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合祀墓の納骨の時お骨のケース、カバーはどうするか大黒さんはどのみち可燃ゴミに出すので御家族に持って行ってもらうだがたまにゴリラ🦍は機嫌が良いと『寺で処分するので置いてって下さい』邪魔をする人前では住職をたてるので『住職がおっしゃってます寺があずかりますね』……………………可燃ゴミに詰める時良い人のフリしやがって!そんなら自分でやれよ💢ゴリラ🦍は現場だけ裏方…合祀墓の鍵🔑あけてお骨を置いて御家族に説明してその間にも携帯がなる電話に出て葬儀屋
2023.02.06(月)夫入院3020日目投稿したと思っていたのでこんな時間になってしまいました遺影のブログでお葬式をどうするかと言う内容のコメントが有りました私も悩みどころでありますあっさりした妹は自分の時は1日葬で棺の中はカラー(好きな花)のみ好きな服でなく死装束で良いその後の法要は何もして要らんと言います母の時お通夜、告別式身内のみで済ませまあ色々あってお寺と関わりたくなかったから49日、1周忌はしませんでした今年の3回忌も妹としないと決めま
<2023.2.4ILで公式音源挿入+カバー写真変更><2019.3.28記事>父の四十九日と納骨、母の命日(3月29日)墓参りのためふるさとの山梨に帰った(2019年3月28日)。父と母が一緒に眠ることになった墓地から見える風景は、こうして見る限りでは小さい頃と変わらない。父と母に守られて、宝のような毎日だった。父と母のお陰で今の私がいるし、私の家族がいる。父と母が私にしてくれたように、我が子にしてあげられているだろうか。我が子たちが小さい頃を懐かしいものとして振り
父が亡くなり、納骨は昨日済んで、江の島は相変わらず行く時はいつもいい天気。快晴の中納骨してきました。異様に重くてでかい骨壺を姉が一生懸命運び、電車を乗り継いでいきました。これで一息なんだけど、父が亡くなり、だいぶ前に母も亡くなっているため、今日は実家の片付けに来ました。父は亡くなる2年前くらいから日記をつけていて、それを読んだのですが、やっぱり高齢というか人生の終末になると興味があるのは食・排泄・睡眠になるんだなあと思いました。日記に出てくるの
午前中の寺法事が終わり午後の寺法事がスタートした35.49.100日法要に合祀墓の納骨である法事が終わるタイミングで本堂前に待機するあずかってた仏花を御家族にお渡しして皆さんを合祀墓に案内する遺影、位牌をお墓に置き塔婆を置く合祀墓をあけて先に入ってた和紙に包んであったお父さん………………………何十年も前に亡くなってたので墓を更地にした時骨は完全に土になっていたをお母さんの骨壷に入れてあげた娘さん達の小さな孫は偉かった納骨堂に入っても泣かないでしっかりとお別
立春です。気持ち少し暖かくなった気がします。このまま一気に春になればいいのですがねー。さて、今日もゆめちゃんの話です。あたちがゆめちゃんです。寝起きです。2月中に主人のお骨を納骨に行く予定なんですが。主人の母が「ゆめちゃんに会いたいから、連れてきて。」と言って来ました。姑の願いを叶えてあげたいのでその準備を始めました。(ゆめちゃんの体調次第ですが)福岡まで移動するので、新幹線などの交通機関を使わなければいけません。今日はそのために、ゆめちゃんを入れるキャリーバ
ご訪問いただきありがとうございます。自己紹介はこちらです→★・夫婦のこと・不妊治療のこと・母や義母のこと・長かった婚活時代のこと・どうでもいいくだらないことなどを書いています義父が亡くなり1年経とうとしてる。去年の6月ごろ義母がお墓を買った。ちょっとした絵をお墓に彫ってもらえるのだけどその絵がなかなか完成しない。墓石家の担当者と打ち合わせを何回もしているがイメージが正確に伝わらないので、担当者から指示を受けデザインする人から完成した図が上がってきても全く
