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墜落の全容(後編)日航123便は.18:38′山梨県上空の横田空域内で米軍輸送機C-130に誘導されながら東から北東へ変針した。この区間で.高濱機長はC-130が横田基地と交信中であろう僅かな隙を狙って東京管制(ACC)に羽田へのレーダー誘導を要請し.B滑走路22が緊急着陸可能であるとの情報を得た。そしてちょうど大月市上空に差し掛かった頃である。18:40′エンジンを一旦スローに落としたことでC-130が距離を開けて後方に下がったタイミングで.突然スラストレバーをほぼ全開にした
墜落現場からは、垂直尾翼の破断部が全く回収されていない⁈事故初期の垂直尾翼損壊後に、いったいどれだけの垂直安定板が残存したのか。先ず、事故調は下図(P163.付図27)にて格子柄の部分が山中から回収した残骸として、事故現場から回収された部分と記している。さらに事故調は、最終的な墜落時の垂直尾翼残存部分を下図(付録11.付図10)のA.B.E.の部分として全体の41.61%が残存したと結論づけた。これには東京都西多摩郡奥多摩町日原で、非番の警察官である山崎啓一さんが撮影した写真(18:50
奈良川上村山林火災延焼続く消防は夜を徹して活動|NHK【NHK】10日午後、奈良県川上村で起きた山林火災は現在も延焼が続いていて、消防は、夜を徹して地上での消火活動を行うことにしていま…www3.nhk.or.jp3月10日午後1時半過ぎ。奈良県川上村白屋の山林から煙と炎が出ていると消防に通報があった。消防車17台と県の防災ヘリコプターを出して消火にあたったほか、奈良県が隣接する和歌山県などにもヘリコプターなどの出動を要請し、上空からの消火活動を続けたが、現在も
2022年4月に投稿した記事ですが、再投稿させていただきます。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆1985年8月12日、午後6時56分に羽田空港から大阪・伊丹空港に向けて飛び立ったJAL123便。その後、行方不明となり、群馬県上野村の御巣鷹の尾根に激突、乗員乗客520名が死亡した航空史上最悪の大惨事、日航ジャンボ機墜落事故。実は、真相はもみ消され、闇に封じ込められたままとなっていることを、『テレビは見るな!新聞は取るな!』を読んで知りました。非常に衝撃
田村飛行隊長は話を続けた。自衛隊と米軍では123便の墜落地点を正確に把握していたが、国の上層部はそれを直ぐには公表しなかった。123便にB-1の塗料が付着している可能性があるとして、先ず意図的に墜落地点の誤報を流した。その間に陸上自衛隊の精鋭部隊である習志野第1空挺団が大型ヘリで墜落地点に飛び、残骸の中から塗料が付着している部品を回収したのである。回収を終わらせてから国は正式な墜落地点を公表した。それは日付けが変わった午前4時頃だということだ。もう一つの現場、相模湾には123便の損失したラ
日航ジャンボ機123便墜落事故/真相霊視事件概要1985年8月12日羽田空港発、伊丹空港息の日本航空123便が群馬県上野村の山中に墜落。国内の航空機事故では最も多い520人が犠牲になった墜落事故。ゆるふわサイキックちゃんねる/ユミーさんの霊視考察霊視結果※ユミーさんのリーディング(霊視)で見える映像の順番はバラバラなので、必ず時系列通りではありません。■機長のリー
阿部と白鳥は無断外出から無事に隊舎に帰り着くと、待ち侘びていた谷口と北沢に無言で新聞を手渡した。消灯になり照明は消したが、ある者は憤慨しある者は冷静にこの件について意見し合った。皆、外部からの飛行物体による衝撃で損傷したとする見解で一致した。飛行物体についての議論阿部:問題は何が垂直尾翼を破壊したかだ。北沢:まさかミサイルじゃないでしょうね。阿部:ミサイルなら信管でも外さない限りあんな損傷にはならないよ。白鳥:例えば航空機そのものだとか。谷口:航空機ならその相手もダメー
