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【神武天皇/九州生まれの九州男児である初代天皇】神武天皇(じんむてんのう)は本名をカムヤマトイワレヒコノミコトといい、日本を建国した初代天皇として知られています。『古事記』によると神武天皇は、九州日向(宮崎県)でウガヤフキアエズノミコトと海の女神タマヨリヒメとの間に産まれた末っ子(四男)で幼名ワカミケヌと呼ばれ、幼いころから明達で若干15歳で皇太子となり、その後、阿多小橋君の妹アヒラツヒメと結婚しました。天孫ニニギが高千穂に降臨し永い時を経ていましたが、未だ日本全体を平定できていな
続きです。『【神戸】12月親子旅①南京町&カフェタイム』息子と神戸・淡路島・鳴門へ行ってきました。2025年12月Day1名古屋~神戸🚗3時間くらい神戸(大ゴッホ展・南京町)淡路島(伊弉諾神宮)鳴門Day…ameblo.jp神戸を出発して、淡路島へ。淡路ハイウェイオアシスに行くのが通常だろうけど、淡路ハイウェイオアシス·〒656-2401兵庫県淡路市岩屋大林2674−3★★★★☆·ショッピングモールmaps.app.goo.gl無視して、高速を降ります。
武内宿禰(たけうちのすくね)は、古代日本の伝説的な人物であり、日本書紀や古事記などに登場する非常に重要な政治家・忠臣です。彼は神功皇后や応神天皇をはじめ、複数の天皇に仕えた長寿の臣下として知られています。構成:筑前由紀イラスト:YUTARO目次基本情報特徴と伝説実在性子供と子孫LINEスタンプ目次を開く基本情報・時代:古墳時代(3世紀末〜5世紀頃とされる)・仕えた天皇:景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、神功皇后(摂政)、応神天皇、仁徳天皇・出身氏族:蘇
昨日登った可也山途中に可也神社があります日本の初代天皇である神武天皇を祀った神社ですこれを読むと神武天皇が日向の国から東征に向かう際に国見をするためにこの山頂に立ち寄られたという事ですようするに、九州南部から奈良盆地へ向かったという話です日向では統治が不便な事から奈良を目指したそうでも、神武天皇はあくまで神話の中の人物実在する最初の天皇は第10代の崇神天皇その神話って古事記とか日本書紀の事それを書いた人が、書いた人の頭の中の空想を書いたって事なのかな🤔という事は、神武天皇
古事記・日本書紀に記される「八尺瓊勾玉」ってなに?正式には「五百津御統之玉(いほつのみすまるのたま)」と呼ばれ、#三種の神器のひとつです。これは単なる宝物ではありません。#イザナギが、娘・#天照大神へ託した「この世界をやさしく治めるための力」そのものです。「やさかのまがたま」という長い名には、日本人が大切にしてきたいのちの世界観がぎゅっと詰まっています。🌸八尺(やさか)大きさではなく、「弥栄(いやさか)」命が重なり、広がり、続いていくこと。🌸瓊(に)霊性を宿した美しい玉。
【イソタケル/スサノオの御子である植林の神】『日本書紀』においてスサノオの御子神とされるイタケルは、イタテノカミ(射楯神)とも呼ばれる神です。オオヤツヒメ・ツマツヒメという妹がいるとされ、イザナギ・イザナミの御子神であるオオヤビコとは基本的には別神ですが、同一神とされることもあります。このオオヤビコは、ヤソガミに襲われて逃げ込んだオオクニヌシ(オオナムチ)を匿った神として知られています。オオクニヌシもまたスサノオの6世孫とされる神なのですが、ヤソガミもオオクニヌシの兄といわれ
第4話|英雄の名の代償【あらすじ】英雄ヤマトタケルの名を汚したとして、天皇は異母弟蒲見別王を処刑する決断を下す。民の期待に応えるため、父の名を守ったはずのその選択は、彼自身の心を深く傷つけた。英雄の信仰に押し潰されそうになる中、天皇は新たな力として「神の声を聞く姫」の存在を知る。――――――【本文】蒲見別王(カマミワケのミコ)が白鳥を奪っていった。その知らせを聞いた足仲彦天皇(タラシナカツヒコのスメラミコト)は、しばし言葉を失いました。胸に込み上げてきたのは、怒りよりも、まず
