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鎌倉時代に後鳥羽上皇と後醍醐天皇が配流された日本海に浮かぶ隠岐を訪ねて、9/28~10/13までの16日間にわたって、ゆかりの地や史跡名勝を車中泊しながら巡りました。1~3日目(9/28~30)は、後鳥羽上皇と後醍醐天皇の隠岐への配流ルートを辿って岡山県から島根県へ4日目(10/1)は、七類港からフェリーで隠岐・知夫里島へ移動後、後醍醐天皇ゆかりの地、赤壁5日目(10/2)は、知夫里島からフェリーで西ノ島へ移動後、国賀海岸の観光6日目(10/3)は、西ノ島の焼火神社、後醍醐天皇行在所
楠木正成を代表とする「悪党」とは何か、彼等はなぜ後醍醐天皇のために最後まで戦ったのか、って話をします。「悪党」とは、鎌倉幕府から認められた御家人ではない、「武士とは認められていない」非正規武士のことです。悪党は幕府体制に入らない者を差していますから、悪の意味は「bad」ではなく「irregular」です。元寇をきっかけに、鎌倉幕府は従来勢力範囲外だった西国の武士たちを組織化することに成功しました。かえって幕府の威勢は高まっています。ところが。鎌倉幕府が滅亡したのは、貨幣経済の浸透です。
こんにちは、philosophiaです少し間が空いてしまいましたが3泊4日の近畿攻城TRGの続編です。翌日の朝食は、ビュッフェ形式で和食中心にしましたがさすが大阪です!たこ焼きがあったので2ケ追加(笑)食後のエスプレッソ珈琲お世話になった部屋の号室は、誕生日と同じでした!昨夜は夜中に雨が降ったようで、チェックアウトの時気づきました(^^;宿からほど近い、クルマで約10分程で到着したのは<寄手塚・身方塚>南北朝1333年(元弘3年、正慶2年)に後醍醐
84歳の青春中今を生きる❣孤高の安倍神像神社素心宮司の自己流「二千日回峰早朝修行」今日で「999日」達成皇紀2685年令和7年12月15日月曜日風が冷たい零下1度霧深し今年の目標千日回峰まで後「1日」午前2時30分起床午前6時山頂到着午前8時帰宅14キロ~15キロ徒歩数約25、000歩継続こそ力何かの夢と目標を達成するためには、痛みや苦しみを実行しなければ成就しない。修行の道は甘くない愚直に山
本年7月から公開しております森町新調だんじりのご紹介シリーズも8回目の最終回を迎えました。いよいよ大詰め、最終回はズバリ「見送り」です。まずは全体像から見ていきましょう。地車後方の姿見から順にセンター(馬乗り:楠木正行)へと迫っていく構図。しかも網無しというシーンは、見学会でしか体験できないもの。ド迫力のその題目は「四条畷合戦」。四条畷の合戦南北朝時代の正平3年(1348年)1月5日に河内国の四条畷で発生。この戦いは、南朝の楠木正行とその弟正時が、
ご訪問くださりありがとうございます。11月前半の三連休家人と明智光秀一族のお墓のある西教寺に行ってきました。やっと涼しくなっておでかけしたくて仕方がありません。琵琶湖大橋を渡って湖西の坂本方面へ。通行料80円琵琶湖にかかる2本の橋の北側の長い方です。比良山系に雲がかかっているのが見えます。写真に撮ると縦柵が写りますが肉眼では走っていると消えてきれいに琵琶湖が見えます。中央寄りの車線だと滋賀で生まれ育った方は全員歌える琵琶湖周遊の歌が聞こえる不思議