ブログ記事1,041件
(息子が痙攣重積型《二相性》脳症と診断されたときの備忘録です)夫と付き添いを交代した翌日は、食料品の買い出しや家の掃除・整理整頓をした。外食ばかりにならないよう、冷凍ご飯を用意したり、温めるだけで食べられるレトルト食品などを準備した。娘とはショッピングモールへお買い物に行ったり(私の付き添い入院の準備に付き合わされただけ?)家でたくさん遊んだりした。息子はというと、ステロイドの点滴が始まり、ストレスなのか夫のことを噛みまくっていたらしい。投与2日目は一日中大変だったそうだ。夫の報
ウトウトしか出来なかった隣を見てもいつも一緒に寝てる息子と夫がいないあーやっぱり現実なんだ夫に息子の様子はどうかLINEしました返信はまだ痙攣が何回もあるよとの事そっかぁ…私は両親に電話をしました「れんが昨日の夜痙攣したから救急外来行ってそのまま入院してるよでも熱性痙攣だと思うから3日くらいで退院できるよまた連絡するね」と報告をしましたもちろん驚いてたけどすぐに退院出来るという事で安心してる声でした私は準備をして病院に向かいました息子は目を開
2021年1月22日朝から全然起きない息子昨日熱も下がって元気だったのにあれ?今日は全然起きない高熱で寝不足だったのかな?まぁいいやしばらく寝かせておこう私だけ起きてリビングに行きましたしばらくしたら息子は隣にママがいない事に気付いたのかリビングに眠そうに起きてきてまたソファーで寝てしまいましたまだ眠いのか?もうお昼なんだけどとりあえず熱を測ってみようと測ってみたらまた高熱えっまた昨日熱が下がって元気だったのにとりあえずお薬だけ飲ませない
2年間、いろんな検査を受けて来て分からない、これなんじゃないか、あれなんじゃないか、、、。分からない事だらけの日々だったけどやっと第1章が終わったなと思いました。ゆうのすけの診断名はSCN8A異常によるてんかん性脳症重症型と、いう事でした。ほんの数名でも同じ診断を受けた方がいれば、、、情報をここに載せることにしました。なんのこっちゃさっぱりでしたがなんと2012年に世界で見つかったばかりの疾患で現時点で日本には12人、世界では140人という非常に稀なものでした。分かりやすく番地に例
息子はもう前みたいな姿にはならないのかなこの気持ちをどこにぶつけたら良いのか分からず私は看護師さんを困らせてしまったのです「看護師さん息子は鉄棒が大好きだったんです逆上がりが出来るようにいっぱい練習してやっと出来るようになったんですもう息子は鉄棒が出来ないんですか?」すると看護師さんは「逆上がりは難しいかもしれないけどぶら下がる事は出来るようになるかもしれないよ」と私を励ましてくれたのですそれを聞いた私は「やっぱ前の
息子を車に乗せて病院に向かいました息子の体は反ってしまい真っ直ぐな姿勢で座っていられなかったのです仕方なくシートベルトを外し足元に丸くなった姿勢で座らせ病院に向かいました病院に着いて夫が抱っこして救急外来の待合室で呼ばれるのを待っていました全然呼ばれないそのうち顔の痙攣が始まりましたマスクの中からヨダレも出てきて泡吐いてるしすると待合室にいた警備員さんが息子の異変に気付いてくれて慌てて診察室の中に入って順番を早めてもらうようお願いしてくれたので
2/3(日)一時心停止から56日目。今日は、パパと私でUをお風呂に入れる予定を組んでもらっていたので、午前のうちにわくわくしながら病院へ面会に行ったのですが、U、点滴されてました。。。(T_T)しかも体の動きがなんかおかしい。いつもは触らないとほぼ動かない体が、なんだかもぞもぞとひっきりなしに動いている。嫌な予感。今日は日曜で主治医不在のため、別の神経内科の先生が来てくれました。話を聞いたところ、昨夜11時ごろにバタバタするけいれん発作が起きたとのこと。サチュレーショ
