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本日はみどりの日ではありますが天皇家関連ではある。物騒な日です。585年(敏達14年3月30日)-仏教排斥を唱える物部守屋が、崇仏派の蘇我馬子が大野丘(甘樫丘)北方に建造した仏塔を焼打ちする。蘇我・物部戦争(丁末の役)の端緒。pic.twitter.com/2t36FTpdcw—久延毘古皇紀ニ六八六年令和8年弥生(@amtr1117)May3,2026仏教の公伝から538約50年後病身の蘇我馬子から仏教擁護派仏法を信奉する許可を求められた天皇はこれを
我が家の絶対ルールそれは、「独立独歩(どくりつどっぽ)」▼本日限定!ブログスタンプ「憲法記念日」にかけた「〇〇ホウ」100個組手ですね!!リズム良く、硬軟織り交ぜて一気に畳み掛けます。語尾が「ホウ」であればOKということで、参りましょう!1〜25:社会・政治・法律(お堅め)1.憲法(本日の主役)2.司法3.立法4.行政法5.刑法6.民法7.商法8.走法(道路交通法的な)9.官報10.公報11.軍法12.法度(はっと…はダメですね)→新
名字の言この世に生まれ、生きる目的【名字の言】www.seikyoonline.com
(『新・人間革命』第11巻より編集)125〈開墾〉64ある日、日本人組合の精米所に行くと、日本人移住者の青年が、結核でサントドミンゴの病院に入院しているという話を耳にした。村木は誠実であった。かわいそうだと思い、その青年に信心を教えようと、病院を訪ねた。会って、信心の話をすると、青年は言った。「うちの親父も創価学会に入っていました」父親は中尾寛一といい、コツイから百数十キロ離れた、コンスタン
第14世ダライ・ラマ法王から「非常に力強く、成就した修行者」と称賛されたコンチョク・フェンツォク・リンポチェ(H.E.DrubwangKonchokNorbuRinpoche)は、30年以上の瞑想リトリート(修行)の経験をお持ちです。その修行中には、1日に花びら1枚とはちみつ水1滴だけで過ごされたこともありました。リンポチェは高い悟りを開いた成就者であり、マハームドラー(大手印)の指導者でもあります。すべての衆生を救うために「観音菩薩の修行」を世界に広めるようダライ・ラマ法王から特別に
(ルシの声)千回の儀式より、ひとたびの真心。百年の形式より、瞬間の敬意。悟りたる者への感謝は、心を照らし、供養は、その光に自らを近づける。ダンマパダ第106偈は、形式そのものを否定しているというより、形式だけで終わる祈りの空しさを、静かに指摘している偈だと読めます。現代語でやさしく言えば、こういう意味になります。「月ごとの祭祀を千回、百年にわたって続ける人よりも、自己修養を成し、悟りたる人や覚者に対して、ほんの一瞬でも尊崇と感謝の念を抱き、供養する人の方が優れている。」ここで大切
なんといっても、森鷗外〈1862(文久2)-1922(大正11)年〉である。文章の極意を訊かれ「一に明晰、二に明晰、三に明晰」と答えたという伝説を誇る森鷗外であり、華々しくも呪術的な文体で読者を幻惑と酩酊に誘う泉鏡花とは、ある意味対蹠的な志向の作家である。三島由紀夫は『文章読本』のなかで両者を対比させ、泉鏡花の文章を「ディオニュソス的文章」、森鷗外の文章を「アポロン的文章」と評した。そういった対照的作家が、本書『現代怪談集成』では前後して続けて掲載されている。
〈教学〉5月度座談会拝読御書【仏法の教え】www.seikyoonline.com
知り合いが次々と病気で倒れている。もうそんな年齢になってしまったのだ。かろうじて今僕は元気ではあるが、フェイスブックで変換ミスや誤字脱字があると、老いというものを痛感する。しかし、何か書かずにおれないという性分もあって、恥を承知で売文の徒を続けている。そんな僕であるからこそ、なおさら道元の言葉に、心洗われる思いがするのである。「夜話に云はく、古人の云はく、朝(あした)に道を聞いて夕(ゆうべ)に死すとも可なりと、いま學道の人も此の心のあるべきなり。曠劫多生(こうごうたしょう)の間いくたびか徒(
