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2023年12月になり夫は相変わらずハードなスケジュールをこなしていく。疲労感などは感じないようだ。高次脳機能障害の生活リハを見学に行くと、夫より少し上の世代の方や同世代の方々が参加していた。それを見て少し安心したのか、1月から週一だけ通うことになった。(申し込みだけで診断書をお願いしに行ったり、役所関連の申し込みはただただ面倒くさい。)夫の歩行は先月よりも安定している。一度階段から落ちかけたが、私と移動するときは少しフォローする程度でなんとか杖で歩行が出来
おはようございます開運コーディネーターのmammyです2021年ALSの診断が出た夫を在宅介護しています私たちのALSとの向き合い方はコチラ『ALSの夫と在宅介護する生活』おはようございます占いもするカラーセラピストのmammyです2021年ALSを発症した夫の在宅介護をしています2023年6月夫がALSを発症して2年半が経…ameblo.jpALSの症状と夫のケースはコチラ『ALSとは夫のケース』おはようございます占いもするカラーセラピストのmammyです2021年ALSを発
今年の1/17に最愛の父が他界し、今度は母までもが危うい状況によく後追いするようにって話しは聞いたことあるけど2/22に転倒、肩骨折してから完全介護状態になり兄と私でオムツ替え含め自宅介護していたら、2人が疲弊してしまったのでリハビリも兼ねて入院してもらった今まで頑なに入院拒否していた母も兄や私の様子を見て仕方なく納得しての入院だった入院して1週間程は思いのほか病院食も美味しかったらしくリハビリ頑張るなんて言ってたけどその後すぐに退院したいと懇願するように
こんにちは。暖かくなってきましたね。花粉、すごい飛んでいますねえ。私は母の介護中なので、一年中マスク姿😷ですが、花粉症を発症していて、ますます今マスクが手放せません暑くなってくると、マスクは辛いですね。今、無印良品週間やってますね。会員は割引になるので、さっそく購入してきました。食べ物ばかり。あと写真に写ってないですが、クレンジングオイルも買ってみましたよ。もうすっかり、春ですねえ。桜関連のお菓子がたくさん、ありました。お菓子は、ゆっくりいただきます私は要介護4の
ある日の午前中、2階のリビングにいる夫が急に夫「漏れそう」(前日に液体の便秘薬を飲んでいた)と恐ろしい言葉を発した。私「え!!ヤバい!早くトイレ行こうよ」(2階のトイレには手すりがないので一階まで急いで付き添う)出来る限り急いで一階のトイレへ。間に合わなかった、、。床と下着と服に付いたう◯こ。。色々な感情が湧いて来た一階の自室にいてくれたら間に合ったのに。退院してから家でのフォローは全部一人でやってきた。不安
2024年4月夫は脳出血発症から1年2ヶ月ほど経っていた。相変わらず家でのご飯は食べられない。その代わり週3回の高次脳機能障害の生活リハと自費リハの帰りに一人で外食をして帰って来る。他の日はバスで駅まで行ってどこかで食べているようだ。(それでも、一日1食分くらいしか食べれていない)歩行はかなり安定してきており、転ぶことも無く向上している。夫はこの頃から、外出する度に子供たちにお菓子やおもちゃ、ぬいぐるみ、洋服を勝手に買ってくるようになる。注
自宅介護するようになって、今でも疑問に思う事。施設では家族の目が届かないので、何をされてるか分からない。勿論、入居者さんが過ごしやすいようにと言う。勿論そう言うさ。でもね、ディサービスはやってるのに面会は出来ない、ジジイが好きなお菓子もたくさん持っていってるのに、ジジイからはお菓子渡されてない、食べてないと電話あって、私もストレスになってた💧なんだかねぇ、入居者のことより、施設の都合を優先してる気がする😓まぁね、何十人もの人がいるから、いちいち構ってられないだろうけど😓そんなんでジ
