ブログ記事2,600件
JAL123便に関する動画だが、墜落原因などをテーマにしたものではない。-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。www.youtube.com注目しているのは、事故当日の8月12日夜、その後の機材運用はどうなっていたのかという点だ。123便で伊丹に到着する予定だった機体は、その後どの便に使用される予定だったのか。また、事故によって機材が到着しなくなったあと
JAL123便については、これまで何度も書いてきた。そして8月12日になると、やはりこの事故のことを考える。私は前職時代、仕事の出張の7割ほどで飛行機を使った。羽田―伊丹便にも、何度も乗ってきた。羽田を離陸し、しばらくするとベルト着用サインが消える。飲み物を飲んだり、資料を読んだりしているうちに大阪への降下が始まる。私にとって羽田―伊丹は、そんなごく日常的な路線だった。だからこそ、JAL123便の飛行を再現した動画を見ると胸が詰まる。1985年8月12日、JAL123便は
日本の誰かが米軍を止めたという蓋然性は限りなく高い。続きです墜落:1985年(昭和60年)8月12日(月曜日)18時56分ごろここで証言というものについて考えてみよう。公的な事故調査報告書には書いていないこともたくさんある。即ち、残された文書だけであの事故の実態を知るのは無理があることは分かるだろう。どんな事故にも裏の姿があるものだ。隠された背景が。それを探るには、当然に必要なものがある。想像力だ。裏付けの無いものは一才受け付けないという態度では、誰かが
私の知ってることは公開情報の通りですが、うんざりの理由を書いてみることにしました。続きです墜落:1985年(昭和60年)8月12日(月曜日)18時56分ごろ米軍機が事故現場を特定していたというのは事実でしょう。これは日本の政府とか自衛隊とかが要請したから飛んでいたのではなく、たまたま訓練で飛んでいたのを横田の管制官(米軍が関東近辺の管制をしています。今日もそうです)が誘導したというのも別に疑う理由はありません。では何故途中で引き返したのか?これは大きな疑問です。