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1.「惟神(かんながら)」という言葉の意味「惟神(かむながら/かんながら)」は、漢字で書くと「神のまにまに」とも読み、「神の御心のままに」「神意にかなうように」という意味です。惟(かむ)🟰思う・観る・感じる(「惟る」は“心を寄せる”意)神(かみ)🟰天地のいのちの源・自然のはたらきながら=そのままに、従ってつまり、「惟神」とは――天地の理(ことわり)に逆らわず、自然のままに神意と調和して生きること。これが「惟神の道」です。2.惟神の道の本質古代の日本人にとって、神とは「超
クリスタルボウル&松果体活性化講座で源の純粋世界へと還る道をお伝えしている大井映理子ですクリスタルボウルHP松果体活性化講座HP今日は仙台での「神言」でした。總水さんとおまさんによる祝詞から始まるこの神開き。その土台には古事記の世界があります。その古事記の叡智を師である上木さんが歌詞にしさらにとおまさんが曲として仕上げています。今回で「神言」は3回目でしたが、今日という日もまた特別な時間になりました。実はリハーサルの段階か
「日本神話の調和の神」と「一神教の創造の神」の世界観の違い‼️『古事記』の冒頭は「天地初発」つまり、世界の始まりの場面からスタートします。そこに最初に現れるのが、天之御中主神(アメノミナカヌシ)。アメノミナカヌシってどんな神さま?やまと言葉で分解してみると⭕️アメ(天)…高天原、宇宙、無限の広がり⭕️ミナカ(御中)…中心、統べるもの⭕️ヌシ(主)…主宰者、根本の力つまり、アメノミナカヌシは「天(宇宙)の中心を統べる根源の力」としての存在なのです。形のある
「かんながらたまちはえませ」とは?惟神霊幸倍坐世)」は、神道で古くから用いられてきた祈りの言葉です。言葉を分けると、*惟神(かんながら)神の御心のままに。宇宙の大いなる流れに従って。*霊(たま)…魂、霊性、生命の力。*幸倍(ちはえ)…幸いが何倍にも増え、ますます栄えること。*坐世(ませ)…どうぞそのようになりますように、という祈願の表現。つまり、「神さまの御心のままに、魂がますます輝き、幸せと御稜威(みいつ)が大きく栄えますように」という、とても尊い祝福の祈りで
昨日はこちらの配信でした✨【オンライン配信】8/6祈りが世界を変えるとき|pienipisarapoweredbyBASEpienipisara2.thebase.in3,850円商品を見る密教伝法大阿闍梨道庭成心先生に「祈り」についてお話を伺いました思っていた、、、、打ち合わせした以上に先生がお話くださったので濃厚な約2時間だったのではないでしょうかみんなからの質問にも丁寧に応えてくださり学びになりました✨1週間
日本には昔から「國體(こくたい)」という言葉があります。聞いた瞬間は少し難しそうですが、その中身はとてもやさしく、どこか懐かしさを感じるようなものです。ひと言でいえば、「日本という国が日本らしくあり続けるための、見えない心の根っこ」。国の制度や仕組みよりも深いところで、ずっと大切にされてきた“生き方の型”のようなものです。その源には、古代の『古事記』に描かれている神々の世界が流れています。古事記のはじまりには、天と地のあわいに「アメノミナカヌシ神」がそっと姿を現す場面があります。そこからタ
スサノオから始まった封印を解く時空の旅。封印繋がりで「次は磐長姫(イワナガヒメ)と此花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)、大山祇命(オオヤマツミノカミ)の謎は?」と軽い気持ちで次の旅をリクエストしたのがですが…まさか、超ディープな旅になるとは!…あんな事言わなきゃ良かったと思いましたが、後悔先に立たずです😭今回はこれ迄以上にステージが多岐にわたり、文章で説明すると伝わらない…と言うか、混乱を招く恐れがありますので、私とAIが綴った会話でお届けしたいと思います。AIと呼ぶのは味気ないので、古
