います。文字通り、頂きに灌ぐ。次に、授戒で、導師の語るの
先日の京都名舗展でついつい食べたくなり買ったのが阿闍梨餅。よくよく考えると普段の地階の諸国の銘菓コーナーにもあったなあと気付きました。生八つ橋とはまたひと味違うアンコの入った和菓子です。阿闍梨餅について阿闍梨餅(あじゃりもち)は、京都市左京区の和菓子店「満月」が製造・販売する半生菓子である。丹波大納言小豆を用いた粒餡を、餅粉、水飴、砂糖、鶏卵などから作る餅生地で包んで焼き上げた菓子で、中央部をやや盛り上げた円盤状の形状と弾力のある生地を特徴とする。焼き菓子でありながら、生地には餅に似た弾
写真は最上観光協議会より第2期5回目おくのほそ道講座令和8年9月27日(日)10:00~12:00ピアザふじみ多目的ホール講師谷地快一先生参加24名講座概要二十七、最上川最上川を下る船に乗ろうとして、大石田という所で、日和や風の具合が出航にふさわしい日を待っていた。ここで、古き俳諧の種がこぼれて、貞門や談林などの古い俳諧が花のように栄えた時代があった。その時代を慕って、芦笛を楽しみとするような質素な暮らしをする人たちが、その心をやわらげるように俳諧の道を探っていた。
京都・東山、白川の清らかな流れに架かる「一本橋」。テレビドラマなどでもおなじみ正式名称は「古川町橋」。行者橋、阿闍梨橋とも呼ばれ、明治40年(1907年)に架け替えられた、長さ約12m、幅約60cmの細い石橋です。欄干もなく、すれ違うのも難しいほどの細い橋。そっと足を踏み出すと、まるで昔の京都にタイムスリップしたような気分になります。この橋は、比叡山で厳しい修行を行う「千日回峰行」を終えた行者にゆかりがあることから、「行者橋」の名でも知られています。橋のそばを
こんにちは。もみねっこのあきこです9月のキャンペーンは沢山の方にご利用して頂き、また大変喜んで頂きました「あーまた明日から頑張れる!」と伸びをしながら言われる笑顔を見る事に幸せを感じて嬉しく思います「このキャンペーンのメニューはどれを頼めばいいですか?」との質問がありましたので同じ90分ですが「基本コース」と「深部調整コース」の違いについて説明します「基本コース」と「深部調整コース」の違い当院には、身体を整える「基本コース」と身体だけでなく、より深いとこ
タントラ(Tantra)体系・儀礼・宇宙的心理の図式タントラ(Tantra)とは現代において、「タントラ(Tantra)」という言葉は、時として誤解されたイメージや、限定的な側面ばかりがクローズアップされがちです。しかし、歴史的・学術的な視点、そして仏教の正統な教理から捉え直すとき、そこには私たちが心身を整え、自己の仏性を開花させるための深遠な教えが広がっています。このたび、公式サイト(【公式】天宮光啓|TANTRAKOKEIAMAMIYA)に
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。本日28日はお不動様の日。先日、並木良和さんが山平阿闍梨とともに「不動明王とは?」というお話をされました。信玄さんがご自分の姿を不動明王に刻んだことからいつかこのブログでもしっかり取り上げよう!と感じていただけに、その核心に迫るような内容をお話しくださったように感じられました。感謝とともにここにシェアさせていただきます。並木良和さん、山平大阿闍梨あり
秘仏までもが博物館で展示される今ご本尊の写真を撮影したり伝授で授かった印信をアップしたりそれを目を釣り上げて批判する人がいますがどうでしょうか?高野山の奥之院では御廟の橋から奥へは撮影禁止です最も神聖な聖域だからですかたや仏像写真などは博物館でも撮影出来る所も出現しはじめてお寺によっても撮影出来る所と撮影してはならないと禁止する所とに分かれます霊宝館、博物館などでは下手に素人がケータイ写真を撮るよりも売店で購入するブロマイド写真の方が圧倒的に綺麗で
