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こんばんは、mmm(まーママ)です。4月17日(金)現存天守がある備中松山城を見学したあとは、城下町を散策します。石火矢町ふるさと村白壁の土塀が約250メートル続く、かつての武家屋敷街です。2つの屋敷が公開されています。旧折井家(きゅうおりいけ):中級武士の屋敷。当時の生活様式を再現した展示があり、縁側から眺める庭園が見どころです。備中松山城の猫城主さんじゅーろーのマンホールを見つけたよ。旧埴原家(きゅうはいばらけ)市指定重要
今日、前々から行きたかった足利氏の本拠地たる足利市の史跡を巡ってきました。↑足利学校足利は、言わずと知れた室町幕府を作り上げた足利氏の本拠地で、隣には新田氏の本拠地”新田荘”があります。新田の方は、あさくらゆう先生が存命中に何度か足を運んでいました。というのも、あさくら先生が調べている人物が新田の方にいたことから、レンタカーを借りて何度か行っていたんですね。その際、中世の武士道を調べていた都合で新田義貞に興味があったため、利害が一致して一緒にに行っておりました。足利市はその都度通過する
【京都】『御所八幡宮』では神幸祭が毎年9月15日前後に行われ神輿渡御のお神輿が御池通りや周囲の町内を巡行します。普段は社務所は開いていませんがランチに行く途中、通りかかると神幸祭の準備中で御朱印をいただく事が出来ました。【御所八幡宮社御朱印】【御祭神】応神天皇神功皇后比売神御所八幡宮はもともと御池堀町西南角の御所八幡町
「南北朝の戦い」というのは、実は「源平合戦」と同じくらい、誤解を招く表現です。南北朝時代を「南朝と北朝が戦った時代」と考え「北朝の勝利で終結した」という捉え方は、あまり実情を反映していないからです。つまり、北朝の天皇は、戦ってもいないし勝ってもいません、実際のところを見れば。足利尊氏や後醍醐天皇のせいで天皇家が二つに分かれちゃった訳では、ありません。天皇家は、尊氏よりずっと以前、鎌倉時代のうちから、「持明院統」と「大覚寺統」の二つに割れて、交互に天皇を出しながら反目していたんです
○『逃げ上手の若君』、主人公・時行の逃げ死にを以て5年の連載に幕・・ッ!今週の「週刊少年ジャンプ」第12号(26年2月16日発売)にて、松井優征の人気漫画『逃げ上手の若君』が堂々の完結を迎えた。連載開始は2021年の第8号だったから、振り返れば5年にわたる長期連載となった。コミックスの刊行はちょいと滞ってるみたいだけど、最終27巻が今年10月に発売される予定。◇漫画公式サイト『逃げ上手の若君』公式サイト『逃げ上手の若君』公式サイトwww.shonenjump.comいや~、内容
穆佐城(別称:六笠城・高城)(Ⅰ)宮崎市高岡町小山田創設年代・・・・元弘年間(1331頃)創設者・・・・・足利尊氏形態・・・・・・山城遺構・・・・・・曲輪・堀切・土塁ポイント城は佐土原から都城を経て、薩摩に向う薩摩街道上の要衝に位置。東流する大淀川右岸の東西に長い丘陵上に立地.丘陵の反対側には支流の瓜生川が丘陵を挟んで東流し、大淀川に注いている。更に城の北・東・南の三方は水田等の湿地に囲まれた要害。縄張りはは幅20mの大きな空堀と、急峻な切岸に囲
明治から昭和の戦前まで、南北朝時代の天皇は「南朝が正統」とされ、異論は許されませんでした。現実の天皇は北朝の子孫なのに。たとえ学問の分野でも、うっかり足利尊氏や北朝を擁護するようなことを言うと、ヒステリックに非難され、弾圧されました。なんでか?明治維新、という政治運動が「南朝正統」という思想をドグマとしていた、からです。幕末に活躍した「討幕の志士たち」が自分たちの活動の基盤とした思想は、「とにかく天皇は神聖で、天皇に逆らう者は悪である」という「尊皇思想」というヤツです。天皇の意志に叛