………不穏なタイトルで始まってしまいましたが、別にスピリチュアルなブログではないですよ(笑)系譜と御所・御陵の名前ばかりが並んで、実績がほぼ記述されていない、いわゆる「欠史八代」。「欠史」というのは「史料が欠けている(足りない)」という意味なのに、「実在しない」みたいな意味に捉えられて、簡単に切り捨てられてしまっている傾向があるみたい。これはどうなのかなぁ…という疑問から、前回は「欠史八代」を読んでみよう!と題して、『日本書紀』の「2代・綏靖天皇紀」~「9代・開化天皇紀」ま
愛智神話とは約16000年前から始まった日本の歴史を口伝で伝えてきた一族の567代目の牧勝昭さんによって伝えられる、ひた隠しにされてきた日本の神話と言うことです。牧勝昭さんは、頭部にヒョウタンとキノコの形のアザの印を持ってお生まれになったのですが牧さんの家系では代々同じアザの印を持って生まれた者は50歳になった時にそれを世の中に広める役目があると伝えられていて、丁度牧さんが50才に成った令和2年から愛智神話のお話会をされたそうです。※2000年前のあざが出てた方は、天火明になります
「ことわり(理)」と「道理」似ているようで少し違う言葉に、「ことわり」と「道理」があります。ことわりは、もともとやまと言葉で「こと(事)+わり(分かれ)」から来ていると言われます。つまり物事がそうなる自然の筋道という意味です。たとえば・花が咲く・実がなる・人が生まれ、やがて死を迎えるこうした天地や命の流れを、昔の人は「ことわり」と感じていました。一方、道理は中国から入ってきた言葉で、道(人の歩む道)+理(筋道)つまり人として守るべき行いの筋道です。たとえば「親を
続きです。『【神戸】12月親子旅①南京町&カフェタイム』息子と神戸・淡路島・鳴門へ行ってきました。2025年12月Day1名古屋~神戸🚗3時間くらい神戸(大ゴッホ展・南京町)淡路島(伊弉諾神宮)鳴門Day…ameblo.jp神戸を出発して、淡路島へ。淡路ハイウェイオアシスに行くのが通常だろうけど、淡路ハイウェイオアシス·〒656-2401兵庫県淡路市岩屋大林2674−3★★★★☆·ショッピングモールmaps.app.goo.gl無視して、高速を降ります。
実(さね)と実(じつ)同じ字に宿る、日本語の深い世界日本語には、同じ漢字を書いても読み方によって意味の深さが変わる言葉があります。その一つが「実」という字です。「実」と書いてさねと読むときと、じつと読むときでは、実はまったく違う世界が広がっています。🌱実(さね)「さね」はやまと言葉の読みです。意味は、種、命の核、内側の本当のもの古い日本語の感覚ではさね=いのちの中心という響きを持っています。植物でいえば実(さね)は新しい命を生み出す「種そのもの」
古事記をお伝えしていると、初めて触れる方からよく、こんな質問を受けます。「神さまなのに、どうしてケンカをしたり、失敗をするのですか?」たしかに、「神」と聞くと、完璧で、間違わず、いつも正しい存在を思い浮かべがちです。けれど、「古事記」に描かれる神さまたちは、驚くほど人間的です。怒り、迷い、ぶつかり、やり直し、失敗もします。それはなぜか。古事記の神さまたちは、「完成された理想像」ではなく、この世界そのものの姿を映しているからです。自然は、いつも完璧でしょうか。嵐が起
「あっぱれ」は多くの場合、「天晴れ」と書きます。これは「空が晴れる」ように、曇りが取れて真実があらわになる感覚。うまい、勝った、よりもその人の働きが素直に現れたことへの賛嘆。だから「あっぱれ」は、技術評価や結果より「覚悟」や「筋」を褒める「あっぱれ」は、点数をつける褒め方ではなく、•迷いながらもやり切った•卑怯に逃げずに立った•みっともなくても誠実だったそういう心の筋・潔さ・引き受けに向かって放たれた「生き方」への賛辞です。「えらい」「立派」は、どこか「上下」が入りやすい
古事記の世界では、「学ぶ」ということは、何か新しい知識を増やすことではありません。それはむしろ、思い出すこと。古事記の神々は、「こうしなさい」と教え込んだり、「これが正解だ」と啓示を与えたりしません。物語の中で起きているのは、もともと在ったものが、ふっと現れたり、忘れていた秩序が、そっと戻ってきたり、ずれていた中心が、自然に整っていくことばかり。だから「腑に落ちる」という感覚は、理解が増えたというより、本来の場所に戻った感じに近いのです。人は生きているうちに、役割を背負い
