ブログ記事1,756件
台湾には幸せになる飲みものがある❤️の巻みなさ〜ん、おはこにゃばんは〜宜蘭への移動日、台湾3日目の朝ごはんはホテル近くのお店で頂く事に、、、評価高いと言うてたお店が休みやった為間違えて隣りの評価低ーいお店に入ってしもうた💦(味も悪けりゃ愛想も悪いらしい。その通り!)お店に1歩入るや否や山村紅葉がおる❗️と思いましたわダンピンとコーヒーを注文しましてん、、、愛想悪いおばちゃんがコーヒー入れに来たー‼️黒ずんだアルミのやかんでアンパンマンもどきのカップになみなみとコーヒー
トルコ、ヨーロッパのSIMカードは日本でも買える!主な商品はこちら![トルコ]TurkTelekomトルコ4G-LTEデータ通信プリペイドSIMカード(10日間3㎇高速データ)Amazon(アマゾン)2,480円【TurkTelekom】トルコ4G-LTEデータ通信プリペイドSIMカード(10日間5GB高速テータ)Amazon(アマゾン)3,880円トルコプリペイドSIM3G/4G高速1GB/日使い放題(3~20日間)(5日間)
(「四国ののんびり長距離バス西四国編~どっきん松山号と松山-宇和島特急バス~」の続きです)宇和島自動車の幹線バスは、松山-宇和島-城辺-宿毛と、西四国を海岸に沿って縦走しているけれども、全区間を走破する系統はなく、殆どが宇和島乗り換えとなっていて、一部が松山と城辺を直通するのみである。松山から宇和島止まりの特急バスを降りた僕の目の前に現れた宿毛行きは、2扉の路線用車両で、松山-宇和島線と同じく前扉の長距離用車両を期待していた僕は、2時間近くも乗るのにこのような月並みなバスなのか、と
2024年11月29日イズミルからブルサへ長距離バスで移動しま。長距離バスステーション(オトガル)はイズミルの中心から約10キロ離れた高速道路脇にあります。まず宿泊先からオトガルまでは302番バスで移動です。バスはビザタッチで乗車できました。運賃は日本円で99円でした。イズミルオトガル地上階のチケット売り場でチケットを購入しますが、広いフロアーに運行バス会社のカウンターがずらっと並んでいました。行き先表示板はどこにもありません。当たりをつけてカウンターで行き先をつげてバスがあるかどうかは聞
平成15年3月に、京浜急行バスと小湊鉄道バスが横浜駅と茂原駅を結ぶ高速バスを開業した時には、面白い商売を始めたものだ、と感心した。横浜発着の房総方面路線は他にも走っているし、僕も横浜と五井を結ぶ高速バスに乗車したことがあるけれど、横浜-茂原線の興味深いところは、羽田空港に寄ってリムジンバスの機能も果たしていることであろう。先行して、平成12年12月に羽田空港と茂原駅を結ぶリムジンバスが開業していたのだが、3年後に一部の便が横浜駅まで延伸した。原則としてリムジンバスを扱わない全国版の高速バス
ようやくマドリードバラハス空港に到着。この時点ですでに家を出てから24H以上たっています。ただ!まだ私はここからムルシアのJの実家に移動しないと!ということで、今回は前回と同じく空港から直接ALSAの長距離バスに乗ることに。スペインは長距離バスが結構便利です。個人的には、1人だったら余計電車より長距離バスの方が良いかも?と思ったり。密閉された空間でだれがどこに座っているかバス会社が把握しているため、盗難も少なそうだし、関係ない人が乗車する
【主な乗り物:名神ハイウェイバス名古屋-神戸線「ベンツ特急」】メルセデス・ベンツに乗りたくなった。1926年に設立された世界最古の自動車会社であるベンツ&シー・ライニッシェ・ガスモトーレン・ファブリークとダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフトの2社が合併したドイツのブランドである。メルセデスは、ダイムラーの販売代理店を経営していたオーストリア・ハンガリー帝国の領事エミール・イェリネックの娘の名前で、日本ではベンツと通称されることが多いが、欧米ではメルセデス、もしくはメルセデス・ベンツと