『60-④朝ごはんはバターコーヒーとフレンチトースト』『60-③内宮参拝。個人手なお願いはなぜ荒祭宮なのか?前編』『60-②外宮参拝。外宮の話』『60-①8年前の誕生日旅行の話まずは二見興玉神社』本日は…ameblo.jp神社参拝旅再開!次は猿田彦神社紅葉が綺麗でした。みちひらきの大神猿田彦神社www.sarutahikojinja.or.jpこの頃はまだ、その後猿田彦大神と家の事で大きなご縁を頂く事になるとはわかってなかったのですが猿田彦大神にとても興味が
毎月の大神神社のお参り。相変わらず爽やかで心身洗われます🙏狭井神社へ向かう道は、お気に入りでいつもしばらくベンチで休憩🍁その後、高市早苗総理で一躍話題になった奈良県橿原市の天高市神社に参拝🙏あめのたけち神社が正しい読み方。859年創建の、日本書紀に由来ある由緒ある神社です。青空に日の丸🇯🇵が美しい😍流石に、話題になったので参拝者が増えて、土日は御朱印を沢山書いてます😂🙏とのことでした。とても、気持ちいい神社でした。高市総理にも訪れて頂きたいですね!❤️レッスン2回目の生徒
【ニニギノミコト/美しき花の女神と結ばれた天孫】ニニギは父方の祖母はアマテラス、母方の祖神がタカミムスビであり、父神アメノオシホミミと母神ヨロヅハタトヨアキツシヒメとの間に生まれました。ニニギは神勅を受け高天原(天界)から高千穂(地上)へ降り立った神様で、このことを「天孫降臨」といい、現在の高千穂町や高千穂峰など降臨の伝承地が九州にいくつかあります。『日本書紀』において、アマテラスは天皇家の使命であり、日本建国の理念とされる「三大神勅」をニニギに託しています。その中の「宝鏡奉
「古代出雲歴史博物館」に触発されて、思い出した古代の「七支刀」。歴史の教科書等で目にしたことのある「七支刀」ですが、韓国の歴史ドラマを見ていた時に、それが使われる場面が出てきました。百済の何代目かの王が次に王位を渡す時に、立っている現王が、跪いている次王の(両方の?)肩にこの「七支刀」のようなものの先の十数センチ位の部分を当てる儀式をしていました。どのように使われるのか分からなかったけど、ふーん、そんな風に使うんだと思ったのですが、実際の場面は誰も見ていないので、想像で演出
【カムオオイチヒメ/荒神の妻である稲と市場の女神】カムオオイチヒメ(神大市比売)は『古事記』において、スサノオの二番目の妻として名が記載されています。スサノオの一番目の妻は、ヤマタノオロチから助けたクシナダヒメですが、どちらも稲作に関係の深い神様で、スサノオと稲作の関係性の深さを現していると言えます。カムオオイチヒメは山の神オオヤマヅミの娘とされていて、スサノオとの間に2柱の御子神、オオトシ(大年神)とウカノミタマ(倉稲魂神)を産みました。この神々は、どちらも農耕に深く関係の
【クエビコ/小人神の名前を明かした物知り案山子】クエビコ(久延毘古)は、『古事記』において物知りな案山子(かかし)として登場する神です。ある時オオクニヌシが出雲の御大之御前(みほのみさき)にいた時、海の向こうから小さな神が天の羅摩の船(あめのかがみのふね)に乗ってやって来ました。その小人の神は名を尋ねても答えず、諸々の神々も誰もこの神の名を知ることが出来ませんでした。すると、ヒキガエルのタニグクが「クエビコなら、きっと知っているだろう」と言うので、物知り案山子のクエビコを呼び寄せ小人
生まれも育ちも奈良県で、万葉集が好きなみくるです今回は、日本最古の道の一つ「山の辺の道」の北コースから、特にロマンあふれるスポットをご紹介します。『万葉集』や『日本書紀』にも登場する、歴史と悲恋の物語が息づく場所です悲劇のヒロイン・影姫が駆け抜けた橋今回ご紹介するのは、天理市の石上神宮のすぐ近くにある「布留の高橋(ふるのたかはし)」。古来より、この橋は万葉集に詠まれ、また、恋人の亡骸を探し求めてこの道を走ったという、影姫(かげひめ)の悲しい伝説の舞台となりました。なぜ「高橋」という名
【綿津見三神/安曇一族の祖神とされる航海守護神】綿津見三神(ワタツミサンシン)の『「ワタ」は海の古語で、「ツ」は「の」を表し、「ミ」は神霊の意であるので、「ワタツミ」は「海の神霊」という意味になります。死者の国である黄泉の国から帰ってきたイザナギが穢れた身を清める禊をした時に以下の神々が生まれました。ソコツワタツミ(底津綿津見神、底津少童命)ナカツワタツミ(中津綿津見神、中津少童命)ウワツワタツミ(上津綿津見神、表津少童命)この三神を総称して綿津見三神と呼んでいます。この三
