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鎌倉諏訪神社⛩️鎌倉駅の近くに在る【諏訪神社】です。小さな社で、始め気づかずに通過しました。諏訪大社の分社で、鎌倉時代には此方には諏訪家の屋敷がありました。諏訪頼重は、北条得宗家の次男時行(長寿丸)を諏訪に匿って育てました。長寿丸は、【逃げ若】での諏訪大社での呼び名です。足利尊氏の関東の仏名も長寿様だったのは、何かの因果ですかね・・・二年後に反乱軍を起こして、鎌倉を一時制圧しました。中先代の乱です。乱の大将の北条時行は、ま
新田義貞の鎌倉九品寺鎌倉の【九品寺】(くほんじ)です。1333年に長年に続いた北条得宗家を倒して、鎌倉幕府が潰れます。その北条家の供養の為に新田義貞が本陣が在った場所に建てたお寺です。鎌倉に新田義貞の縁の物って少ないですね!倒幕後に直ちに恩賞交渉の為に後醍醐天皇に京に直談判に行きました。だからかなぁ・・その後も西日本中心に活躍をしました。変わりに足利尊氏の切れ者の弟の直義が、鎌倉を治めました。・・・・
浄妙寺⑤極楽将軍父の墓前回に続いて、鎌倉の浄妙寺です⬇️『鎌倉浄妙寺④極楽征夷大将軍』鎌倉浄妙寺極楽征夷大将軍鎌倉御家人の足利氏の菩提寺【浄妙寺】です。最近の直木賞作品の『極楽征夷大将軍』を読みました。足利尊氏や弟の直義など南北…ameblo.jp足利尊氏・直義兄弟の父の貞氏の墓です。鎌倉末期の幕府の御家人として活躍した足利貞氏です。足利家は源氏の一族で、鎌倉時代に北条家とは常に親族関係にあった家柄です。北条家と上
鎌倉浄妙寺極楽征夷大将軍鎌倉御家人の足利氏の菩提寺【浄妙寺】です。最近の直木賞作品の『極楽征夷大将軍』を読みました。足利尊氏や弟の直義など南北朝時代の物語です。そんな事で、南北朝の鎌倉関連中心に廻りました。作中で弟の直義が、兄の尊氏の事を述べています。『兄の唯一の、そして最大の美点は底なしに人が良いと言う一点のみだ』殆ど政事に興味がなく、弟の直義や執事の高師直が政策の担当しました。本人は、褒美をあげる役を好んでして
お盆ということで鎌倉幕府を倒して室町幕府を開いた初代将軍足利尊氏のお墓参りに行ってきました🙏足利尊氏菩提寺京都等持院卍この平和な世を作って頂きありがとうございます😊開門前に到着したので貸切りでした(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)足利歴代の将軍像も安置されています今読んでいる三島由紀夫の金閣寺3代目足利義満も居られ、偲ぶ事が出来ました📖´-皆さんはどんなお盆をお過ごしでしょうか?🍀*゜🎐
北朝第一代光厳(こうごん)天皇は鎌倉幕府末期の天皇で、南北朝時代の北朝初代天皇です。御父は後伏見天皇、御母は西園寺寧子。光明天皇は同母弟。諱、量仁(かずひと)。正和二年(1313年)生。在位は元弘元年(1331年)から元弘三年(1333年)。朝廷が持明院統と大覚寺統に分裂していた鎌倉時代末期、両統から順番に天皇を出す両統送立(りょうとうてつりつ)が幕府主導で行われていました。その持明院統の後伏見天皇の第三皇子として量仁皇子は誕生します。元徳元年(1326年)七月、大覚寺統の後醍醐天皇
⇧徳崇大権現堂(北条高時を祀っています)北条の家紋も見えます。⇧大聖歓喜天堂・インドの神様で半象半人のガネーシャを祀っているお堂ですね~鎌倉宝戒寺北条大権現鎌倉時代末期には、北条得宗家の専制が強く寄りなりました。対抗出来る力を持つ一族は、次々と潰して行きました。鎌倉の有力御家人の三浦家や安達家なども粛清されました・・・そんな事で、優秀な政治家(武将)が乏しい時代でした。京の六波羅探題とか、兵力があっても使いこなす人物がい