【主な乗り物:夜行快速「ムーンライト信州」、特急バス長野-白馬線】夜行快速列車「ムーンライト信州」は、定刻23時54分に新宿駅10番線を発車した。日中からどんよりと雲が垂れ込めて蒸し暑かった、平成28年7月中旬の週末の夜である。自販機やkioskなど、眩しく照明に照らし出されたホームのもろもろが、ゆっくり後方に流れ出したかと思うと、速度が上がるにつれて、溶けるように輪郭を失っていく。最終列車を送り出して脱け殻のようになった長距離ホームは、数人の駅員以外に人影はなく、向こうのホーム
こんにちは、フログです!いま、フィリピンに来てます🇵🇭昨日の20時半成田発のAirAsia便に乗って深夜1時ころマニラのニノイ・アキノ空港に到着しました✌静岡から成田までは鈍行で4時間半かけて到着😂夜勤明けだったからかなり疲れた…18時40分くらいに成田第3ターミナルについたのですが、チェックインカウンターにはもう誰もいなかった笑空港についてから出国手続きが終わるまで15分くらいですぐに終わりました😂今回の飛行機✈️LCCなので座席は広くないですが、隣誰もいなかった!ラッキー
昭和63年の初夏に十和田湖から八甲田山系を通り抜けた旅のことは、30年以上も前のことでありながらも、鮮烈に覚えている。──と、言いたいところなのだが、覚えているのは盛岡から十和田湖に向かう高速バス「とわだこ」号と、十和田湖から青森へ向かう路線バス「みずうみ」号の車中ばかりで、何に乗って盛岡に行ったのか、という初っ端の記憶が完全に欠落している。数ある交通機関の中では、新幹線を利用した可能性が最も高いような気がしないでもない。僕が東北新幹線に初乗りしたのは昭和59年のことだった。
何でこうも整備不良車が多いのかねえ。どうやら急坂で、ブレーキが利かなくなったらしいのだが。追突炎上で8人が亡くなってます。南無。運転手も亡くなってるので、原因の解明が難しいらしい。ーーーーーーーーーーーーーーツアーバスがトレーラーに追突し炎上、8名死亡・20名負傷2025年4月22日https://www.thaich.net/news/20250422ch.htm2025年4月21日午前1時40分頃、タイ東部プラチンブリ県ナディー郡ブプラーム地区を走行していたバスが大型トレ
(『第5章昭和63年「ミルキーウェイ」号で行く高野山と南海1000系・21000系の技術開発』の続きです)橋本駅を発車した南海21000系極楽橋駅行き各駅停車は、緩やかに左右のカーブを描きながらJR和歌山線と国道24号線のガードをくぐり、続け様に、色褪せた草木が広い河川敷に生い茂っている紀ノ川を渡る。しばらくは田園地帯と住宅地が混在し、紀伊清水駅を過ぎると、右側に国道370号線が並走する。受験シーズンともなれば入場券が縁起物として販売される学文路駅を過ぎ、右側から丹生川が寄り添
夜を迎えた東京駅9番線の人影は、予想より遥かに多かった。そうは言っても、中央線快速電車や京浜東北線、山手線がひっきりなしに出入りして、発車ベルが途切れることのない国電ホームのような目まぐるしさではない。平塚、小田原、熱海、沼津、静岡方面からの東海道本線中距離電車が次々と到着しては、清掃員が手早く車内を綺麗にして、運転手と車掌が車内を見回りながら前後を入れ替わり、瞬く間に帰宅客を乗せて発車していく隣りの7番線、8番線ホームのような張りつめた空気もない。9番線も湘南電車が使用するが、2
【主な乗り物:高速バス「さいたま・つくば」号、「TMライナー」、「ベイライナー水戸・横浜号」、京浜東北線快速電車】開業後、たった3ヶ月で消えた高速バス路線がある。多客期やイベントでの臨時運行を除く定期路線では、おそらく、我が国の高速バス史上における最短の運行期間ではないかと推察する。余程乗らなかったのだな、と思うけれど、起終点の都市を見ると、この区間はそんなに不人気だろうか、と意外に感じないでもない。その愛称は「さいたま・つくば」号、さいたま新都心駅・大宮駅とつくばセンターを
