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また息子は目を覚ましてくれると信じていましたが、息子は朝になっても目を覚ますことはありませんでした。この時点で母親である自分も熱発し、コロナ陽性が確認されました。自分もしんどいけど、息子が起きない事への不安が大きくてそれどころでは無かったです。医師からは、「脳炎か脳症を疑っている」「MRI、CTの検査してその結果次第で大学病院への転院となる」と告げられました。午前中のうちに検査をしましたが、結果は異常なしでした。意識は戻りそうになく、その日午後に大学病院のこども医療センターへ転院することが
過呼吸が落ち着いた私はとりあえず携帯で痙攣重積型急性脳症について調べまくりましたが、6歳での発症例は極端に少なく、情報が少なすぎました。ただ、この病気を発症したら7割がなにかしら障害が残る事。障害の程度は軽度から重度で、この病気を未然に防ぐ事は今の医学では難しく、日本人特有の病気であること。そして治療法は特にない。記憶にあるのはこんな感じでした。(記憶が曖昧な為違ってたらすみません。)気がつけば夕方になっていて、娘も病室に戻ってきました。娘が戻って来るまでどうやって過ごしていたのか…
息子は2歳9ヶ月の時にコロナから痙攣を起こし、指定難病『痙攣重積型急性脳症』と診断されました。後遺症として重度知的障害があります。病前の息子は、歌とパズルが好きな男の子でした。病気になった日を境に、親である私の事も話し方も何もかも忘れてしまいました。病前はトイトレも済んでおりパンツでしたが、病気になってからまたオムツに戻ってしまいました。数ヶ月間、オムツ替えをする度に病前の息子を思い出して辛かったです。「お兄さんパンツ!」と喜んでいた息子が忘れられなくて、今でもパンツを捨てられずにいる母で
(息子が痙攣重積型《二相性》脳症と診断されたときの備忘録です)●1/25(金)娘がすでにインフルエンザA型に罹患していて、まもなく外出禁止が解かれようとしていた。この日、息子は朝から38℃の発熱があったため、保育園を休んだ。とうとううつってしまったか…そんな気持ちだった。発熱してすぐに病院を受診すると、インフルエンザの検査が陰性になることがある。そんな変な知識?があったので、すぐに病院には行かなかった。(この日は夫が休みを取ってくれ、私は出勤した)昼過ぎ、熱が40℃になったと夫
2017.12.23朝起きてからもずっと暴れてましたが、さらにテンションが上がったのは入浴後…入院してから一度もお風呂に入ってなくて、皮膚の状態が良くないのと、脳波のクリームで髪の毛がベタベタになってたのでとりあえず入浴しましょうと言うことで、看護師さんと3人がかりでお風呂に入りました。お風呂に入ったのが15時ごろで、テンションMAXは21時頃まで続きました。何度も柵を越えようとしたり、立てない自分に『なんで立てんの‼️なんでちゃんと立てないの⁈』と発狂したり…とにかく一瞬でも目が離
(息子が痙攣重積型《二相性》脳症と診断されたときの備忘録です)●1/25(土)救急外来から帰宅後、眠かったのか息子はお昼ご飯食べずにお昼寝をしてしまった。数時間後、起きた頃から異常行動が見られた。異常行動といっても、よく聞く、叫ぶ・外に出ようとする、などではなく「暴言を吐く」「物を投げる」という行動だった。なんの脈略もなく突然「バーカ!」と言ったり、クリスマスプレゼントにもらってから毎日毎日夢中になって遊んでいたトーマスのおもちゃを「こんなのいーらない!」と床に投げつけたり。。
2017.12.22翌朝はイロイロ電話をしました。息子の小学校の個人面談に参加できそうにない事。幼稚園へ当分退院出来そうにないし、今後どうなるか分からないけど、とりあえず休園したいと連絡。職場へしばらく休暇が欲しいけど、期間はいつまでになるか分からないからクビにしてもらって大丈夫です。…と…みなさん温かい言葉をかけてくれて、小学校→大丈夫です!気にしないでください!幼稚園→今すぐ病院に飛んで行きたい!娘に合わせて欲しい!職場→仕事は気にしなくていいから好きなだけ休みなさい!…