31日に無事ショートステイから帰ってきました。私は、その日お迎えを娘に頼んで、お友達とお花見をしてきました。主人にもと思い、もうそろそろ散りそうなので、今日車に主人を乗せて、近くの桜並木をドライブしてきました。車イスだと目線が高いので少し見にくいようでしたが、桜吹雪を楽しめました。その後ホームセンターに行って、見守りカメラを買いました。私が買い物や用事で、家を空けるとき、主人の様子が見られたらいいかなと思って。娘に設定してもらいました。外出中に様子が見られるのは、安心ですね。帰り
照射線治療のため大きい病院へ。放射線科は病院の奥の方にあった。入り口とは比べものにならないくらい人がいない。待合には慣れた様子の患者さんが他に二人いるだけだった。放射線治療の説明を受ける。治療期間は5月13日から6月26日まで全33回年齢を考慮して多めに設定された。土日を除く平日に毎日通う。(回数多い!!!え?なが!!22回じゃないんかーい!)先生「長いけど、副作用はないから頑張りましょう。強めの日焼けのようにはなるけど、消えていきますから。」
2022年12月パパの病気が分かりました闘病中は自分の心を整理する為にそして健忘録の為にブログを書いていましたパパは約8カ月の闘病の末旅立ちましたいま振り返ってみると少し違って書いてしまっていたり書いてなかった出来事や症状もあると思うので記憶にあるうちに振り返りながら書き留めておきたいと思います2023.3.7大学病院を退院1月4日に入院して3月7日に退院ずっと入院期間は3ヵ月と思っていたけど数えてみると2ヵ月だったと今、書きながら気が付きましたこん
2023年10月から週2回自費リハビリ週に2回歩く事に特化したデイサービス(とは言えお年寄りしかいない)週に2回入浴介助週に各1回訪問看護、訪問リハビリ、買い物同行(車いすでヘルパーさんと買い物)その為、週6で家にヘルパーさんや看護師さんやリハビリさんが出入りする。これが意外と神経を使うもので、子供たちの世話をしながら、夫の支度を手伝ったり、見送ったり、迎え入れたりバタバタしながら過ごしました。この頃、夫はよく障害者になっちゃったと嘆いていた。高次脳機能障害につい
夫のことばかりで振り回されていたが、私も6年ぶりの乳がん検診へ。数年前と同じ病院に行った。マンモ、エコー、触診。先生「久しぶりすぎて前回との比較ができないから、3ヶ月後もう一度見せて下さい。」そう言われて、ほっとしていた。(なにも無かったってことだね。よかったー)2023年12月末私と娘たちは実家に帰り、兄家族との予定を入れていた。夫も了承済みでショートステイに行くことになっていた。(退院前から夫、ケアマネさんにもお願いしていた。)長女はるち
退所して、美味しい居酒屋さんへ連れて行った。ここが1番好きな飲み屋さん。家を出る時から機嫌悪し😓ムカつくわ〜!五島牛天ぷら盛合せちゃんと日本酒の名前覚えてて、大山頼む🍶途中ニヤけるのがムカつくわー😖何が気に入らないのか、ムカつく!!大好きな味噌汁。私は酒🍺飲むと、なぜか帰る時のことが覚えてない😓なので、写メ撮るようにして💧車椅子で玄関まで連れてきたんだろう😆あぁ~ムカつくわ〜!また施設入れるぞ!何が気に入らないのか分からないので、楽しくない。飲んでても会話無し😓
おはよー。白いクリスマスローズが咲いたよ。見えてる網は、気にしないように(笑)オキザリスたち。なーらんだー。なーらんだー。亀たち。いつもの場所で。後ろは土塔だよ。********訪問医療は木曜日なんですが、昨日は、祝日だったので、今日来られました。胃ろう交換してくれました。家で交換してくれるので、ありがたいです。先生がふと、ふすまに貼っている長男と赤ちゃん(孫)の写真を見て、いつの写真か聞いてきました。え?在宅を始めてから、ずっと貼っているのに今頃?
