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本日は新たに見つけた面白そうなゲームをあげてみようと思います(マイクラの拠点の進みが遅いから箸休め的に挟んだわけじゃないからね)どれどれ早速チュートリアルしていきますか木材はすべての基本だよね次は兵舎だそうだおおおお部隊が三つ?真ん中キング?wwこれは・・・・なんだろ・・・戦術カード???おおおおー合戦風になった各部隊うごきだしたおーーーーなんかサークル出てきた
プレイする戦国大名選びだが、目を付けた駿河の今川(義元?)は武力がイマイチ⤵️石高も低い。途中データの徳川家康は、武力2000で、かなり合戦が有利だった…。武力の高さがポイントか?このクラスの武将、となると?伊達政宗(ケン・ワタナベ?)くらいか?(後は家康と信長)謙信、信玄でさえ、1800。ただ、これらメジャー武将を選ぶのは、少し気が退ける。マイナー武将で戦国を勝ち抜きたい。(マイナー思考?)しかし、この宇都宮(下野の大名)のように、武力が1000では厳しい。そこそ
こんにちは。ついに昨晩エアコンで暖房を使ってしまったくらいさぶくなってしまったココ名古屋ですが、皆さまのエリアは如何でしょうか?今回は、今月の中旬に伺った熊本小旅行からになります。と言っても、熊本は今年の6月に伺ったばかり。今回の旅の目的は、この6月の遠征でやり残した宿題をしにいったのでした。具体的に言うと、、、・数年前の熊本地震で傷ついた杉堂の清正公さん修復完成を確認する・前回の旅の熊本空港で知った五木村の厚揚げを現地へ食べにいく(ついでに五木村の紅葉を確認に、、、)現
「人間にとって学問は、木の枝に繁る葉と同じだ」武田信玄の言葉である。この言葉は、学問の本質とその役割を的確に捉えている。葉は、光合成を通じて木を育て、根を張らせ、木そのものの生命を支えている。学問もまた同様に、人間の知恵や教養の土台を豊かにし、人生という幹を強くする栄養のようなものである。葉は、季節ごとに生え変わり、時には散るが、再び芽吹く。その循環は、学びが一度で終わるものではなく、絶えず深められ、刷新されていくべきものだということを示唆していると考える。
宿から伊東駅に着いた。これから今日泊まる宿に向かいます。さよなら伊東、また来るから待っててね。伊東駅から電車に乗って、熱海駅に行きました。金魚の絵が描いてある電車、可愛いです❤座るところも、金魚だったので👀📷✨熱海駅から三島駅に行き、更に乗り換えで修善寺駅に到着しました。戦国武将がお迎えしてくれました。修善寺駅は初めてきたよ。修善寺って観光客が多いイメージだったけど、あんまり人がいなくて寂しい感じがする。平日はこんなもんなんでしょうか?本日の宿は、修善寺温泉にあるんですよ。
真田信之公が松代入部400年の記念すべき年に、わたしがコツコツと作ってきた武将印などをカタチにしましたパブファン出版さんにお世話になり、オンデマンド出版をしました。AmazonさんではKindle版も✨昔は、自費出版は敷居が高くて手が出なかったけど、いまは色んな意味で便利な世の中になりましたねパブファンセルフアワード2024では一次審査を通過しました。そのお陰でたくさんの書評をいただき、今後の励ましになりましたタイトルのとおり、戦国武将さまへの
今月7日の木曜日にママ友グループ4人で高野山に行ってきました😃なんでも今年は世界遺産登録20周年とのことで、1dayチケット🎫が発売されていて割引クーポンが付いた、そちらを利用して、お得に楽しんできました🎶朝8時に最寄り駅に集合して、地下鉄🚇️で難波まで移動して、南海電車に乗り換えて快急電車🚃で極楽橋まで向かうことにしました💨極楽橋に到着して、ケーブルカー🚟で高野山駅まで行って、そこからバス🚍️移動で奥の院まで向かいました💫私は20年前くらいに一度、家族で訪れたことがあり2回目でしたが、
豊臣秀吉公と北政所ねね様に憧れる吉岡淳『#いい夫婦の日に思うこと』京都東山圓徳院の二人の誓いにずっと憧れてます京都・東山圓徳院www.kodaiji.com圓徳院は豊臣秀吉の妻である北政所ねね様が晩年の19年間を過…ameblo.jp理想の芸能人夫婦は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
こんにちは♪人前で話す自信がつく心理ボイトレ♪大野永紀子(まきこ)です♪プロフィールはこちらから♪✨️『SHOGUN将軍』✨️米テレビ界の〝アカデミー賞〟「エミー賞」を18部門で受賞した『SHOGUN将軍』(第1、2話)を映画館で観ました。思わず息をのむシーンの連続です!ゾクゾクするような展開に、目が離せません。原作は、イギリス出身の作家・ジェームズ・クラベルのベストセラー小説。戦国時代末期の日本が舞台です。
秋晴れの先日11月13日明石城で、陣中茶会が開催されました。皆さまよくご存じ、戦国武将は、茶の湯が大好き?!彼らは、頻繁に茶会を開いていたのです。なんででしょうか?私も初めて師匠から、小田原攻めの際に、秀吉が、陣中茶会を開いていたと聞いて、驚きました。なんと、利休は、旅箪笥という携帯用の陣中用茶道具を携えて出陣したのです。彼らは戦場でも、茶の湯をたしなみ、寸時を惜しんで、癒しや、人とのつながりや、静けさを通して、心身を保てていたのでしょう!
