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【玉置神社(たまきじんじゃ)】(奈良県吉野郡十津川村)玉置神社は大峰山脈の南端に位置する玉置山(標高1,076m)の山頂近くに鎮座し、初代神武天皇(じんむてんのう)は東征の途上に、玉置山に辿り着いたとされています。その後に仏教が入ってくると熊野から吉野に至る熊野・大峰修験の行場の一つとされ、平安時代には神仏混淆となり、玉置三所権現または熊野三山の奥院と称せられ霊場として栄えました。江戸時代には別当寺高牟婁院(たかむろいん)が置かれ、その後、慶応4年(1868年)の神仏分離令により、
「ウガヤ朝」「ウガヤフキアエズ朝」と聞くと、なつかしい記憶がよみがえる若干高齢(私も含めて)の方が多いのではないでしょうか?記憶はすこし曖昧になってきましたが、雑誌『ムー』など、UFOや心霊現象をはじめとするオカルトや世界の謎・不思議を扱った本で、よく取り上げられていました。竹内文書などと関連付けられて、日本の超古代には「ウガヤフキアエズ朝」という王朝が花開いており、世界中から人々がやってきていたというような話だったと思います。ワクワクしながら読んだものです。その「ウガヤフキア
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************結局このようなやり方は、安全性の面からも適切でないとされ、その後中止されることになる。『一九二〇(大正九)年五月二三日の公告で、「従来の鎮魂帰神の実修法を更め、単に静座瞑目せしめて、お筆先を守護神に聴かしむるに止め、施術者の霊を注ぎ気合を掛くることを廃す。(但し静坐の姿勢は従前の通り)病気鎮魂及び憑霊の発動者には、特別鎮魂を施すことを得。其要領は従前の通りとす」』と、
神功皇后は、日本の天皇家と、朝鮮半島の新羅国の王族の血を引く女性です。父親が、9代開化天皇の子孫。母親が、新羅から来たアメノヒボコの子孫です。神功皇后は、神を降ろして神託を受けることが出来る女性でした。第14代仲哀天皇が即位した翌年、仲哀天皇と結婚しました。近畿にいましたが、九州の熊襲という豪族が反抗的だと聞いて、九州へ向かいます。しかし、福岡県の香椎宮で神降ろしをすると、「熊襲を打つより朝鮮半島へ行くべし」という神託を受けます。仲哀天皇はそれを疑い
【佐嘉神社(さがじんじゃ)】(佐賀県佐賀市)佐嘉神社は、佐賀県佐賀市に鎮座する神社で、肥前国佐賀藩10代藩主鍋島直正(なべしまなおまさ(斉正(なりまさ)))と11代藩主鍋島直大(なべしまなおひろ)をお祀りしています。鍋島直正公は「佐賀七賢人」の一人として知られる名君で、文化11年(1815年)12月江戸桜田藩邸に於いて出生。幼名貞丸・成人して斉正、維新後直正と改名しました。若干17歳で10代藩主を襲名した鍋島直正公は藩政改革を行い、大隈重信(おおくましげのぶ)・江藤新平(えとうしん
第14話|豊浦の如意珠、凪の約束【あらすじ】豊浦津に到着した帯姫は、天皇とすぐには会えぬまま、不吉な予感に心を揺らしていた。海に潜って得た不思議な珠は、「今すぐではない」というわずかな猶予だけを彼女に伝える。やがて再会を果たす二人――穏やかなひとときの裏で、避けられぬ運命が静かに近づいていた。――――――【本文】足仲彦天皇より、ひと月あまり遅れた七月五日。息長帯姫は、ようやく豊浦津へと至りました。しかし、天皇はすでにこの港を発ち、さらに先へと進まれているとのこと。すぐに合流す
「古事記や日本書紀に出てくる天皇や英雄は、どこまでが神話(架空)で、どこからが歴史(実在)なのか?」そういう二分法のような発想が、間違いのもとです。天照大御神や神武天皇の物語が「神話」なのは言うまでもないですが、じゃあそこに書いてあることは全部が空想、捏造、嘘八百なのか、ていえば、それはまた別の話です。モデルになる生身の誰かがいたかも知れないし、その事績には何がしか実際にあった事柄が反映されているかも知れません。それを全部「ここは歴史ではなく、神話だから」と切り捨てて顧みないのは、物凄く勿