【イブキドヌシ/大祓祝詞に記載される祓戸四柱の神】イブキドヌシ(気吹戸主神)は『古事記』や『日本書紀』には記載の無い神名ですが、神道の根源的な思想である「祓い」を象徴する祓戸四柱(はらえどのよんはしら)のうちの1柱で、多くの神社で奏上される大祓祝詞(おおはらえののりと)に登場します。・「セオリツヒメ(瀬織津比売)」は諸々の禍事・罪・穢れを川から海へ流す。・「ハヤアキツヒメ(速開都比売)」は海の底で待ち構えていて諸々の禍事・罪・穢れを飲み込む。(古事記に神名が記載)・「イブキドヌシ
生まれも育ちも奈良県で、神社やお寺が好きなみくるです。先日、奈良市にあるとっても素敵な古社「登彌神社(とみじんじゃ)」に行ってきました。地元では「木嶋明神(このしまみょうじん)」って呼ばれて親しまれているのですが、これがまた静かで雰囲気のある神社歴史好きにはたまらない場所でした。ここがすごい!登彌神社の魅力3選✨日本書紀にも登場する超〜古社!そして「富雄」のルーツ!?登彌神社(とみじんじゃ)は、奈良県奈良市石木町に鎮座する式内社なのですが、『日本書紀』にもそのルーツが示唆されて
あなたの事を待っている神様との絆を繋いで結ぶ赤い糸神仏広告代理店・菊田です神繋ぎ実績:6年で1500万円以上オリジナル寄付企画への応援、ありがとうございます!菊田の自己紹介はコチラ。・・・・・・・【菊と稲荷】の始まりの物語はコチラです→『プロローグ。』<あらすじ>『怖いと思われている稲荷の誤解を解いてほしい』六甲山上の稲荷神のその言葉から始まったのが、【菊と稲荷】という菊田フィルターを通しての神と人との物語。い
【ヒノカグツチ/燃え盛る炎と共に生まれた火の神】燃え盛る火を司るヒノカグツチ(火之迦具土神)の名前の意味は、カグ=揺れる火の光、輝く光ともされ、ツチは命の源である大地や神霊を現し、「火の輝ける命の神」「火の輝く大地神」といわれます。『古事記』では、ヒノヤギハヤヲノカミ(火之夜藝速男神)・ヒノカガビコノカミ(火之炫毘古神)・カグツチ(加具土命)と表記され、『日本書紀』では、カグツチ(軻遇突智)、ホムスビ(火産霊)と表記されます。ヒノカグツチは祝詞において「火結神(ホムスビノカミ)」と
【薦神社(こもじんじゃ)】(大分県中津市)薦神社は、大分県中津市に鎮座する八幡宮で、別名大貞八幡宮(おおさだはちまんぐう)とも称されてきました。写真の本殿裏手にある三角池(みすみいけ/御澄池)を内宮(御神体)、神殿を外宮とする八幡神を祀る神社です。全国八幡宮の総本宮である宇佐神宮(大分県宇佐市)のご神殿におけるご神体とされる薦枕の材料である真薦の茂霊地で、そのことから宇佐神宮の祖宮といわれ、承和年間(834-848年)の創建と伝わる由緒ある古社です。拝殿から回廊を介して奥に三
4兄猾と弟猾1秋八月甲午朔乙未。天皇使徴兄猾及弟猾者。〈猾。此云字介志。〉是兩人菟田縣之魁帥者也。〈魁帥。此云此登誤廼伽彌。〉時兄猾不來。弟猾即詣至。【秋あき八月はづき甲午きのえうま朔さくひ一日つきたちとして乙未きのとひつじ二日ふつか、天皇すめらみこと兄猾えうかし及および弟猾おとうかしといふ者ものを徴めさ使しむ〈猾、此これを宇介志うかしと云いふ〉。是この兩人ふたりは菟田うたの縣あがた之の魁帥ひとこのかみ者は也なり〈魁帥、此これを比鄧誤廼伽瀰ひとこのかみと云いふ〉。時ときに、兄猾えうかし不来ま
ご訪問ありがとうございます。前回は継体天皇の后妃について検証しましたが、継体天皇は、かなり広くネットワークを構築していたことが見受けられます。そこで今回からは継体天皇自身がどこに母胎を持っていたのか、考えてみたいと思いますが、今回はちょっと長いので目次をご活用いただいて、ちょっとずつ読んでいただければ(;^_^Aいやぁ、いいタイミングでリリースされて良かったです。目次「上宮記逸文」の系譜凡牟都和希王は誰か?応神天皇の原像(ホムダワケ)応神天皇の原像(オオトモワケ)応神天皇
第2章古事記・日本書紀に見る馬の神話日本最古の歴史書である『古事記』と『日本書紀』には、数々の神話が収められています。その中で、馬は神の使いとして、また時に災厄を招く存在として登場し、人々の信仰や畏れを映し出しています。ここでは、特に代表的なエピソードを取り上げながら、馬がどのように神々の物語に関わってきたのかをたどってみます。スサノオと「逆剥ぎの馬」最も有名なのは「天の岩戸隠れ」にまつわるエピソードです。荒ぶる神スサノオは、姉である天照大神に対して度重なる乱暴を働きました。その
