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『60-③内宮参拝。個人手なお願いはなぜ荒祭宮なのか?前編』『60-②外宮参拝。外宮の話』『60-①8年前の誕生日旅行の話まずは二見興玉神社』本日は不詳私の50代最後の誕生日なんですけど風邪ひいてまして😂言わ…ameblo.jpまずは日本の信仰についてなんですが日本の神道神様は海外の一神教のGODとは全く違います。日本の信仰は自然崇拝怨霊信仰それにプラスで祖先崇拝が加わったものなんですね。八百万の神と言われるくらいなのでそこに仏教はもちろん、景教(キリスト教)
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『第七章神感法長沢翁門下で傑出した神主は宮城島金作氏である。氏は明治二十七年、御穂神社々務所に於いて翁を審神者として帰神を執行されたことがあった。其の折に御穂神社の御眷属八千彦(やちひこ)命が御懸りあって、日清戦争の状況に就いて予言あられた。その神詰と申すのは、実に微に入り細にわたって正確であったことに並び居る人々を驚嘆させたとの事である。之れは翁にとって帰神予言中の最
こんにちは私が意図している海人族・海洋民族ですが、その大元は、ラピタ人(Lapitapeople)と呼ばれる古代の人だと思っています。ラピタ文化LapitaCulture今から3300年ぐらい前の新石器文化で、東南アジアの島々を起源とする。ラピタ土器の発見をきっかけに、その存在が知られることとなった。イモ類を中心とした根菜栽培や家畜飼育をおこない、刺青や航海術など文化の総体で、ポリネシア文化へとつながる。一次移動今から5万年前の海面は現在よりも低く、多くが陸続き
武内宿禰(たけうちのすくね)は、古代日本の伝説的な人物であり、日本書紀や古事記などに登場する非常に重要な政治家・忠臣です。彼は神功皇后や応神天皇をはじめ、複数の天皇に仕えた長寿の臣下として知られています。構成:筑前由紀イラスト:YUTARO目次基本情報特徴と伝説実在性子供と子孫LINEスタンプ目次を開く基本情報・時代:古墳時代(3世紀末〜5世紀頃とされる)・仕えた天皇:景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、神功皇后(摂政)、応神天皇、仁徳天皇・出身氏族:蘇
ガガイモの実が育って来ました毎年、雑草として刈り取られてしまうのですが・・・今年は伐採中に通りかかった友だちが、救済を申し出て生き残りましたただ、秋にも公園の整備があると思うので・・・実が弾けるまで頑張って欲しい2023.10.27撮影ガガイモの実のサヤは、日本書紀や古事記に出てくる「一寸法師」が乗っていた船(お椀の船)と言われています。いにしえの物語に語られた「お椀の船」が、今もなお実をつけているって・・・ロマンを感じます
ご訪問ありがとうございます。実は次回の継体天皇の出自について30年ぶりくらいに岡田精司氏の「継体天皇の出自とその背景」を読み返しましたところ、「上宮記逸文」の分析において、同じ論旨になっているところが多々ありましたので、前回と前々回にその点を加筆致しました。ご了承を御願い申し上げます。さて、前回の凡牟都和希王がめちゃくちゃ難問でしたので、今回はさらりと(^^;)目次「上宮記逸文」の検証母々㤙己麻和加中比賣雄略天皇の母系一族「上宮記逸文」の検証まずは読み下し文を再掲します。前
生まれも育ちも奈良県で、神社やお寺が好きなみくるです。先日、奈良市にあるとっても素敵な古社「登彌神社(とみじんじゃ)」に行ってきました。地元では「木嶋明神(このしまみょうじん)」って呼ばれて親しまれているのですが、これがまた静かで雰囲気のある神社歴史好きにはたまらない場所でした。ここがすごい!登彌神社の魅力3選✨日本書紀にも登場する超〜古社!そして「富雄」のルーツ!?登彌神社(とみじんじゃ)は、奈良県奈良市石木町に鎮座する式内社なのですが、『日本書紀』にもそのルーツが示唆されて
