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病後約1ヶ月で不随意運動が始まりました。息子の場合は腕のピクつきが酷く見られました。筋緊張の時みたく痛がっている様子は無かったです。回診に来た先生に話すと、「おそらく不随意運動だと思われるが、てんかん発作かもしれないので検査をします」と言われました。脳波の検査をして、てんかん波が無いか調べましたが、てんかん波は見られず。不随意運動との診断でした。不随意運動は1ヶ月間続きました。回数が徐々に減っていき、気づいた時にはいつの間にか消失していた感じです。不随意運動は2ヶ月までの回復期に起こ
2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子特別支援学級で一年間過ごし、2年生から特別支援学校に転入しました病後5年、7歳笑顔で元気をモットーに頑張りますまとめ記事急性期治療編★回復期リハビリ入院編★就学相談編★支援級→支援学校転入編★痙攣重積型(二相性)急性脳症の発症から5年。もうすぐ8歳の息子『ブログを書く理由』2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子特別支援学級で一年間過ごし、2年生
痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子。現在5歳、年長さんです。現在就活中(就学相談活動中)息子の就学準備①教育支援説明会息子の就学準備②特別支援学校の説明会息子の就学準備③特別支援学級の見学息子の就学準備④就学相談(1回目)息子の就学準備⑤就学相談(2回目)息子の就学準備⑥放課後デイサービス見学[2]息子の就学準備⑦娘と同じ学童はどうなのか息子の就学準備⑧就学前検診放デイ見学[1]が消えてしまいました…就学相談の判定が出たので来庁し
2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子病後6年・9歳、特別支援学校小学部3年生です笑顔で元気をモットーに頑張りますまとめ記事急性期治療編★回復期リハビリ入院編★就学相談編★支援級→支援学校転入編★息子が9歳の誕生日を迎えましたチョコが大好きなのでケーキは毎年チョコだったのに、今年は珍しくモンブランをチョイス当日になってコレじゃないと言われそうだったので何度も確認したけれど頑なにモンブランと言うのでドキドキしなが
2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子特別支援学級で一年間過ごし、2年生から特別支援学校に転入しました病後4年、7歳笑顔で元気をモットーに頑張りますまとめ記事急性期治療編★回復期リハビリ入院編★就学相談編★支援級→支援学校転入編★就学相談をされた方はそろそろ判定が出るって地域が多いかもしれません。希望通りだった場合はホッと一安心ですね我が家の場合は希望ではなかったので、ドン底に突き落とされた気持ちになったことを今でも
(息子が痙攣重積型《二相性》脳症と診断されたときの備忘録です)●1/25(土)救急外来から帰宅後、眠かったのか息子はお昼ご飯食べずにお昼寝をしてしまった。数時間後、起きた頃から異常行動が見られた。異常行動といっても、よく聞く、叫ぶ・外に出ようとする、などではなく「暴言を吐く」「物を投げる」という行動だった。なんの脈略もなく突然「バーカ!」と言ったり、クリスマスプレゼントにもらってから毎日毎日夢中になって遊んでいたトーマスのおもちゃを「こんなのいーらない!」と床に投げつけたり。。
病後20日経ったこの日、担当医・看護師長・更に上の先生同席のもと病状と治療方針についての説明がありました。私一人では心細かった為、私の両親も一緒に同席してもらいました。病状説明初めに、MRI画像を見せて頂きながらなぜ急性脳症という診断がついたのか説明がありました。拡散強調像にて皮質下白質には高信号領域があり中心溝周辺に高信号領域はなかったMRSという検査でグルタミン高値を認めた→これらの所見と今までの経過により痙攣重積型急性脳症の診断となった。との事でした正直その説明を受けてもよく分