娘は2023年4月夜に発熱し痙攣を起こしました。熱性痙攣だと思いましたが、痙攣後に意識朦朧としていたため市民病院へ入院しました。入院中熱が下がり意識の具合も良くなってきた頃、再度痙攣を起こしました。この時に市民病院の主治医から県立病院への転院を勧められ、県立病院のPICUに入院しました。なかなか発作が止まらず、抗てんかん薬を2種類使い痙攣を止める事ができました。3日間意識がありませんでしたが、その後意識が回復しました。「意識が戻りました。短時間だけど特別に面談ができます。」と病院から
息子が熱を出した翌日の朝、1分間の痙攣が起きました。家族に救急車を呼んでもらっている間、私はスマホで痙攣の様子を撮影。「痙攣が起きた時は動画を撮っておくと良い」というのを以前SNSで目にしていたので直ぐに行動に移すことが出来ました。震える手で泣きそうになりながら撮影しました。救急車が到着し、救急隊員さんに痙攣の様子を聞かれた時に動画を見せることが出来たので良かったです。おそらくあの時はパニックになっていたので、口頭では上手く説明出来なかったと思います。直ぐに搬送先が決まり市内の総合病院に
2017.12.21この日はなかなか起きなかった。朝、看護師さんが検温に来て無理やり起こされたからか、娘めちゃくちゃ不機嫌熱を測ると37.4℃微熱があったりなかったりだったから、また微熱かぁ…熱が完全に下がらないと退院は無理だろうなぁ…なんて思ってた矢先、娘が痙攣し始めた💦右側だけピクピクして目は明後日の方向…最初の痙攣も手足だけ冷たくて、今回も同様に冷たかった。痙攣中失禁もした。バタバタとお医者さんや師長さんがやって来て、様子を見てすぐに痙攣止めの薬を取りに行った。けど、す
PICUに入ってから度々看護師さんや先生が電話をして下さり、息子の状態を教えて下さいました。電話がなる度に、状態が悪化した報告ではないかと緊張が走りました。どうか「意識レベルが回復し、話しました」と言って欲しい、そんな気持ちでいっぱいです。PICUに入った日に成分輸血をして、血小板の数値が7万まで増えました。同時にステロイドパルス療法も続けて行い、脳を保護するビタミン剤も入れていたみたいです。PICUに入って3日後、少しだけ安心できる報告がありました。「昨日は目を閉じていて体動もなかっ
ウトウトしか出来なかった隣を見てもいつも一緒に寝てる息子と夫がいないあーやっぱり現実なんだ夫に息子の様子はどうかLINEしました返信はまだ痙攣が何回もあるよとの事そっかぁ…私は両親に電話をしました「れんが昨日の夜痙攣したから救急外来行ってそのまま入院してるよでも熱性痙攣だと思うから3日くらいで退院できるよまた連絡するね」と報告をしましたもちろん驚いてたけどすぐに退院出来るという事で安心してる声でした私は準備をして病院に向かいました息子は目を開
これまでの記事は、当時を振り返った記事(2021年)となっていますいよいよ退院に向けて本格的に動いています息子が帰ってきても今のままの部屋じゃ危険すぎる⚠️息子は危険がわからないのでまずは全ての部屋に鍵を付けることにしたのです🔑物置にも鍵をつけて🔑キッチンに入れないように柵を取り付けて息子の目線から中が見えないように布で隠してます(今は背伸びすると見えます(^^;;)中が見えるとずっとその場から離れないんですこの柵にも鍵が付いています🔑冷蔵庫は
PICUを出て一般病棟に移りましたが、コロナウイルスの数値がまだ出ていた為、個室で付き添いとなります。久しぶりに再会した息子は痩せ細っていました。開眼していても、ぼーっとしているだけで声掛けにも反応がなく、別人のような気がしてショックでした。唯一、ガーゼで顔を拭く時に嫌がってくれた事だけが救いでした。「まだこの子は嫌な事が分かって、それを表情に表してくれている」と思って嬉しかったです。とにかく刺激を与えないと!と感じ、大好きだったyoutubeの動画を流したり、大好きだった絵本を読んだりし
2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子病後6年・9歳、特別支援学校小学部4年生です笑顔で元気をモットーに頑張りますまとめ記事急性期治療編★回復期リハビリ入院編★就学相談編★支援級→支援学校転入編★新年度がスタートして1週間が過ぎました。コロナ元年(2020年)に入学した娘は最終学年の6年生には、早すぎる〜縮小されてきた学校行事はかなり復活してきて、去年は初めての宿泊学習がありました。友達との仲が深まり、とてもいい経