西暦1333年、武士による日本統治の礎を築いた鎌倉幕府は、信頼していた幕臣・足利尊氏の謀反によって滅亡する。全てを失い、絶望の淵へと叩き落とされた幕府の正統後継者・北条時行は、神を名乗る神官・諏訪頼重の手引きで燃え落ちる鎌倉を脱出するのだった……。逃げ落ちてたどり着いた諏訪の地で、信頼できる仲間と「逃若党」を結成した時行は、「逃げて」「生きる」ことで苦難を乗り越え、大軍を率いる将としての実力を磨いていく。一方、京では尊氏が権力を着実に増し、鎌倉では尊氏の弟・直義を筆頭にした新たな統治が
この方、時々歴史系で出て来ていろいろ説明してくれる方ですが長曽我部維親氏長曽我部元親から数えて18代目子孫らしい。ただし直系ではないです。直系は大阪夏の陣で全滅。で、この苗字って長曾我部?長宗我部?どちらが正しい?どうも傍系の子孫が江戸時代に長宗我部ではまずいってわけで別な姓、島姓などに変えていて明治維新にまた戻した際にどうも違う漢字でに戻した流れがある模様。同じ話が、宇喜多秀家の子孫にもあって、関ヶ原で負けて
(『新・人間革命』第11巻より編集)224〈躍進〉31“大楠公”は、一三三六年、朝敵・足利尊氏の上洛を防ぐために、湊川の戦いに赴く武将・楠木正成と、長子の正行の、父子の別れを歌った歌である。敗北が必死の湊川の戦いに臨む正成は、桜井の地でわが子・正行を呼び、故郷に引き返すように告げる。だが正行も父とともに死ぬ覚悟であり、帰ろうとはしなかった。しかし、正成は、二人が討ち死にするならば、尊氏の天下となってしまうこと
尊氏が求めた「源氏の世」。その代償とは、何だったのか。1338年8月11日、足利尊氏が征夷大将軍に任じられました。尊氏は「源氏の世に戻す」との想いで、後醍醐天皇とともに鎌倉幕府を倒しました。しかし後醍醐天皇と対立し、楠木正成らとの戦いに勝利すると、光明天皇を立てて京都に新たな朝廷(北朝)を開きます。こうして、南北朝時代が始まりました。【今日の一言】禅の言葉、四弘誓願の一節をご紹介します。「煩悩無尽誓願断」。尽きることのない煩悩を、断とうと誓う、という教えです。今日一日、その心
昨日のことになりますが、埼玉県は小手指の方に南北朝戦乱の史跡を巡ってきました。↑小手指原古戦場碑↑案内版この地域では、南北朝時代に三度も合戦が起こっています。代表的なものが新田義貞による鎌倉幕府滅亡時に起こった合戦となります。史料『太平記』によれば……大手の軍勢は同月十一日の午前八時に武蔵国小手差原に到着した。ここで遙かに源氏の陣を見わたすと、軍勢は雲霞のごとく群がって幾千万騎とも知れなかったので、桜田と長崎は予想外であったのだろう。そのまま馬を止めて進み得なかった。これに
もう先週のことなんですが、作家生活で初めてやりました。重版原稿の校正ですね。つまり、誤字脱字チェックです。そう、プロとしてあるまじきことではありますが、少々誤字がね……読者様から指摘があったのは「高氏」とするべきところが、「尊氏」になっていたというものです。足利高氏の「高」は北条高時からもらったものですが、建武の新政で後醍醐天皇(尊治)より一字をもらい「尊氏」としています。北畠顕家「早々に剥奪せよ」多田貞綱「武士とはもらったものでは返さないもので」実は南朝は「
「東北まほろばの道」のtohoku-inehapoさんに教えていただいた三峯神社、『【福島市】しのぶ探訪④北畠顕家と共に戦った佐藤顕秀の「三峯神社」』もう7月なんてっ!はい、とても興味深い三峯神社です。東北地方には、三峯神社は数多くありますが、福島市内にあるのは、知りませんでした。信夫もちづり石の近くです…ameblo.jp二本松旅行の帰りに立ち寄ってきました~狭い道、クルマが邪魔にならないところにようやく停めてお参りの開始です。狛犬様のお出迎え。
⚫︎『平家物語』は平家一門の栄光と破滅を描いた一大叙事詩。『鴨越の逆落とし」などの源平合戦のイメージは、ほとんど『平家物語』に由来する。⚫︎『太平記』は、後醍醐天皇の倒幕運動や南北朝内乱を叙述した軍記物。『明徳記』『応永記』などの中世後期の軍記類は文体、故事成語や中国古典の引用の仕方を『太平記』に倣っている。⚫︎『太平記』は『平家物語』の影響を強く受けていて、『平家物語』と『太平記』を抜きにして日本史を語ることは難しい。⚫︎平家物語の作者は不明。信濃の下級武士・行長、盲目の法師・生仏、高