月ん子は愛くるしい真っ黒のシュナウザーポケら〜おでこの癖っ毛はパピーの頃からだった憧れのルカちゃんかけっこはルカには敵わずリードを引っ張りっこ可愛かった基地に行けばいつも疲れて歩かなくなる漬物石と呼んで抱き上げていた思い出疲れやすかったんやねそれでも飛行犬体格もガッチリしていたこの頃色んな所に行った白浜六甲四国ミナミの街カフェドッグランいつも一緒だったサーブがやって来てからもいつもなんでも一緒そしてなんと言ってもサーブを育ててく
お墓をどうするか散々悩んで最終的には当選した墓地に🪦期限ギリギリで建てました。『お墓について、、、散々悩んだ結果』こんばんはもう12月ですね。そーいえば昨日は月命日だったなんだか最近は夫がいた時がすごーく昔のような気になってしまいます。ほんとにいたのかな?って疑いたくなっ…ameblo.jp先日、納骨式をしました。寒いけどお天気にも恵まれて爽やかな朝。亡くなってからずっと自宅にお骨を保管していたのでなんとなくずっと一緒にいるような気でいたけどもうそれもなくなってしま
前回ブログアップしたのが昨年の12月18日。実はその翌日19日早朝に父が亡くなり、さすがにこんな事態の時にブログを更新していくなんて不謹慎かと、忌中が明けるまではと自粛してきました。そして昨日に四十九日の法要を執り行い、無事に納骨まで終えることができましたので、一連の葬儀も一区切り。同時に気持ちも一区切りしたので、お気楽なブログですが再スタートしてもいいのかと、アップしている次第です。でも、このブログアップを自粛していた期間、実に色々なことがありました。まず死亡当日
マーブルの四十九日。そこを区切りに遺骨を納骨すると元々家族から言われていました。納骨するためにもマーブルの遺影を探さなきゃと重い腰を上げて、PC内の大量のマーブルの写真を子犬時から見始めましたなんて可愛くて…とても素晴らしい私のパートナー…凛々しく賢そうな顔してるよ…お手入れ大好きで自分から膝に来るオシャレさんだったね…たくさんの仲間に囲まれて…いつも楽しそうだった…そうそう、14歳もの年下の甘ったれサンタを快く迎えてくれたんだった…ハイシニアに入ってもいつも笑顔だったなぁ…
先週日曜日は父の四十九日法要と納骨でした寒波が来ていて雪道の高速道路は怖いので前日から新幹線とJRを乗り継いで、別府駅でレンタカーを借りて行きました時おり吹雪いたりしたけど無事に辿り着きました〜あと1日早ければ20センチも積もったと聞いてビックリ今は誰も住んでない事もあり、水道管が凍ってて大変だったらしいです家も築50年経ってるしあちこち不具合が発生してるけどこれから先誰かが住む事もないしどうしたものか…法事の時には集まって泊まりたいし悩みのタネになってます実家に帰ってももう父も母も居ない
昨日は義母の納骨でした。義母が遺した終活セットの中に(義父と義母の)遺骨をお骨壺から出してサラシの布に包んで納骨して欲しいと、サラシの布と共にメモ書きがあったらしいです。義兄が住職に義母の思いを伝えて「それはできますか?そんなのアリなんですか?」と訊くと結果アリ。住職も数年前に先代とそんな話をしていたらしいです。約50年前に火葬になってお骨壺に入れてから納骨するようになった。けどそれでは(土に還
過去の話です。『49日までの色々その1市役所編』はじめましてNetamiSonemiと申します。親御さんとの関係が良い方や、心優しい方は、このブログは大変に不快な内容だと思いますので、どうぞ、読まずに…ameblo.jp『49日までの色々その2ドタバタ編』『49日までの色々その1市役所編』はじめましてNetamiSonemiと申します。親御さんとの関係が良い方や、心優しい方は、このブログは大変に不快な内…ameblo.jp『葬儀その3無事?終わりました
♪部屋とYシャツと私愛する貴方のため♪(by平松愛理)結婚当初は、Yシャツにアイロンって、めんどくさっ!って思った家事仕事の一つ。父は自動車整備士だったので、サラリーマンのYシャツの人に憧れて、旦那様と結婚したけど…憧れは、憧れで留めて置けば良かった…と、真夏のYシャツのアイロンがけで、思ったわ。いやぁ〜あの頃記憶なんとかってのYシャツなかったからね。で、本題。妹からメールが来る。今回はメモを写メではなかった。ちゃんとメール。それくらい、私に聞いて欲