【セオリツヒメ/大祓祝詞に記載される穢れ払いの女神】セオリツヒメは『古事記』や『日本書記』には登場しない謎の多い存在ですが、神社で奏上される『祓祝詞』と『大祓祝詞』にその名が出てきます。神社には祓社(はらいのやしろ)や祓殿(はらえどの)、祓所(はらえど)という祠を備えた神社が全国各地にあります。これは、参拝の前に祓社にて俗世の穢れを祓ってから、本殿へ向かうのが正しい参拝の作法だからです。この祓社にお祀りされている神様が四柱いて、その一柱がセオリツヒメです。この祓社にお祀
こちらの記事は関東地方【イザナギ・イザナミを祀る社】のINDEX記事です※順次追記中※記事の日時=更新日時です※画像や動画の流用は固くお断りします『┠イザナギ・イザナミ<国生み・神生みの夫婦神』こちらの記事は神代七代国生み・神生みの夫婦神【イザナギ・イザナミ】のINDEX記事です※記事の日時=更新日時です※画像や動画の流用は固くお断りします目次概要神…ameblo.jp目次茨城県鹿島神宮熊野社御岩神社筑波山神社群馬県高崎神社(旧熊野神社※イザナミ)長良神社埼玉県
倭の五王」の時代に断絶した天皇家中国宋王朝の正史『宋倭国伝』(以下『宋書』)と『古事記』『日本書紀』(以下『記・紀』)とでは記述内容に大きなちがいがあり、そこからこの「倭の五王」の時代に皇統の断絶があったと結論付けられます。まず、『宋書』には「倭国王」として「讃・珍・済・興・武」の「五王」の名が記されています。『宋書』によると、讃と珍は兄弟、済と興、済と武はともに父子。つまり、興と武は兄弟となります。一方、『記・紀』によると、「倭の五王」の候補となる七人の天皇のうち、
古事記かたりべピアニスト神武夏子渋谷金王八幡宮で2026年3月15日(日)に開催される私の古事記の演奏会です。「音楽と朗読で知る古事記中巻ヤマトタケルノ命」ご都合がよろしければ是非ご来場ください。寒さの中にも、少しずつ春の気配を感じられる季節となりました。皆様にはいかがお過ごしでしょうか。このたび「音楽と朗読で知る古事記中巻ヤマトタケルノ命」を開催する運びとなりました。今回は、古事記の中でも悲劇の英雄として知られるヤマトタケルノ命をお届けいたします。大君の御子として
【タケハヅチ/星の神を誅伐した織物の神】タケハヅチ(建葉槌命)は『日本書紀』の出雲国譲りに登場する神で、天津神の勢力に最後まで抵抗したアマツミカボシ(天津甕星/別名をホシノカガセオ(星神香香背男))を倒したとされる武神です。すでに派遣され各地の反乱勢力を平定した武神フツヌシノカミ(経津主神)・タケミカヅチ(武甕槌命)でしたが、この二柱の神では服従しなかったアマツミカボシを平定したのがタケハヅチとされます。『日本書紀』の他の記述では、天(高天の原)の従わない神がアマツミカボシで、地上
【御嵜神社(みさきじんじゃ)】(福岡県北九州市若松区)北九州市若松区の北海岸にある「遠見ケ鼻」は、日本一美しい夕日が見えると名高い景勝地。岬の先端に聳える妙見崎灯台の近くには、夫婦円満の神さまとして知られるイザナギノミコトとイザナミノミコトの夫婦神が祀られる御嵜神社が鎮座しています。もとは海上安全と豊漁祈願の神様として、海を見渡す妙見崎灯台の場所に鎮座していたそうですが、御嵜神社の神様夫婦のうち男神が遠見ヶ鼻の夕日に心を奪われてしまい、それに嫉妬した女神の八つ当たりで沖で遭難事故が
ご訪問ありがとうございます。さて今回から武烈天皇ですが、まずは「日本書紀」を見ることにしましょう。小泊瀬稚鷦鷯オハツセノワカササギ天皇は、仁賢天皇の皇太子である。母を春日大娘カスガノオオイラツメ皇后という。仁賢天皇7年、立ちて皇太子となる。長じては刑の判断や執行を好み、法令に詳しかった。日が暮れるまで政治を行い、無実を見抜き、訴えは退けるにしても情はおありになった。まあまあ、熱心に政務を執っているように見えますが、この後少し評価が変わります。又、頻繁にいろいろな悪行をなさり、一つの
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************本田翁の遺訓に『帰神ノ法ヲ幽斎ノ法トイフ。神界ニ感合スルノ道ハ至尊至貴、濫ニ語ル可キ者ニ非ズ。吾朝古典往々其実績ヲ載スト雖モ、中世祭祀ノ道衰へ其術ヲ失フ既二久シ。神法ニ依リ其古ニ復ス。是即チ玄理ノ窮極、皇祖ノ以テ皇孫ニ伝ヘシ治国ノ大本ニシテ祭祀ノ薀奥ナリ。蓋シ幽斎ノ法タル至厳至重、深ク戒慎シ其人ニ非レバ行フ可ラザル者アリ。濫ニ伝フ可ラザル意蚊ニ存ス。然リト雖モ其精神萬難ニ撓