武内宿禰(たけうちのすくね)は、古代日本の伝説的な人物であり、日本書紀や古事記などに登場する非常に重要な政治家・忠臣です。彼は神功皇后や応神天皇をはじめ、複数の天皇に仕えた長寿の臣下として知られています。構成:筑前由紀イラスト:YUTARO目次基本情報特徴と伝説実在性子供と子孫LINEスタンプ目次を開く基本情報・時代:古墳時代(3世紀末〜5世紀頃とされる)・仕えた天皇:景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、神功皇后(摂政)、応神天皇、仁徳天皇・出身氏族:蘇
【大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)】(愛媛県今治市)大山祇神社は山の神オオヤマヅミ(大山祇神)を祭る全国の神社の総本社で、伊予国一宮でもあり、当社から勧請したとする大山祇神社、三島神社は四国を中心に全国各地に広がっています。オオヤマヅミは山の神ですが、瀬戸内海に鎮座する関係で海の神・渡航の神としての信仰も強いほか、戦の神としての側面もあり、歴代の朝廷や武将から武家の守護神として尊崇を集めてきました。源氏・平氏をはじめ多くの武将が武具を奉納して武運長久を祈ったため、国宝・国の重要文
ご訪問ありがとうございます今回から「日本書紀」も「敏達天皇紀」に入りますが、この辺りから、異母姉妹や叔母、姪との近親婚が増えてきます。なぜかというと、「嫡子」欽明天皇以来、天皇の血統がとかく重視され、「嫡子」つまり、雄略・仁賢・継体天皇の血を引く欽明天皇の血統が重視されていき、皇后も皇族から選ばれて、その子がまた血統を受け継ぐ、「嫡流」が形成されるからです。金色が嫡流だと思ってくださいそういう意味では、敏達天皇は継体天皇の嫡孫でもあり、母石姫皇后(宣化皇女)を通じて、継体天皇の最
能褒野神社から次の目的地へ向かう為、歩いて駅へ。井田川駅(三重県亀山市井田川町364)に到着。妙に主張する「大和タチバナ記念植樹」。手前には、ヤマトタケルが詠んだ(『日本書紀』では景行天皇が詠んだ)とされる国偲歌。ヤマトタケルの像あり。能褒野に近い駅だから、そりゃあヤマトタケル像くらいあるよね!と思いながら見る。ヤマトタケルの妻として、最も有名であろう弟橘媛。彼女は海を鎮める為、関東で身投げした。有名な女性だから、無関係ながらもヤマトタケル繋がりで紹介しているのだろうかと思いなが
ご訪問ありがとうございます。さて今回から武烈天皇ですが、まずは「武烈天皇紀」の冒頭、この前飛ばした総評の部分を見ることにしましょう。小泊瀬稚鷦鷯オハツセノワカササギ天皇は、仁賢天皇の皇太子である。母を春日大娘カスガノオオイラツメ皇后という。仁賢天皇7年、立ちて皇太子となる。長じては刑の判断や執行を好み、法令に詳しかった。日が暮れるまで政治を行い、無実を見抜き、訴えは退けるにしても情はおありになった。と、ここまで見るといい人に見えますが、これは「法治主義」です。法がすべてで、儒教のよ
【コノハナサクヤヒメ/山の神の娘である美の化身】美しき花の神であるコノハナサクヤヒメを祀っている有名な神社といえば、富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)。この女神は浅間大社の浅間大神(あさまのおおかみ)と同一視されていて、平安時代には都良香(みやこのよしか)の『富士山記』に「浅間大神」の名がありますが、これにコノハナサクヤヒメが習合したのは中世からとみられます。浅間神をコノハナノサクヤヒメとした文献上の初見は江戸時代初期に遡り、コノハナサクヤヒメが浅間大社でお祀りされるようになった
武烈天皇は実在しません、って話をします。誰だそれ、とか言わないで。古代の古代にいた、日本史上最悪最凶の君主ですよ。実在しないんですけどね。中国では、ある王朝の歴史はつねに新しい次の王朝によって編纂されます。このとき、前王朝の最後の皇帝は、王朝を滅ぼした責任を一身に背負わされ、あることないこと悪口雑言を書かれるのは宿命です。最後の皇帝が「天命を失っていた」からこそ、その王朝を滅ぼす大義名分があるのですから。これは、日本においても同じです。「王朝最後の天皇」は、きわめて「徳のない」人物に
【タケハヅチ/星の神を誅伐した織物の神】タケハヅチ(建葉槌命)は『日本書紀』の出雲国譲りに登場する神で、天津神の勢力に最後まで抵抗したアマツミカボシ(天津甕星/別名をホシノカガセオ(星神香香背男))を倒したとされる武神です。すでに派遣され各地の反乱勢力を平定した武神フツヌシノカミ(経津主神)・タケミカヅチ(武甕槌命)でしたが、この二柱の神では服従しなかったアマツミカボシを平定したのがタケハヅチとされます。『日本書紀』の他の記述では、天(高天の原)の従わない神がアマツミカボシで、地上