伊豆半島に轟いたソニックブームの音圧レベル[デシベル.dB]を概算する事故当日18:24′の異常事態発生とほぼ同時刻に伊豆半島.賀茂郡河津町の海岸で.住民が波の音をテープに録音中に偶然「ボーン」という音が録音された。日本音響協会で分析した結果.そのサウンドスペクトログラムから衝撃波によるソニックブームと断定され.その音エネルギーは波の音の30倍以上と解析された。また異常事態発生の約40秒後に賀茂郡東伊豆町の東京大学地震研究所.箒木山観測所で微気圧振動計に記録された微気圧振動波は.CV
◉垂直尾翼損壊の貴重なサンプル墜落事故翌日.8月13日の夕方に相模湾で護衛艦「まつゆき」に発見され回収された垂直尾翼の残骸は.前縁上部のまとまった部分形状をよく維持しており垂直尾翼の破壊状況を知る上でたいへん貴重なサンプルとなった。また8月14日午前10時頃に相模湾を航行中の漁船によって下部方向舵最上部の残骸が回収された。図①図①B747垂直尾翼模式図🔳回収された垂直尾翼前縁上部の破壊状況日本航空123便は相模湾伊豆沖の上空で異常事態に見舞われ.その際に破壊された垂直尾翼と
翌8月13日0600.百里基地に起床のラッパが鳴り響いた。眠い目を擦りながらベッドを整頓していたところに警務隊の当直士官が入って来た。「おはようございます。本朝の朝食は食堂ではなくこちらで用意しますので本庁内で摂っていただきます。その後はここで待機してください」すぐに阿部が、「一度隊舎に帰らせてくれ。着替えや洗面道具など他にも取って来たい物がある」「申し訳ありませんが、本庁から外出させぬよう通達を受けております。隊舎に必要な物があればメモを渡してください。警務隊員に取りに行かせます」
方向舵と油圧喪失後の操縦性B747-SR100はクラシックジャンボと呼ばれ.その操縦系統は機械式操縦装置である。動翼を駆動するアクチュエーター内のロッドは操縦索が作動させるリンケージで直接押し引きされて舵面のリンクを駆動させるシステムである。パワーコントロールは別個のシリンダーで油圧の調整を受けてからアクチュエーター内に出入りすることでパワーを補助する可逆的ブース方式を取っている。またオートクルーズはコンピュータにより別タンク内で油圧を精密に調整してアクチュエーターロッドの作動を制御するシ
はじめに2021年10月17日この日は私にとって忘れられない衝撃の日となった。日本航空123便墜落事故の調査をするうちに、縁あって連絡を取り合っていたY氏から非常に重大な内容の資料を託されたのである。資料はPDF化したデータを3つに分けてiCloudメールで送って頂いた。時は1985年8月12日日本航空123便に非常事態が発生してから直ちにアラート発進したF4-EJファントム.2機の編隊長.阿部典之元一等空尉の105頁にわたる大変貴重な記録である。阿部氏は記録を完成させたその日のうちに
「日本記者クラブ.取材ノート」掲載記事から日本記者クラブ.取材ノート2021年10月掲載分【共有できなかった墜落地点情報】藤森研を参照して検証の補足にする。(尚2022.812朝日新聞デジタルにも同様の手記が掲載された)1985年8月12日.朝日新聞社社会部の藤森さんは会社の取材ヘリ「ちよどり」で20時30分に羽田から飛び立ち.21時09分に墜落現場の上空に到着した。ヘリの計器は羽田から方位304°.距離60マイルを示していた。羽田に帰着後に操縦士らと共に地図にコンパス