「古代出雲歴史博物館」に触発されて、思い出した古代の「七支刀」。歴史の教科書等で目にしたことのある「七支刀」ですが、韓国の歴史ドラマを見ていた時に、それが使われる場面が出てきました。百済の何代目かの王が次に王位を渡す時に、立っている現王が、跪いている次王の(両方の?)肩にこの「七支刀」のようなものの先の十数センチ位の部分を当てる儀式をしていました。どのように使われるのか分からなかったけど、ふーん、そんな風に使うんだと思ったのですが、実際の場面は誰も見ていないので、想像で演出
【著者が語る】というYouTubeチャンネルで、新刊『倭の五王たちの真実』に関するインタビュー動画が公開されました。1月末に東京で【著者が語る】チャンネルの関瑤子さんにインタビューしていただきました。当日は、倭の五王を考える前提となる「無事績年削除法」と「継体朝と仁賢・武烈天皇朝の並立説」から説明させていただきました。このような取材は初めてでしたのでなかなかうまく話せず、もっとこう話せばよかったとか反省点も多いのですが、説明したかったことはおおむね語ることができています。
第2章古事記・日本書紀に見る馬の神話日本最古の歴史書である『古事記』と『日本書紀』には、数々の神話が収められています。その中で、馬は神の使いとして、また時に災厄を招く存在として登場し、人々の信仰や畏れを映し出しています。ここでは、特に代表的なエピソードを取り上げながら、馬がどのように神々の物語に関わってきたのかをたどってみます。スサノオと「逆剥ぎの馬」最も有名なのは「天の岩戸隠れ」にまつわるエピソードです。荒ぶる神スサノオは、姉である天照大神に対して度重なる乱暴を働きました。その
今回は『白山神社』へ参拝してきました。白山神社(はくさんじんじゃ)は東京都西多摩郡に鎮座されます神社です。白山(はくさん)神社の総本社は、石川県白山市の白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)です。白山(はくさん)神社の総本社である白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は、石川県にある白山を遥拝(ようはい)する白山信仰(はくさんしんこう)の本宮です。その白山信仰(はくさんしんこう)とは、越前(福井県)加賀(石川県)美濃(岐阜県)の三国にまたがる白山を信仰の対象とする山岳信仰です。白山
知り合いの獣医さんが、幸せを呼ぶ「白いスズメ」のプリント写真(ご自身が撮影)をプレゼントしてくださいました♪嬉しい!ありがとうございます❣️パネルか額装して大切に飾ります💕🕊️白いスズメは、古くから縁起の良い鳥として知られていて、日本書紀にも瑞鳥(吉兆とされる鳥)として記載されているのだそう。つい最近も同じところで見かけたそうです。^^いつか私も出会いたいです。#白いスズメ#white#sparrow#幸運#鎌倉
6月某日、ヤマトタケルの墓巡りをしました。最初に訪れたのは能褒野神社。『古事記』や『日本書紀』によると、ヤマトタケルは能褒野(能煩野)で亡くなります。そしてそこに、最初の墓が造られます。「能褒野にある墓」がどこなのかは諸説あるのだけれど、明治12年(1879年)に明治政府によって比定されたのはここ、亀山市田村町の能褒野王塚古墳よ。能褒野王塚古墳(景行天皇皇子日本武尊能褒野墓)別名:丁字塚古墳三重県亀山市田村町1393御幣川と安楽川の合流
【イブキドヌシ/大祓祝詞に記載される祓戸四柱の神】イブキドヌシ(気吹戸主神)は『古事記』や『日本書紀』には記載の無い神名ですが、神道の根源的な思想である「祓い」を象徴する祓戸四柱(はらえどのよんはしら)のうちの1柱で、多くの神社で奏上される大祓祝詞(おおはらえののりと)に登場します。・「セオリツヒメ(瀬織津比売)」は諸々の禍事・罪・穢れを川から海へ流す。・「ハヤアキツヒメ(速開都比売)」は海の底で待ち構えていて諸々の禍事・罪・穢れを飲み込む。(古事記に神名が記載)・「イブキドヌシ