こんにちはご無沙汰しております笑これからは書くぞー!と宣言しておいて一切ブログ放置の日々でした…頭の片隅にブログの存在はありましたが自分で何かを生み出すという行為のキャパを越えたのかなかなか書く行動に至りませんでした何をしていたかは今度書きます。今日はこうちゃんの話をする前に、、一応医療従事者の一人として、、、STAYHOME!!たとえ外出してもマスクを外さない!人と距離をとる!マスクを外して食事をする時は一人黙々と。私は近隣県ですが都内のコロナ指定病院に勤め
(息子が痙攣重積型《二相性》脳症と診断されたときの備忘録です)●2/1(金)もともと予約していた時間に病院へ行く。診察の前に採尿があったので、いつものようにコップをもらいトイレへ行く。これまではトイレに行き、「オシッコして」と言えば上手にできた息子。この日は「できない」と言った。お水を飲ませ、しばらく待ってもう一度トイレへ。3,4回繰り返したが採尿はできなかった。ただオシッコが出ないのではない。出せないんだ。そう思った。結局採尿は後回しにし、診察へ行くことになった。「さぁ
はじめまして。娘のボタンは2023年4月にコロナウィルス感染により痙攣重積型(二相性)急性脳症になりました。入院中、インターネットで病気の事を検索しまくりました。PICUで意識が戻らず面会も出来ない中、急性脳症になってしまったけど少しずつ回復していくお子さんのブログを拝見して胸が熱くなりました。私も強くて優しい先輩ママ達みたいに、なんとか娘を支えてやりたいと思う事ができました。(今はまだ修行中です。皆さんみたいな大きな心が欲しい。)先輩ママさん達、ありがとうございます。あの時にブログ
息子は手足麻痺と言われてしまったけど奇跡的に歩けるようになった息子でも喜んでいたのも束の間介護のストレスはたくさんあるけどストレスの一つが便のオムツ交換でした私が息子と葛藤しながらオムツ交換をしてる姿を見た夫が一言言ったのです「やっぱり息子を施設に預けよう」私はびっくりしましたあんなに息子を施設に預ける事を反対してた夫周りが何と言おうが家に連れて帰りたいと言っていた夫そんな夫が
救急搬送から1週間、息子の病気について医師から診断を受けました。「検査の結果、お子さんは痙攣重積型急性脳症です。」「典型的な脳の画像でした。」「一生歩けないかもしれません。歩けたとしても高確率で神経学的後遺症が残ります。覚悟しておいて下さい。」(神経学的後遺症=知的障害)告げられた言葉は残酷で、ただただ胸が苦しかったです。その場で泣き崩れました。"人生でこんなに辛い事ってあるんだ""私の命と引き換えにこの子が元気に過ごせるのなら私は喜んで死ぬのに""なんでうちの子なの?""もうマ
『アレいる!』などの意思表示もあり、手を持った状態で1・2・1・2と足踏みしたり、じゃんけんしたり。とにかくこの日はいろんな事をしました。じゃんけんの勝敗が分かっているかは不明ですが、負けると『まけー』と言いながらひたすら笑っていました。鼻の吸引がとにかくお気に入りの様子で、看護師さんに『もっとやってー』とおねだりしていました今後、今の状態より悪くなるこはないと思います。って言われたけど、ただただ不安しかありませんでした。とりあえず脳波に痙攣の波も見られないし、脳波は中止することになり
2017.12.20お母さん・にぃちゃん・お友達の名前…名前と言う名前が全部言えない。おしっこも言えないから私の手を引っ張って『あっち行かんと!あれかも!』とトイレに連れて行かれる…終わった後手を洗ってペーパーで手を拭いて…使用済みのペーパーはずっと握ったまま。『捨てないの?』と声をかけると思い出したかのようにゴミ箱へ。ゴミという認識がないのか、直前の出来事を記憶できてないのか…いつもと違うんだけど、先生に説明するのもどう説明したらいいのか…💦入院5日目になると、警戒心も