戦国武将イラストで有名な諏訪原寛幸氏のグッズをいくつか購入。しかし、届いた段ボールの箱から「ザラザラ」という、怪しげな音が・・・そう、それはまるで、ラジオドラマの波の音で、アズキを使って出す音のような・・・開けてみるとはたして、額のガラスが粉々に割れた状態でした(涙まあ普通に考えたら返品案件ですが、ガラスを買ったわけじゃないし、無ければ無いで、そのまま飾ったほうが地震で落ちたとき安全だし?不幸中の幸い、イラストにキズは着いてないし。とまあ、自分に言い聞
方位の力で全ての人に喜びを吉方開運ナビゲーターの松村泰宏です人の性格は問題があった時の対処法で二つに分ける事が出来ます・勢いで何とかする派・話し合いをする派勢い派から見ると行動したいのに話をしたいと言われると不満を感じますし話をしたいのに聞き入れられないと不信感が出てしまいますよねこの二つのギャップが問題の原因になるのは良くありますでも、どちらが正しいではなくてあくまで性格の傾向です例え
今回はこういうお題でいきます。あんまり面白くないと思います。さて、どうしましょう。最初に歴史クイズでもやりますか。難しくはないです。①尾張出身で、安土城を築いた戦国武将は誰か?②江戸時代に北町奉行を務め、その背には彫物があると噂された旗本は誰か?③幕末、新選組の局長を務めた天然理心流の剣客は誰か?①は「織田信長」、③は「近藤勇」ですよね。②もおわかりでしょうが、みなさんはどう答えられますかね。「遠山の金さん」でしょうか、それとも「遠山金四郎」、あるいは「遠山左衛門尉(さえもん
こんにちは。昨日~今日で名古屋の街も、長い夏がようやく冬になったようです。そうです。何度も言いますが、わが街・名古屋から春と秋がなくなって、四季の街から二季の街に成り果てましたが、皆さまお住いのエリアは如何でしょうか。今回は今月初めに伺いました東京日帰り旅行からいってみたいと思います。では、まず、今回の旅の目的から、、、・神保町で古本まつりに参加・古本まつりで「江戸城」御城印を購入・最近ハマっている参道スタバに行くため浅草へ等などでは、よろしくお願いします。太田道
にほんブログ村にほんブログ村猫の魅力多彩な表現江戸から現代100点展示北茨城の県五浦美術館|きたかんナビ日本美術に登場する猫を題材にした作品を集めた企画展「猫を愛(め)でたい」が、茨城県北茨城市大津町の県天心記念五kitakan-navi.jp将棋名人加藤一二三の伝説屋根の上!泥棒ネコ!亭主に見つかり間男ピーンチ!rekishichips.web.fc2.com吉村観阿展によせて(上)江戸の茶の湯と不昧茶器収集に時代の追い風〈宮武慶之〉|山陰中央新報デジ
義元は織田の砦が次々と落ちて行く事に気を良くし、この豪雨で信長も二の足を踏んでいるであろうと高をくくって事もあろうに酒宴を開いた。隊を分散させていた義元の本陣を守っている兵力はさほど多くなく、信長が連れてきた兵力と大差なかった。田楽狭間(桶狭間)に入った信長の元に義元が宴を開き、浮かれた調子で舞っているという情報が入った。この豪雨の最中、信長が来る事はないと油断しまくっているという事だ。信長は食べていたむすびを慌ててかき込み、「太子ガ根山へ行くぞ!」と号を出した。その山からは田楽狭間を一望
ドジャース・大谷翔平(30)が座右の銘にしてきた武田信玄の言葉が注目されている。日米での二刀流の活躍、WBC世界一、ドジャースでの「50―50」達成など数々の偉業を成し遂げている大谷が、花巻東時代から大切にしていたのが「真剣にやっていたら知恵が出る。中途半端だと愚痴が出る。いい加減だと言い訳ばかり」というものだ。戦国武将・武田信玄の言葉でスポーツ指導者や経営者の間で語られることが多く、大谷は高校時代に本を読み、印象に残った言葉として寮のベッドに手書きの紙を張ってい