息子と私二人きりの部屋シーンとしていてとても寂しいでも痙攣だけは頻繁に起こるそのたびにナースコールして淡を吸引もう精神的にも体力的にもヘトヘトですそして夕方6時頃息子が急にゴソゴソ動き出したのです「れんくん起きたのわかるママだよ」すると息子は腕に付いてる点滴を一所懸命外そうとするのですでも包帯でグルグル巻きなので取れない事を理解できたのか諦めてまた眠ってしまったのです今、起
小さな和室で夫と二人ICUに移動になった息子これからICUでの治療が始まるための準備が整うのを待ってる時間はとても長く感じましたようやく息子の準備が整ったようです私と夫はICUに入っていき息子に会いに行きました人工呼吸器に繋がれた息子がベッドで寝てるすごく悲しかった痙攣を止めるすごく強いお薬息もできないくらいすごく強いお薬💊だから人工呼吸器が必要らしいのですでも痙攣がない
キイトルーダ脳症の治療を終えて退院しました。なんと37日間の入院になりました。最初の数日間の記憶がハッキリしていません。かなり酷かったようです。キイトルーダの作用を消す為、多量のステロイドを使ったそうです。キイトルーダの副作用、ほんと怖いですね😖💦でも、キイトルーダは私にとても良く効いたようです。入院中に撮ったCTの所見はすごく良くなっていました。5回の治療で終了となってしまい、すごく悲しいです😢主治医の先生から、とても効果があったので残念ですが、この状態で再投与した症例はあり
輝空がおむつを少しずつ外したのは平成28年7月。比較的ゆっくりゆっくりしていました。習い事の時だけ3時間お預かりでしたから、外したり外さなかったり。トイレトレーニングを長女はしないで自然に取れたので、焦らなくてはいけない環境でもなく、輝空ものんびりしていました。真ん中の子で、凄く姉妹に神経を使う様子が見えたので、自宅では敢えて、うるさく言わないようにしていたのです。外出の際荷物になるんですけど、おむつ姿が本当に可愛くて。男の子はおしっこが、女の子よりもたっぷり出るのでオムツパンパンな
看護師さんが点滴を交換しています私には何の点滴をしてるのかもわからないし先生も何も言ってくれないし息子の状態を見て無言で出て行ってしまうし息子は確かに点滴を外そうとした私と夫を見て笑ってくれた声も聞けたでもまた寝てしまったいつになったら息子と話せるの私は不安になり先生に聞きました「息子はどうなんですか」すると先生から一言「改善されてますよこの点滴は脳炎に効きますからね」
ダンナと娘帰ってきました。私が仕事から戻るとダンナは腹痛。昨日からジワジワ腹痛があったみたい。新幹線の駅でなぜか柿の葉寿司買って帰ってきたけど、食べられないって。病院に行くか聞いたけど今日は我慢するらしい。明日、午後診あるからとりあえずは様子を見ることにしました。この間便が出ないと脳症になるって話を気にしているらしく、まだ出てないと。前は一日下痢してたけど、このところ1日か2日に一回らしい。手を伸ばして羽ばたき振戦を確認するけど、それはない。でもろれつが回りにくくて言葉が出にくいって。
息子が倒れた日にMRIは撮ったけど髄膜検査は息子が暴れるため検査が出来ませんでした「今から病室でやりますのでお父さんとお母さんは廊下で待っててもらえますか」そう言われ私と夫は廊下の椅子で待つことになりましたその間に息子の習い事公文、体操教室の先生に「息子が熱を出して入院してるのでまた元気になったら連絡しますね」と、伝え私はまだこの時は公文も体操教室もまた元気に行けると信じていました電話を
