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日本の歴史を理解するために、簡単に分かる話をしよう。16,000年前に始まった縄文時代から、紀元前10世紀頃に弥生時代に至る変化は、日本国土に暮らしていた縄文人が、大陸(支那、朝鮮)から多数の難民が日本に渡来してきて縄文人と混血した結果、弥生時代(人)となり、その後古墳時代、飛鳥時代を経て、奈良時代に、百済(朝鮮半島)から人質として日本に連れてこられた者が今の日本の基礎を作ったのです(あゝ悲し)。古事記とは、天武天皇(物部系=縄文人)が造らせた日高見国の歴史書であり、神霊の書でありま
こんにちは秋たけなわ、というかもう冬ですね今年の秋も、正倉院展や当麻寺に行ったり、忍海にある歴史博物館で当麻寺練供養に関連する講演を聴講したり、京都では12年に一度の六波羅蜜寺十一面観音像の御開帳や、年に一度の真如堂阿弥陀如来像の御開帳に行ったりしました昨日は有楽町マリオンで開催された、橿考研主催の富雄丸山古墳の蛇行剣の講演を聴講しました今月初めには、高校時代の友人と「さきたま古墳群」にも行きました(友人が前方後円墳のTシャツを着てきたのが面白かった)…と話題
【ヤタガラス/神武天皇を導いた神の使い】@art.mochida.daisuke日本サッカー協会のエンブレムとしても有名なヤタガラス(八咫烏)を描いてみました。ヤタガラスは『古事記』に登場し、初代天皇となる神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)が九州から大和に遠征する「神武東征(じんむとうせい)」の際に、高天ヶ原の神々によって神武天皇のもとに道案内として遣わされました。『古事記』によると神武一行は、九州を出発し東に向かい阿岐国(広島県)、吉備国(岡山県)と
そういえば、戦争で「伊勢神宮が燃えた」とか読んだことがないと思い、調べてみました!伊勢神宮は、「日本人の精神的な支柱」ということでやはりアメリカから狙われたようです。昭和20年1月14日の外宮への空襲に始まり、主に計6回空襲が行われました。昭和20年1月14日の空襲では、爆弾が投下されたものの、五丈殿・九丈殿・神楽殿・斎館といういわば「付随する建物」に、「軽微な損傷」があった程度でした。7月28日、29日に一番規模が大きい空襲がありました。外宮の御正
ご訪問ありがとうございます。前回、出雲振根フルネが弟の飯入根イイイリネを騙し討ちにした話を載せましたが、今回は「古事記」のヤマトタケルによる出雲建征伐の部分を載せておきます。それから(倭建命は)出雲国に入られて、そこの出雲建を殺すことにと思い到られて、すぐに(出雲建と)友だちとなられました。そして、ひそかにイチイの木で偽の刀を作り、ご自分の佩刀として腰につけ、肥の河で水浴されました。そこで倭建命は河から先に岸に上がり、出雲建が解いて置いていた刀を腰につけ、「刀を取り換えっこしないか。」
出石神社:兵庫県豊岡市出石町宮内99豊岡といってます思い浮かぶのは、城崎温泉、そしてコウノトリだ。豊岡にはコウノトリの繁殖と野生復帰を行う県立の研究機関があり、コウノトリの郷公園として一般にも公開されている。最後まで野生種が確認されていたのが当地で、出石藩がコウノトリを霊鳥として保護していたことが理由のひとつという。なにしろ、この地には垂仁紀のコウノトリ伝説を伝える久々比神社(式内小社)まであるのだ。現在、日本で野外に生息するコウノトリは200羽を超え、兵庫県はもとより、近隣の京都、福井
「乙巳の変」中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺した事件今私達の知っている知識及びアカデミズムから与えられれている情報全てが嘘で、人類を不幸にする為だけの道具です。では現代日本(世界)の本当の構造はどになっているのだろうか、真の支配者とは、世界の秘められた歴史とか真実の姿とはどのようなものなのだろうかといつも考え続けています。その中でずっと古文献(主に竹内文書)40説、などを中心に考察して来ましたが、最近は「ひまちゃん」グループの考察にめぐり合って、今までなかなか分からなかった部分が自分な