本日も足利市の伊勢神社のお話です。何と!素晴らしい手ぬぐいが授与品にありました☆足利伊勢神社と足利市のアイコンがデザインされています。こういうデザイン、大好きです!しかも注染☆右下はあの有名な渡良瀬橋です!(後で記事になります)良い手ぬぐいだなぁ~
北朝第二代光明天皇は、室町時代が始まった時の天皇です。御父は後伏見天皇、御母は西園寺寧子。同母兄は北朝初代の光厳天皇(後醍醐天皇により在位を否定され、三種の神器をもって即位されたにもかかわらず御歴代の天皇としては数えられていません。)元亨元年(1321年)生。御名は豊仁(ゆたひと)。在位は建武元年(1336年)から貞和三年(1348年)。鎌倉時代末期、後醍醐天皇に従って幕府を攻めた足利尊氏や新田義貞らの働きで鎌倉幕府は滅び、後醍醐天皇は光厳天皇を廃して天皇に返り咲きます。しかし、足利尊
アクセスありがとうございます搾取子のカリンです今回は毒親体験です毒親・きょうだい差別に無関係でご興味もないかたは避けて行って下さい良いご家庭で大切に育まれ毒親という言葉に嫌悪を感じるそんな方々はとくに不快に思われるかもしれません関係ない人を不愉快にしたいとはまったく思っていません※本文中の写真はフォトACからですかつて帝の兄弟差別が全国的な争乱の遠因になった事をご存知ですか後嵯峨帝(1220-1272)は兄弟である2人の皇子のうち弟皇子の方を偏
【感想】『荒山徹「風と雅の帝」(2023)』【感想】天皇が主人公というのが珍しいかもしれない。しかし、光厳天皇は歴史の荒波に揉まれ、即位したにもかかわらず、正史では天皇としての在位は記録されていないとい…ameblo.jpこの本(↑)を読んで、南北朝時代に無知な自分に気が付き、慌てて本書を購入して読んでみた。なるほど、極端に言えば後醍醐天皇ひとりにかき回された時代。先に読んだ上の小説では、後醍醐天皇は『悪役』だったのだが、後醍醐の側から見ればそうとも言えまい。まあアナクロだったので上
1,顕家の陸奥帰還と湊川の戦いさて、人物帖顕家編も4回目と。建武3年(1336)2月となり足利尊氏は西に逃れ、都は一時的に平穏を取り戻します。しかしそれはあくまで「都」だけです。そして新田義貞は尊氏を追って西に進み、顕家は3月には陸奥への帰路につきました。この同じ時期、尊氏は九州に上洛、多々良浜の戦いで菊池氏に勝利しています。余談ですが、多々良浜の戦いは足利直義の大活躍で勝利。直義の生涯2度しかない勝ち戦の1度です。もう1回はいつだ?尊氏は菊池氏と宮方勢力を追い、北九州を制圧下
しかし毎日暑いですね東北南部も梅雨明けしたのかと思わせられる、本当に暑い日が続いてます。昨日は雨でしたが、本日は雨の予報が外れ、日差しが降り注いでいますそれでもここ数日に比べると、まだ涼しい一日ですけどね。今日は自宅でまったり過ごしています。↑2023年上期の直木賞受賞作です!さて最近、時間をかけて読んでいたのがこの「極楽征夷大将軍」です。「征夷大将軍」というのですから、話の中心は当然ながら「足利尊氏」公のはずですが、どちらかというと、弟の「足利直義」公の奮闘ぶりがメインのよ
1,奥州軍上洛さて、人物帖顕家編3回目ですが。建武2年(1335)11月。ついに後醍醐天皇は足利尊氏討伐を命じます。ここから所謂「南北朝時代」がスタートすることになります。『北畠顕家の旗ー蘭陵王太平記ー』でぜひとも描きたかったものについて、「奥州軍の2度の上洛」があります。箱根・竹之下の戦いで敗れた新田軍を追撃して、足利軍が上洛。それを追い奥州軍も上洛します。彰子「沿道の住民にはご迷惑な気も……」隼人「この時代は基本的に現地調達。つまり略奪な」そろそれ、前の作品のキャラに退場して
