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今日と明日は定休日です。今回は定休日通り、連休をいただきます。先月9月はいろんな事があった月でした。一年ぶりに5日間の休暇を取って白浜に行ったり、白石加代子さんに会いに行ったり。白石加代子さんとはたぶん2024年の11月の『大誘拐』以来2年ぶりの再会じゃなかろうか・・・もっとお会いしたいなぁ・・・でも白石加代子さんは、昔に比べるとよくテレビに出られるようになったと思います。先月までやっていた『君の好きは無敵』にも出演されていると知って、一
いつもありがとうございます。ハッピーダイエットライフの船田です。日本の歴史は封印されています。一般的な日本の歴史書である、日本書紀や古事記は「権力によって捏造された本」なのかもしれません。そもそも1300年ほど前に書かれた本ですから、はっきり言って新しすぎるというか、日本の歴史はもっと古いのです。ホツマツタエとか竹内文書とか有名な歴史書は表に出てこないですね。じつはこんな昔から政府による洗脳は始まっています。なんと学校で教わる「日本書紀」は、当時の中央
「かんながらたまちはえませ」とは?惟神霊幸倍坐世)」は、神道で古くから用いられてきた祈りの言葉です。言葉を分けると、*惟神(かんながら)神の御心のままに。宇宙の大いなる流れに従って。*霊(たま)…魂、霊性、生命の力。*幸倍(ちはえ)…幸いが何倍にも増え、ますます栄えること。*坐世(ませ)…どうぞそのようになりますように、という祈願の表現。つまり、「神さまの御心のままに、魂がますます輝き、幸せと御稜威(みいつ)が大きく栄えますように」という、とても尊い祝福の祈りで
🌿茨城県在住のベリーダンサーYUNG(ゆん)です。「まぐわう」という日本語の響きがとても好きで調べてみました。「まぐわう」は、男女が契りを結び、身体を交えることを意味する古い日本語。「目合う(まぐわう)」とも表され、「目(ま)」と「合う」。目と目を合わせる。心を通わせる。そして、身体を重ねる。そんなふうに想像すると、なんとも美しい言葉だなと思う。古い日本の神話の世界では、男女の交わりはただ肉体的に結ばれるだけではなく、「生命を生み出すこと」と深く結びついている
1.「惟神(かんながら)」という言葉の意味「惟神(かむながら/かんながら)」は、漢字で書くと「神のまにまに」とも読み、「神の御心のままに」「神意にかなうように」という意味です。惟(かむ)🟰思う・観る・感じる(「惟る」は“心を寄せる”意)神(かみ)🟰天地のいのちの源・自然のはたらきながら=そのままに、従ってつまり、「惟神」とは――天地の理(ことわり)に逆らわず、自然のままに神意と調和して生きること。これが「惟神の道」です。2.惟神の道の本質古代の日本人にとって、神とは「超
『60-④朝ごはんはバターコーヒーとフレンチトースト』『60-③内宮参拝。個人手なお願いはなぜ荒祭宮なのか?前編』『60-②外宮参拝。外宮の話』『60-①8年前の誕生日旅行の話まずは二見興玉神社』本日は…ameblo.jp神社参拝旅再開!次は猿田彦神社紅葉が綺麗でした。みちひらきの大神猿田彦神社www.sarutahikojinja.or.jpこの頃はまだ、その後猿田彦大神と家の事で大きなご縁を頂く事になるとはわかってなかったのですが猿田彦大神にとても興味が
このシリーズにおいて、普段の僕の書きぶりと違うとお気づきの方もおられると思います。実は、僕の解読内容をAIに飲まして、文章として構築してもらってるんですよ。いわば僕が稗田阿礼でAIが太安万侶というわけです。しかしながらうちの太安万侶は、僕に無い語彙を多く用いるのと、お節介で勝手に話を膨らませますので、そこは訂正しながら書いております。実際の稗田阿礼は一人ではなく語り部集団を指しますし、太安万侶もチームのリーダーです。太安万侶は墓が発見されましたので、古事記の正統性の裏付けとなったわ