【水や海の神とされる龍神】@art.mochida.daisuke今日は龍神様です。昔より水や川の神様として龍の伝承が伝わり、海の守護神ともされ、日本において龍神は、西洋のドラゴンに代表されるような怪物ではなく、神様として広く信仰されています。もちろん『記紀神話』にあるように、ヤマタノオロチのような恐ろしい側面を持った龍神伝承も残り、日本各地で多種多様な龍神がいると考えられてきました。『古事記』には水の神様としてミヅハノメやオカミノカミやミクマ
古事記や日本書紀にはいろいろな神様が登場します。どの神様も神なのでと疎いそんざいであることは間違いないんですが。ちなみに神様を数える単位は一人、二人ではなく、柱(はしら)と数えます。アメノミナカヌシ(天之御中主神)は、日本神話における最も初期の神々の一人で、『古事記』や『日本書紀』にその名が見られます。これらの古典文献によると、アメノミナカヌシは宇宙がまだ形成される前、すなわち混沌とした状態から最初に現れた神とされています。この神は、日本の神話における創造神話の中心的存在であり
【コノハナチルヒメ/山神の御子神】@art.mochida.daisukeコノハナチルヒメ(木花知流比売)は『古事記』に登場する国津神オオヤマヅミ(大山津見神)の娘で、名称や系譜は記されていますが、特に事績に関する記述は全くない女神です。ちなみに『日本書紀』に、コノハナチルヒメの神名は記述されていません。系譜によると、スサノオとクシナダヒメとの間に生まれたヤシマジヌミノカミとコノハナチルヒメが結ばれたとされ、この二柱の御子神がフハノモヂ
津田説の誤謬は、本を糺せば本居宣長の誤訓に始まるものかも知れない。『古事記』序に「朕聞く、諸家の賷る帝紀及び本辞、既に正実に違ひ、多く虚偽を加ふと。」とある。この読み下し文は、岩波書店出版の「日本古典文学大系」の『古事記』(倉野憲司校注)に拠るが、そこではこのように「賷」字に「もたる」と振り仮名をする。「賷」字を「もたる」と読む例は、既に本居宣長の『古事記伝』二之巻「古事記上巻并序」にあり、そこでは「賷」と訓註される。それ以来、現代の代表的訓本「新訂増補国史大系」本・「古事記総索引
國學院大學神殿《さすが!の清々しさ》神道文化研究のトップ・ランナーとも言える國學院大學。渋谷キャンパスには、清澄・静寂・清浄な神域が存在します。◇鎮座地:東京都渋谷区東4-10-28◇最寄駅:渋谷駅・新南口~850m◇主祭神:天照皇大御神◇相殿神:天神地祇八百万神◇御朱印:なし◆大学正門國學院大學は1882年(明治15年)に創立された『皇典講究所』を母体とする大学です。皇典講究所は、古典研究と神職養成のための機関として創立されました。◆神
ご訪問ありがとうございます。今回のテーマは両道入姫フタヂイリビメです。布多遅比売が稲依別王の母としてはふさわしいとわかったのに、いまさら?と思われると思うのですが、彼女は彼女で重要視された理由があり、それもヤマトタケル伝承の成立過程に関わるので、どうぞおつきあいくださいませ(。uωu)そこで「日本書紀」の両道入姫フタヂイリビメ皇女の出自ですが、やっぱりというか(^_^;)やや不安定な感じがします。まず景行紀の日本武尊の系譜には出自の説明がないのです。いきなり両道入姫が
今回は「泣沢女神(なきさはめのかみ)」についてお話致します。この神様は記紀共に記載のある神様です。あまり聞いたことのない神様ですよね。字の如く女性の神様で、伊耶那岐命が妻である伊耶那美命を亡くした時に流した涙から成った(生まれた)神とされています。涙から生まれた神様、さてさてどのような神様なのか?気になりますよね。~泣沢女神(なきさはめのかみ)とは?~古事記では以下の通りに語られています。伊耶那美命が、迦具土神(火の神で誕生時、火傷を伊耶那美命に負わせた)を生んだことによって