新宿駅西口ロータリーに面したビルの裏側にある、新宿高速バスターミナルは、多くの利用客と、対面の家電量販店の買い物客が交錯して、いつもごった返している。山梨や信州方面へ向かう中央高速バスの出入りが、夕方のピークを迎えた、平成2年10月の午後5時のことである。通行人を制するホイッスルがけたたましく鳴り響き、他の高速バスを圧倒するかのように、白地に赤い波線がひかれた、ひときわ大型のスーパーハイデッカーが、狭隘な乗り場にぬうっと姿を現した。正面の方向幕には、「福岡(博多駅天神)」と、誇らしげに書
【主な乗り物:東海道新幹線「ひかり」21号・近鉄「名阪甲特急」・「名神ハイウェイバス」名古屋-大阪系統】昭和60年代、僕が東京で大学生活を始めて間もない頃に、東海道新幹線の下り1番列車を何度か利用した時代があった。東京駅を6時00分ちょうどに発車する博多行き「ひかり」21号である。当時、品川区大井町に住んでいた僕は、そのために、自宅を早暁5時過ぎに出なければならなかった。出掛けるのは日曜日が多かったので、東京駅へ向かう京浜東北線はすいていて、疎らにロングシートを埋めている乗客もこ
【主な乗り物:夜行高速バス「サザンクロス」号神戸・大阪・京都-長野・須坂・中野・飯山・湯田中線、長野電鉄線】週末の三宮の高速バスターミナルは混雑していた。乗り場の隅に佇んでいる僕の視界に、次から次へと様々な人々が現れては消えていくが、大半は、互いに言葉を交わすわけでもなく、他人の視線を避けるように目を伏せ、もしくは一心にスマホの画面に見入りながら足早に移動している。JRや阪急、阪神、山陽電鉄の駅と繋がっている通路を行き交う人々。ターミナルの窓口で乗車券を求めて列をなす人々。ガラ
ごきげんよう♪りとるみいです。自己紹介はこちらホアヒンに行ってきました。数日間はホアヒンの記事になると思います今日はホアヒンまでの行き方について書きたいと思います。ホアヒンへの行き方はタクシー、鉄道、バスの選択肢がありますが自分なりに調べた結果SuvarnabhumiAirport発の(スワンナプーム空港)VIPバスを選びました。*ロットゥー(乗合いミニバン)もありますが長距離なの
7月19日午後リガからヴィリニュスへバスで移動する。バスの到着が遅れたため、30分遅れでリガを出発した。バスに乗車するときに乗車券とパスポートを提示する必要があるが、前のいた老夫婦チケットと身分証(マイナンバーカードのようなもの)を提示して乗り込もうとしたが、運転手からパスポートの提示を求められたが提示できず、運転手に乗車を拒否され乗れず降りて行った。リガからヴィリニュスまでの所要時間は4時間半程度である。道中両脇は小麦ないしは菜種が植えられている。見渡す限り畑が続く途中でバスが全く
旦那の実家ボストンへの旅行記もいよいよ大詰め〜今回から、2泊3日で訪れた、Martha'sVineyard(マーサズ・ヴィニヤード島)の旅行記になりまーす。ボストンからは、直行の飛行機の便もあるけど高いので、今回は、バスとフェリーを使って3時間くらいかけての旅に。今回は、旦那の妹の持っているタイムシェアに滞在させてもらえるとのありがたいオファーでマーサズ・ヴィニヤード島に行けることに。ちなみに、この島は、オバマ元大統領や、セレブが避暑地として別荘を持ってたりする島ら
浅草駅を16時20分に発った東武鉄道の特急「りょうもう」号は、時刻表通りの17時25分に館林駅に滑り込んだ。東武鉄道の特急電車と言えば、浅草と日光や鬼怒川を結ぶロマンスカーが知られているが、群馬県東部に向かう急行電車が運転を開始したのは昭和8年と古く、昭和30年代には「あかぎ」「こうづけ」「おりひめ」「からさわ」と命名されていたが、昭和44年に「りょうもう」に統一された。昭和31年から「じょうもう」を名乗る急行電車が上毛電鉄に乗り入れて、中央前橋駅を終点にしていた時代があったのだ
福井に行きたくなった。正確に言えば、福井へ向かう高速バスに乗りたくなったのである。福井の街には、何の用事もない。けれども、福井へ行くバスに乗ることは、僕にとって立派な旅の動機であるから、福井に用事があるという範疇に入るのだろうか、と、正午が間近な東京駅八重洲口バスターミナルの一角で、目の前を行き来する人波を眺めながら考えた。抜けるような冬晴れに恵まれた、平成28年師走の日曜日のことである。違うかな、とも思う。福井へ行くバスは、通常、福井に所用がある人間が目的を達成