垂直尾翼損壊の原因・ステルス機超音速機が強力な斜め衝撃波を形成しながら日航123便の直上至近を掠め飛ぶニアミスが起きたと仮定した場合.その速度.翼形状.接近距離によっては最上部に位置する垂直尾翼に破壊的な衝撃荷重を及ぼす可能性は十分にあると考えられる。管制に他機のレーダー航跡が重なった記録は表向きには無いため.原因として挙げるならば高性能な超音速ステルス機が最も適合する。1985年当時はまだ本格的なステルス性能を有する航空機は決して存在を知られてはならない軍事的最高機密であった。東西冷
2020年刊。この芥川賞作家は、人生を真面目に生きている人にとことん寄り添う作家なんだと思う。真面目でない人への厳しい叱咤(激励ではない)の一方、真面目に生きる人への賛辞が美しい。本作は、1970(昭和45)年以降に起こった出来事をルポすることで、当時の世相を作者が読み解いている。単なる史実の記録ではなく、作者としての解釈や意見がふんだんに盛り込まれているところが読みどころとなる。登場順に列挙します。①グリコ・森永事件(1984)②銀行人質事件(1985)
「機長、これから横田基地にエスコートしますので付いて来てください」「了解しました。ただハイドロがダウンしていますので殆どアンコントロールです。エンジンコントロールとエルロンでどうにか付いて行けると思います」こんな状態で果たして横田までエスコート出来るだろうか、もし自分が高濱機長の立場なら自信がない。阿部はそう思いながらJAL機の前へ出ようとした時、思わぬ光景を目にした。旅客機だから当たり前かもしれないが、乗客が窓から盛んに手を振ったり手を合わせたりしているのである。阿部は胸が締め付けられる
前回、神代の初期、神々の社会が乱れだしたことをご紹介しました。この時の地の統括者は国常立尊でした。人間の時間間隔では数百億年レベルの大昔のことです。元来、神に善も悪もなかったようなのですが、だんだん神々に派閥が出来だし、国常立尊の時代の終盤には3つの派閥に分かれ、最終的には後に邪神と呼ばれるようになる派閥が国常立尊を引退に追い込んだ上、国常立尊を幽界に封じ込めてしまい、邪神が地の統括者となったようです。邪神が統治する世界では規律が乱れに乱れ、神々は自分のことばかり優先的に考えるように
梅雨の合間に、灼熱地獄と化した群馬県をメインに据えたエリアを目指しツーリングに出掛けた。途中に立ち寄ったのは、あの大惨事が起きた慰霊の場所。遺族でも関係者でもないがそこを訪ねてみた。そこで何を感じたか。群馬県の深い山の中にある上野村。かつては林道の宝庫だったが、今では舗装化が進み、かつての狭い舗装路は素晴らしい快走路へと生まれ変わったが、相変わらず深い深い山の中の小さな村だ。林道好き、酷道好きの私は、過去何度もこの村に来ているが、あの場所にだけは行ったことが無い。今回、時間的余裕もあったし、一
1985.8.12日本航空123便墜落事故発生機械構造物の破損事故の際.その破断面には破断の開始から最終破断までの全ての経過が現れる。練度の高い技術者や研究者ならば.破断面の観察で破断.損壊の経緯を読み取ることは可能である。🔳後部圧力隔壁の破断面◉運輸省の航空事故調査委員会は事故翌日の8.13午後には墜落現場に調査官を派遣して.広範囲に飛散した機体残骸の調査を始めた。しかし現場を管轄する群馬県警は欠片一つすら持ち出しを禁じたこともあり.現場での詳細調査は難航し遅々として進ま
8月12日が来ました。1985年日航ジャンボジェット墜落事故から33年あの日の翌日、友人から電話がかかってきました、「墜落したジャンボにユミちゃん(北原遥子)が乗ってたんだって!!新人公演の客席は大騒ぎだったらしいよ。」東京宝塚劇場は月組大地真央さんとユミちゃんの親友・黒木瞳さんのサヨナラ公演中。その新人公演で主役は同期のかなめちゃん(涼風真世)。どんな気持ちで演じ、どんな気持ちで客席にいたのか、想像するだけで泣きたくなります。だいぶ前ですが、ユミちゃんのお母様が執筆され