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古代人最近なぜかよく聞くwwwこの間、学生の頃の友達とランチしてその友達が教えてくれたYouTubeYouTubeで出てるのは縄文時代だけど私はそこら辺は良くわからないから縄文時代と弥生時代と時代は全然違うけどみんな同じようなあのヘアースタイルの人が浮かぶはじめて授業で習った時習う前から?www知ってたwww習った時にあ〜(˶°ㅁ°˶)あ〜って懐かしいというか記憶が色々と蘇るような感覚卑弥呼*(☆-☆)*私の記憶にあるこの時代神武天皇と卑弥呼って同
天皇家に限らず古代日本が大陸と密接に関係してることなんて、ごくごく当たり前のことです。今更「なんか余計なことが分かったら困る」なんてことはありません。逆に「天皇家は大陸とは何のかかわりもない」と言い張る人間がいたら、そいつのほうがどうかしてますよ。だって、すべての日本人の先祖は全員、大陸のどっかから渡ってきたんですよ。遅いか早いかだけで。そういうことじゃあないんです。天皇陵ってのは信仰の対象物であって、考古学的な研究対象ではないんです。あなたは、神社の御神体を放射線検査にかけて「神様な
ウガヤフキアエズは神武天皇の父親として記紀には書かれているが、一人の神様として書かれている。しかし、ウエツフミの中では数十代ものウガヤフキアエズ王朝として複数の王を記している。宮下文書やその他の古史古伝でも性別や代数など異なってはいるが、ウガヤフキアエズ王朝が存在している。実は、ウガヤフキアエズ王朝とは海人族安曇氏の王朝であり、日本列島周辺の漁労民達の王朝であった。彼らは縄文時代から陸上の縄文人達と共存していた。彼らは、中国大陸からの渡来人(弥生人や秦氏など)を船に乗せて日本列島に運んだ。彼ら
『日本書紀』を読んでいると、不思議な数字に気が付くことがあります。『日本書紀』編纂時に現れるのは、天武天皇の崩御日と川嶋皇子の薨去日が同じ9月9日という不思議な一致です。川嶋皇子は、天武天皇が国史編纂の詔を出されたときに、筆頭に名前を記されている皇子です。その川嶋皇子が、天武天皇が崩御された5年後の同じ日に亡くなっています。神武東征に関連して、神武天皇が東征出発前に語られた言葉の中に、1792470年という数字が登場します。東征出発の年が、瓊瓊杵尊が天孫降臨してから17
第674話✲急ぎの日記をお届けします✲こんばんは菊水千鳳です今まさに、皇居内で大嘗祭が執り行われていますね。“大嘗祭は、日本の天皇が皇位継承に際して行う宮中祭祀であり、皇室行事。新天皇が即位の後に新穀を神々に供え、自身もそれを食する。その意義は、大嘗宮において、国家、国民のために、その安寧、五穀豊穣を皇祖天照大神及び天神地祇に感謝し、また祈念することである。”ウィキペディアより天皇陛下が皇位を継承した際に行われる、一世一代限りの儀式で、神々に新穀を捧げ、神々の前で共に食する
私は、独自の「原日本紀」仮説というものを用いて、日本書紀の紀年復元を行っています。そして、そこから見えてきた数々の新説を著書や本ブログなどで公表してきました。昨年からはYouTubeでも動画にまとめて配信を始めました。すると、「原日本紀年表」の全体はどのようになっているか?というお問い合わせをいただきました。確かに、都度都度、新説の周辺の復元紀年のみによって解説していてはわかりにくいかと自覚しましたので、先日、復元紀年の全体を動画にまとめて公表いたしました。「原日本紀年
腹ごしらえはバッチリできたところまでが前回。『【奈良旅】完全自家製麺!天然ダシが自慢の情熱うどん「荒木伝次郎」』しあわせの森公園で芝桜を堪能したあとは腹ごしらえ(*˘︶˘*).。.:*♡『【奈良旅】芝桜まつり2024!しあわせの森公園』4月初旬から4月中旬にかけて、…ameblo.jp腹ごなしと言っては何だけれど、橿原神宮はなんだか定期的に訪れたくなる場所だ。令和22年(2040年)は、御祭神神武天皇が橿原宮址で第一代天皇として即位されてから2700年の佳節を迎える。