前回の続きです『急性脳症②〜覚醒、再痙攣〜』前回の続きです8月5日息子が目を覚まして私たちのことを認識できるか、今後の心配や不安の中夜が明けました。朝が来ない日はないそんな言葉の通り、どんな出…ameblo.jp8月9日痙攣があったことを聞きショックを隠しきれませんでした。先生から再度痙攣が起こるか起こらないかは重要ポイントと話されてた記憶があります。今回の痙攣は点滴ですぐにおさまったそうですがこの日から追加でイーケプラという抗てんかん薬の内服が開始となりました。
先日、いつもリハビリで通っている療育園で装具診察がありました。これで4個目のインソールですもう卒業できるかな?と思ったけど診察で先生に診てもらったらまだ少しだけ右足首が安定してないそうで作っといた方がいいかなぁと言われたので作ります去年は即答でインソール必要ですと言われたのでこちらもよくなっていってるのかなと思います私から見たらほんとに何ともないように見えるんですが専門家が見るとわかるんですねー!先生カルテ見ずに「左はよくなってるけど右がまだ少し不安定」(左はもとも
息子が徐々に笑うようになり、日中穏やかに過ごせる日が増えてきました。泣いている時間が以前と比べてかなり減りました。病前から好きだった絵本を読むとニコニコしてくれて、とても嬉しかったです。特にかがくいひろしさんの"だるまさんシリーズ"が反応良かったですぬいぐるみであやしたり、病前から大好きだったYouTubeを見せたりしても笑ってくれました。時々看護師さんが、息子が見ているタブレットを動かして目で追うかの確認をされてました。息子の笑顔がもう一度見られたことがただ嬉しくて、凄く愛おしかったです
痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子。現在6歳、ピカピカの一年生になりました知的支援級で頑張っています後遺症との闘いまとめ急性期治療編★回復期リハビリ入院編★就学相談編★『ご報告』痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子。現在6歳、ピカピカの一年生になりました知的支援級で頑張っています後遺症との闘いまとめ急…ameblo.jp続きです2年生から特別支援学校に編入しようそう決心するまでには時間がかかりました。最終
少しずつ、外に目を向けることができるようになってきた。そして見つけたブログ。とても分かりやすく丁寧にまとめてくださっているので、リブログさせていただいた。ブブちゃんは、今月で発症後6ヶ月となる。この段階で、一人で座れない場合は、ずっと自力で歩けない可能性が高いらしい。そして、中等度以上の知的障害が残るらしい。そうですか。そうですか
同居の祖父がコロナ陽性になり、その翌日に祖母も熱発し陽性が確認されました。親戚など身内ではコロナになった人がいましたが、自宅でコロナが出たのは初めてでした。すぐに隔離や消毒など出来る限りの事はして、とにかく家庭内感染を防ごうと必死でした。しかし、祖父が陽性になった4日後の夜に息子が40度の熱発。すぐに夜間救急に電話をし、診て頂けるとの事だったので受診しました。受診した時には、まだ検査しても陽性は確認されず、解熱剤を処方して頂きました。(息子は予防接種の反応熱はあっても風邪で熱を出した経験が
病後1~2週間で筋緊張が現れました。身体の反り返りと腕の突っ張りが特に酷く、本人も辛いようで泣いてました。時々両足をバタつかせるようになり、辛いのをどうにかしようとしているように見えました。見ている方も辛かったです。手の突っ張りは5分から10分おきに起こります。手の突っ張りに関してはマッサージをしてあげると解れて楽になる事が分かりました。すぐに気がつけるようにずっと手を握っているようにし、力が入った時にすぐに揉んであげると、泣くことなく落ち着いて寝てくれるようになりました。2日程様子を見
3歳から療育園で週2回の親子通所と民間の療育が始まりました親子通所の日はいもうとを保育園に預けて、療育園へ向かう生活をしてたけど結構な距離を自転車で移動してました自宅から保育園まで4キロくらい、保育園から療育園まで2キロくらい、療育園から自宅まで4キロくらい。余裕で10キロ以上移動してました電車でも行ける場所に全部あったけど自転車の方が楽だったので爆走してました療育園には同じような悩みをもつママ達と繋がれて嬉しかったけど、何せ親子通所だからみんな子ども追いかけるの必死でめちゃくちゃ話しし