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Hi,there!英語力は、より自由でココロ豊かな人生を歩むカギになる!楽しく英語を身につけよう!英語コーチのわだまりです。アメリカ旅行について、あれこれ書いています。今日は、NYからワシントンDCの移動について。ニューヨークワシントン移動今回の旅は、アメリカにいる友達に会うためのもの。でも、NYに行くと決めたとき、ワシントンDCやボストンにも行けたらなって思ったんです。そこで、友達に相談
5月6日(金)今回のサンパウロ旅行ですが、実は夫様が行きたい所がありましたそれは、サントスサントスは、日本人移民の方々が最初に降り立った港がある町で、日本人移民の記念碑などがある所。そして、サントスと言えばコーヒー珈琲博物館も有名らしい。そこへはまず、地下鉄でJabaquara(終点)まで行き、そこから長距離バスに乗り換えて・・・という流れになります。Jabaquara駅に着いたら、長距離バスのチケット売り場へ、Go~Go
2024年11月30日ブルサからイスタンブールへバスで移動します。宿泊先のホテルからブルサのオトガル(長距離バスターミナル)まで38番バスで移動します。バス停横のキオスクでバスチケットを購入したら1人50トルコリラでした。チケットにQRコードがついていてスキャンして乗車します。あとで見たらVISAとマスターカードのタッチ決済で乗車できるようでした。初乗りは20トルコリラのようなので、タッチでは運賃20トルコリラ、券売所で購入すると50トルコリラのようです。ブルサオトガルからイスタンブール
【主な乗り物:夜行高速バス「サザンクロス」号神戸・大阪・京都-長野・須坂・中野・飯山・湯田中線、長野電鉄線】週末の三宮の高速バスターミナルは混雑していた。乗り場の隅に佇んでいる僕の視界に、次から次へと様々な人々が現れては消えていくが、大半は、互いに言葉を交わすわけでもなく、他人の視線を避けるように目を伏せ、もしくは一心にスマホの画面に見入りながら足早に移動している。JRや阪急、阪神、山陽電鉄の駅と繋がっている通路を行き交う人々。ターミナルの窓口で乗車券を求めて列をなす人々。ガラ
子供の頃から時刻表を読むのが好きだった。小学4年生で鉄道ファンになってから、50歳を過ぎた現在に至るまで変わることがない。世の中にも時刻表のファンがいて、毎月の時刻表を全てを購入し、本棚にずらりと並べる御仁が少なくないらしい。『鉄道の「時刻表」にも愛読者がいる』紀行作家宮脇俊三氏の処女作「時刻表2万キロ」の冒頭は、このような書き出しで始まる。『時刻表本来の用途からすれば、愛読の対象となるべき書物ではないが、とにかくいる。しかも、その数は少なくないという。私もそのひとりである。真底
「日本海ハイウェイ夕陽」号は、定刻22時20分、昭和44年に廃止された玉電渋谷駅の面影を留める東急渋谷バスターミナルを発車した。古びたホームに立つ人々、背後の壁に掲げられた広告やこぢんまりしたガラス張りの待合室が、ゆっくりと窓外を流れ始める。ターミナル専用の出入路をゆるゆると下り、道玄坂上の交差点に出れば、街を彩る鮮やかなネオンが、まばゆく窓外を埋め尽くす。歩道を多くの酔客が行き交い、渋谷の夜はまだまだこれからと言わんばかりの華やかさに溢れているが、外の喧噪は完全に遮断されている。夜行
昭和62年に走り出した、名古屋と金沢を結ぶ高速バス「北陸道特急バス」は、昭和の末に始まった現在の高速バスブームの一翼を担った老舗路線である。それまで北陸本線の特急列車「しらさぎ」や高山本線の特急「ひだ」が独占していた都市間輸送に参入するなり、瞬く間に人気路線へとのし上がり、今でも1日10往復が運行されている。僕も、国鉄の夜行高速バス「ドリーム」号で東京から名古屋に出て、開業後間もない「北陸道特急バス」の初乗りを兼ねて金沢に向かったことがある。並行していると言っても、鉄道と高速バスの車窓