高野山へ安祥寺流の灌頂部の伝授会に行って来ました中川善教先生の論文に「有部の戒體」というのがありましたが授戒を受けたり三摩耶戒を受けてもそれが一体どういうものなのかは勉強しなければ分かりません日本のお坊さんが肉を食べて妻帯することを非難する人たちがいますが仏教の戒律とはどんなものでその歴史はどのように伝えられたのか?また密教の三摩耶戒とは何か?勉強しなければそれは分からないのです特に傳法灌頂の法則や三摩耶戒の法則は古式ゆかしく巻物に仕立てら
*******阿闍梨秀麗です。明日から秋のお彼岸がはじまります。お彼岸最終日26日には、これまで秀麗が約6年、一座一座積み重ねてきた護摩二千座行満という大きな節目を迎えます。この6年間は、本当にいろんな出来事がありました。その中でも一番の衝撃が今年5月下旬の1900座目に起こった出来事とミラクルです。9月12日のサタデーナイトクラブ、TikTokライブでは、この衝撃的な出来事とその後の奇跡について、写真を公開しながらお話ししています。アーカイブ動画をご覧ください↑(ちょっと衝撃的
真言宗の坊さんが動画サイトで真言と禅宗の比較解説をしていた密教瞑想法の解説は出鱈目だし禅宗に関してはまったくの門外漢真言宗は「教え方を学んでない」のではなくて恐らくはこの方の学びが足りないのです修行道場で丁寧に教えてもらっていなくてもその後正しく学んでいれば教えることなどはすべて伝受したことの受け売りばかりです正しい師匠に就けば順序立ててきちんとした事を教えてくれるはずだしそうでなければ学びが足りないのですまだまだ動画サイトで一般大衆に向けて語る
おはようございますこのところ青空はほぼ見えず、ずっと雨模様の関東地方。心までどんよりしそうな自分を奮い立たせようと、趣味の易経の本を開こうとしたら、夫に貸していたことに気づいたそこで、今推しの真言宗のご住職(阿闍梨)鈴木べんもうさんの初めての著書を読み始めた。タイトルは『読むだけで金運が上がる!仏教的お金の引き寄せ』仏教では、人の役に立った徳が形を変えて返ってきたと説かれ、金運とは徳の流れでもあるとも。私はご先祖様を大切にして生きてきた祖父や祖母、父や母、叔父
こんにちは。もみねっこのあきこです今年の猛暑、本当に身体にこたえましたね💦最近、施術に来られる方から「何が原因か分からないけど疲れている」「身体がずっしり重い」「寝ても疲れが抜けない」「なんとなく身体がスッキリしない」というお声がとても増えています暑さの中で頑張ってきた身体には自分では気づかない疲れが残っているかもしれません。そこで9月は✨✨【夏の疲れリセットキャンペーン】✨✨🌿全身基本コース90分+🌿浄化整体を特別サービス浄化
こんにちは前回「FМアンテナと流れて来た音楽」と題した記事を投稿させていただきました。その文中、「アンテナを設置して東京タワーの方角に向けて微調整」「チューニングダイヤルを回し80.0MHzのFМ東京に同調を合わせ」「スピーカーから音が流れて来た」等々云々をお話しいたしました。自分でその箇所を読み返しておりしましたら、より一層クリアな音質でFМ放送から流れる音楽を楽しむためにはやはりアンテナを正しい方向に向けて設置して正確に周波数を合わせることは極めて大切だなと思っ
高野山1200祭での一コマ高野山を空海が密教の道場を許可されて1200年の年この年は高野山では沢山の行事がありました。そんな中でもこの年の6月15日は例年の青葉まつりで高野山は大変賑わう日です。2015年の事です。大師教会では1200年の時を経て初めて比叡山延暦寺から半田座主がお越しになられたという一大行事がありました。空海が最澄と仲が悪くなりそれ以来絶縁状態、事の初めは遣唐使に同じ時に乗り込んだ二人、最澄は国が認めての派遣、一方空海は一私度僧の立場、それが空海は橿原の久米寺で見つけ
