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【主な乗り物:夜行高速バス「ブルーメッツ」号、高速バス「はりまや」号昼行便、夜行高速バス千葉・TDL-大阪線、JR京葉線】新宿駅西口の小田急百貨店が入った駅ビルを背にして、広大なロータリーを見回せば、正面に路線バスが途切れることなく出入りする複数のホームが並び、右手の小田急ハルク前には小田急「箱根高速バス」が発着する乗り場、左手前の京王百貨店前には羽田や成田へ向かうリムジンバス乗り場、そして左手奥には「中央高速バス」などが出入りする新宿高速バスターミナルがある。ロータリーの中央には地下駐車場
(『平成29年「ドリームスリーパー」の個室で味わう最上級のおもてなし前篇』の続きです)広島バスセンターを21時50分に発車した、全席個室の夜行高速バス「ドリームスリーパー広島・東京」号の走行距離は833.4km、12時間もの長旅である。中国道を山陽道に乗せ換えて、新名神高速道路や新東名高速道路を使うことで、平成元年に誕生した「ニューブリーズ」号に比べて100km近くも短くなったのかと思う。ビルの3階にあるバスセンターの連絡通路を下り、桜並木が囲む広島城の脇をすり抜けて、まばらに
【主な乗り物:高速バス「浜田道エクスプレス」号、特急「スーパーおき」、JAIR広島-出雲線、夜行高速バス「メイプルハーバー」号】久しく、中国自動車道を走っていなかったな、と思ったことが、旅のきっかけだった。吹田JCTと下関JCTを結ぶ総延長540.1kmに及ぶ高速道路が、中国地方の中央部を東西に貫く形で開通したのは昭和58年のことで、昭和の終わりから平成の初頭にかけて、大阪以西へ向かう高速バスは、全ての路線が中国道を経由していた。高度経済成長期の昭和37年から数次に渡って策定さ
【主な乗り物:夜行高速バス「プレミアム中央ドリーム」号、近鉄吉野線特急電車、近鉄名阪特急電車、JR快速「みえ」、「中央高速バス」新宿-名古屋線昼行便】平成25年に改築されたばかりの東京駅八重洲口バスターミナルに足を踏み入れると、溜息をつきたくなるほどの堂々たる風格に圧倒されてしまう。駅ビルの両端には、地上43階・地下4階・高さ204.9mのグラントウキョウノースタワーと、地上42階・地下4階・高さ205.0mのグラントウキョウサウスタワーが辺りを睥睨し、広々とした空間が確保された地上
【主な乗り物:夜行高速バス「しまんとエクスプレス」号、特急「喃風」、東海道・山陽新幹線「のぞみ」、特急「しなの」】昭和30年代から50年代にかけて、帰省バスが全国を走り回っていた時期があった。盆や年末年始などの多客期に、殺人的な混雑を呈していた鉄道を補完して、地方から大都市に出て来ていた人々の里帰りの足を支えたのである。その起源は、大阪の中央交通が昭和36年に日本で初めての帰省バスの運行を開始したと自称しており、福岡の西鉄バスでも昭和37年に福岡-大阪間で帰省バスの運行を開始、横浜に本
【主な乗り物:夜行高速バス「しまんとブルーライナー」号、路線バス宿毛-宇和島線、高速バス「サラダエクスプレス」号大阪-宇和島線昼行便、リムジンバス伊丹-大津線、京阪石山坂本線】平成18年12月23日の土曜日の昼下がり、羽田空港を13時に離陸した全日空25便は、1時間たらずの短い飛行を終えて、伊丹空港の滑走路に着陸した。羽田の空は真っ青に晴れ渡っていたが、西に飛ぶにつれて眼下は分厚い雲に覆われ、伊丹は暗い曇り空で、接地の間際まで滑走路が見えなかった。航空機で大阪入りしたのは久しぶりだ
【主な乗り物:夜行高速バス「ドリームスリーパー広島・東京」号、高速バス「福岡・防府・周南ライナー」号、高速バス広島-徳山線】けたたましい警笛が広島の夜の空気を切り裂いた。振り返ると、路面電車のすぐ鼻先を横切って車がUターンをしようとしており、紙屋町西電停から動き出した路面電車が車輪を激しく軋ませて急停車したから、ハッと息を呑んだ。その向こうから対向の電車も近づいていたが、既に停車していた。車は素知らぬ顔で反対車線を走り去ったが、危ない芸当をするものだと思う。幸い、電車内の乗客に
【主な乗り物:夜行高速バス「萩エクスプレス」号、路線バス萩-秋芳洞線、路線バス山口-秋芳洞線、高速バス山口-徳山線、夜行高速バス「アルバ」号】日本の高速バスで、片道の営業距離が1000kmを初めて超えたのは、平成2年10月に走り始めた、新宿と福岡を結ぶ「はかた」号である。当初の営業距離が片道1173.4km、片道の所要時間が15時間10分にも及ぶため、2人の運転手がおよそ2時間おきに交替しながら夜通し運転するという、夜行高速バスの標準的な運行方法で果たして安全性が守られるのかが危ぶまれた
【主な乗り物:夜行高速バス「ムーンライト」号、東海道・山陽新幹線「ひかり」】僕が、生まれて初めて九州へ渡ったのは、昭和61年の師走だった。昭和58年に開業した大阪と福岡を結ぶ夜行高速バス「ムーンライト」号に乗ったのである。片道の走行距離658.2㎞は、それまで最長だった東京と大阪を結ぶ国鉄「ドリーム」号の574.8kmを抜いて、当時の日本最長路線となっていた。「ドリーム」号は、全国規模のネットワークを持つ国鉄だからこそ運行できた路線だった。当時、長距離を走るバス路線としては、他に、
【主な乗り物:高速バス「さぬきエクスプレス」号、高速バス「サラダエクスプレス」号大阪-徳島線】徳島への旅と言えば、同時に、明石と鳴門の青い海原が瞼に浮かんでくる。鉄道に乗りまくるために、初めて四国を訪れた昭和61年の夏、1つだけ、別料金を払って四国ワイド周遊券では利用できない乗り物に乗ったことがあった。それが、鳴門海峡を渡る路線バスだった。鳴門の地名の由来は、「鳴る瀬戸」。激しい潮の流れから生じる轟音が鳴る、狭い海峡との意味だという。寝台特急「瀬戸」から宇高連絡船
夜行高速バスは大阪駅JR高速バスターミナル発でした。バスターミナルのあるビルの地下1階の女子トイレは着替え用の踏み台がある広めの個室トイレや顔を洗える洗面台の数があり、夜行バスの中で眠る体制を整えられます。私はラフな格好に着替え(下着も替えました)キャリーバッグの最終荷造りをしました。ビル内の飲食店はどこも盛況で、居酒屋で20分待ちでした。シメはヘルメスソースを使った焼そばを注文しました。テレビでヘルメスソースを知り気になってました。甘めで焼きそばにしたくなる味
弾丸東京③から続いています。高速バスに乗る前に遅めの晩ごはんにしましょう東京駅にある東京ラーメンストリートにやってきて、六厘舎に決めましたメニューです。特製つけめんにしました。麺のボリュームもあり、大満足です食後は八重洲口にある、JR高速バスのりばにやって来ました。23:00発のドリームルリエ17号大阪駅行きを利用します。出発10分前にバスが到着しました。乗り込みました前方の4席がプレシャスクラス、その後ろがアドバンスクラスで14席です。今回はプレシャスクラスを予約していま