JR浜松町駅のホームは、いつも混雑している。山手線、京浜東北線の2つの通勤路線が停車し、昭和63年に京浜東北線が田町と田端の間で日中の快速運転を開始した際には通過駅にされてしまったけれども、周辺のオフィス街、商店街や住宅地ばかりではなく、羽田空港へ向かう東京モノレールや、隣接する都営地下鉄浅草線大門駅との乗換駅であることも、乗降客数が多い理由であろう。平成14年にJR東日本が東京モノレールの筆頭株主となり、浜松町駅が京浜東北線快速の停車駅に昇格した時には、現金なものだ、と苦笑したものだった。
毎日、50km離れた街まで車を運転して子供達を迎えに行きます。学校の周辺は駐車すると小銭をせびってくる浮浪者も居てちょっと駐車したくない場所もありますね。なるべく子供も私も待たずにちょうど信号が青に変わる前に乗り降り出来るように、特に、迎えに行くときは何処にいるか知らせるのが大事になります。whatsapp(日本のLINEよりチリでは一般的なコミュニケーションツール)で子供と連絡を取り合いますが、運転しながらは、書いたり話したり、これがなかなか難しい。なので最近は「ママ、今どこ?」と聞
平成26年6月の週末、外に立っているだけで辟易するような蒸し暑い夜のことである。人々が雑多に行き交う池袋駅東口の高速バス乗り場に、今宵1晩を過ごす「ホワイトビーチシャトル」号が姿を現した時、ついている、と思わず小躍りしたくなった。「ホワイトビーチ」などという海岸が日本にあったかしら、と一瞬思ってしまうが、直訳すれば「白浜」で、大宮を始発にして、池袋・新宿・横浜を経てから、紀伊半島西岸を経由して南紀白浜まで710kmあまりを疾駆する夜行高速バスの愛称である。長距離を走る夜行バス路
東莞市を横断する市内高速バス!東莞巴士公交快線12路常平火車站→虎門中心站の続きです。東莞市虎門鎮の中心市街地付近に立地する虎門中心站・虎門中心客運站(虎門中心バスターミナル)です。事業者や路線によって呼ばれ方が異なり、市内線では虎門中心站、高速バスでは虎門中心客運站、虎門中心汽車客運站、虎門中心汽車站などと呼ばれますが、全て同じバスターミナルを指しています。こちらは市内バス及び高速バスの総合バスターミナルとなっており、虎門から市内外各地へ向かうバスの拠点として機能しています。
富士吉田の昭和大学教養部の寮生活も9ヶ月が過ぎた、昭和60年の師走のことである。年内最後の講義が終った翌日の夕方に、僕は年末年始の帰省のために、富士急行線富士吉田駅から、新宿高速バスターミナル行きの「中央高速バス」に乗車した。信州が故郷である僕は、実家への帰省に際して、「中央高速バス」新宿-富士五湖線や、同じく新宿駅へ向かう大学のチャーター便を利用する機会は、殆んどなかった。富士急行線で大月まで出て下り特急「あずさ」に乗るのが一般的な方法であったが、当時、大月に停車する「あずさ」は
【主な乗り物:夜行高速バス千葉・上野・浅草-松本・長野線、高速バス長野-富山線、高速バス富山-金沢線】夜も深まった千葉中央駅は人影も少なく、静まり返っていた。昼から降り続く雨に濡れた路面が、街灯の光を反射して鈍く輝いている。平成25年10月の夜である。僕は、人影もまばらな千葉中央駅バスターミナルの片隅で、21時15分発の長野行き夜行高速バスを待ちながら、時ならぬ寒さに震えていた。千葉中央駅の東口周辺は古くからの繁華街であるが、人の流れは少し離れたJR千葉駅に集まり、西口は往来
【主な乗り物:「中央道特急バス」名古屋-長野線、夜行高速バス「ドリーム静岡・浜松」号、東海道新幹線、高速バス長野-妙高高原線】もうじき日付が変わる頃合いに、東京駅八重洲南口バスターミナルに足を踏み入れると、何台もバスを連ねた23時40分発の名古屋行き「ドリームなごや」3号と、同時発車の古川行き「ドリームササニシキ」号が改札中だった。大きな荷物を抱えた帰省らしき装いの人々が多く、平成17年も押し迫ったな、と思う。テールランプを輝かせて「ドリームなごや」3号と「ドリームササニシキ」号が
旦那の実家ボストンへの旅行記もいよいよ大詰め〜今回から、2泊3日で訪れた、Martha'sVineyard(マーサズ・ヴィニヤード島)の旅行記になりまーす。ボストンからは、直行の飛行機の便もあるけど高いので、今回は、バスとフェリーを使って3時間くらいかけての旅に。今回は、旦那の妹の持っているタイムシェアに滞在させてもらえるとのありがたいオファーでマーサズ・ヴィニヤード島に行けることに。ちなみに、この島は、オバマ元大統領や、セレブが避暑地として別荘を持ってたりする島ら
