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12日の京都で同行された皆様と京都駅近くで茶話会のときに関西方面で何かイベントをして下さい…とのご意見そこで京都魔界ツアーを提案したところ……怖過ぎて参加出来ません⤵️と返答されてしまいました……えっ👀⁉️なぜだろ…YouTubeでは夏に伏見で妖怪に扮して百鬼夜行のイベントが行われいましたのでそれの本物を近くで感じるのはダメなのか…👀⁉️眷属も九十九神もさほど変わりはないと思いますが妖怪や九十九神はおどろおどろしいと思われるようです彼らから言わせれば人間ほど何を考え
2024年3月20日春分の日、冬に逆戻りして一際寒さが身に沁みる。大谷翔平選手の通訳で顔馴染みの水原一平氏が、ドジャースを解雇される。違法賭博に関与し、大谷選手の口座から450万ドル(約6億8,000万円)を窃盗したとされる。YAHOO!ニュース日刊スポーツ3/21(木)10:24配信「水原氏が同メディア(ESPN電子版)に直接語ったところによると、2021年にカリフォルニア州で違法賭博の元締めをしているマシュー・ボウヤー氏とサンディエゴで行われたポーカーゲームの会場で初めて会い
今日は3月28日。『ちょこっと雑学』[[暦にある皇紀とは?]]皇紀とは、明治政府が定めた日本独自の紀元(きげん=歴史上の年数を数える出発点となる年。紀年法)で、1872(明治5)年に明治政府が、神武(じんむ)天皇が即位した年を、記紀(古事記と日本書紀)の記載から西暦紀元前660年と決め、その年を皇紀元年とした。
【ツヌグイ、イクグイ/神世七代に列する育成神】@art.mochida.daisukeツヌグイ(角杙神)とイクグイ(活杙神)は、『古事記』によると天地創造の神々のうち「別天津神(ことあまつかみ)」に続いて現れた、「神世七代(かみよななよ)」の中で、四代目に現れた二柱の神々です。別天津神と神世七代の生まれ順は以下のようになります。造化三神(アメノミナカヌシ&タカミムスビ&カミムスビ)→ウマシアシカビヒコジ→アメノトコタチ→クニノトコタチ→トヨクモノ→ウヒジニ&スヒチニ→ツヌグイ
太安万侶(おおのやすまろ)今回は古事記ゆかりの人びで、太安万侶です。前回も紹介しましたが、天武天皇の命より稗田阿礼(ひえだのあれ)と共に編纂に掛かりました。まずは、太安万侶墓から・・・1979年に奈良市此瀬町の茶畑から安万侶の墓が発見されて、中から火葬された骨や真珠・木片に貼り付けられた銅板の墓誌などが出土したそうです。これにより太安万侶は実在の人物と証明されたそうです。レンタカーで奈良市郊外の道を走ると標識が・・あいにくの雨。。。標識か
みんな元気ですか回文歌のこともう一つの封印の技術である「回文歌」に触れてみます。再度聖徳太子についてのウィキペディアからです。以下の記述があります。QUOTE:別名として豊聡耳(とよとみみ、とよさとみみ)、上宮王(かみつみやおう)とも呼ばれ、顕真が記した『聖徳太子伝私記』の中で引用されている慶雲3年(706年)頃に作られた「法起寺塔露盤銘」には上宮太子聖徳皇、『古事記』(和銅5年、712年)では上宮之厩戸豊
3月は神社参りばかりしていました穴八幡宮へ主人と行きました。一陽来復のお守りで有名ですね神社を参拝するときは晴れの日が多くてラッキーですしかし、このところは天気が良くない桜はどうですかね?気持ちが早いですが、花見に行きたい気分です2024年度版ニュース検定公式テキスト「時事力」発展編(1・2・準2級対応)Amazon(アマゾン)神社のいろは神社検定公式テキスト1[神社本庁]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}神社検定副読本『マンガならわかる!『古