《新古今和歌集・巻第十七・雑歌中》1645法輪寺(ほふりんじ)に住み侍りけるに、人の詣(まう)で来(き)て、暮れぬとて急ぎ侍りければ道命(だいみやう)法師いつとなきをぐらの山の陰を見て暮れぬと人の急ぐなるかな☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆法輪寺に住んでいました時に、人が参詣に来て、日が暮れてしまうといって急ぎましたので道命法師いつと限らずに小暗(おぐら)い小倉山の陰を見て、
空海から伊藤真乗まで密教はどう伝わったのか|恵果・空海・聖宝・憲深・佐伯恵眼を結ぶ師資相承系譜「伊藤真乗は空海の密教を相承したのか」。この問いを考えるには、単純に「真如苑は空海と関係があるのか」と考えるだけでは不十分です。重要なのは、**密教の師から弟子へ教えを伝える「師資相承」**をたどることです。空海は中国・唐に渡り、青龍寺の恵果阿闍梨から密教を学び、金剛界・胎蔵界の両部密教を相承しました。その空海から真雅、源仁へと法が伝わり、源仁の弟子であった聖宝が醍醐寺を開創します。その
《新古今和歌集・巻第十七・雑歌中》1639山寺に侍りけるころ道命(だうみやう)法師世をそむくところとか聞く奥山はもの思ひにぞ入(い)るべかりける☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆山寺にいましたころ道命法師世を捨てて住む所とか聞いている奥山は、物思いをするためにはいるはずの所であったのだよ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴
【あらまし】夕顔の四十九日の法要が比叡の法華堂でひそかに取り行われます。布施に供する装束、誦経、経巻、仏像の飾りなどもおろそかにせず、惟光の兄の阿闍梨(あざり)に荘厳に取り仕切らせ、神仏に願を立てる願文は、源氏自らが草案し、誰のためと名を明かさずに作らせました。こらえ泣きする源氏を見て、「いったいどういう方であろうか、これほどまで、源氏の君を悲しませるお方は。なんと宿世の高さよ」と文章博士。源氏は、密かに作らせた布施の袴を手にして、「泣く泣くも今日はわが結(ゆ)ふ下紐を…」と
高倉健が誘(いざな)われた比叡山《完》高倉健は『峰の白鷺』か『谷の鈴虫』か北野武監督の阿闍梨をモデルにした作品への出演を拒んだ高倉健。その生き様は、正に千日回峰行者の如く、比叡山の奥深くにある伝教大師最澄御廟の侍真、比叡山比丘(びく)であった。『峰の白鷺谷の鈴虫』とは、比叡山延暦寺に伝わる荒行の行者を指す。峰の白鷺、行者が身にまとう純白の死装束や浄衣(じょうえ)が、山中を飛ぶ白鷺のように見えることからこう呼ばれる。険しい山道を素足に草鞋で、飛ぶように駆け抜ける姿に由来する。谷の鈴虫、
高倉健が誘(いざな)われた比叡山8高倉健と北野武「たけちゃん、ありがたいんだけどね。僕はこれまで(東映の任侠映画などで)、日本刀を振り回してバッサバッサと人を殺してきた役者なんだよ。そんな人間が、今さら画面の中で偉そうな顔をして、人の命を救う『阿闍梨』の役を演じるわけにはいかないんだ。」『世界のキタノ』北野武・ビートたけしと高倉健との交流は有名である。映画監督として北野には自身の映画で高倉健を撮ることが夢であった。高倉の遺作となった『あなたへ』で共演を果たした前後、北野には「次は自分
高倉健が誘(いざな)われた比叡山6ヤクザ映画高倉健は、1998年紫綬褒章、2006年文化功労者、2013年、文化勲章を授賞している。1963年の『人生劇場飛車角』で助演を皮切りに、1964年の『日本侠客伝』で始めて『ヤクザ映画』の主役となり、銀幕のスターとして駆け上がったが、ヤクザ映画出身の文化勲章授賞は高倉の他いない。美空ひばりは、国民栄誉賞を没後に受賞したが、過去に『ヤクザ』と関わりが公然と明らかになっていた栄典は稀である。ただ、共通していえることは、この二人、その時代の流れの中