また息子は目を覚ましてくれると信じていましたが、息子は朝になっても目を覚ますことはありませんでした。この時点で母親である自分も熱発し、コロナ陽性が確認されました。自分もしんどいけど、息子が起きない事への不安が大きくてそれどころでは無かったです。医師からは、「脳炎か脳症を疑っている」「MRI、CTの検査してその結果次第で大学病院への転院となる」と告げられました。午前中のうちに検査をしましたが、結果は異常なしでした。意識は戻りそうになく、その日午後に大学病院のこども医療センターへ転院することが
息子が熱を出した翌日の朝、1分間の痙攣が起きました。家族に救急車を呼んでもらっている間、私はスマホで痙攣の様子を撮影。「痙攣が起きた時は動画を撮っておくと良い」というのを以前SNSで目にしていたので直ぐに行動に移すことが出来ました。震える手で泣きそうになりながら撮影しました。救急車が到着し、救急隊員さんに痙攣の様子を聞かれた時に動画を見せることが出来たので良かったです。おそらくあの時はパニックになっていたので、口頭では上手く説明出来なかったと思います。直ぐに搬送先が決まり市内の総合病院に
PICUを出て一般病棟に移りましたが、コロナウイルスの数値がまだ出ていた為、個室で付き添いとなります。久しぶりに再会した息子は痩せ細っていました。開眼していても、ぼーっとしているだけで声掛けにも反応がなく、別人のような気がしてショックでした。唯一、ガーゼで顔を拭く時に嫌がってくれた事だけが救いでした。「まだこの子は嫌な事が分かって、それを表情に表してくれている」と思って嬉しかったです。とにかく刺激を与えないと!と感じ、大好きだったyoutubeの動画を流したり、大好きだった絵本を読んだりし
こうちゃんの通園準備について書いているのですがその話をするにあたって私の産後の不調が前提になってくるのでまずこちらの記事にお付き合いください↓↓産後、私を悩ませた(ている)ことずばり『縫合糸膿瘍』読んで字の如くです。傷を縫い合わせた糸の部分がことごとく膿んで腫れました!こうちゃんを帝王切開で産んだ私はリトル君も帝王切開の出産でした。ざっくり言うと皮膚やその下の組織を切開し筋肉を避け腹膜を切り子宮を切ってリトル君を取り出して切ったと
息子は2歳9ヶ月の時にコロナから痙攣を起こし、指定難病『痙攣重積型急性脳症』と診断されました。後遺症として重度知的障害があります。病前の息子は、歌とパズルが好きな男の子でした。病気になった日を境に、親である私の事も話し方も何もかも忘れてしまいました。病前はトイトレも済んでおりパンツでしたが、病気になってからまたオムツに戻ってしまいました。数ヶ月間、オムツ替えをする度に病前の息子を思い出して辛かったです。「お兄さんパンツ!」と喜んでいた息子が忘れられなくて、今でもパンツを捨てられずにいる母で
突然ですが、、、今回の入院前にこうちゃん『外転装具』を作成しました。こうちゃんを含め筋緊張の強いお子さんは太ももが内側に入る(足がクロスする)と大腿骨頭が関節から外側に外れて脱臼が起きてしまいます手術で筋肉や腱を緩めても一度できた道があり(部長先生の表現)すぐにそこを通って脱臼してしまうので日頃から足(股)を外に開いておかなければなりません。そのために足を固定するのがこの外転装具です。これからこうちゃんはお風呂以外外転装具をつけて生活しリハビリを行い股関節の
脳波測定に入れ替わり立ち替わり先生がやって来るし、機械の音や脳波を測定するポッチ(正式名称は分かりません💦)が外れないよう見ていたので一睡も出来ませんでした。先生たちは寝ている状態、呼びかけて少し起こした状態で脳波を調べ、今のところ痙攣の波はなく、落ち着いているとの事でした。オムツをしていた娘ですが、全くオシッコが出ず…先生に相談したら超音波で診てくださり、オシッコは溜まってるからそのうち出るでしょう…との事でしたが結局出ず、トイレに座らせてみましょう。たまに意識なくてもオシッコはトイレじゃ
過呼吸が落ち着いた私はとりあえず携帯で痙攣重積型急性脳症について調べまくりましたが、6歳での発症例は極端に少なく、情報が少なすぎました。ただ、この病気を発症したら7割がなにかしら障害が残る事。障害の程度は軽度から重度で、この病気を未然に防ぐ事は今の医学では難しく、日本人特有の病気であること。そして治療法は特にない。記憶にあるのはこんな感じでした。(記憶が曖昧な為違ってたらすみません。)気がつけば夕方になっていて、娘も病室に戻ってきました。娘が戻って来るまでどうやって過ごしていたのか…