先日、静内二十間道路へ行ったときに寄った静内神社で、久しぶりに御朱印をいただきました。御祭神神武天皇(じんむてんのう)事代主神(ことしろぬしのかみ)【静内神社(北海道日高郡新ひだか町静内御幸町5丁目7番28号)】
今回は「媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)」についてお話をしていきたいと思います。いつもならば古事記での神名を正として記載するのですが今回は橿原神宮での表記が「媛蹈韛五十鈴媛命」であることから日本書紀の神名を記載いたしております。橿原神宮~媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)とは?~神武天皇の奥さん、即ち皇妃で在られることがほとんどです。太古から単独で祭神として祀られている神社は見当たりません。ですから詳しい内容、神格・御利益等々はあまり知られていないと思います
ある本📕からの抜粋↓↓↓【二人の初代】…日本の天皇家は、「王の子が王になる」家系。そして、それがユダ族のダビデ王朝が断絶されたとされる当時から今でも続いている世界唯一の家系-賢司は血統を絶対原理とした日本の皇位継承の発想が、世界を見渡しても異常なくらい独特なものであることに氣づいた。男系の世襲こそが唯一の正統性の源泉であり、それ以外は一切許さない。何か宗教的なものさえ感じる-一方、西欧で皇帝はもともと血統というよりは実力者への継承で、王権も女系や他家に移ることもあった。中国では数千年の歴
お幸せさまです自分のメモ用に。知り合いがシェアしていた節分ネタ鬼の話FacebookにログインFacebookにログインして、友達や家族と写真や近況をシェアしましょう。www.facebook.comむか~し、むか~し。そのむかし。この大倭日本の国を治めていたのは決して争いはしないと誓った、まさに、和を以て貴しとなす。そんな一族たちでした。そこへ、南の方からやってきた一族がこの島を俺たちに譲れさもなければ、血を見ることになるぞ!と脅したのです。話し合いで収まるような相手でも
『神武東征とお伽噺の内緒話』『沖縄にある天岩戸の内緒話』『天岩戸隠れの真実とアメノウズメの内緒話』『ニギハヤヒと天の川の内緒話』『天照大御神の内緒話』『天照大御神(アマテラスオオミカ…ameblo.jp『歳神様と初代天皇の内緒話』『神武東征とお伽噺の内緒話』『沖縄にある天岩戸の内緒話』『天岩戸隠れの真実とアメノウズメの内緒話』『ニギハヤヒと天の川の内緒話』『天照大御神の内緒話』『…ameblo.jpさて、初代天皇『神武天皇』のお話はまだ続きます。『神武天皇』という呼び名は後世
明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。【宮崎】宮崎県日南市の鵜戸神宮【鵜戸神宮御朱印帳】(大判サイズ)『うさぎ』がポイントです以前いただいた【鵜戸神宮御朱印帳】(小さいサイズ)【鵜戸神宮御朱印帳】(小さいサイズ)【鵜戸神宮御朱印】御朱印は洞窟にある社務所でいただきます【楼門】【本殿】【御祭神】日子波限建鵜草葺不合命神武天皇の父日子波瀲武鸕鷀草葺不
【奈良】【橿原神宮限定御朱印】11月3日より開催されている宝物館特別展「橿原神宮の奉納刀」に合わせ御祭神神武天皇に縁の深い頭椎大刀がデザインされた期間限定御朱印「頭椎大刀」がいただけます。【期間】令和5年11月3日~令和6年5月12日【場所】授与所にて【橿原神宮御朱印】【橿原神宮御朱印】橿原神宮末社【長山稲荷社御朱印】平成30年8月末頃より橿原神宮末社長山稲荷社の御朱
