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のんびり参加中の『近江武将カードラリー』ですが、ようやく10枚達成まで来ました~(*ノˊᗜˋ*)ノバンザーイ✨『戦国ディスカバリー滋賀・びわ湖~近江武将カードラリー①』昨年11月から滋賀県の戦国武将ゆかりの城郭や史跡で展開されている大型観光キャンペーン『戦国ディスカバリー滋賀・びわ湖』。その企画の1つとして、県内17ヶ所の…ameblo.jp6枚目にGETしたのは八幡山ロープウェーで配布されている豊臣秀次のカード。八幡山城主で、城下町と八幡堀を開いて近江八幡の商都としての基礎
前日のblogに書いた他にやる事。それは…孫が遊びに来た時にこんなチラシを持ってきました。孫は戦国時代や戦国武将に興味を持ち安土城とか彦根城に行きたいと前々から言っていました。でもこの暑さ…もっと涼しくなって機会があれば行こうねーと言っていたのですが真剣にこのチラシを見ている孫にほだされて天気も良くないので有名な所だけ行ってみようかという気になりました。それに孫はスポーツをしているので土日は忙しい‼︎あまり機会というのはないような環境です。その日は午前中
このご時世に、熊の話を気楽にするのは憚られますが。歴史の話題ということで、お許し下さい。熊本には、熊はいないそうですが。では、なぜ熊本という地名なのか?「隈」というのは、川が湾曲している地形のことを指します。川が湾曲した内側の土地だから「隈本」、三方を川に囲まれているのだから、これを天然の堀にすれば、築城に有利な土地ですよね。それを加藤清正が、熊本という文字に改めたというのは、記録があって確かな話です。なんで熊なんてケダモノの名前が、戦国武将の城の名前に相応しいんだ、とか思います
《ご予約フォームはこちら》《LINE来店予約はこちら》***こんにちは雅-miyabi-®京都本店のスタッフです9月になり少しづつ朝夕が涼しくなってきましたねあとは、豪雨災害が減ってくれればいいのですが・・・彦根城が世界遺産に推薦されるよう、国内で内定した!というニュースを見て、ふと戦国時代に想いを馳せてみました武田信玄をご存知ですか?戦国時代、甲斐の国(山梨県辺りです)の武将で、【風林火山】の旗印を
朝日新聞小説「早雲」(1)1~24作:砂原浩太朗連載にあたっての作者のことば<お知らせ>次の連載小説は砂原浩太朗さん「早雲」7月1日から:朝日新聞柚木麻子さんの連載小説「あおぞら」は29日で終わり、7月1日から砂原浩太朗さん=写真=の「早雲」が始まります。砂原さんは1969年生まれ、神戸市出身。出版社勤務などを経て、2016年に「いのちがけ…digital.asahi.com登場人物千代丸のちの北条早雲伊勢盛定千代丸の父伊勢八郎千代丸の兄蕨子(わらびこ)千代丸の姉
ご覧いただきありがとうございますいつも遊びに来ていただきありがとうございますとても嬉しいです連日過ごしやすい日が続いていましたがまた猛暑日のようです気温差もあってかアレが頻発してるんです朝から生あくびが止まらなくて(あまりお薬に頼りたくないんですよね)ここ2回は前夜になんとくなく明日来そうだなっていうのが分かりましたまだ咳喘息の薬も飲んでいるのでその影響もあるかもしれませんね早く暑さが落ち着いてくれますように今年の大河
今日はオタク全開です。許してください(笑)「なんで善光寺に何度も行きたくなるの?」調べたら歴史がすごかったおはようございます。突然だけど、上越市民なら善光寺は親しみのあるお寺じゃないかな。私も善光寺が大好きだ。幼い頃から両親に連れて行ってもらい、鳩に追いかけられて半泣きになったこともある。あの明るくて開放的な空気が好き。宗派を問わず受け入れてくれるところも好き。近いこともあって、「年に一度は行きたいな」と思う場所だ。でも、秋田県出身の夫と結婚して
こんにちは。今回も豊臣兄弟からみの銅像です。戦国武将銅像としては最新じゃないでしょうか。では、よろしくお願いします。豊臣秀長(やまと郡山城ホール)おそらく大河ドラマ「豊臣兄弟!」の放映に合わせて出来た銅像。。。豊臣秀長さんのブロンズ像は初ですかね。表情はなかなかのシブさです。そう、正直、武将像としての若々しさ=力強さは見られないものの実直&落ち着きのオトナ武将像ではないかと。ただ、この銅像の置かれているポジションが何て言うか、非常に悪いですね。。。銅像の背後にはガラス張り。
【素晴らしきエジプト香油の世界はじめに~①】エジプト香油の素晴らしさを、日本の多くの方に知って頂きたい!その一心で今、私はこの本を書き始めています。初めまして。エジプト香油専門店OILオーナー山根晋爾と申します。1980年生まれの大阪に住んでいる男になります。2005年に独立後数々のビジネスで失敗をして、記憶にある限り4度破産しかけた経験があるほど、全くビジネス的才覚は無い人間です。そんな私でも、不思議とこのエジプト香油に関する輸入販売というビジネスに関しては「絶対にうまくいく