診断の結果左脳のほぼ全ての範囲に異常がみられ、今後痙攣が起きたら集中治療室での治療に切り替えます。今は強い痙攣止めを投与しているので、意識がハッキリしてくるのは年末くらいになると思いますが、意識がはっきりしても、娘さんは食べることも喋ることも歩く事も出来ないかもしれません。集中治療室で〜…の辺りから現実なのか夢なのかわからず、ただ、溢れてくる涙を堪えるのに必死でした。説明を聞く間、先生の『大丈夫?』の言葉に頷くことしか出来ず、病室に戻って思いっきり泣いた。ちょうど母から電話があり、泣き
2017.12.21この日はなかなか起きなかった。朝、看護師さんが検温に来て無理やり起こされたからか、娘めちゃくちゃ不機嫌熱を測ると37.4℃微熱があったりなかったりだったから、また微熱かぁ…熱が完全に下がらないと退院は無理だろうなぁ…なんて思ってた矢先、娘が痙攣し始めた💦右側だけピクピクして目は明後日の方向…最初の痙攣も手足だけ冷たくて、今回も同様に冷たかった。痙攣中失禁もした。バタバタとお医者さんや師長さんがやって来て、様子を見てすぐに痙攣止めの薬を取りに行った。けど、す
2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子病後5年・8歳、特別支援学校小学部3年生です笑顔で元気をモットーに頑張りますまとめ記事急性期治療編★回復期リハビリ入院編★就学相談編★支援級→支援学校転入編★娘は今年、年女12歳になります娘が生まれて母になり干支がひと回り、12年が経つなんて感慨深いです娘が生まれ、息子が生まれ、ずっとどちらかと添い寝をしてきました。ここ数年は2枚のシングル布団に3人で寝ていました。(掛布団は
一般病棟に転棟後、大好きなプリンもゼリーもわからなくなってしまった娘ですが、OTさんが15分かけて一口だけプリンを食べさせるに成功しました。OTさんには入院中のリハビリで大変お世話になりました。県立病院は退院(今は近所の大学病院に行っています。)してしまったのでもうお会いすることはできませんが、あの時のOTさんのおかげで今の生活ができているのだろうなぁと思っています。意識戻った時はこんな感じ。おしゃべりは一切できずに、童謡を歌うだけ。お風呂はシャワーやドライヤーに怯えてパニックになる。
2017.12.23朝起きてからもずっと暴れてましたが、さらにテンションが上がったのは入浴後…入院してから一度もお風呂に入ってなくて、皮膚の状態が良くないのと、脳波のクリームで髪の毛がベタベタになってたのでとりあえず入浴しましょうと言うことで、看護師さんと3人がかりでお風呂に入りました。お風呂に入ったのが15時ごろで、テンションMAXは21時頃まで続きました。何度も柵を越えようとしたり、立てない自分に『なんで立てんの‼️なんでちゃんと立てないの⁈』と発狂したり…とにかく一瞬でも目が離
はじめまして。娘のボタンは2023年4月にコロナウィルス感染により痙攣重積型(二相性)急性脳症になりました。入院中、インターネットで病気の事を検索しまくりました。PICUで意識が戻らず面会も出来ない中、急性脳症になってしまったけど少しずつ回復していくお子さんのブログを拝見して胸が熱くなりました。私も強くて優しい先輩ママ達みたいに、なんとか娘を支えてやりたいと思う事ができました。(今はまだ修行中です。皆さんみたいな大きな心が欲しい。)先輩ママさん達、ありがとうございます。あの時にブログ
2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子病後6年・9歳、特別支援学校小学部4年生です笑顔で元気をモットーに頑張りますまとめ記事急性期治療編★回復期リハビリ入院編★就学相談編★支援級→支援学校転入編★待ちに待った大型連休前半は新幹線に乗って関東脱出いつもブログを読ませてもらっているみなさんの街を通ります。先ほど名古屋を通過まもなく京都新大阪→新神戸と通過して、娘が行きたいと言っていた世界遺産を見に行きます。目的地ま