偉人・敗北からの教訓第149回足利尊氏・最愛の弟と決別した室町幕府初代将軍の悔恨「距離が近い人ほど、互いに甘えと馴れ合いを生み、全てがストレスへと変わることがある。長年の付き合いでも、雑にならずに丁寧に、ベストな関係でいたいもの」同意。↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
偉人・敗北からの教訓第149回足利尊氏・最愛の弟と決別した室町幕府初代将軍の悔恨「物事は放って置くだけで全部が都合よく思い通りになるなんてことはない。何でもかんでも人任せにせず、大切なことは、自分の責任できちんと取捨選択しないと、全部を失うことになる」正しく、その通り。↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
偉人・敗北からの教訓第149回足利尊氏・最愛の弟と決別した室町幕府初代将軍の悔恨「自分が自分らしくいられるのは、優秀な周りの支えがあってこそ。但し、その立場に甘えていつまでも頼りきっていると、組織のバランスが崩れていくかも」大事なこと。↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
私:平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての有力御家人で、鎌倉幕府初代侍所別当の和田義盛は、(三浦氏の支族の)杉本義宗の長男。苗字が違うのは、長男なのに杉本の家を出て自分の家を興したから。でその杉本義宗も、(桓武平氏の流れを汲む三浦氏の一族の長の)三浦義澄の長男で、長男なのに、三浦の家を出て自分の家を興したから杉本姓となっている。どうも、「長男」の意味あいが、今の感覚と合わないのではないだろうか。鎌倉時代の終わりから室町時代の初めの頃の武将の、足利尊氏と、新田義貞のこと。(足利
そして、この『立(りっ)正(しょう)安国(あんこく)論(ろん)』に仰(おお)せの原(げん)理(り)は、ただ御(ご)在(ざい)世(せ)にその現(げん)証(しょう)を私達は拝見(はいけん)するだけではない。日蓮(にちれん)大(だい)聖(しょう)人(にん)の仏法(ぶっぽう)を立てない以上は、広宣(こうせん)流布(るふ)までの間は自(じ)界叛(かいほん)逆(ぎゃく)・他(た)国(こく)侵逼(しんぴつ)の難という事は年ごと、日ごとにこれが増大(ぞうだい)をしていくのですね。ですから、日(に)本(ほん
1,顕家と陸奥さて、人物帖の顕家編は2回目と。今作の最大の柱はなんと言っても「顕家と陸奥」です。公家の御曹司である顕家が、奥州の武士、民との関わりの中でどう変化していくか。捨松「陸奥の心を感じてくなんしょ」極子「まあねー不破の関の向こうは狼とかでるらしいしー。お風呂もないだろうし~」捨松「うう……公家はいづも陸奥さ馬鹿にするけんじょ」別コーナーのキャラが出ますが、それはそれとして。しかし、この時代の都の公家の基本認識は、おそらく戸田極子さんと同じだと思います。顕家も建武以前は都
【感想】天皇が主人公というのが珍しいかもしれない。しかし、光厳天皇は歴史の荒波に揉まれ、即位したにもかかわらず、正史では天皇としての在位は記録されていないという悲劇の天皇である。この小説での天皇は『進歩的』考えの持ち主であり、著者の理想の天皇像を描いている様だ。だから、少し現実離れした感は否めないが、小説なのでこれはこれで面白い。古代、戦国時代、幕末の歴史小説は結構読んでいるが、南北朝時代を描いたものを読むのはおそらく初めて。この本を読んで知識の疎い南北朝時代に俄然興味が湧いて来てしまい、
御所様は物言う鳥の絡繰りが、歌って踊るのに満足されたが・・・。このお話は今回で終わります。まとめはこちらにあります。足利家の執事87物言う鳥騒動-乱F(または那須富士)のマンガ#漫画-pixiv