愛智神話をお話されている牧さんのご紹介Login•InstagramWelcomebacktoInstagram.Signintocheckoutwhatyourfriends,family&interestshavebeencapturing&sharingaroundtheworld.www.instagram.com[五真木天白王の子孫】【金太郎567代目】頭にアザを持って産まれた子供が50歳になった時に口伝を伝える役
前回に引き続き調べていると、クナト王と出雲族とは関連付けられて情報が出てくる事が分かりました。ここで少し頭を整理すると、倭人には二系統あり、3500年前にインドから渡来した出雲族(クナト王の率いるクナ国人のこと)と紀元前300年頃に渡来したクニサツチに始まる大山積王家とです。読んでいると、出雲族は北から入ってきて出雲へ土着した事が書かれているので、出雲の王家は倭人扱いで、一緒にきていた人達は倭種扱いされているのが理解としては正しい様です。で、一番の問題点は「意識」だと思います。
日本国の歴史、更に神道を語る上で、8世紀に大きな転換期が訪れる。それが持統天皇(天智の娘)と藤原不比等(鎌足の息子・鎌足は豊璋と云う百済の皇子)による日本統一の最後の仕上げとして「日本書紀」と云う偽書の国の歴史書を完成させて、縄文系の天武天皇の系統を天皇家から抹殺し、更に縄文系の物部氏の祭祀を奪い取り(石上神宮の神寶)、祭政一致を悉く手中に収めたのであります。それまでは天皇を中心とした祭政一致の政(まつりこと)は、古代豪族(大伴氏や葛城氏、蘇我氏、物部氏、海部氏、阿倍氏など)との合議
兵庫県知事選挙でマスコミのウソが暴かれました。テレビでの一方的な偏向報道に違和感を抱いた有権者が他のメディアで調べて、テレビのウソに気づきました。インターネット環境が整っていたから良かったものの、そうでなかったら騙されたままだったでしょう。同じことが「古事記」についても当てはまると思いました。古事記が絶対的な地位を築いたのは本居宣長が『古事記伝』を著してからです。当時は古事記と日本書紀が最古の歴史書でした。比較対照するものが日本書紀しかな
先に、「記紀紀年」は「見せかけの編年」であると述べたが、ここではその仕組みの概要を示しておこう。『先代旧事本紀』は「本紀」と名付けられた十一の区分の集合体として構成されている。もし『先代旧事本紀』が「紀伝体」で書かれた史書であるなら、この十一区分の「本紀」はすべて独立した歴史記述であるから、それを連続した歴年による記述と解する必要はない。「編年体」風に改編された『古事記』『日本書紀』(記紀)を偏重しそれに慣れ親しんだ人々には、物語の配列順序がほぼ等しい『先代旧事本紀』を読んでも気付け
なんかさ天皇家は全部良くて秋篠宮家は何をやっても悪いみたいな変な感覚持っている奴らがいるみたいだけどそれって感覚古いっていうか日本書紀レベルの古さじゃね🤣そんな国民性がいやでプリンセスからも見捨てられちゃうっていう可哀想なヤカラやで
【歴史講座1】歴史を学ぶ本当の意味とは?〜学校では教えない日本の歴史〜小名木善行むすび大学チャンネルチャンネル登録者数56.7万人【歴史講座2】日本人はどこから来たのか?〜学校では教えない日本の歴史〜小名木善行むすび大学チャンネルチャンネル登録者数56.7万人【歴史講座3】縄文時代の大事件「アカホヤの大噴火」の真実|小名木善行むすび大学チャンネルチャンネル登録者数56.7万人【歴史講座4】GoogleMapで見えた天孫降臨の地とは?小名木善行
YouTube更新しました。今回は奈良県御所市の白鳥陵と橿原市の橿原神宮より「ヤマトタケル・日本武尊・倭建命・その表記の違いに隠された真実」についてお届け。宜しければご覧ください。#奈良県御所市#白鳥陵#古墳#琴弾原白鳥陵#ヤマトタケル#日本武尊#倭建命#古事記#日本書紀#橿原神宮#神武天皇#神武天皇陵#japan#jinja#歴史#日本史#古代史