実(さね)と実(じつ)同じ字に宿る、日本語の深い世界日本語には、同じ漢字を書いても読み方によって意味の深さが変わる言葉があります。その一つが「実」という字です。「実」と書いてさねと読むときと、じつと読むときでは、実はまったく違う世界が広がっています。🌱実(さね)「さね」はやまと言葉の読みです。意味は、種、命の核、内側の本当のもの古い日本語の感覚ではさね=いのちの中心という響きを持っています。植物でいえば実(さね)は新しい命を生み出す「種そのもの」
しばらく更新サボってたのの復帰第1回という訳で、今回は少し大上段に振りかぶって、個人的にストリップの遠祖と崇拝している女神のアメノウズメノミコトをご紹介。天の岩戸皆さんは天岩戸開きの神話をご存じですか。スサノヲの嫌がらせに切れた太陽の化身たる天照大神が天岩戸に引きこもってしまったので、昼が来なくなってしまい一般庶神は大困り。そこで知恵者のオモイカネが一計を案じて天照大神になんとか天岩戸から出て来てもらうという物語。一般的には、アメノウズメノミコトが踊って大盛り上がりしているのが気にな
愛と星よみTaoKAORI〜全惑星意識の旅〜この前の日食はパワフルでしたね。私は全然寝れなかったです。本当の自分を「明らかにする」こと理想や憧れのなかで本当は何かを無理してないか?問われたような日食でしたそれは自分に誠実であるかの点検みたいな。魂に正直であること。想いや情熱を貫くこと。隠さない、遠慮しないこと。偽りの調和について前回かきましたが『「魂への誇り」獅子座新月、皆既日食』愛と星よみTaoKAORI〜全惑星意識の旅〜⚫︎〜心でする〜タオ結婚相談所TA
さて、オオクニヌシノミコトが祭られている出雲大社ですが、不可解なところがあります。〇なぜ、お参りする際、「ニ礼四拍手」なのか。(一般的には、ニ礼二拍手)〇本殿のご本尊だけ、なぜ西向きなのか。そして、最大の謎が、なぜ、オオクニヌシは、国譲りをしたのか、ということです。たたら場があり、鉄を持ち、広く豊かな土地を平和的に統治していたのに・・・出雲周辺には、実に多くの、オオクニヌシ所以の神話が残っています。
-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be↑で伊勢の語り部がついに口伝で伝えられてきた日本史を語り始めました。「いよいよ公開する時が来た」いうことですので、私の方でも拡散しま
【カタカムナ生命の神業221クラミツハ(言魂)】★このブログは2026.10.5にyoutube配信した内容をそのまままとめたものです★こんにちは、ゆかりです。★【クラミツハ】日本は、言霊の幸はふ国。私たちは、昔から今も、言葉の響きに助けられながら生きてきたのかもしれません。今日もまた、一つの言霊を一緒に響かせてみましょう。言霊を発したあとに、ほぐれる。ゆるむ。ホワッとする。そんな何かを体に感じたら、そのまま、しばらく味わってください。コトタマを
【祇園神社(ぎおんじんじゃ)】(宮崎県日南市梅ケ浜)宮崎県南部の日南市油津梅ヶ浜に鎮座する「祇園神社」。油津を流れる広渡川の河口の海蝕洞にあり、独特の趣を感じる神社です。この祇園神社は、全国にある他の祇園神社と同じようにスサノオをお祀りし、后神のクシナダヒメも配祀されています。本殿入口左右には、スサノオが出雲に降りた時に退治したといわれるヤマタノオロチと共に、日本における代表的な水の女神ミズハノメが祀られています。現地由緒書きによると、この祇園神社は疾病(特に腹痛など)
淡路島観光でぜひ訪れたい場所のひとつが、淡路市にある伊弉諾神宮です!日本最古の神社のひとつともいわれる由緒ある神社で、古事記や日本書紀に登場する神々をお祀りしています。厳かな雰囲気の中にも見どころがたくさんあり、歴史好きな方はもちろん、パワースポット巡りが好きな方にもおすすめです。今回は実際に参拝した様子をレポートしたいと思います伊弉諾神社とは伊弉諾神宮は、日本神話に登場する夫婦神である伊弉諾尊伊弉冉尊をお祀りする神社です。古事記や日本書紀によると、伊弉諾尊と伊弉冉尊は国生