知り合いの獣医さんが、幸せを呼ぶ「白いスズメ」のプリント写真(ご自身が撮影)をプレゼントしてくださいました♪嬉しい!ありがとうございます❣️パネルか額装して大切に飾ります💕🕊️白いスズメは、古くから縁起の良い鳥として知られていて、日本書紀にも瑞鳥(吉兆とされる鳥)として記載されているのだそう。つい最近も同じところで見かけたそうです。^^いつか私も出会いたいです。#白いスズメ#white#sparrow#幸運#鎌倉
【荘八幡神社(しょうはちまんじんじゃ)】(福岡県北九州市小倉南区)住宅地にひっそりと佇む荘八幡神社。静かに繁る社叢に鶯のさえずりが響き渡る中、少し長い参道の階段を登りきると脇に存在感のある二つに割れた大岩が出迎えてくれます。この大岩は「鈴石(すずいわ)」といい、人気漫画「鬼滅の刃(きめつのやいば)」の主人公、竈門炭治郎(かまどたんじろう)が刀で切った大岩に似ているため「鬼滅の刃の聖地」にもなっています。鈴石の大きさは直径約6m。とても巨大な石で、鈴の形に似ていることから「鈴石」と呼
ご訪問ありがとうございます。さて今回から武烈天皇ですが、まずは「日本書紀」を見ることにしましょう。小泊瀬稚鷦鷯オハツセノワカササギ天皇は、仁賢天皇の皇太子である。母を春日大娘カスガノオオイラツメ皇后という。仁賢天皇7年、立ちて皇太子となる。長じては刑の判断や執行を好み、法令に詳しかった。日が暮れるまで政治を行い、無実を見抜き、訴えは退けるにしても情はおありになった。まあまあ、熱心に政務を執っているように見えますが、この後少し評価が変わります。又、頻繁にいろいろな悪行をなさり、一つの
外国人が興味を持つのは日本のサブカルや食だけではない!今や日本文化のあらゆる分野が驚くほど世界の注目を集めている。日本人よりも日本に詳しい外国人研究者を追う!最深日本研究〜外国人博士の目〜外国人研究者が見た驚きのニッポンとは!?食やアニメ、伝統芸能だけではない。いまや日本のあらゆる分野に外国人の研究者の目が注がれている!なぜそんなことまで?という驚くべき研究を取り上げ、日本人も気づかなかった日本の姿を取り上げるこの番組。研究者の日本での調査研究などにも密
【熊本大神宮(くまもとだいじんぐう)】(熊本県熊本市中央区)熊本大神宮はその名のとおり伊勢神宮(三重県伊勢市)のアマテラスとトヨウケヒメを勧請して祀ったお宮で、熊本城東側に鎮座し、南隣に熊本城稲荷神社が隣接しています。伊勢神宮内宮外宮の両神をお祀りする神社なので、「熊本のお伊勢さん」と呼ばれ親しまれています。写真の本殿左手には熊本城本丸の石垣がそびえ立っていましたが、三年前の平成28年熊本地震の影響で大きな被害を受けました。熊本大神宮は、明治3年(1876年)の大教宣布の詔を受け
日本書紀やまとふみ巻第七・12景行天皇-13成務天皇原文・古代日本(参考):書下文・岩波文庫:現代文・古代日本目次12景行天皇大足彦忍代別天皇1天皇即位2諸賊・土蜘蛛3熊襲討伐4日本武尊出動5日本武尊の再征6弟橘媛7日本武尊の病没13成務天皇稚足彦天皇1天皇即位と国・県の制12景行天皇1天皇即位1大足彦忍代別天皇。活目入彦五十狹茅天皇第三子也。母皇后曰日葉洲媛命。丹波道主王之女也。【大足彦忍代別天皇おほたらしひこおしろわけのすめらみこと、活目入彦五十狭茅天皇い
霊や霊界(冥界)の存在は、私たちが口伝えとして伝承される以前から書物にはっきりと登場しています。それは神話的な書物である「古事記」、歴史書である「日本書紀」そして仏教説話である「日本異霊記」という3つの異なるレイヤーで確認できます。まず、神話的世界観によって書かれた「古事記」上巻の「黄泉国(よみのくに)」では、「伊邪那岐」が、死んだ「伊邪那美」を追って黄泉の国へ向かう場面が書かれています。その中で「黄泉国(=死者の行く世界)」については次のように書かれています。1:「黄泉国」は不浄な世界