大分市の東部に、「関あじ関さば」で知られた佐賀関という漁師町があります。佐賀関半島の小高い丘の上に立つと、眼下には豊予海峡が広がり、晴れた日には愛媛県の佐多岬がすぐそばに見えます。「せとうち風景30選」に選ばれた絶景です。佐賀関半島の東部に透明度の高いことで知られた、「黒ケ浜」という海水浴場があります。「黒ケ浜」は海岸が黒い小石で敷き詰められています。「日本の渚百選」に選ばれています。「黒ケ浜」は上記(うえつふみ)によると神武天
ご訪問ありがとうございます。まさかの「ダーウィンが来た!」で、長年の謎が解けてスッキリ~wピグで辰(ワニ)でも作ろうかな~( ̄∇ ̄*)ゞちょっと補足をしておきますとマチカネワニが龍のモデルだと最初に言われたかたは、爬虫類学者の青木良輔さんだそうです。そのご著書の「ワニと龍」(平凡社新書)は、良書という評判も高いのですが、740円の新書が、1月16日現在19,500円‼️( ̄□||||!!これなら国会図書館でマチカネワニのところ(88ページ分)をコピーした方が安いというご意見もありま
彦火明命を祀る籠神社(京都府宮津市)「古事記奇譚」と称して書き綴ったブログ。少々お遊び気味に神話を読み下していて、あらためて気づいた謎。1.なぜ高天原の神の降臨が出雲ではなく、筑紫だったのか2.なぜ降臨した「天孫」は次男坊だったのか3.なぜ神武天皇は筑紫ではなく、大和で即位したのかこの謎が解けたとしても、日本古代史の見解に一石を投じる話題ではありません。「それがどうした?神話だろ」「神話は所詮フィクションだ」とは言え、謎は謎として気になるのです
瀬織津姫とは知る人ぞ知る謎の神様です。数多くある祝詞の中でもっとも大切な祝詞の一つ大祓詞に登場するのですが、古事記にも日本書紀にも一切登場しない不思議な存在です。私の知り合いにも瀬織津姫の大ファンの方がいて、瀬織津姫を追って全国を飛び回っています。伊勢神道を伝える神道五部書の中には別宮の荒祭宮にお祀りされている「天照大御神荒御魂」が瀬織津姫と書かれています。他には、内宮の摂社に蚊野(かの)神社があるのですが、この神社にお祀りされている
小野神社の御祭神瀬織津姫は古事記、日本書紀には出てきません大祓祝詞で祓戸大神として出てきます祓戸四柱大神(瀬織津比売大神)(速開都比売大神)(気吹戸主大神)(速佐須良比売大神)大祓祝詞に祓戸大神の役割がこのように書いてあります。速川の瀬に坐す瀬織津比賣と言ふ神大海原に持ち出でなむ此く持ち出で往なば荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐す速開都比賣と言ふ神持ち加加呑みてむ此く加加呑みてば気吹戸に坐す気吹戸主と言ふ神
日本古代史の実像ー倭人伝・旧事紀・記紀を読み解くー本書は、名著『まぼろしの邪馬台国』の続編と云うべきものであるA5判上製本文854頁定価3300円+税信毎書籍出版センター〒381-0037長野市西和田1-30-3
ご訪問ありがとうございます。今回は仁徳天皇の聖帝伝説ですが、長い(@_@)‼️でも別に問題が多いわけじゃないのでさっさと終わります(^∇^)Wikipediaより(仁徳天皇)元年春正月3日、大鷦鷯尊は即位された。皇后(仲姫)を尊んで皇太后と申し上げた。難波ナニワに都して、これを高津宮タカツノミヤというが、宮垣や家屋を漆喰で上塗りしなかったり、桷(垂木)、梁ハリ、柱、楹ウダチにも飾りをつけず、茅葺きの屋根の端を切り揃えることもなかったが、これは私的なことで、人びとの農耕や紡績の手を止
訪問いただきありがとうございますあなたに素敵なHAPPYが訪れますようにSmileLoveJoy今日も素敵なHappyDay~椿大神社に行ってから~前から気になってた高台から不敵に見下ろすようなこのリアルな鶏の像これは一体何って事で前々から気になっていた「コケコッコー共和国」(笑)に行って来ましたここは鶏を平飼いにしていて、有精卵が売りの様でした。中に卵や卵製品など販売所があって、食事出来るところもあってね~卵かけご