総合病院で経管栄養の手法が完璧に覚えられたので、退院するにあたりカンファレンスが行われました。参加者は主治医、小児科部長、看護師、OT、PT、STの皆さん。普段関わって下さっている方々が揃ってました。今後についての話し合いが行われました。現在の状況は、ヨーグルト、プリンであれば経口摂取が可能ですが、ご飯は食べることなく経管栄養を卒業するのはまだ難しい状態です。そこで小児科部長の先生から、2つの提案がありました。①退院して訪問看護をつけながらリハビリに通う退院後、自宅で過ごす中でN
3月10日夜ZOOM面会この日から、YouTubeを見せられることが分かったので子どもの好きなアニメのOPとEDを10分間に入るように選んで見せることに聞かせると、目は、天井を見たままでしたがのどぼとけが動く歌っているのかな?と話しながら子供の様子を見る。3月11日昼の面会この日、朝に主治医の先生から電話があったように妻に先生の口から伝えることになっていた。子供の手を握りながら声をかけたりしてからパソコンのある面会室に移り主治医の先生からの話今の、子供
病後1ヶ月とちょっと、ついに歩けるようになりました🙌初めて歩いた時よりも嬉しかったです。最初は手引き歩行から始まり、毎日プレイルームで練習しました。息子も歩けるのが嬉しいようでニコニコしてました。歩けるようになっても相変わらず物への興味や、母への認識はなく快・不快だけ感じて生きているようでした。歩くこと自体は楽しいようですが、「どこに行きたい」とかは考えてないようで、ルンバのように動いてました。壁にぶつかっては違う方向に歩いていき、またぶつかっては違う方へ…って感じです😅嬉しい事がもうひ
今日で病後1年半が経過しました。現在、週3回の母子通園をしていますが福祉型は1年間という決まりがあるので、今月いっぱいで卒園します。4月からは保育園に通います🌸この1年半、年中から就園するのを目指して頑張ってきました。周りの人に助けて頂きながら自分が出来る限りのことはしてきたつもりですが、不安はあります。障害児の息子は定型の子に受け入れて貰えるのか、トラブルを起こさないか、楽しく通えるか…今から心配ばかりです🥲でも保育園に通い出して定型の子達からたくさん刺激をもらって、少しでも成長してく
(息子が痙攣重積型《二相性》脳症と診断されたときの備忘録です)●2/1(金)もともと予約していた時間に病院へ行く。診察の前に採尿があったので、いつものようにコップをもらいトイレへ行く。これまではトイレに行き、「オシッコして」と言えば上手にできた息子。この日は「できない」と言った。お水を飲ませ、しばらく待ってもう一度トイレへ。3,4回繰り返したが採尿はできなかった。ただオシッコが出ないのではない。出せないんだ。そう思った。結局採尿は後回しにし、診察へ行くことになった。「さぁ
この日の夕方、園長先生と担任の先生が娘に会いに来てくれました。意識のない娘の手を握ってたくさん話しかけてくれました。先生たちも私もただ号泣。先生たちが帰ってしばらくすると娘まさかの覚醒‼️暴れる暴れる。立てないのに立とうとしたり…柵を蹴ったり…先生に蹴り入れたり…そしてpm22:00頃急に喋り出した💦アンパンマン・ジュースいっぱい・〇〇とおかぁさん・替え歌など…ふいに『園長先生と担任の先生が来てくれたの分かった?』と聞くと、頷いて『うれしー』と一言好きなだけ暴れて喋って…娘
リハビリテーションセンターの退院日が決まり、3ヶ月ぶりに自宅に帰れる事になりました。息子と一緒に家に帰ることで、痙攣時の様子がフラッシュバックしたり、病前の息子を思い出して辛くなったりするかなと思い少し不安でした。悲しくならないように、予めおもちゃを片付けておきました。電池を抜いたおもちゃを段ボールに入れて、目に付かない所にしまいます。片付けている最中にアンパンマンことば図鑑プレミアムのタッチペンに録音されている息子の音声を聞いて大泣きしました。「ママ」を連呼している声に、これだけは大切
2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子病後6年・9歳、特別支援学校小学部4年生です笑顔で元気をモットーに頑張りますまとめ記事急性期治療編★回復期リハビリ入院編★就学相談編★支援級→支援学校転入編★子どもたちと旅行に行ってきました行き先は姫路何年か前、娘にどこか行きたいところある?と聞いたら間髪入れずに姫路城と言われたことがあって、そのときは息子を連れて関東から姫路なんて無理と却下してしまったんです。気づけば娘も