平成14年8月に開業した東京-勝浦・小湊・御宿間高速バスは、平成11年開業の東京-安房鴨川線「アクシー」号の好調な利用実績に触発された地元自治体が、バス事業者に開設を要望したと聞いた。「アクシー」号には乗車体験がある。海が主体の土地と思い込んでいた房総半島を内房から外房へ横断しながら、これほどこの半島は山深かったのか、と蒙を啓かれた記憶が、今でも鮮明である。その後は内房を起終点とする高速バスばかりに乗っていたので、久々の外房に向けての高速路線の登場に心が逸った。それでも、実際に乗る機会を
【主な乗り物:夜行高速バス「ドリーム」3号、富士急行線、特急「あずさ」、特急「しなの」】富士の裾野にある昭和大学教養学部での生活が始まって2ヶ月程が経過した頃、僕の放浪の虫が蠢き始めた。前年の浪人時代に初体験した国鉄「東名ハイウェイバス」で、すっかり高速バスの虜になっていた僕は、今度は夜行高速バスに乗りたくなったのだ。僕が、東京と名古屋・京都・大阪を結んでいる国鉄バス「ドリーム」号を選んだのは、昭和60年当時の夜行高速バスと言えば、「ドリーム」号以外に、東京と仙台・山形を結ぶ「東北急行
【主な乗り物;夜行高速バス「ギャラクシー」号・高速バス「グラン昼特急」号・東北新幹線「やまびこ」・大阪環状線】新型コロナウィルスの流行がひと段落して、ぼちぼちと旅に出掛けられるようになったのは、ありがたいことである。令和5年6月の週末に思い立ったバス旅は、西へ行こう、と決めた。西へ行こうと決めたにも関わらず、僕は東京発の東北新幹線「やまびこ」を福島駅で乗り捨て、濃緑色に染められたE5系車両の発車を、夢見心地で見送っていた。ホームは閑散としていて、歩くのも苦労するほどだった東京駅の雑踏が、
このような列に並ばなければ、乗れないのか──国鉄の分割民営化後に初めて開業する高速バス路線として、昭和62年4月にJR東日本バスと関東鉄道バスが東京-つくばセンター間に新設した「つくば」号に乗りたくて、東京駅八重洲南口の高速バス乗り場にやって来た僕は、目の前の光景に思わず溜め息をついた。当時の東京駅八重洲南口バスターミナルは、1番・2番乗り場が静岡・名古屋方面の「東名ハイウェイバス」、3番乗り場が「つくば」号に充てられていたが、3番乗り場を先頭とするバス待ちの長蛇の列は、
平成26年6月の週末、外に立っているだけで辟易するような蒸し暑い夜のことである。人々が雑多に行き交う池袋駅東口の高速バス乗り場に、今宵1晩を過ごす「ホワイトビーチシャトル」号が姿を現した時、ついている、と思わず小躍りしたくなった。「ホワイトビーチ」などという海岸が日本にあったかしら、と一瞬思ってしまうが、直訳すれば「白浜」で、大宮を始発にして、池袋・新宿・横浜を経てから、紀伊半島西岸を経由して南紀白浜まで710kmあまりを疾駆する夜行高速バスの愛称である。長距離を走る夜行バス路
2024夏、実家の長野へ帰省しました。今回の往路は子供達初めての夜行バス。小学生&幼稚園の今ぐらいなら十分にできると思いチョイスしました。出発はここからです、JR大阪駅桜橋口高架線下。写真では見切れていますがこの左の白壁はセブンイレブン。買い忘れのものは直前でも手配できそうです。大阪駅には高速バス乗り場が沢山あります、ここは桜橋口。長野行きは桜橋口から横断歩道を渡りさらに西側にあります。各方面へ行くバス、そして降車としても使われていてひっきりなしにバスが来ます。
マジなのか?常識なさすぎ高速バス大阪⇔東京で高速バスに乗った話。とにかく安く、時間をつぶさずに大阪東京間の移動方法を検討。新幹線が一番時間はかかりませんが、費用と日中の時間をつぶすため却下。飛行機は面倒。空港に行くまでに時間がかかる。とすると高速夜行バスが残った。はっきりとは覚えていませんが、これが初めての高速夜行バス。さて価格をネットで調べると。2,700円からあるではないか。日程に合わせて予約を始めるが、2,700円なんて見当たらない。そう、これは昼間の料金で夜間は6,