久しぶりの投稿ですとうとう父が癌の終末期を迎えました大きな病院での治療も終了し、地域の訪問診療をしてくれる病院に変わる事になりました食べる事が難しくなり楽しみにしていたデイサービスも行けなくなりこれからは家で過ごす事になりました父が穏やかに毎日を過ごせればと思っていますが、2匹の猫達が走り回り私も妹もおしゃべり好き娘や姪っ子も加わり、ワイワイガヤガヤデイサービスでの王様気分の生活から一変娘達からやいやい言われながらの生活に変わり父は嬉しいのかつらいのか
要介護度5の実母の病気や入院生活、自宅介護などについてつづっております。2017年の初夏に脳出血を発症。2019年の晩秋に脳梗塞を発症。回復期リハビリテーション病棟にてリハビリ後、近ごろ退院。現在、自宅介護中。↓脳出血の母日々のキロク↓←救急搬送&急性期病院の話最初から←リハビリ病院の話最初から↓脳梗塞編日々のキロク↓←救急搬送・急性期病院にて最初から←脳梗塞で再びリハビリ病院へ母の介護において、父は食事担当。おむつ交換や車いすへ
現在、自宅で暮らしている要介護3の母。脳出血発症時のことを振り返ってみました。←救急搬送&急性期病院の話←リハビリ病院の話←前の話さて。脳出血を発症しリハビリ病院を経て、自宅へ戻ってくることになった母。自宅介護のため、もろもろ準備が必要です。母の部屋&介護用品の準備■ベッドを入れるための畳の保護■寝具■ベッド周りの収納■介護用グッズ■おむつ等その他■冷暖房、家電等■その他居間のもようがえ■家具食事用の
突然の一人外出をしてしまった夫。まぁ、すぐに帰って来るだろう。そんな風に考えていたが、2時間ほど帰ってこなかった。(子供たちと心配する。パパどこに行ったんだろうね。近くの公園にでもいるのかな、、、。転んでいたらどうしよう。)ようやく帰って来たと思ったら、子供たちにお土産を買って少し満足そうに、夫「一人でバスに乗って、電車に乗ってきた。」私「えぇ???大丈夫なの??危ないよ。やめてよ。転んだらどうするの。」(急展開すぎる。一人外出をあんなに怖がっていたの
2024年2月自費リハビリを、他の施設に変更した。訪問リハビリの方が、今までの自費リハビリの内容が高額の割に薄いと言うことで、少し遠い場所だけど、もっと夫に合いそうなところを探してくれた。そこに通うことになった。(以前の自費リハは、ずーっと体感を鍛える訓練ばかりやっていたらしい)(新しいところは、機械を直接足や腕に取り付けて歩いてみたり、夫の理想とする歩行に近い訓練が出来そうではあった。)ただし金額は週1回、2ヶ月で176000円(なかなかお高い)おまけに遠
子供たちにも報告した。(もの凄く軽いノリで)私「乳がんだったよ。とりあえず手術してくるから2泊3日病院に行ってくるよ!ばーばが来てくれるから心配しないで、はるちゃんは学校ちゃんと行ってね!」長女はるちゃん「ママ、大丈夫なの?」私「全然大丈夫だし、元気だし。すぐ帰るし!!」はるちゃん「そっか、ばーばのご飯食べられるのは嬉しいな!」私「そうだよ!ばーばのご飯いいじゃん!因みにSwichは持って行くけど、いいかしら?」はるちゃん「ママー、病
2024年1月(脳出血から1年)夫の状態・軽く支えてもらいながら杖と装具での歩行ができる(段差や坂道などは危ない事あり)(私もヘルパーさんに教えてもらいながら、軽く支えたり見守りながら歩行が出来るようになったので車椅子を返却した。障害物や段差を先に教えたり、歩行者や車などに注意を向けるように伝えたりは必要。)・高次脳機能障害はあまり変化が見られない(注意障害、ぼーっとしている、目線の違和感、無気力、感情の抑制が出来ない)・外出したい欲が強くなってきており、私がそれ
現在、お義母さんが亡きあとの部屋の整理をしています。骨折からの経緯が早すぎて気持ちが付いてこないです。葬儀会場としても使用する部屋で、何度もお義母さんの目を瞑っている姿が、いつものように眠っているようにしか見えず入院中、声掛けしたらパッと目を開けて直ぐに閉じるお義母さんでしたから、今にも目を開けるのではないかと思う程…頭ではわかっていますけど。信じられないです。入院中の事を書いています。入院して3日目の事今後の退院後についての介護の仕方を医師から聞いていました。入院して5日目