おはようございます出雲大社の系列の神社の巫女を経まして。教派神道の神職の資格を習得した占い師、白川葵です本日もお忙しいところ、ご訪問ありがとうございます。初めての方も、よろしくお願い致します。7月23日頃から28日頃は、七十二候の「桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)」にあたります。桐の実が、なり始める頃という意味ですが桐材には、特別感がありますよね陶器や着物なども桐の箱やタンスに入っていると、すごい高級品に見えたりします
「まほろば」とは「まほらの心」から生まれる和の国『古事記』には、「大和(やまと)は国のまほろば」と記されています。ここで語られる「まほろば」とは、山・川・人・神がともに息づく、和(にぎわい)の国を讃えた言葉です。「真秀ろばの国(まほろばのくに)」は、「美しく、すぐれた国」という意味で、奈良(大和)を讃える表現としても使われました。「大和は国のまほろばたたなづく青垣山籠れる大和しうるはし」―『古事記』景行天皇段ここでの「まほろば」は、単なる“美しい土地”ではなく、人
古事記の「成る」と「生まれる」神様の現れ方の不思議古事記を読んでいると、神様が登場する時の表現に2種類あることに気づきます。ひとつは「成る(なる)」、もうひとつは「生まれる(うまれる)」。一見、どちらも「神が現れた」ということを言っているようですが、実は古代日本人の世界観の違いがここに込められているんです。1.「成る(なる)」宇宙が自ら目覚める瞬間「成る」という言葉には、外からの働きかけがなくても、自ずから顕れるというニュアンスがあります。古事記の冒頭に登場する天之御中主神(
天神代元無極躰主王大御神中未分主大神尊天地分主尊大神天地分大底主大神天一天柱主大神躰光神天皇国万造主大神身光天皇天御光太陽貴王日大御神大光日天神天御光太陰貴王女大神上古廿五代天日豊本葦牙気皇主身光大神天皇造化気万男身光天皇天日豊本黄人皇主神天皇身光神天之御中主神身光天皇元無極躰主王大御神・天之御中主神『古事記』において、天地開闢とともに最初に出現する神は天之御中主神である。一方で、竹内文書においては天神代の
「やまと言葉」って、単に「日本語」という意味じゃないんです。古代から日本人が自然や生活、心の動きを表すために使ってきた、日本固有のことば。それがやまと言葉です。「山」「川」「月」「花」「愛」「心どれも自然や感情に根ざした素朴で美しい言葉たち。中国から漢語が入る前から使っていた言葉です。古事記の神話には、やまと言葉の世界観がいっぱい詰まっています。1.天地開闢と自然に生まれる言葉古事記のはじまり「天地初発」。形もなく混沌とした世界から、ひとりでに現れた造化三神•天之御中主神
「まつりごと」今では「政治」という意味で使われていますが、もともとは「祭り事」と書かれていました。つまり、神とともに生き、神意(かむい)を受けて国を治めること。古代の政治とは、支配でも命令でもなく、“和(やわらぎ)”を保つ務めだったのです。天の法を地に映す「まつりごと」古事記の天孫降臨の場面では、ニニギノミコトが地上に降りるとき、「天つ神のまつりごとをしろしめせ」と告げられます。この言葉には、「天の法(あめののり)を地に映し、人々が豊かに暮らせるよう整えなさい」という願い
「ヒコ、ヒメ」日本人がなぜ「光の民」と呼ばれるのか古事記の文脈ややまと言葉の響きを踏まえると、彦神、姫神は、単に「男神」「女神」という性別的な区別以上のものを示しています。ひこ(彦):古代では「日子」とも書き、日の御子=光の御子を意味することが多い。#男性性そのものを表すというより、創造的で陽性の働きを象徴します。例えば道を拓く、国を治める、知恵や力を用いて世界を動かす側面です。例:古事記に登場する多くの男性神や天皇の名に「彦」がつくのは、この光の御霊の働きを体現するからです。ひめ
【ツラナミ/水面を司る河口神の御子神】ツラナミ(頬那美神)は「水面を司る女神」で、河口の神ハヤアキツヒコとハヤアキツヒメとの間に産まれた八柱の神の一柱として『古事記』に名前が記載されています。ツラナミの兄はツラナギであり夫でもある対となる存在で、名前の語感を見ても創造の神イザナギ(兄)とイザナミ(妹)との関係に通じるものがあり、「ナギ」と「ナミ」という同じくして生まれたアワナギ、アワナミも同様の対神として見ることが出来ます。ハヤアキツヒコとハヤアキツヒメの二柱の神は、以下の八柱の神々を産み