こんにちは。ぴる来るです。当ブログの【日本語上代】シリーズでは、古代日本語を解明する新しい試みをしていきます。今回は、古くから語られる「雷と剣」の関係に迫ります。(以下、本文は常体で続きます)出典:https://photohito.com/photo/1815236/タイトルは『菊と刀』を意識した訳ではない。雷と剣は切っても切れない縁がある。厳密には「剣」「太刀」「刀」はそれぞれ違いがあるのだが、刀を使っても「剣術」とか「剣の修行」等と言ったりするように本稿では広義での「剣」とし
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************三種の神器を三貴子の象徴とみる向きもあるが、それでは八尺瓊勾玉を月読尊の象徴とすることに説得力を欠く。筆者は八尺瓊勾玉を「御頸珠の玉」の分魂であると考えて伊邪那岐命、八咫鏡を天照大御神、天叢雲剣を素盞嗚命にあてて、別天津神、天津神、国津神の各神界に通ずる神器と考えている。古事記では禊祓いの段の神話なので伊邪那岐命とあるが、これは説神理で実は伊邪那岐大神と考えると、神代七代に
【宗像三女神/宗像大社に鎮座する三姉妹の航海守護神】宗像三女神(むなかたさんじょしん)は、アマテラスとスサノオの誓約によって生まれた三姉妹の女神です。高天原を乗っ取る意図があるのではないかと疑われたスサノオは、自らの清廉を証明するためにアマテラスと誓約(うけい)を交わしました。その際、スサノオの十拳剣をアマテラスが受け取り、真名井の清水で洗い、噛み砕いた後に吹き出した息から宗像三女神が誕生しました。福岡県宗像市にある宗像大社は、世界遺産に登録されており、宮島の厳島神社(広島県
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『憑霊に御得意な事柄を問うと、それぞれ得意とされる処の書画とか、詩歌をなさるとか、又舞を遊ばすとか種種な御答がある。書画をなされる霊に御揮亳を御願いする場合は、前以って筆墨紙其の他の諸用具を用意して置き、書かれるとの御言葉があれは直ぐ仕度をする。霊は何ら躊躇する事なく即座に筆を採られて一気呵成に揮亳されてしまうものである。文字の場合は、審神者は古き書体でと御願いすると、何ら
『60-④朝ごはんはバターコーヒーとフレンチトースト』『60-③内宮参拝。個人手なお願いはなぜ荒祭宮なのか?前編』『60-②外宮参拝。外宮の話』『60-①8年前の誕生日旅行の話まずは二見興玉神社』本日は…ameblo.jp神社参拝旅再開!次は猿田彦神社紅葉が綺麗でした。みちひらきの大神猿田彦神社www.sarutahikojinja.or.jpこの頃はまだ、その後猿田彦大神と家の事で大きなご縁を頂く事になるとはわかってなかったのですが猿田彦大神にとても興味が
射手座新月を迎え、太陽は22日の日付が変わってすぐに山羊座に。暦の上では21日が冬至ですが、日本時間では22日の0時3分頃が厳密な太陽・山羊座入りとなります。クリスマス、大晦日、お正月…と楽しい行事がてんこ盛りですが、山羊座は冬本番の季節。少しずつ長くなる日照時間をありがたく思いつつ、現実面では色々なことを整えていかなくてはなりません。現在海王星は「魚座29度」でほぼ止まったまま。土星も近い位置にありますが、私はネイタルの火星が魚座29度にあり、MCと重なっています。出生の火星にトランジットの
ご訪問ありがとうございます。前回は継体天皇の后妃について検証しましたが、継体天皇は、かなり広くネットワークを構築していたことが見受けられます。そこで今回からは継体天皇自身がどこに母胎を持っていたのか、考えてみたいと思いますが、今回はちょっと長いので目次をご活用いただいて、ちょっとずつ読んでいただければ(;^_^Aいやぁ、いいタイミングでリリースされて良かったです。目次「上宮記逸文」の系譜凡牟都和希王は誰か?応神天皇の原像(ホムダワケ)応神天皇の原像(オオトモワケ)応神天皇
おもしろい本を読みました朝鮮半島の記録や日本書紀には伽耶国あたりに任那(みまな)があったと記されていますそれはヤマト王権の出先機関なのでしょうかそして大和朝廷に服属する人が造る前方後円墳が旧馬韓の地にあるのはなぜなのでしょうか伽耶は統一国家となる前に滅びたためまとまった史書がなく日本書紀や百済三書の史料的価値の評価し百済からみた伽耶の歴史を加味しながら2024年に書かれた工藤敦史さんの新書です◯任那はヤマト王権とは独立した存在で伽耶に土着した人々雄略