天之御中主神社(あめのみなかぬし)創建は、寛永3年(1626年)。当社は、もともと妙見菩薩を祀っていました。明治の「神仏分離令」により、神社へと転身した際、天之御中主神へと祭神変更しました。◇鎮座地:千葉県佐倉市上志津962◇最寄駅:京成線・志津駅~1.3km◇御祭神:天之御中主神◇御朱印:たぶん、なし◆社号標天之御中主神は、『古事記』上巻の冒頭、天地開闢の際、最初に現れた神です。至高神・最高神などと呼ばれますが・・・、①たんに最初に出現しただけで、
【ツクヨミ/夜と月を司る三貴子の一柱】@art.mochida.daisuke夜と月を司る神ツクヨミはイザナギの禊(みそぎ)によって生まれ、太陽神アマテラスとスサノオと姉弟であり、この三柱の神々は「三貴子」と言われています。『古事記』の神生みの段で夫婦のイザナキとイザナミが多くの神々を生み出しますが、火の神を産んだ際にやけどを負ったイザナミは死んで黄泉の国に旅立ちます。妻を取り返しに黄泉の国に行ったイザナギですが、願いが叶わず一人で帰還した後に、清流につかり黄泉の穢れを祓う禊(
竹内文書の「イスキリス・クリスマス福の神、八戸太郎天空神」は八太郎の日時計=日計〜小田八幡宮〜切谷内〜キリストの墓〜大石ピラミッド〜十和田湖青龍大権現〜小坂金山とクロマンタ環状列石と続く尾根沿いの道を示した平安時代のゴールドロード。呪術廻戦が始まった平安時代の清和源氏の拠点として大きな役割を持っていた北東北の金山。鎌倉時代にイエズス会との貿易に使われた金塊の採掘場所だった所。小坂金山から大阪へ運ばれたゴールド。津軽為信と豊臣秀吉と十三湊。ヨーロッパで騒がれた東方見文録のゴールドジパング
【ウムガイヒメ/オオクニヌシを蘇生させた女神】@art.mochida.daisukeウムガイヒメ(蛤貝比売)は、貝の蛤を神格化した神様であるとされます。この女神は、オオクニヌシの神話に登場し、カミムスビの勅命を受けて八十神に殺されたオオクニヌシ(オオナムチ)の蘇生と治療にあたりました。この時にキサガイヒメ(𧏛貝比売)も一緒に遣わされていて、二柱で一対となる関係性がみられます。白兎の託宣により稲羽の女神ヤガミヒメと結ばれたオオクニヌシでしたが、ヤ
前回の泉神社⛩️の後は大甕神社(おおみかじんじゃ)呼ばれて(?)いきましたこちらが前回です『故郷の茨城へ(呼びました?の神社巡り)』ひとりで茨城に行くことになる(勝手に神さまに呼ばれたと思ってる)常磐線偕楽園駅にも臨時停車(梅まつり開催してました)いつもは家から車で移動するけれど…今回…ameblo.jpゴーゴー(前回は一方通行を逆走してしまったので今回は慎重に)泉神社から車で15分ぐらいで大甕神社正式には大甕倭文神宮(おおみかしずじんぐう)と言うようですに到着〜
[大和国葛上郡]高鴨神社阿遲鉏高日子根神を祀る【古事記神話】本文(~その80大國主神の系譜)背中痛が再発しておりまして…(腹痛も併発)今回は過去最高に酷い状態なのかも。3/7から痛み始め、記事を起こしている3/23現在に至っても痛みが収まらない…。これだけ続くのは初めてのこと。昨晩は過去一に近いくらいの痛みを発症し、何度か救急車を呼ぼうかと。今日は小康状態。峠は越えたのかな?本来なら10日ほど先くらいまで記事作成しておきたいところなのですが…。~*~*~*~
最近、ペンキ画家のSHOGENさんを知ったのをきっかけに本来の日本、日本人というものに興味を持ち日本神話(古事記)や古典神道のことを調べたり→めちゃめちゃ面白いです!料理研究家の土井善晴先生の本を読んでますます日本の文化の素晴らしさに魅了され感動することしきりです。それで無性に伊勢神宮にお参りに行きたくなり行って参りましたお天気も最高で風はゴウゴウと鳴り(私は風の日が好きです)ほとんどの埃を払ったみたいに綺麗な空と空気でした!五十鈴川23秒くらいの所に写った光は何