更新してたので。謎のアフェリエイト含まれています表示(最近多い)で編集できませんのでその2です。●戦国小町苦労譚第十七幕馬廻掲載月一連載コミカライズ連載ページ。夕方くらい更新感想。そろそろ武田軍と決着か。〉ゾンビ兵に伏兵紛れてたか。〉新型銃の威力とゾンビ兵⁉︎〉いよいよ武田軍に新型銃が火をふく。〉まずは新型銃成功。次はどうなるか。〉。新型銃納入成功と迫る武田軍。〉。引くに引いた武田軍侵攻遂に。新型銃の量産は間に合うのか。〉武田家臣の切れ者おじ様にこ
真田のすべてを結集した象徴「真田丸」2016年の大河ドラマで堺雅人さんが真田信繁(幸村)役で放送されました。真田家というと1585年、1600年と、徳川軍を2回撃退したことで有名です。また、真田家を存続させるため父、昌幸と次男信繁(幸村)は豊臣方に長男信之は、徳川方につきます。その際の「犬伏の別れ」が有名です。関ケ原の戦いで敗者となった昌幸と信繁は信之の助命嘆願が功を奏し九度山(現在の和歌山県)に幽閉処分となります。それか
明智光秀は、夜の静寂の中で一人考え込んでいた。本能寺にいる織田信長を攻めるべきか・・・。信長の家来はわずか100人程度だ。攻めるなら、今が絶好の機会だった。しかし、信長を殺した後の未来が見えなかった。光秀は、信長の圧倒的な力とカリスマ性を思い浮かべた。彼を倒せば、自分が新たな時代を切り開くことになるのかもしれない。しかし、その先に待つのは混乱と争いかもしれない。家族や家来たちの安全も保証できない。夜が明ける頃、光秀は決断を下した。信長を討つことで、自
こんにちは。前回に続いて、今回も令和6年秋の鳥取&島根小旅行からです。そして、前回は松江からでしたが、今回は出雲からです。どうぞ、よろしくお願いします。出雲阿国(出雲空港)出雲旅行自体が6年ぶりだったので、コチラの阿国さんにも6年越しの再会になりました。でも阿国さん、確か、以前とは違った位置にいらっしゃったかと、、、、今や、もと阿国さんがいた場所(到着ゲート近く)には、「縁結び大国=大黒さま」のオブジェが置かれることに、、、今、阿国さんは出発ゲート・待合室にいらっしゃいます。
子供の頃に傷がある人を見るとちょっとかっこよく見えただから自分もちょっと傷が欲しいようなそんな憧れは持っていたそれが漫画のキャラクターだったとしても実在の人だったとしても戦国武将だったとしても幕末の人だったとしても確かに彼らはそれを乗り越えてより強い自分にパワーアップしているようなそんな感じがしたワンピースのシャンクスの目の傷にしても片腕を失ったことにしてもだからと言ってそれがそのまま彼にとってパワーダウンを意味していないむし
2024年11月17日西村慎太郎です。先日から大堀相馬焼の陶吉郎窯の先祖について確認しています。陶吉郎窯は幕臣の近藤家を先祖とする由緒があり、引き続き、『寛政重修諸家譜』から近藤家について確認してみたいと思います。本日は戦国時代に活躍した近藤秀用の子どもたちについてです。『寛政重修諸家譜』には8人が記されています。とりあえず、この子どもたちしかいなかったものとして、長男・次男…として検証してみたいと思います。まずは長男・季用(すえもち)。父と同じように登助という通称で、小
「運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり」上杉謙信の言葉である。この言葉は、単なる武家の言葉にとどまらず、現代にも通じる深い意味を含んでいる。「運は天にあり」は、運は自分ではコントロールできない部分があることを意味する。しかし、上杉謙信はそこで諦めていない。「鎧は胸にあり、手柄は足にあり」と続けることで、自分自身でできることを強調している。つまり、運に左右されず、自分の身を守る準備をし、自ら戦場へと赴き、勝利を掴むべきだと説いている。これは、戦場だけでな