少しずつ車いすでお散歩をしたりベッドばかりではなく病室でも車いすに乗せて過ごしていました髪の毛も伸びてきたので車いすに座らせて散髪したり病気する前に買った犬のぬいぐるみを持たせるとなでなでしたりルービックキューブを持たせるとクルクル回したりペットボトルの中にストローを刻んだのを入れて持たせるとカシャカシャ振ったり迷路を見せると指でなぞったり私がパーカーを被るとケラケラ笑ったり(何で笑っ
人工呼吸器使用により淡が多く淡から菌を検出している抗痙攣薬を多量に投与してきたが2週間が限界これ以上人工呼吸器を使用すると気道の損傷を起こす可能性があるためこのまま維持することが困難1日数回嘔吐がある嘔吐した時に誤嚥、窒息する可能性があるため気管切開が必要となる水分管理のため尿バルーンカテーテルを使用してきたが長期になると尿路感染を起こすことがあり尿培検査で菌を検出したバルーンカテーテル交換時尿道
今まではICUで20分間しか息子に会えなかったけどこの日からはナースステーションで時間関係なく息子に会える事になったのです私はICUの時と変わらず毎日ボイスレコーダーと絵本を持って息子に会いに行ったのですこの日もいつものように息子に会いに行った時の事です息子は目を開いてボーッとしていました私は幼稚園の先生から借りてた絵本を息子に読み聞かせをしたのです📕すると息子が急に鬼みたいに
息子の下の歯は痙攣の食いしばりからグラグラになってしまいました痙攣が起きて歯が抜けてしまって飲み込んでしまったら危険なので抜歯をすることになったのです母としては自然に抜けて息子と一緒に喜びたかったまさか痙攣が原因で抜歯をする事になるなんて悲しすぎるけど万が一歯を飲み込んで変な所に入ってしまったらそれこそ大変仕方なく抜歯することに同意したのです簡単に抜かれてしまった息子の大事な歯🦷でも今は
病名を調べてしまった唯一希望の持てる記事を発見したとは言え息子もそうなるとは思えなくなってきたのです私は思い切って先生に聞いてみたのです「息子はこれからどうなるんですか」すると先生から「これから坐位が出来るようリハビリをしていきます」そっかぁ…やっぱり今の時点で座る事は難しいんだ…「もし座れなかったらどうなるんですか」と聞くと「その場合寝台車ですそして障害者手帳を発行してもらいます」寝台車…障害者手帳…「先生それは最悪な場
先生からは知的障害身体障害という言葉は出てこなかったけど「てんかんの後遺症以外にお勉強面が・・・運動面が・・・後遺症を残すかもしれないです」「もしくは脳死の可能性もあります」「もしくは後遺症がない可能性もあります」と聞かされました私はまさか自分の子が障害を持つなんて想像もしたことがないのでお勉強面の後遺症って事はちょっと勉強についていくのが大変なのかな運動面が後遺症って事は体育の時間は見学するのかな
私と夫は約束をしました病名をネットで調べるのを止めようってなので息子は今後どんな状態になるのか全く知らなかったのですというか怖くて調べれなかったのですところがいつものように会社に行った夫からお昼頃LINEが来たのです「ごめん…病名、調べちゃった…辛くて仕事出来ないから今から帰る」そっか…調べちゃったんだね夫からそんなLINEが届いたら私も調べずにはいられなくて調べてしまったのです夫は泣きながら帰って来ました私達の家族これから
久々に息子の笑顔が見れた寝てる時も膝を立てて足を組んで寝てるそうそうこの寝方いつもの息子だ完全に意識戻ったんだ嬉しさ半分とでもまだ目覚めていない不安半々でした翌日息子の鼻にチューブが入ってるためチューブが抜けないように顔に止めてあるテープの貼り替えに看護師さんが来ましたそのテープを剥がした時に息子が寝ながら「い〜た〜い〜」と言ったのですいつもの息子だこの言い方は元気な時の言い方と同じだ久々に聞いた息子の声やっぱり意識戻ったんだあの声