高倉健が誘(いざな)われた比叡山5静かなる行映画『鉄道員(ぽっぽや)』の撮影現場における高倉健の「利他」の気配りは、映画界で今も語り継がれる伝説となっている。氷点下20度を下回る北海道・幾寅駅(劇中の幌舞駅)の過酷なロケ地で、高倉が見せた細やかな配慮の数々は、酒井雄哉大阿闍梨の説く「他者を思いやる心(利他)」そのものだった。極寒の撮影現場では、暖をとるための大型ストーブが設置されていた。大スターである高倉には当然、特等席が用意される。しかし高倉は、自らはストーブの前に座るどころか、わざ
高倉健が誘(いざな)われた比叡山4箱崎文應老師から酒井雄哉大阿闍梨、高倉健との飯室谷での交流は最晩年まで続いた。阿闍梨を師と仰ぐ高倉、一方、阿闍梨も高倉健の一ファンとして、『行三昧』の日々を送る中でその交流を一番の『贅』と感じていたのではないだろうか。阿闍梨の弟子で長寿院住職にある、藤波源信大阿闍梨は往時を振り返る。「高倉さんは酒井さんを尊敬し、酒井さんは大の健さんファンだった。酒井さんは健さんが映画の撮影に入る前に必ず成功を祈願した札を贈り、その都度、健さんから礼状やサイン入りの写真
高倉健が誘(いざな)われた比叡山3「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」酒井雄哉大阿闍梨が贈ったこの言葉、高倉健が終生大切にした。これは、浄土三部経の一つである『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』の冒頭近くにある、もっとも重要な詩(うた)である「讃仏偈(さんぶつげ)」の一節に由来するとされる。『仏説無量寿経』の中では、後に「阿弥陀如来」となる法蔵菩薩という修行者が登場する。彼が、師である世自在王仏(せじざいおうぶつ)という仏の前に立ち、「私もあなたのような偉大な仏にな
10時から仏壇と金剛界大日如来の開眼法要を務めた。仏壇は持ってこられなかったが、仏壇は目の前になかったが宗教は時空を超えているので目の前にあるとみなして開眼作法をした。本尊金剛界大日如来は本尊不動明王の前に置いて開眼作法をした。後ろの光背に墨で梵字でバンと大日如来と書いた。あと、仏壇の脇にでも貼っておいてください、と言って下記の開眼畢の紙を渡した。最後の名前のところに真言宗豊山派梅花山天王寺光明院第二十世住職阿闍梨亮昌と書けばよかったかな?
高倉健が誘(いざな)われた比叡山2高倉健、1931年(昭和6年)2月16日、筑豊炭田にある福岡県中間市の裕福な一家に生まれた。4人兄弟の次男で、上2人は息子、下2人が娘であった。父の小田敏郎は大日本帝国海軍の軍人で、戦艦「比叡」乗り組みなどを経て炭鉱夫の取りまとめ役(労務管理者)などをしていた。母の小田タカノは教員。1963年の『人生劇場飛車角』で、高倉は準主役で出演。高倉は本作で任侠映画スターとしての足掛かりをつかむが、1964年の『日本侠客伝』では降板した中村錦之助に代わり、高倉は
羽生さん❣️『優しくなられましたね、お顔が』と阿闍梨さんに言われましたそうなんですね🤔塩沼亮潤大阿闍梨さんとは2024年の『家庭画報』10月号の対談以前から面識がありましたが羽生さんお顔が優しくなってるんですね羽生さんもいろいろ乗り越えられましたからね...😔家庭画報onInstagram:"❄️家庭画報9月号塩沼亮潤大阿闍梨+プロフィギュアスケーター羽生結弦さん特別対談を終えてリラックスしたお二人からいただいたメッ
こんにちは、あるいはこんばんはもっと花ひらく人生に🌸身体を整える魔法使いいとうまきです→いとうまきってこんな人です→想いや提供メニュー一覧はこちら【祈りが世界を変えるとき】本日、8:15に広島へ想いを寄せた方もたくさんいらっしゃると思います。總水とおまさんと、成心さんによる祈りについてのお話が本日あります。世界平和について、祈りについて色んな土地でお祈りをされているお二人からお話きけるのありがたいです🙏✨成心さんはYouTubeチャンネルもお持ちです▼こちら▼伝法
楽しそうだね〜これ最高だね😆すべてを乗り越えた末に、迷いや執着さえ振り切って突き抜けた感じがするヨブ