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************本田翁の遺訓に『帰神ノ法ヲ幽斎ノ法トイフ。神界ニ感合スルノ道ハ至尊至貴、濫ニ語ル可キ者ニ非ズ。吾朝古典往々其実績ヲ載スト雖モ、中世祭祀ノ道衰へ其術ヲ失フ既二久シ。神法ニ依リ其古ニ復ス。是即チ玄理ノ窮極、皇祖ノ以テ皇孫ニ伝ヘシ治国ノ大本ニシテ祭祀ノ薀奥ナリ。蓋シ幽斎ノ法タル至厳至重、深ク戒慎シ其人ニ非レバ行フ可ラザル者アリ。濫ニ伝フ可ラザル意蚊ニ存ス。然リト雖モ其精神萬難ニ撓
続きです。『【神戸】12月親子旅①南京町&カフェタイム』息子と神戸・淡路島・鳴門へ行ってきました。2025年12月Day1名古屋~神戸🚗3時間くらい神戸(大ゴッホ展・南京町)淡路島(伊弉諾神宮)鳴門Day…ameblo.jp神戸を出発して、淡路島へ。淡路ハイウェイオアシスに行くのが通常だろうけど、淡路ハイウェイオアシス·〒656-2401兵庫県淡路市岩屋大林2674−3★★★★☆·ショッピングモールmaps.app.goo.gl無視して、高速を降ります。
【神功皇后/全国各地に祀られる八幡神を産んだ皇后】朝鮮半島の三国を平定した「三韓征伐(さんかんせいばつ)」を成し遂げるなど、勇ましい伝承を数多く残している第14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后「神功皇后(じんぐうこうごう)」。神功皇后は邪馬台国の女王卑弥呼(ヒミコ)とも同一視されるなど、活躍した年代には諸説ありますが、3~4世紀頃に崩御した仲哀天皇に代わり治世されたといわれています。神功皇后は瞬く間に朝鮮半島を平定するなど、類まれな武勇伝を多く持ち、日本最強の女傑とも云われて
大化改新後の政争において、大化五年(649)、左大臣蘇我倉山田石川麻呂そがのくらやまだいしかはまろは讒言によって殺された。石川麻呂の娘、造みやつ媛こひめは中大兄に嫁いでいて、父親の後を追って自殺している。彼女は名前がいろいろと変わっていて、遠を智ちの娘いらつめ、美濃津みのつ子この娘いらつめとも記されている(注1)。造媛が父親の石川麻呂が斬首にされたことを聞いて、刀を使って実行した人物の名が「塩」といったためにsaltのシホという言葉を聞くのも嫌がった。皇太子ひつぎのみこの妃みめ蘇そ我が
先日お知らせしました拙著『倭の五王たちの真実』のインタビューに関連して、その内容をまとめていただいた記事が、著名なインターネットメディアである《JBpress》に掲載されました。すごくわかりやすくまとめていただいております。ご一読いただけますとうれしいです。日本史最大のミステリー「倭の五王」とは一体誰のことなのか?『日本書紀』が仕掛けた壮大なミステリーを読み解く《関瑶子,伊藤雅文》【著者に聞く】『倭の五王たちの真実』の伊藤雅文が語る、天武天皇はなぜ歴史を書き換えたのか?|JBp
ご訪問ありがとうございます。今回は外交が中心の記事になります。8年春2月、身狭村主青ムサノスグリアオと檜隈民使博德ヒノクマノタミノツカイハカトコを呉国に派遣した。呉国というのは、三国時代(魏・呉・蜀)の呉以来、建康(南京)に都を置いた中国の東晋、また南北朝時代(439~589)の宋、斉、梁、陳を指す言葉です。この六国を六朝リクチョウといい、文化が花開いた時代でした。つまりこの記事は「宋」に遣使したということなのです。今まで「日本書紀」には宋に遣使したということはなかったのですが、こ
ご訪問ありがとうございます。実は次回の継体天皇の出自について30年ぶりくらいに岡田精司氏の「継体天皇の出自とその背景」を読み返しましたところ、「上宮記逸文」の分析において、同じ論旨になっているところが多々ありましたので、前回と前々回にその点を加筆致しました。ご了承を御願い申し上げます。さて、前回の凡牟都和希王がめちゃくちゃ難問でしたので、今回はさらりと(^^;)目次「上宮記逸文」の検証母々㤙己麻和加中比賣雄略天皇の母系一族「上宮記逸文」の検証まずは読み下し文を再掲します。前
○野間半島周回も、これまで、ブログを、南さつま海道八景、高崎山展望所から見る薩摩半島と崎ノ山一帯、谷山展望所から見る城壁のような段々畑、野間池、笠沙恵比寿、後浜展望所:野間岬の展望、馬取山展望所、笠沙美術館展望所から見る沖秋目島と続けて来て、いよいよ佳境に入った観がある。○そこで、今回は『黒瀬海岸&笠狭宮跡』と題して、野間半島の残る日向神話の話をしたい。と言うのも、笠沙美術館の先、左手に、黒瀬集落入り口があって、そこを過ぎたすぐ先、右手に、