そういえば、夫の髪の毛がおばさんみたくなっている。入院中の中性的なマッシュルームカットが伸びた状態だった。以前からお世話になっていた美容院に一人で行くという。(タクシーを使って行くと、、、。)(??この身体で?え?どうやって?無理でしょ?美容師さんが介助できないことなんてわかりきっているのに、高次脳機能障害のためか、想像ができないのか、できないことを出来ると思い込んでいる節がある。そこを上手く無理だと伝えるのが難しい。気持ちは出来ると思い込んでいるので
日曜日の朝手足が紫になり水分を全く摂れなくなり明らかに状態が良くないように感じたので訪問看護師さんに連絡しました父は後1日か2日だと思うと言われました慌てて遠方に住む三女に連絡しましたたまたま出張で実家に爺ちゃんの様子を見に来ていた私の息子もいましたみんなで夜ご飯を食べている途中に父の呼吸が止まりました日曜日は寝てていいよと言っても目をつぶらなかった父が静かに目を閉じました苦しむ事なく長い眠りにつきました
ご無沙汰しております😅1月17日から特養施設に入所してたクソジジィが帰って来た😆頭だけがシッカリしてるので、不満だらけの施設はやっぱり無理でした😫自宅では自由気ままにしてたので、そりゃそうだろうよ。11時に迎えに行って、大好きな蕎麦を食べに行きました。ざる蕎麦一人前。ミニカツ丼天ぷらめちゃくちゃガッツイて、食べるの早い💦缶ビール500を1本🍺ディサービスに行ってる父ちゃんと再会させました😅2人は相思相愛なので、嬉しそう☺️17時30分から、主治医、ケアマネ、ヘルパー、理学
夫が勝手に二階に上がって来たあと、夕食時だったので、家族でご飯を食べる。退院祝い用に買った高めのお肉に喜ぶ子供達の前でため息が止まらない夫。夫「だめだ、やっぱり味がしないから食べられない。」二、三口食べて夫の食事は終了。とりあえず薬を飲ませる。椅子に座りながらボーっとし続ける。(なんか怖い)入院時から比べると姿勢はすこしマシになっていたが、それでも下を向き、目線だけ動かして会話をする。それかスマホでYouTubeを見ている。長女はるちゃんも、パ
優しい光が✨✨✨✨✨迎えに来たよ……と、言わんばかりに降り注いでたっけ………ちょうど、365日まえ、私は…本当の悲しみを知りました。💦💦💦💦💦💦それは、想像以上のものでいまだにズルズル…ひこずっていて…。ずるずる……。ずるずる…。いつかは、、、、って思ってたけれど。それは、静かに、突然にやって来ました。主なき部屋打ち返す波が砂を運んでいくように逆らうことはできずに。あっという間に光の中へ逝ってしまいました。ふりかえって
手術翌日になると結構すっきりしてきたのでマリオカートをしたり、youtubeを観たり、帰りに一人で帰れるように体操ついでに部屋の中を歩き回ったり。産後、子供たちからこんなに離れたことは無かったので、自分の意のままにやりたいことを出来る、食事も毎回美味しいし、片付けなくてもいい。え?なんか最高。ちょこちょこ看護師さんが見に来たり、管を外したりして2日目も終了。(シャワーも入れました)3日目、今日も病院食が美味しい。先生が様子を見てくれて帰り支度。電車で
羊水検査日を決めるため産院を受診した。胎児が生きている状態のエコーを最後に夫にも見せたいと思い、夫に付き添ってもらった。経腹エコー:胎児の大きさは13w4dで週数ぴったり。元気に動いていた。首の後ろのむくみがあった。むくみは2.7mmでそこまで厚くはないけど胎児がのけぞった姿勢をしているため正確に測れないと言われた。10〜13週頃にできる絨毛検査を希望していたがこの産院では実施していない。羊水検査ができるのは16週以降で結果は4週間後と言われた。となると20週以降での中期中
本澤二郎の「日本の風景」(5487)<誤診と看護放棄に殺された日本の医療レベル>日本も国際社会も混乱と景気後退に揺れている。この時とばかり政敵叩きやうそ情報が氾濫し、混迷に輪をかけている。医療における誤診が、いたるところで起きている。診断ミスは、医療では患者の命を奪い、政治のミスは国民生活を疲弊させ、大量の人々の命を奪うことになる。2010年4月7日は次男正文の命日。そのことが、どんな悲劇なのか、第三者には理解できない。家族兄弟の人生を狂わせることに対して、誰も気づかない。父親の仕事や