こんにちは。今日は牡羊座の金星と水星が一直線上で重なる日です。度数は17度!じりじりとしますね😅💦さて、今日は九州旅行の続きですが、現在の宮崎県は古代は「日向(ひゅうが)の国」といいまして、これは「ひむかい」という意味で、初代の神武天皇は宮崎県生まれ、なのですね✨✨ものすごく温暖な沿岸部で、海を隔てると、四国にもめっちゃ近いのです✨✨なんとこの国に、出雲の神々が日向国一宮として祀られているのです。いや…祀られているのは…三輪山の神で
こんばんは!@Ricoです。関西巡礼遠征👣の続きですよ^^→ひっそりと、まだ続いとります奈良→東大阪と巡礼は進んできてまたまた再びの奈良✨斑鳩の里✨といえば、法隆寺さんを思い出すよね☝️が、しかーし。今回のねえさんぽ👣のテーマは神武天皇からはじまる原点ねえさんぽ。→饒速日尊との繋がりね✨よって、向かった先はこちら⬇️廣瀬大社さん✨法隆寺駅前には、こちらの碑↓今回、法隆寺駅からレンタサイクル🚴♀️にてレッツゴー‼️8時ちょい過ぎの生駒なんでもないような景色が
3月30日(土)日向市東郷町の冠岳に登ります。右トップが冠に見える(^_^)今日は耳川は濁り遠景は黄砂で見通しも悪いようですが空模様は良好也。耳川沿いに立つ低山ですが海も近く春が早く感じられる山です。川口は神武天皇お船出の地になります。登山口(9:50)⇒冠北岳(10:50)⇒冠岳(11:10)⇒日の丸掲揚台(11:35~12:15)⇒宮ヶ原岳(13:05)⇒登山口(14:00)延べ4時間10分国土地理院には冠岳しか山名はないがヤマップを見ると冠岳、冠北岳、中岳、宮ケ原岳の
今日は世紀の悪者!長髄彦のおっちゃんについて言及してみたいと思います、何故かと問われれば、歴史研究を進めてみると「今に伝わる解釈と真実とではかなり違う」ようだと分かったからです。まず、長髄彦とは誰なのか?知らない人にも分かるようにしたいと思います。有名な神話の一つに「神武東征(じんむとうせい)」という話がありますが、日本はこの神武天皇から始まるされている最初の天皇にまつわる話に登場します。1800年前頃に九州から奈良へと神武天皇が攻め上がった時に奈良で神武天皇と戦う敵として登場す
伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定第23回近親婚ネットのなかでは、朝鮮は毎年美女3000人を2000年に渡って中国に貢いでいたので、女性不足になって強姦民族になり、近親婚を繰り返したので遺伝子が劣化して、世界最悪の劣等民族になったとされていますが、実際には朝鮮のような儒教の倫理で長年運営されていた国は近親婚を嫌います。なにもしなかったのに名前だけは有名な厩戸皇子の父親は用明天皇で、母親は穴穂部間人皇女ですが、このふたりは舒明天皇の子で異母兄妹なのです。用明天皇の母は
『麻紋とユダヤ埴輪の内緒話』『大嘗祭(おおなめまつり)』。7世紀頃始まったと言われる天皇の皇位継承の際におこなわれる儀式。その大嘗祭で用いられる布がとても気になる。『麁服(あらたえ)』と…ameblo.jp↑のつづきさて、『阿波忌部氏』の祖神である『天日鷲命(あめのひわしのみこと)』の話である。天日鷲命は、『天加奈止美命(あめのかなとみ)』と同一視されている。「加奈止美」が「金鵄(かなとび)」とも読めることから、『八咫烏』の3人の大幹部、つまり「三羽ガラス」の語源とも言われる『金鵄』
【宮崎】宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田の狭野神社【狭野神社御朱印】【狭野神社御朱印】【狭野神社御朱印】式年遷宮奉賛御朱印【狭野神社御朱印帳】【拝殿】【御祭神】神日本磐余彦天皇(神武天皇幼名:狭野尊)社伝によると第5代孝昭天皇の御代神武天皇ご降誕の地に創建されたのがはじまり。神武天皇の
明日4月25日夜8時〜土佐邪馬壹国勉強会ラジオ始まります。46回目のテーマは神武天皇長兄の五瀬命の家系図を検証していきます。古代日本には一人で数々の名前がありました幼名本名字名(あざな)氏名姓名諡号(しごう)諡(おくりな)とは興味深い日本の建国からの系譜を旅しましょうお楽しみに!