窒息事故から37日目。退院して1週間がたった。大きく変わったのはやはり目の動き退院した直後はまだ左に引っ張られるように左を見続けていたのだが今日に至っては自然に目をキョロキョロさせて首ごと見たい方向を見ている。しかし、追視はまだない父のアドバイスに沿って見えてるかの検査をした。懐中電灯🔦に布を巻いて眩し過ぎないようにした物を餅男の顔の遠くからゆっくり近づける。顔の前で少し止まり目がこちらを向いたら少しずつ外側へ懐中電灯を動かす。それに目が付いてこれば追視
担当医からついこの前まで元気だった息子が手足麻痺ですと伝えられこの先どうやって生きていけば良いのか絶望になり私は両親に報告の電話をしたのです「れんくんねぇ…手足麻痺だって」すると父親が「手足麻痺~俺は今まで生きてきてこんな辛い想いをしたのは初めてや」と泣きながら「なんでや~」と言ってきました電話の向こうでは母親が大泣きしている声が聞こえてきました私もどうして良いのかわか
息子は全然意識が戻りません鼻からチューブ腕には点滴おしっこもチューブとにかくチューブだらけそして何度も起こる痙攣痙攣が起こるたびに口からも鼻からも淡を吸引むせてる息子チューブに血が付いてるじゃんそんな奥まで入れるのもう見てられません痙攣で舌を噛んで口内炎になってる歯を食いしばってるので下の歯がグラグラになってる息子に何が起きてるのついこの前まで元気だったのにお願いだか
これまでの記事は、当時を振り返った記事(2021年)となっていますいよいよ退院に向けて本格的に動いています息子が帰ってきても今のままの部屋じゃ危険すぎる⚠️息子は危険がわからないのでまずは全ての部屋に鍵を付けることにしたのです🔑物置にも鍵をつけて🔑キッチンに入れないように柵を取り付けて息子の目線から中が見えないように布で隠してます(今は背伸びすると見えます(^^;;)中が見えるとずっとその場から離れないんですこの柵にも鍵が付いています🔑冷蔵庫は
前回書きましたが、突発性発疹症後の不機嫌については、小児科の専門書の中でも記載がほとんどされていません。昔の小児科医(男)たちは、きっと突発の看病なんかあまりしなかったので、きっとそんなん気づかずにいたのではないか、と勝手に想像してしまいますが、実は現代医学においても、その理由ははっきりわかっていません。日本においても、突発後の不機嫌について、アンケート調査を行った論文がありますが、115名の突発の患者さんの調査で、実に95%が不機嫌になり、解熱後に増悪したのは42%だったという
初めまして夫(会社員)私(専業主婦)息子(特別支援学校2年生)3人家族です息子が病気、障害になって2年が経とうとします今でも忘れられない2021年1月22日当時6歳3ヶ月の息子突然の痙攣その日から私達家族の人生が変わってしまいましたまだまだ暗闇の中にいるけれどそれでも絶対この暗闇から抜けれるって信じて生きています息子の病気の事私の想いなどをこれから書いていこうと思いますブログ初心
この日もナースステーションへ夫と一緒に息子に会いに行った日の事です夫と一緒に息子の頭をなでなでしたり「また鉄棒やろうね」「また鬼ごっこしようね」「また鬼滅の刃の映画見に行こうね」とにかくたくさんたくさん息子に声をかけていましたこの日は隣の市の大学病院の先生に息子の状態を診てもらう日でしたお昼過ぎには先生がいらっしゃると聞いていたので待っていたのに夕方になっても全然先生が現れないようやく夕方にな
息子が手足麻痺と告知されてから初めての面談でした病名:難治頻回部分発作重積型急性脳炎難治性脳症である痙攣のコントロールが難しいMRIの検査にて脳が萎縮後遺症として四肢麻痺体幹機能障害が認められる坐位がとれない状況手足は意思で動かしていないある程度はリハビリで改善できるかもしれないがどの程度まで機能が回復するかは不明である根本的な治療は難しい息子の大事な脳が