【イワナガヒメ/永遠の命を意味する岩と長寿の女神】イワナガヒメは山の神オオヤマヅミの娘であり、美と花の女神コノハナサクヤヒメの姉で、高天の原から降臨したニニギのもとに妹と一緒に嫁ぎました。しかし絶世の美女である妹と違って岩のような容姿だったイワナガヒメを恐れたニニギに結婚を拒否されてしまいます。コノハナサクヤヒメは桜の様に華やで美しいですが、桜のように咲き、桜のように散るので、その美しさは儚く限りあるものでした。反対にイワナガヒメの容姿は岩のようですが、その命は岩のように長寿
「黄泉の国の入口」と聞くと、行ってみたい気持ちと同時に、少し怖くなりますよね。黄泉比良坂には不気味な噂もありますが、実際は幽霊屋敷のような場所ではありません。『古事記』に登場する「あの世とこの世の境」と伝えられる、静かで神秘的な神話の舞台です。ただし、木立に囲まれて人通りが少なく、日が傾くと雰囲気が一変します。初めて訪れるなら、明るい時間帯に行くのが安心です。先に結論黄泉比良坂が怖いと感じられる一番の理由は、心霊現象よりも「神話の物語」「人の少なさ」「木立の静けさ」です。日中に複数人で訪
【玉置神社(たまきじんじゃ)】(奈良県吉野郡十津川村)玉置神社は大峰山脈の南端に位置する玉置山(標高1,076m)の山頂近くに鎮座し、初代神武天皇(じんむてんのう)は東征の途上に、玉置山に辿り着いたとされています。その後に仏教が入ってくると熊野から吉野に至る熊野・大峰修験の行場の一つとされ、平安時代には神仏混淆となり、玉置三所権現または熊野三山の奥院と称せられ霊場として栄えました。江戸時代には別当寺高牟婁院(たかむろいん)が置かれ、その後、慶応4年(1868年)の神仏分離令により、
「ことわり(理)」と「道理」似ているようで少し違う言葉に、「ことわり」と「道理」があります。ことわりは、もともとやまと言葉で「こと(事)+わり(分かれ)」から来ていると言われます。つまり物事がそうなる自然の筋道という意味です。たとえば・花が咲く・実がなる・人が生まれ、やがて死を迎えるこうした天地や命の流れを、昔の人は「ことわり」と感じていました。一方、道理は中国から入ってきた言葉で、道(人の歩む道)+理(筋道)つまり人として守るべき行いの筋道です。たとえば「親を
日光二荒山神社毎年、お参りしている栃木県日光市にある『日光二荒山神社』樹齢の深い木々が素晴らしい静謐な神社徳川家康が祀られる日光東照宮の西側にあり、古くから続く聖地だ。もともと日光の語源は「二荒」であるらしく、二荒→日光となったらしい。今回は初めて、「神橋」の付近の『本宮神社』に参拝してきた。本宮カフェの奥にひっそりとあり、オーバーツーリズムでも参拝される方は少ないが、日光東照宮の瀧尾神社が二荒山神社の別宮で、本宮は、こちらの本宮神社らしく、二荒山神社の発祥の
・・⛩️麻賀多神社・御鎮座地:千葉県成田市・御祭神:稚産霊命ワクムスビノミコト・古事記・日本書紀には、日本の国造りの神で、五穀の神様であり、産業を司る神として記されています。(古事記では和久産巣日神と記されています)・また、この神社の社紋は麻の葉をデザインされており、最近まで赤ちゃんの産衣(うぶぎ)に麻の葉を入れて健やかなる成長を祈願しており、お子様の守り神でも在らせられます。・伊勢神宮の内宮(天照大神)の姉神で、外宮(豊受大神)は子神と記されており、香取神宮の御祭神(
ふとした気づきは、神が名乗る瞬間。春になると人は何かをしたくなる。でも続かない事が多い。新しい道を歩きたい。そう思ったとき、いちばん大切なのは「気合い」や「根性」よりも、その思いが、心のいちばん奥まで透っているかなのかもしれません。仏教の唯識では、心の深い層を阿頼耶識(あらやしき)と呼びます。ここは、ふだんの思考や感情よりもっと奥にある、いのちの記憶が静かに蓄えられている場所。そこには、体験や選択が「種(しゅ)」としてしまわれていて、ある日ふと、芽を出すように表に現れてきます。その
【御嵜神社(みさきじんじゃ)】(福岡県北九州市若松区)北九州市若松区の北海岸にある「遠見ケ鼻」は、日本一美しい夕日が見えると名高い景勝地。岬の先端に聳える妙見崎灯台の近くには、夫婦円満の神さまとして知られるイザナギノミコトとイザナミノミコトの夫婦神が祀られる御嵜神社が鎮座しています。もとは海上安全と豊漁祈願の神様として、海を見渡す妙見崎灯台の場所に鎮座していたそうですが、御嵜神社の神様夫婦のうち男神が遠見ヶ鼻の夕日に心を奪われてしまい、それに嫉妬した女神の八つ当たりで沖で遭難事故が