いろいろな古代史本を読んでいると、「なんとなく」決まり事みたいになっている事柄に出会うことがあります。「第19代允恭天皇(いんぎょうてんのう)の崩御年が453年(『古事記』では454年)である」というのもその一つではないでしょうか。【允恭天皇陵(市野山古墳)】古市古墳群にある墳丘長230メートルの前方後円墳です。5世紀後半の築造と考えられています。『日本書紀』では、允恭天皇は壬子(みずのえね)の年(412年)に即位され、治世42年に年若干(そこばく)で崩御されたと記します。
人工地震能登半島地震|泉パウロ牧師のショートメッセージ集(ameblo.jp)隅谷三喜男日本の経済学者(専攻は労働経済学)、東京大学名誉教授、東京女子大学学長。(1916〜2003)『旧約聖書も新約聖書も、神が歴史の中で働いてきたことを告白している書物です。』
【オオカムヅミ/黄泉の軍勢を退けた桃神】@art.mochida.daisukeオオカムヅミ(意富加牟豆美命)は『古事記』によると、黄泉の国でイザナギを黄泉の軍勢から助け出した「桃の木の神霊」として登場しています。「大いなる神のミ(霊)」という意味の神名で、他にも大いなる神の実と解釈し「大神実命」と表記する場合もあり、桃太郎神社(愛知県犬山市)ではオオカムヅミが生まれ変わり桃太郎として鬼を退治したとされます。『日本書紀』にも登場しますが、神名は明
宇太の水分社に関わる「芳野川」の畔に「稚児石」という磐座が鎮座しています。鳥居が設けられている所から奥は尊き神域。不思議な御神威を放つこの磐座は、上社・下社の水分神社の氏子区域境界線と、宇陀郡の上県と下県の境界を表す、宇陀郡に於ける非常に重要な象徴として、非常に古くからその名が知られてきました。実は、「芳野川」沿いには、惣社水分神社(上社・本社・童神)、宇太水分神社(中社・上の宮・男神)、宇太水分神社(下社・下の宮・女神)の三社の水分神社が鎮座し、その祭祀の変遷は、惣社水分神社を
○前回、「魏志倭人伝」の主題である倭国三十国の案内は、次のようだと紹介した。【渡海三国】・狗邪韓国・対馬国・壱岐国【北九州四国】・末廬国・伊都国・奴国・不弥国【中九州二十国】・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)【南九州三国】・投馬国・邪馬台国・狗奴国○このうち、日向国に該
ども!!あき姫です♬あき姫のプロフィールはこちら\画像をタップ!!/お友達追加でマヤ暦のkinナンバー、あなたのマヤ暦バースデーのお日にちなどプチ鑑定を無料プレゼントマヤ暦バースデーに起こる気付きは一生の宝物!!生年月日を送ってね♡公式ラインあき姫のハッピールームラインID@446ifmrk宇宙からめちゃめちゃ応援される♡マヤ暦メッセージを13日毎に配信してるよ♡あき姫のメ
今回は「罔象女命~沢山の人から愛されモテモテになりたい貴女へ~」と題してお話をしていきます。罔象女命(みずはのめのみこと)・・・聞きなれない神様かと思います。全国各地に祀られているのですが、マイナーな神様のか有名では有りませんね。東京・愛宕神社~罔象女命(みずはのめのみこと)とは?~日本における代表的な水の神(水神)です。古事記の神生みでは、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を生んで陰部を火傷し苦しんでいたイザナミがした尿から成れ(物から成った=”物から変わった”ことが示される言い回
お越しいただきましてありがとうございます早っもう3月なんて〜クリスマスお正月そしてコチラではメインイベントの旧正月慌ただしいこの3カ月であった…そして〜春がやってクル『万葉集にはウメがたくさん❣️/2月の花は〜❤️』お越しいただきましてありがとうございます『ひまわりさんの1月の誕生花はなんでしょう〜❓』お越しいただきましてありがとうございます1月22日のお月様🌕まだまだ楕…ameblo.jp梅はむかしから人々に愛されてましたー3月に咲くお花たくさんあるお花から
いづこの歌にかは、花に風を待ち、月に雲を願いたるはあらん。