【熊本大神宮(くまもとだいじんぐう)】(熊本県熊本市中央区)熊本大神宮はその名のとおり伊勢神宮(三重県伊勢市)のアマテラスとトヨウケヒメを勧請して祀ったお宮で、熊本城東側に鎮座し、南隣に熊本城稲荷神社が隣接しています。伊勢神宮内宮外宮の両神をお祀りする神社なので、「熊本のお伊勢さん」と呼ばれ親しまれています。写真の本殿左手には熊本城本丸の石垣がそびえ立っていましたが、三年前の平成28年熊本地震の影響で大きな被害を受けました。熊本大神宮は、明治3年(1876年)の大教宣布の詔を受け
ご訪問ありがとうございます。今回から雄略天皇の治世に入って行きますが、このお方、あんまり書かれ方が良くない(^^;)その理由はおいおい指摘して行きます。(雄略天皇)元年春3月3日、草香幡梭姬クサカノハタビヒメ皇女を立てて、皇后と為す。またの名橘姬皇女。えーと(;^_^A分注の橘姫皇女ですが、何かとヤマトタケルに戻って申し訳ないですが、雄略天皇がワカタケ、またはワカタケルという名前(大泊瀬幼武オオハツセノワカタケ天皇)なので、昔からヤマトタケルのモデルだと言われてまして、「古事記」
ご訪問ありがとうございます。さて今回から武烈天皇ですが、まずは「武烈天皇紀」の冒頭、この前飛ばした総評の部分を見ることにしましょう。小泊瀬稚鷦鷯オハツセノワカササギ天皇は、仁賢天皇の皇太子である。母を春日大娘カスガノオオイラツメ皇后という。仁賢天皇7年、立ちて皇太子となる。長じては刑の判断や執行を好み、法令に詳しかった。日が暮れるまで政治を行い、無実を見抜き、訴えは退けるにしても情はおありになった。と、ここまで見るといい人に見えますが、これは「法治主義」です。法がすべてで、儒教のよ
能褒野神社から次の目的地へ向かう為、歩いて駅へ。井田川駅(三重県亀山市井田川町364)に到着。妙に主張する「大和タチバナ記念植樹」。手前には、ヤマトタケルが詠んだ(『日本書紀』では景行天皇が詠んだ)とされる国偲歌。ヤマトタケルの像あり。能褒野に近い駅だから、そりゃあヤマトタケル像くらいあるよね!と思いながら見る。ヤマトタケルの妻として、最も有名であろう弟橘媛。彼女は海を鎮める為、関東で身投げした。有名な女性だから、無関係ながらもヤマトタケル繋がりで紹介しているのだろうかと思いなが
ご訪問ありがとうございます。謎多き神様「ニギハヤヒ」について、大神神社、籠神社と古社に伝わるニギハヤヒと関連のある社伝等を紹介しておりますが、今回紹介するのは「石上(いそのかみ)神宮」です。石上神宮は、ニギハヤヒの剣である「布留御魂」を祀る旧官幣大社(かんぺいたいしゃ)です。先に「官幣大社」というものについて、簡単にご説明しておきますね。「官幣大社」とは、明治時代から戦前までの日本に存在した国家による神社の社格制度の中で、特に重要とされた神社の一つだと思ってく
【曩祖八幡宮(のうそはちまんぐう)】(福岡県飯塚市)曩祖八幡宮は福岡県飯塚市に鎮座し、飯塚の鎮守、子守りの神としても信仰篤い神社で、近年は初宮参りや七五三詣り、入試合格・商売繁盛・災難厄除祈願などお社として幅広く信仰され、かつては納祖宮とも呼ばれていました。伝承によると14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の后である神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓征伐からの帰途、この地にある納祖の森を霊験あらたかな聖地と定め、祭壇を設けて天神地祇の御霊を祀り、戦捷報告の祭典を執り行い、長年つき従った九州
【カモワケイカヅチ/古代豪族賀茂氏の氏神】カモワケイカヅチ(賀茂別雷神)は賀茂別雷神社(上賀茂神社/京都市北区上賀茂)の祭神で、各地の加茂神社(賀茂神社・鴨神社)で祀られています。『古事記』や『日本書紀』には登場しないものの雷神・治水神の神格を持ち、平安京の守護神として篤く崇敬されてきました。賀茂別雷神社の社伝では、初代神武天皇の御代に神山(こうやま、賀茂山ともいう)の麓の御阿礼所にカモワケイカヅチが降臨したと伝わります。室町時代の『賀茂之本地』では『古事記』に記載のあるアヂ