2024年11月16日西村慎太郎です。先日から大堀相馬焼の陶吉郎窯の先祖について確認しています。陶吉郎窯は幕臣の近藤家を先祖とする由緒があり、引き続き、『寛政重修諸家譜』から近藤家について確認してみたいと思います。本日は戦国時代に活躍した近藤秀用について。父である康用同様に記述もけっこう豊富です。近藤秀用は、近藤家ではじめて登助(のぼりのすけ)という通称を名乗っています。こののち、代々登助を名乗ることとなります。永禄12年(1569)に家康が遠江国井伊谷を攻める際に功があり
こんにちは😃最難関中学に通う、知り合いのお兄ちゃんがとにかく好きなのは「ねこねこ日本史」会うたびに読んだ、見た内容を最初から最後まで語ってくれます。インプットした分、すべてアウトプットしてるわ毎回感心して聞いています。Amazonプライムでもねこねこ日本史見れるので、うちもたまにみますが、おにいちゃんほどの没頭はない。興味関心の距離を感じますマンガでよくわかるねこねこ日本史ジュニア版14Amazon(アマゾン)ねこねこ日本史(15)Amazon(アマゾン)ねこねこ日本
さて…戦国歴史小説も前ほど読みませんが、たまたま今村翔吾の短編を図書館で借りまして…。なかなか、オモシロイです。ひとつの話が六~八千字位すかね。短編というか掌編に近いのかもですかね。東日本編ということで、東日本の24県位の各県代表武将を取り上げる。企画ものというのですかね。そもそも、戦国時代に県なんて無いすもんね笑、かなりテキトーな気も。例えば山口県は長門と周防の二国だし~~。日本は六十六州でしたっけ、たしか。あまり期待せず図書館で借りましたがそこそこオモシロイ。取
ヤフーニュースに歴史コラムを更新しました。昨年ビジネス系メディアで連載していた「武将に学ぶキャリア」のショートバージョンです。初回は連載当時と同様、藤堂高虎。7回主君を変えた戦国武将・藤堂高虎は実は一途な人物だった?(陽菜ひよ子)-エキスパート-Yahoo!ニュース戦国時代のような過酷な世を生き抜いた武将の人生には、現代の我々のキャリアにおいても学べる点があるのではないか。そのような考えからビジネスメディアで連載していた「武将に学ぶキャリア」シリーズ。連載本体はnews.y
宝在心戦国武将の上杉謙信は、屈指の戦上手で「越後の龍」とも呼ばれました。上杉謙信を祀る山形県米沢市の上杉神社の石碑には「上杉謙信公家訓十六ヶ条」が刻まれています。この十六ヶ条の別名は「宝在心」で、謙信は「宝は心に在り」と説きました。物質的な富や権力よりも、心の中にある人格や徳が真の宝であると示していると考えられます。謙信は内面的な成長や精神的な豊かさが最も重要であり、それが人間の本当の価値を決定すると考えたのです。「宝在心」の七条目には「心に邪見なき時は人を育つる(間違った見
「貝を吹け!」まだこれからどう出るべくかと頭を揃えて悩んでいる老臣たちはいきなりの出陣命令に右往左往しているばかり。昨日まで今川の情勢を聞いてものらりくらりと動かなかった信長の豹変にただただ驚いているのだ。その様がまた信長には滑稽に見えた。「胡蝶!」「出立にございますか?」「おう」「準備は既に整えてあります」「さすがじゃ。じゃがその前に、」と信長が言ったところで私はすかさず鼓を取り出して、打ち始める。信長はニヤッと頷いて舞始める。信長は気が高ぶると舞うのが好きだ。自分の中の士気を高