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数年前に『益子町史』をゲットして以来、古墳巡りのため何度も益子町を訪れてます↑益子町への道中、いつも気になっていた「根本山自然公園」の看板。昨年の大晦日、この根本山自然公園に立ち寄ってみました。看板のある場所は真岡市根本。場所はこちら:36.432980,140.063920↑1枚目の写真(中央の奥)にも写っていた能仁寺(のうにんじ)の山門。↑大雄山能仁寺のご由緒足利尊氏を開基として康永二年(西暦1343年)に建立したそうです↑環境省と
以前から、一度はここからの富士山を眺めたいと思っていたでも、残念ながら天気は思わしくなく・・・・涙でも、南北朝時代の観応の擾乱の古戦場として有名だ足利尊氏と弟の直義が争った場所。足利は血で血を洗う源氏の直系だ当時の武士たちはどんな思いで、この峠を越え富士山を見たのだろうと思いを馳せながらノンビリ上る。少なくとも上りは歩き(笑)自分の足で、こんな場所や伝承を発見できるのも、楽しみだ往復7キロ前後でちょうどよい距離だった出発地点
昨夜「逃げ上手の若君」のアニメを見ていて、子供の頃の頃に見た「一休さん」を思い出しました。「逃げ上手の若君」は足利尊氏の時代で、「一休さん」は足利義満の時代という違いがあります。「逃げ若」の北条時行は奪われた鎌倉を取り戻すために、「逃げる」をベースにした生存戦略を繰り広げます。「一休さん」は、仏の教えと智恵(とんち)を使って、武器を持たずに世の中の理不尽や将軍のわがままと渡り合います。「足利幕府」という雑な括りをしてしまいましたが、時代が少しずれるだけで、作品の空気感や主
1,奥州軍上洛さて、人物帖顕家編3回目ですが。建武2年(1335)11月。ついに後醍醐天皇は足利尊氏討伐を命じます。ここから所謂「南北朝時代」がスタートすることになります。『北畠顕家の旗ー蘭陵王太平記ー』でぜひとも描きたかったものについて、「奥州軍の2度の上洛」があります。箱根・竹之下の戦いで敗れた新田軍を追撃して、足利軍が上洛。それを追い奥州軍も上洛します。彰子「沿道の住民にはご迷惑な気も……」隼人「この時代は基本的に現地調達。つまり略奪な」そろそれ、前の作品のキャラに退場して
冬霞これは珍しい、足利直冬の小説だよー!足利直冬といえば、足利尊氏の庶子であり、なぜかとことん父に嫌われ子として認められず、尊氏の弟の直義の養子になった子。めっちゃ戦に強くて、九州に追いやられたらそこで力をつけて父の敵になったという謎の(?)人物。そう、わたしにとっては色々と謎。庶子とはいえ、何故ここまで父・尊氏に嫌われたのかがまず謎。解釈はさまざまにあると思うので、ストーリーとしてどういう理由をつけるのか、この作者さんの解釈を見てみたかった。が・・・よくわから
⇧宝物殿⇧仏殿浄光明寺矢捨地蔵浄光明寺に在る仏像の【矢拾地蔵】です。お寺の人に『(足利尊氏の弟の)足利直義が持っていた矢を拾う仏像は何処ですか?』と聞いたらこの像だと教えてくれました。足利直義は、鎌倉を攻められて攻防戦になりました。直義の鎌倉戦と言えば、1335年の『中先代の乱』かなぁ〜戦いの中で、矢が不足します。すると側にいた小僧が、矢を集めてくれました。戦いが終わり感謝を伝えるために小僧を見ると地蔵に変わっ