【宗像三女神/海人族である宗像一族が祀ってきた航海守護の三女神】宗像三女神(むなかたさんじょしん)は、アマテラスとスサノオの誓約によって生まれた三姉妹の女神です。高天原を乗っ取る意図があるのではないかと疑われたスサノオは、自らの清廉を証明するためにアマテラスと誓約(うけい)を交わしました。その際、スサノオの十拳剣をアマテラスが受け取り、真名井の清水で洗い、噛み砕いた後に吹き出した息から宗像三女神が誕生しました。福岡県宗像市にある宗像大社は、世界遺産に登録されており、宮島の厳島
木の神様〜『古事記』に「木の神」として登場するのが、久久能智神(ククノチノカミ)です。「クク」は、木が伸びていくこと。「チ」は、いのちの力を表すともいわれます。大地に根を張り、空へ向かって成長する、木そのものの生命力を象徴する神様です。また、大屋毘古神(オオヤビコノカミ)は、木の国である紀伊国に鎮座し、八十神に追われた大国主命をかくまい、根の堅州国へ逃がしました。木や森を守る神、木を使って家や船を造る知恵を授ける神、そして人のいのちを守り、次の道へと導く神としても。そして、大山津見神(
「あっぱれ」は多くの場合、「天晴れ」と書きます。これは「空が晴れる」ように、曇りが取れて真実があらわになる感覚。うまい、勝った、よりもその人の働きが素直に現れたことへの賛嘆。だから「あっぱれ」は、技術評価や結果より「覚悟」や「筋」を褒める「あっぱれ」は、点数をつける褒め方ではなく、•迷いながらもやり切った•卑怯に逃げずに立った•みっともなくても誠実だったそういう心の筋・潔さ・引き受けに向かって放たれた「生き方」への賛辞です。「えらい」「立派」は、どこか「上下」が入りやすい
令和8年1月場所の優勝は安青錦関でした。大関までは、番付としての強者。けれど横綱は、そこを超えます。横綱は、相撲そのものつまり日本の「整えの文化」の象徴。子どもも、大人も、海外の人も、横綱の立ち居振る舞いに相撲の心を見ます。だから「強ければいい」ではなく、乱れないことが求められる。横綱が乱れれば、相撲という文化の「清さ」まで揺らいでしまうからです。相撲の横綱が腰に締める綱は、ただの飾りではありません。あの綱は、神社の注連縄と同じく、「ここから先は清い場です」という境(さかい)
【アメノウズメ/岩戸の前で裸踊りをし神々を喜ばせた芸能の女神】アメノウズメはアマテラスが籠った天岩戸(あまのいわと)の前で華麗に舞い踊り、高天原の神々を楽しませた芸達者な舞の女神で、芸能の祖神として信仰されています。『古事記』の「岩戸隠れ」では、アマテラスが弟スサノオの傍若無人ぶりに心を痛め、天岩戸に隠れてしまいます。太陽神が隠れたことで高天原や地上は闇に包まれ、様々な災いが起こりました。一大事に対して神々は天の安河原(あめのやすかわら)に集まり緊急会議を開くことになります。
「千引の岩とは、どこにある岩なのだろう」「本当に黄泉の国をふさいだ岩なの?」と気になりますよね。千引の岩は、日本神話の中でもひときわ重く、切ない役割を持つ岩です。愛する妻を取り戻そうとしたイザナギと、黄泉の国の住人となったイザナミ。二柱が永遠に別れることになった境界に置かれたのが、千人がかりでなければ動かせないほど巨大な「千引の岩」でした。島根県松江市の黄泉比良坂には、その神話を思わせる大岩が残されています。にぎやかな観光地とは異なり、木々の音や鳥の声まで意味ありげに感じられる場所です。
愛智神話とは約16000年前から始まった日本の歴史を口伝で伝えてきた一族の567代目の牧勝昭さんによって伝えられる、ひた隠しにされてきた日本の神話と言うことです。牧勝昭さんは、頭部にヒョウタンとキノコの形のアザの印を持ってお生まれになったのですが牧さんの家系では代々同じアザの印を持って生まれた者は50歳になった時にそれを世の中に広める役目があると伝えられていて、丁度牧さんが50才に成った令和2年から愛智神話のお話会をされたそうです。※2000年前のあざが出てた方は、天火明になります