黒田官兵衛は、九州平定後、豊前国に配置となりますが。これは、豊臣秀吉が官兵衛の才を恐れ警戒し、官兵衛は中央から遠ざけられたのだ、と言われているが、それは違うのではないか?経済先進地帯であり、しかも大陸進出を控えて益々発展が見込まれる九州への転封は、栄転ではないのか?と論じておられる方が、いましたが。そもそも、この異動が栄転なのか左遷なのか、というのは、客観的な数字で決まるもんではありません。形式的な肩書の上下でもありません。左遷か否かは、本人たちの「捉え方」によるものです。異動させる側
昨年11月から滋賀県の戦国武将ゆかりの城郭や史跡で展開されている大型観光キャンペーン『戦国ディスカバリー滋賀・びわ湖』。その企画の1つとして、県内17ヶ所のスポットを巡って武将カードを集める『近江武将カードラリー』が7/14より開催されています。集めたカードの枚数に応じて特典も用意され、5枚制覇でカードホルダー、10枚制覇で西川貴教・スペシャル武将カード、17枚完全制覇でアクリルスタンドが貰えます。県内全域を回るのは正直厳しいけど、せめて10枚集めて西川の兄貴のカードGE
こんにちは。今回も前回に続いて北関東遠征からです。前回の足利氏館跡・鑁阿寺のお隣=足利学校からになります。よろしくお願いします。上杉憲実(足利学校)今回の北関東遠征のテーマは「関東管領って何?」ということで、歴代関東管領で3D像が一番見ることが可能そうな足利学校に向かったわけです。上杉憲実さん像、足利学校のこの像をよく見ますが、どうもこの像=越後の雲洞庵にある像の複製のようです。雲洞庵、、、何度かいったことありましたが、そんな様子は確認できませんでした。今度行くとき確認します。
2025年11月1日。西村慎太郎です。12月20日に開催される『第15回浪江を語ろう!』では、『「忠臣」創出―標葉氏・信雅王・熊澤天皇―』という報告をさせて頂きます。大字酒井・大堀・小野田あたりが舞台になる予定。そこで今日も大字小野田に遺されていた中世城館について『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本四一四一・二六―二〇。原本は相馬市指定文化財)より見てみたいと思います。--------------------------------------------古第在仲善寺(ママ)
『豊臣兄弟!』に夢中のみくるです『豊臣兄弟!』を見ながら気になっていた豊臣秀長の家族について調べ、家系図付きの記事にまとめました。与一郎は本当に養子だったの?秀保は誰の子?おきくやおみやとはどんな娘だったの?と、調べていくうちに見えてきたのは、秀吉だけでなく、秀長や姉のとも、その子どもたちまで含めた「豊臣家の絆」でした特に、秀次・秀勝・秀保の三兄弟がそれぞれ重要な役割を担っていたことや、家族みんなで秀吉を支えていたことが印象的でした。大和郡山を歩いていると、市民の皆さんが今も親しみ
「有名な城にいれば安全」と思ってしまいそうですが、戦国の城は、周りの道や味方を失うと急に苦しくなります。慶長5年(1600年)8月23日。織田信長の孫・織田秀信が守る岐阜城は、東軍の攻撃を受けて落城しました。秀信は13万3,000石を治める大名でした。それでも、なぜ大切な城を守れなかったのでしょうか。今日は岐阜城落城の流れをたどりながら、「守りは入口の前から始まる」という教訓を見ていきます。信長の孫・織田秀信は13万3,000石の大名織田秀信は、織田信長の孫です。父は本能寺の変で
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきます歴史上の人物の系図を追っていく歴史系図トリビアです。はい(´Д`)。前回は加賀藩の藩祖・前田利家の兄弟姉妹を取り上げましたが、今回は利家とおまつの方の系図を見ていきたいと思います。前田利家は織田信長に仕えて出世、豊臣政権で五大老となり、外様大名の大藩・加賀藩の祖となりました。おまつの方(芳春院)はその正室で、佐々成政の末森城急襲時に援軍派遣に慎重な家臣たちを激励するなどした女丈夫で、利
こんにちは。今回も前回に続いて昨年末の北関東旅行からです。今回はなかなかの貴重画像になるかもですよ。では、早速、、、上杉憲政木像(水上建明寺)今回の北関東旅行のテーマ「関東管領ってナニ?」でしたから、コチラがメインディッシュなんでした。まあ、結局は「ナニ?」なのかはわからずじまいだったのですが、、、関東管領だった上杉憲政さんが北条に追われ、谷川岳を越え越後に逃げおちる際に、念持仏を持って行けず、憲政さんを開基とし、同行していた秀翁龍樹大和尚さんが開山したのが、コチラの建明寺さん