ご訪問ありがとうございます。前回まで三輪王権の勢力と、鏡の祭祀の拡大が「倭姫巡幸」伝承のベースにあることを考えてきました。もう少し丁寧に申し上げると、これはあくまでも伝承であり、倭彦も倭姫も伝承の主人公であり、それはヤマトタケルと同様に、さまざまな言い伝えが複合して作られたキャラクターであるのですが、その伝承の奥に何らかの史実が見えているのでは?と考えているわけです。そういう前提で「倭姫巡幸」をみると、おそらくこの地は伊勢神宮に領地や部民を差し上げて、天照大神を祀るようになった土地
・日ユ同祖論の中の疑問点、「そもそも、なぜ日本にまでやって来たのか?」“出口聖師が、明治時代から古事記を一つの神書としていろいろ解説すると、社会から迷信者の如く笑われたものだが、筆者が入信した頃も、神諭(その頃は神諭とは言わずお筆先と言った)だけで、霊界物語はまだ発表されていなかった。従って、朝から晩までお筆先一点張りであったが、大先生(聖師)が古事記を読めと言われて、お筆先の次に古事記が神書として拝読させられた。また聖師も古事記の解釈をされ、しきりと古事記は神書であると読むように教えら
『日本書紀』には完成一段階前の中間文書的な『原日本紀(げんにほんぎ)』が作成されたのではないかという仮説について、今回は視点を変えて『日本書紀』編纂過程から考えてみます。『日本書紀』の編纂は、天武天皇(てんむてんのう)の治世10年(681年)に始まったとされます。天皇はその年の3月、川島皇子(かわしまのみこ)ら12人に詔(みことのり)して、帝紀(ていき)および上古の諸事を記し定めるように命じられたのです。その後、持統天皇(じとうてんのう)5年(691年)8月に、「18の氏族に詔して
今回は「市寸島比売」についてお話をしていきたいと思います。宗像三女神としては何度か取り上げましたが一柱としては書いていませんでしたので改めて書くことにしました。かなりメジャーな神様ですし知らない方のほうが珍しい神様ですよね。色々と語られつくされている神では有りますが、一般的なお話と違うお話をしていきたいと思います。宗像大社~市寸島比売とは~宗像三女神の一柱であり、宗像大社で祀られている祭神の一柱です。また厳島神社でも祀られていますし、弁財天としても祀られています。面白い話では、この神様
更新のお知らせ朝のつぶやきを更新しました。雨と記者会見と…|イラレでマンガを描くおはようございます今朝は雨の一日。夕方には北風が強まり降りも強くなるということで今から帰宅がブルー。そしてアメリカでの会見に関するマスコミの勝手な考察。これらで1日が埋め尽くされそうでどよんな気分ではありそうだが今日も一日頑張ろう。おー。illust-wp.comを更新しました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーAdobeIllust
ご訪問ありがとうございます。前回の相撲の起源は、実は丹波の五人の后妃とホムツワケ王の伝承の前にあるのですが、狭穂姫との関連でまとめたので、年次的に前後してしまっています。正しい順序はこうなります。4年9月23日、狹穗彦王の叛乱を計画5年10月1日、皇后狹穗姫命による垂仁天皇の暗殺未遂と狭穂彦王の叛乱と鎮圧。狭穂姫命自死で崩御7年7月7日、當摩蹶速と野見宿禰の試合15年2月10日、丹波の五嬢の入内23年9月2日、誉津別王の白鳥伝承となります。「日本書紀」では誉津別王の話は、出雲
○日本最古の史書とされる「古事記」には、九州島を次のように記録している。次生、筑紫島。此島亦、身一而、有面四。面毎有名。故、筑紫国謂、白日別。豊国、言、豊日別。肥国、言、建日向日豊久士比泥別。熊曾国、言、建日別。○この記録が何を意味するか。それを理解することはなかなか難しい。それは誰も九州をご存じ無いからに過ぎない。「古事記」が案内する九州四国、・筑紫国:白日別・豊国:豊日別・肥国:建日向日豊久士比泥別・熊曾国:建日別で、当時、最も栄えていたのが「肥国:建