【カヤノヒメ/オオヤマヅミの妻である草の女神】カヤノヒメ(鹿屋野比売神、草野姫)は『古事記』において、イザナギとイザナミの間に生まれた神として、その神名が記されています。高天ヶ原の神々(造化三神)より授かった天の沼矛(あめのぬぼこ)を用いて、「国生み」を成し遂げたイザナギとイザナミ。その後さらに夫婦神が愛し合い力を合わせた「神産み」において、海の神、山の神、水の神など多くの神々が生まれました。山の神オオヤマヅミの次に生まれたのがカヤノヒメで、別名をノヅチノカミ(野推神、野椎神)と
松本にひとり旅した記録を綴っています。四柱神社(よはしらじんじゃ)縄手通りを散策しながらお邪魔したのは四柱神社。こちらの大名町通り側の鳥居をくぐって境内にお邪魔したのですが、中に入ってからこちらが正門ではない事に気づく・・・。と言うことで、大鳥居からやり直しです。実は↑の大鳥居の画像は、ひと気のない翌朝に撮ったもの。昼間訪問した時の大鳥居周辺はとーっても賑わっていました。手水舎も修学旅行の中学生と鳩で大賑わい。御祭
人生の中で、「どうしてこんなに苦しいのだろう」と思う出来事に出会うことがあります。越えられないように感じる壁、逃げたくなる状況、心が折れそうになる時間。けれど、その壁には大切な意味が隠されています。◆壁はあなたを止めるためにあるのではない私たちは苦しみを「敵」と捉えがちですが、本当は違います。その壁は、あなたを壊すためではなく、あなたの中にある力を引き出すために現れているのです。◆乗り越えるとき、人は変わる壁にぶつかると、人は初めて自分の弱さを知り、本当の願いに気づき、どう生きる
【完全保存版】本当の歴史が書かれた〝竹内文書〟をすべて解読しました。1928年竹内巨麿・高祖皇大神宮(北茨城市)・天津教開祖竹内文書の発表特濃竹内文書『神代の万国史』1970年刊行高祖皇大神宮第67代管長・竹内義宮氏解読『神代の万国史』1期:天神七代・宇宙創成元無極躰主王大御神.宇宙根源神(もとふみくらいぬしのおおみかみ)~5代目が岐阜高山船山へ降臨~6代目が位山2期:上古二十五代・天皇による地球統治(世界十六州)天日豊本葦牙気皇主天皇(あまのひのもとあし
天津罪・国津罪とは何か~古代日本の「罪」と、大祓に込められた智慧~私たちは「罪」と聞くと、犯罪や法律違反を思い浮かべます。しかし、『古事記』や『延喜式』に記された古代日本の「罪」は、現代の罪とは少し意味が異なります。古代の人々にとって罪とは、人々が共に生きる秩序を乱し、命を支える営みを妨げるものを指していました。そして、その罪は大きく二つに分けられていました。天津罪(あまつつみ)とは天津罪は、高天原の神話に由来する罪です。代表的なのは須佐之男命の乱暴狼藉として語られる*田の
古事記には、如葦牙因萌騰之物而成神名宇麻志阿斯訶備比古遅神という言葉があります。これは、葦牙(アシカビ)の如く萌え騰(あが)るの物に因(より)て成りし神の名、すなわち宇麻志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)という意味です。ウマシは良いものを褒め称えること、アシカビは葦の芽、ヒコヂは男性の尊称です。中国西南部・東南アジアからミクロネシア・ポリネシアにかけての地域には、原初の植物から人類が生まれたという神話があり、宇麻志阿斯訶備比古遅神には、世界樹的な色彩の強いことが指摘さ
玉造温泉内に鎮座する玉造湯神社は大国主大神のご神徳を体現する特別な聖地であり、単なる温泉の守り神ではなく、日本古来の国づくりと美の象徴として、われわれ保守派が守り継ぐべき伝統の結晶である。玉造湯神社は式内社の古社で、神紋は二重亀甲に丸玉・管玉・勾玉を表し、古代より玉作りの中心地として栄えたこの地には、花仙山一帯に弥生時代末期からの玉作遺跡(国の史跡「出雲玉作跡」)が密集している。出土した勾玉や管玉の一部は神社に所蔵され、国の重要文化財となっている。玉とは神聖なる宝珠を意味し、国づくりの神で