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昨日夕方の情報番組で見て行かなきゃと血が騒ぎ曼陀羅寺公園江南藤まつりに行って来ました30年ぶりです30年前のゴールデンウィーク既に終わりに近い状態藤の記憶がない^^;その時のリベンジ今日は、お天気に恵まれて素晴らしい藤を見ることが出来ました先日の名古屋城の藤はぶっ飛びました^^;御覧ください九尺藤野田白藤本紅藤八重黒龍初めて見ました紫カピタンこれも初めてです藤の名前はパンフレットより時折吹く風に藤のカーテンがゆらゆら藤の香りに酔ってしまいそうなくらい曼陀
鎌倉時代に後鳥羽上皇と後醍醐天皇が配流された日本海に浮かぶ隠岐を訪ねて、9/28~10/13までの16日間にわたって、ゆかりの地や史跡名勝を車中泊しながら巡りました。8:30津山市の「作楽神社」へ到着しました。作楽神社(さくらじんじゃ)は、鎌倉時代に美作(岡山県北部)の守護職(大名)の館(やかた)のあったところで、境内全体が大正11年(1922)に国の史跡に指定されています。2日目(9/29)は、前夜車中泊した津山市の道の駅「久米の里」を出発して、最初に「作楽神社」を参拝しま
ライバル剥き出しの両県人このタイトルを見て、「あ~あの話か」と思われた年輩の方は多いでしょう。「お互いにライバル意識を剥き出しにする」と言う話で・・・別の言い方をすれば「仲が悪い」とも言えるし、逆に「良き競争相手」とも言える。先に申し上げておきますが、これは当時(昭和)に「そう言えば、そんな話があったな」と言う一時期の状況であり、現在(令和)の若い人は「そんな話は知らない」と言う人がほとんどだと思う。福岡の生まれ育ちの僕が、このことを意識したのは会社人生の中半だった。支店の
昨日は一日雨模様だったので録画した番組を見て過ごしました。そんな中で本日は映像の世紀で放送された昭和天皇の備忘録です。前編では軍部の台頭に伴い、立憲君主から現人神へ移行する過程を描いていました。後編では戦後一転して現人神から象徴へと天皇の立ち位置は時代と共に大きく変わりました。昭和天皇は1901年生まれですのでまさに20世紀の幕開けと共に激動の世紀の中にその生涯を全うされました。昭和天皇初の海外渡航は第一次大戦の終結間もない欧州訪問で当時はまだ20才の親王でした。この訪問が生涯の中で一番の思
「南北朝の戦い」というのは、実は「源平合戦」と同じくらい、誤解を招く表現です。南北朝時代を「南朝と北朝が戦った時代」と考え「北朝の勝利で終結した」という捉え方は、あまり実情を反映していないからです。つまり、北朝の天皇は、戦ってもいないし勝ってもいません、実際のところを見れば。足利尊氏や後醍醐天皇のせいで天皇家が二つに分かれちゃった訳では、ありません。天皇家は、尊氏よりずっと以前、鎌倉時代のうちから、「持明院統」と「大覚寺統」の二つに割れて、交互に天皇を出しながら反目していたんです
鎌倉時代に後鳥羽上皇と後醍醐天皇が配流された日本海に浮かぶ隠岐を訪ねて、9/28~10/13までの16日間にわたって、ゆかりの地や史跡名勝を車中泊しながら巡りました。1~3日目(9/28~30)は、後鳥羽上皇と後醍醐天皇の隠岐への配流ルートを辿って岡山県から島根県へ4日目(10/1)は、七類港からフェリーで隠岐・知夫里島へ移動後、後醍醐天皇ゆかりの地、赤壁5、6日目(10/2、3)は、西ノ島へ移動後、国賀海岸、後醍醐天皇ゆかりの地、焼火神社7、8日目(10/4、5)は、中ノ島へ移動後
鎌倉時代に後鳥羽上皇と後醍醐天皇が配流された日本海に浮かぶ隠岐を訪ねて、9/28~10/13までの16日間にわたって、ゆかりの地や史跡名勝を車中泊しながら巡りました。1~3日目(9/28~30)は、後鳥羽上皇と後醍醐天皇の隠岐への配流ルートを辿って岡山県から島根県へ4日目(9/29)は、七類港からフェリーで隠岐・知夫里島へ移動17:45道路沿いにある「河井の地蔵湧水」にやってきました。「松養寺」の駐車場から5分もかかりませんでした。4日目(10/1)は、島根県の七類港