【主な乗り物:特急バス長野-白馬線、特急「伊那路」、「みすずハイウェイバス」松本-飯田線、「東名ハイウェイバス」名古屋-静岡線、JR大糸線、東海道新幹線】平成14年の盆を長野市の実家で過ごし、急行バス長野-野沢温泉線と長野電鉄木島線の廃止代替バスで木島まで往復した僕は、長野電鉄の特急「志賀高原」を長野駅で降り、そのまま東口で特急バス長野-白馬線に乗り込んだ。長野冬季五輪を目前にした平成7年に、長野市と大町市を結ぶ県道31号線の南に白馬長野有料道路が開通し、県道31号線と県道33号線美麻白
こんにちは。本日は忙しい現場をなんとか休んで、週末にかけての出張になります。現在朝の8時です。※ブログアップは12時00分にアップします。長距離バスに乗って新千歳空港まで来ました。スーパーラウンジで休んでいます。出発は、12時00分なのでチェックインだけして2時間くらいラウンジで休む予定です。これから関西国際空港に行き、出張先の企業で面談し、それから次に行く企業では新規事業立ち上げの打ち合わせをします。10年以上会社勤めをしましたが、やはり自分が一番大事なのは自由な時間である事が
タクシーは、ケレンフェルド駅(KelenföldRailwayStation)に降ろしてくれた。この少し先にバス停がある。最初、ここに着いた時は、「場所間違ってない?」って運転手さんに聞きたくなった。だって、この建物が、ハンガリーの国鉄の駅とは思えない。ブダペストの中心地でも、確かに古い建物は多かったけど、この建物は「年季が入っている」っと言うか、手入れされてないって感じ。まぁ、綺麗なだけじゃない、日常生活のブダペストを見せてもらったって感じで、これも悪く無いけどね。バス停
ほ本当に美人のロザンナ。これを描き上げている最中、後ろでうちのロシア人が「お前はなんてひどいことをするんだ」とつぶやいておりましたが、気にせずこれからも続けていきたいと思います。結局みんなで長距離バスで移動することになったのですが、規則正しい生活をする子持ちファミリー層とは違い、「朝早く起きるくらいなら寝ない」という若者ならではの発想から、当日徹夜で現れたダンサーズ。西安までは7時間あるので、車内は寝て過ごそうという計画ですね。中国の長距離バスはどんなもんだ
【主な乗り物:特急バス松本-金沢線、「みすずハイウェイバス」松本-飯田線、快速列車「みすず」】昭和30年代から50年代にかけて、帰省バスが全国を走り回っていた時期があった。お盆や年末年始などの多客期に、殺人的な混雑を呈していた鉄道を補完して、地方から大都市に出て来ていた人々の里帰りの足を支えたのである。大阪の中央交通が、昭和36年に日本で初めての帰省バスの運行を開始したと自称しており、福岡の西鉄バスも昭和37年に福岡-大阪間で帰省バスの運行を開始、横浜に本社を置く相模鉄道も、昭和3
【主な乗り物:夜行高速バス「パピヨン」号、「中央道特急バス」名古屋-茅野線、「中央高速バス」新宿-諏訪・岡谷線】平成元年10月の週末のこと、新宿駅西口ロータリーに面した小田急ハルク前の停留所を23時きっかりに発車した岐阜行き夜行高速バス「パピヨン」号は、ほぼ満席の乗客を乗せて走り出した。踊る波をイメージしたという、白地に明るい青色のラインを並べた塗装の小田急バスである。「パピヨン」とは蝶を意味するフランス語で、この路線とどのような関係があるのか、と首を傾げたのだが、「岐阜蝶(
平成14年8月に開業した東京-勝浦・小湊・御宿間高速バスは、平成11年開業の東京-安房鴨川線「アクシー」号の好調な利用実績に触発された地元自治体が、バス事業者に開設を要望したと聞いた。「アクシー」号には乗車体験がある。海が主体の土地と思い込んでいた房総半島を内房から外房へ横断しながら、これほどこの半島は山深かったのか、と蒙を啓かれた記憶が、今でも鮮明である。その後は内房を起終点とする高速バスばかりに乗っていたので、久々の外房に向けての高速路線の登場に心が逸った。それでも、実際に乗る機会を