みっちゃんがいなかったら、適当な暮らしをしていたと思う。起きたくなるまでベットにいて、食べたくなるまで食べない。なんのメリハリもなくただダラダラ生きているのかもしれない。朝はご飯をあげないといけない使命感で起きるし、部屋の温度や餌の用意にみっちゃんの必要な物は切れないように用意しているから。私1人だともっと適当だったかもと思うと、寛子ちゃんがいなくなってもまともに生きなさいと言うているのかとも思える。最近は寛子ちゃんのお部屋に入っても、今までは時々いるような気がしたけど、最近全く感じな
明後日、KAKUTAの父親の、前倒しな四九日なので、お寺の本殿に果物を用意しました。甲斐くん、食べちゃダメ。(四十九日、納骨までは、「霊」が「こちら」にとどまっているので、「お供え」ではないのですね。ふむふむ)僕らは行くよ、寒い中。何日か暖かかったので、このキリキリとした寒気、きついですねえ。ってなわけで、最近、KAKUTAの術にはまった感もある絹巽(きぬた)くんの食欲増進、歩きにも表れている、かも、で
ご無沙汰しております。約1年ぶりのブログになります。書こうかやめようか迷っていましたが、なんとなーく今の自分の気持ちも書こうかなと思い、更新させてもらいます。去る11月30日、ネネちゃんの命日でした。たまたま都合で、命日に一周忌を行うことになり一緒に納骨もしました。あの日からあっという間の1年でした。1日たりともネネちゃんを思い出さない日はありません。朝から忙しい日だったとしても、必ず寝る前とかに思い出します。ただ、悲しいことに楽しかったことを思い出せなくて辛かったときのこ
緩和ケア医Drこまちさんがブログで納骨の話をされていて「あなたがきめていい」って書いてた。人の納骨は一般的なのが四十九日の時に一緒に納骨することが多いと思うけど納骨する時期とかいつまでにしなくちゃいけないとか決まっていない。それと同じで動物の納骨もいつまでにしなくちゃいけないと
毎日、ほとんどの時間を新生児か、冬眠中の熊のように眠って過ごしている気がする。抗がん剤治療の副作用か医療麻薬などの薬のせいか死期が近いのか、わからないけど起きてても痛いし、寒いのでトイレに行くと楽しい夢でも見るか?くらいのノリでベッドに直帰するハム子。軽食や水分補給のお茶、水はベッド周りに置いてありお供え物状態。あとは、白い菊でも飾ればもうこのまま葬式できるような環境下で今日、ひとつだけやり残していたことを実行しました。それは…「納骨」の手続きです。わたし
・・・・・・・っということで、オババ(義母)の葬儀は7日で決定して、順調に進んでいます。問題なのは、坊主。お布施をいくら渡せばいいか聞いても「お気持ちで」と答えるばかり。カミさんの家は代々天台宗の檀家になっています。ぼくの家は真言宗なのですが、特定の檀家になっていませんので、両親のときは「小さなお葬式」で済ませました。お布施も、戒名も業者に言われるままの額を包みました。(今から思えば激安。)しかし、カミさんの場合は、お寺を無視して進めるわけにはいきません。
19週でお空に還ったピヨちゃんピヨちゃんへの想いとこれからのこと日々のことを綴っています◆死産の記録について(子宮内感染・羊水過少(CAOS))→ピヨちゃんと歩んだ道◆赤ちゃんと過ごす最後の時間のために(残せる物、してあげられる事、プレゼント)→もしも天使ママ・パパになったら◆死産後の経過について→胎盤遺残と生理◆不育症の検査・治療について→不育症まとめご注意願います私は手元供養をしています。手元供養については賛否両論あ
叔父の葬儀は、とても質素なものでした。早朝にも関わらず、何人かの親戚に連絡をしたのですが、かねてより葬儀は小さく。というのが叔父の遺言でした。というのは、祖父や祖母の葬儀はそれはそれは大きく立派でしたが、同時に大変でした。寛永寺輪王殿で行われたのですが、参列者は1,000人以上来てくださった記憶があります。そういった事はしないで欲しいという、思いやりの気持ちで言っていたのだと思いますし、連絡した親戚も皆、徳川家というより徳川慶朝個人の葬儀としたいという意向が強かったので、その