こんにちは!龍神画家の弥生ですドラゴンクリスタルチャネリングカードの44枚の龍画の画家てす***初めまして!龍神画家弥生はこちらから⇒こんにちは!!私最近、歴史にハマってまして、世界の龍マップを作ってます。そんな中、びっくりした事が起こったのでシェア💕皆様、古事記、日本書紀は、名前は知ってるよね。でも実は、もう1冊日本の歴史書として、書かれていた本は知ってるかな?それは、『先代旧事本紀大成経』(せんだいくじほんぎたいせいきょう)ある時まで
『【魔界・地獄シリーズ】あなたはどちら寄り?-物質主義と精神主義ー』以前、魔についてブログで取り上げたことがありました『魔とは何か』※今回は神様の話ではありません。カミゴトは目に見えない世界を見つめる仕事です。仏さん…ameblo.jpこちらの記事で、物質主義と精神主義について触れましたさて…いくよ!物質主義100%の存在は、悪魔や魔物ですこわ!!反対に、精神主義100%の存在は神様ですほっとする「え!私、物質主義寄りなんですけど!
直書きの限定御朱印をいただけるとは((((゜д゜;))))💦この日は紀元祭、確認し忘れたけれど、祝日、あるいは、祭日にいただけるのかもしれない?_φ(..)橿原神宮前日に石神さんにお参りし玉依姫命の御朱印をいただいたので、その列びになるようにと神武天皇の御陵印をいただいた折りに、こちらへもお参りさせていただいた御朱印限定御朱印をさて、、どういう日にいただけるかについてはすっかり聞きそびれてしまった┐(´o`)┌またの機会に橿
横から広角だったので、変な風に撮れちゃいましたが、一時帰国の最終日、フライトに乗る前に最後は鹿島神宮へ。この日も寒かった!到着したのが、すでに午前11時ごろ。長居は出来ずなので、サクサクと回ることに。クリックしてブログランキング応援してね!にほんブログ村広大な森林に囲まれている神宮は、とても古く創建は、神武天皇元年とのこと。え~っと、神武天皇って、一番最初の天皇だった方ですよね?でも西暦に直すと、いつ?ということで、ググってみたら
おはようございます出雲大社の系列の神社の巫女を経まして。教派神道の神職の資格を習得した占い師、白川葵です本日も、お忙しいところ、ご訪問ありがとうございます。初めての方も、よろしくお願い致します。古事記には、様々な神が登場しますが、神と人は、どこで区別されるのかは神の時代が終わり人の時代が始まったのは、神武天皇からとされています。それは、古事記の神々は、「死ぬ」ことがないですし、たとえ、「死ぬ」ことがあっても、オオクニヌシのよう
前回は次の目的地、伊雑宮と伊勢神宮外宮について書きましたが、特に、外宮の豊受大神を封じ込めているのが多賀宮ではないかと考察しました。今回は伊雑宮について。以前に伊雑宮のただならぬ重要性を感じさせられたのが、「伊勢-白山道」さんのブログ記事でした。伊雑宮の近くに霊能力者であり剣の達人でもある「フツノミコト」と呼ばれる人がいて、カラス天狗も操っている。昭和の話その2-伊勢ー白山道(※ここから書きますことは、最初は常識の範囲内で書こうと思いまし
こんにちは😃久しぶりののんびりとした週末を過ごしております。台風は大丈夫だったでしょうか?今年はスーパーエルニーニョ現象が起こっているようで、まさしく備えが大切ですね😅さて、今日は古代ヤマト国のかつての王の話です。近畿地方を統治していたかつての王と言い換えても大丈夫です😅邪馬台国の前身の統治王でもありました。なんと話は2000年をさかのぼりますが…このかたの子孫こそ、東北の縄文時代の神、アラハバキ王国をまとめ上げ、なおかつ後に蝦夷(エミシ)と呼ばれる部族となりますよ。歴代の卑
第581話こんにちは菊水千鳳です前回の日記(九州参拝体験7高千穂神社の夜神楽)の続きです。夜神楽が終わったので、すぐに宿に向かわず、神々に断りを得て、そのまま境内を参拝することにしました。(とはいえ神社に迷惑かからないように10分くらいでした^^;)スケジュール上、翌朝には《幣立神宮》へ向かうことになっていたので、このタイミングでしか高千穂神社を訪れるチャンスは無かったからです。夜とはいえ、神々の息吹が息づいています。ただ、日中とは異なります。前回の日記にも書きましたが、夜の