最近人気の格安長距離バス、種類もいろいろありますが今回はFLIXBUSでトゥ―ルーズに行ってきました。ボルドーの長距離バスターミナルは駅から少し離れたPaludateと言う場所にります。(昔この辺りで殺人事件がありました・・・)IBISホテルの向かいぐらいです。この先にターミナルがあるのですが、見事に何もありません。屋根なし、トイレ無し、自販機無し、デジタル時刻表無し。何もありません。口コミなどで、ひどいターミナルだと言われています・・・・。バスが来ました。
【主な乗り物:リムジンバス長野-中部国際空港線、名鉄特急「ミュースカイ」、近鉄名阪特急「アーバンライナー」、夜行高速バス大阪-成田空港・銚子線】年末に「中央道特急バス」名古屋-長野線で帰省した僕は、平成18年の正月が明けると、13時05分に長野駅を発車する中部国際空港行きのリムジンバスに乗り込んだ。ちらちらと粉雪が舞う長野駅前乗り場では、新宿行きの高速バスが最も賑わっていて、ほぼ満席の乗客を乗せて発車して行くのと入れ替わりに、飯田からの「みすずハイウェイバス」が到着し、続いて松本行き
昭和63年の初夏に十和田湖から八甲田山系を通り抜けた旅のことは、30年以上も前のことでありながらも、鮮烈に覚えている。──と、言いたいところなのだが、覚えているのは盛岡から十和田湖に向かう高速バス「とわだこ」号と、十和田湖から青森へ向かう路線バス「みずうみ」号の車中ばかりで、何に乗って盛岡に行ったのか、という初っ端の記憶が完全に欠落している。数ある交通機関の中では、新幹線を利用した可能性が最も高いような気がしないでもない。僕が東北新幹線に初乗りしたのは昭和59年のことだった。
「三郷に行ってほしい」職場が所属する法人の理事長に誘われて、新宿の居酒屋で乾杯した直後に切り出された言葉に、僕は絶句した。元号が変わって3ヶ月が経った、令和元年8月のことである。今から思えば、コロナのコの字も囁かれることのない、穏やかな時代であった。僕が勤める医療法人は複数の都県に事業所を展開し、県境を跨ぐ人事異動はこれまで何度も目にしたことがあったけれども、この歳になって自分の身に降りかかって来るとは思いも寄らなかった。いや、わざわざ理事長から呼び出されたのだから、それを予想していな
【主な乗り物:特急「しなの」、東武特急「りょうもう」、東武佐野線、夜行高速バス「シルクライナー」、高速バス「忍者ライナー」、近鉄伊賀線、JR関西本線・奈良線、阪急京都線】浅草駅を16時20分に発った東武鉄道の特急「りょうもう」は、時刻表通りの17時25分に館林駅に滑り込んだ。同社の特急電車と言えば、浅草と日光や鬼怒川を結ぶロマンスカーが知られている一方で、群馬県東部に向かう急行電車が運転を開始したのは昭和8年と古く、昭和30年代には「あかぎ」「こうづけ」「おりひめ」「からさわ」と命名されてい
運送業を営みもうすぐ3年が経過しようとしています。自らドライバーとなって配送も行っています。今回の緊急配送品はこちら↓お客様のお荷物はこのキャリーケースの中に入っているのですが、この四輪キャリーケースはサラリーマン時代に一週間以内の出張でよく使っていました。持ち手にセットアップできるビジネスバッグもキャリーケースの幅とほぼ同じなのでスマートに持ち運べるのが気に入っています。サラリーマン時代は出張族だったので、国内外ほとんどの出張はこのセットで対応していま
ようやくマドリードバラハス空港に到着。この時点ですでに家を出てから24H以上たっています。ただ!まだ私はここからムルシアのJの実家に移動しないと!ということで、今回は前回と同じく空港から直接ALSAの長距離バスに乗ることに。スペインは長距離バスが結構便利です。個人的には、1人だったら余計電車より長距離バスの方が良いかも?と思ったり。密閉された空間でだれがどこに座っているかバス会社が把握しているため、盗難も少なそうだし、関係ない人が乗車する
平成18年12月23日の土曜日の昼下がり、羽田空港を13時に離陸した全日空25便は、1時間たらずの短い飛行を終えて、伊丹空港の滑走路に着陸した。羽田の空は真っ青に晴れ渡っていたが、西に飛ぶにつれて眼下は分厚い雲に覆われ、伊丹は暗い曇り空で、接地の間際まで滑走路が見えなかった。航空機で大阪入りしたのは久しぶりだった。僕が初めて航空機の旅を経験したのは、大学に入ったばかりの昭和60年のことで、その時も羽田-伊丹線だった。その直後は空の旅にすっかり魅せられて、関西へ出掛けるのに新幹