呪われてるな〜と、思いますよ。😅うちの母親に。認知になっても、自分に逆らった娘への、恨み、嫌味を、顔を忘れても、言い続けるんだから。それは、きっと、呪いの言葉になって、母の施設の上に、溜まって行くのでしょうね〜。あ〜❗️怖っ👊。だから、私は、母のいる施設には、近寄らないのです。元々、この施設の館長は、家族さんの面会を、出来ればやめて欲しいと、思っているみたいでした。里心がつくのも、他の人が、混乱するのも、決して、施設側としては、望ましい事ではないか
朝方、顔が冷たいと感じて目が覚めた。私は、暖かい部屋で寝るのがダメ。一昨日、寝室の床暖を少し長めにつけておいたら、布団が温かくなりすぎてかえって眠れないのである。寒いくらいがちょうどいいのだ。そんな今朝のこと、夢を見ていたのを覚えている。そう、我家の懸念事項である。その一つが、次男が出て行った元我家。元々我家の所有物であるので、空家になったら、我家が管理しなければならない。あのめんどくさがり屋の夫が、片付けるとは思えない。ナニサマの納骨もある。本人は2月は寒い。3
こんばんは(^^)ぐりです(ネガティブな内容なので、苦手な方は閲覧お控え下さいまた、恐らく賛否両論あるであろう内容も含みますのでご了承下さい。)春彼岸の時期ですね。県外にある夫の実家のお墓の中に息子のぐらが眠っています。もうお彼岸終わっちゃうけど、夫の仕事の都合上、今週の土曜にぐらに会いに行ける事になりました。今住んでいるアパートに小さな遺影と鈴や線香類を置いて拝んではいるけど、遺骨はお墓の中。気持ち的にはぐらはいつも心の中にいる。夫の実家に行くと、物理的な意味
皆様ご無沙汰としております。最後の更新から2年もの月日が経過しました。あれから新型コロナウイルスに始まり円安に始まり大変な世間です。前々回のブログでは私は離婚と納骨のお話をしておりました。あれから私は2年近く前夫とは離れて暮らし別々の道を歩んできました。自分自身も転職をしたり国家資格を取得したりする中で、正直前夫とは完全に疎遠になると言うよりは仕事を通じてどこかご縁があり繋がることは多かったです。もちろん、個人的なお付き合いはしておりませんでした。しかし周りには元に戻ればいいのにと
世間でコロナ自粛が続く中主人の忌明け法要と納骨を滞りなく終えました無事にいっちゃんがいるお墓に入りましたこんな時なので私と子供達と主人の姉とだけでお斎もせずに法要後すぐに解散しましたその後は挨拶を兼ねて香典返しを届けてまわりました玄関先で渡して離れてちょっと喋って「終息したらごはん行こな!」って約束して。コロナ鎮火したら・・・の楽しみが増えたそして子供達もコロナ自粛で休日は引きこもり仕事も時差出勤や時折在宅勤務。私は保育園だから休
もぉ、最終手段とりました。義理親の電話番号着信拒否しました。子供いわく、着信拒否は相手にぷーぷーなるからダメだといいだした。やるなら、とことんやらないと!ってことで、義理親二人の携帯番号迷惑電話リストに登録、だから、私の携帯にかかってくることは二度とない義理兄からもラインがきてた、49日法要はどうなったか?納骨はどうするのか?ってきたけど、既読無視、納骨?もぉ、墓地もお墓も決まって着工のみだから、今更、私は話したくない全部こっちでやるに決
ナースコール代わり100円ショップで購入したベル夫の在宅療養に備えて揃えたグッズのひとつナースコールの代わりに、私がそばを離れている時に呼んでもらうために購入したそばにいない時、このてっぺんのところを押して呼んでねやってみてそう夫に説明したが、もう夫はうまく押せなかったその後一度も押されることはなかったお役目ご苦労さま祝日の思い出仕事に復帰する前に、役所関係の手続きを済ませたい昨夜、必要書類等を準備しておいた札幌市では「おくやみ窓口」というのがあり、こうした届出関係の