苦悩を乗り越え歓喜へ!各国で求道の集い〈SGIWeekly〉アメリカ、メキシコ【聖教ニュース】www.seikyoonline.com
どうも、自分は、「自分自身で<考える>」のではなく、「知りたいと思って、いろいろと、探究し、<見つける>」という方法を選んできた。きっと、これは、小さい時から、自分で考えることに、自信がなかったせいだろう。〇〇〇道元は、以下の教えを述べる中国・臨済宗の「徳光」禅師を批判する!・・・彼は、「日本達磨宗」の初祖「大日・能忍」禅師に印可状を渡した。その法は、三祖・懐鑒禅師、四祖・義介禅師、三祖・懐奘禅師と、嗣法された。瑩山禅師は「五祖」となる。「直指人心、見性
(ルシの声)己に克つ者は、世界に勝つ。だが、その勝利は喧しくない。慎み深く、整い、静かである。神々も、悪魔も、もはやその勝利を覆せない。ダンマパダ第104、105偈は、前偈に続いて、自己統御の完成がいかに尊いかを語っています。現代語でやさしく言えば、こういう意味になります。「自分に打ち克つことは、他人に勝つことよりも優れている。そのような人は、行いを慎み、常に自己を整えている。そうして得た勝利は、神もガンダルヴァも悪魔も梵天も、誰にも覆せない。不動の勝利である。修行の姿勢としては、
川崎大師の言葉本文は菩薩のあり方を示したものです。ここでいう大士とは菩薩のことを指します。菩薩とは、自らの悟りと同時に、多くの人々の悟りを求める修行者のことです。四量とは、「慈」、衆生に安楽を与える。「悲」、衆生の苦痛を取り除く。「喜」、他者の安楽をともに喜ぶ。「捨」、他者に対し平等無差別である。以上の四つをいいます。菩薩には、これらと同時に、次に示す四摂の実践が求められます。それは、見返りを求めず、仏法や物を与える「布施」。穏やかな言葉で語りかける「愛語」。人々のために尽くす「利行」。そ
労働観今日はメーデーということで、少し労働というものを考えてみましょう。西洋キリスト教(特に旧約聖書・創世記)の伝統的な解釈において、労働はしばしば「失楽園の代償」として捉えられてきました。アダムとエバが禁断の果実を食べたことにより、人間はエデンの園を追放され、神はアダムに対し、「お前は一生、苦しんで地から糧を得る。顔に汗を流してパンを得る」と告げました。労働はアダムの原罪に対する神からの罰(ペナルティ)、苦しみを通じて贖罪する「苦役」という側面が根底にあります。ただし、近代に入
曹洞宗安泰寺5代目住職であった師の言った言葉を集めた本です。公案のような意味不明の言葉もありましたが、少し考えて分からなければそのまま先に進んでとにかく読了。ゆっくり読んでいく中で、心に響くものを拾っていけば良かろうと思って読みました。歯切れがよく「なぜ」なしの厳しい老師の言葉を咀嚼して自己を反省すると、あらためて日々凡夫の生活をしていることに気付かされ、叱られっ放しのような気がしました。彼のおっしゃっていることを、頭では理解できても真には分かっていない。その証拠が今の自分の生活であ
(ルシの声)百の敵を倒すより、ひとりの己に克つほうが、はるかに尊い。外の戦いは一時、内の戦いは一生。真の勝者とは、自らの心を治めた者である。ダンマパダ第103偈は、勝利の意味を根底からひっくり返す偈です。現代語でやさしく言えば、こういう意味になります。「戦場で百万人に勝つよりも、たった一人の自分自身に克つ者こそ、最上であり真の勝利者である。」ここで言う“自己”とは、健全な自己肯定感のことではありません。むしろ、欲望や怒りや怠りや見栄に振り回される、弱くて不安定な自我のことです。
今月は、阿弥陀様の救い、極楽往生というのが、身分などによらないのかについて、法然上人のご法語を見ていきたいと思います。法然上人の御法語に自身の罪悪をうたがいて往生を不定に思わんは、大きなるあやまりなり。さればとて、不思議なる道理を心えんがためなり。されば念仏往生の義を、ふかくもかたくも申さん人は、つやつや本願の義をしらざる人と心うべし。源空が身も検校別当どもが位にてぞ往生はせんずる、もとの法然房にては往生はえせじ。さればとしごろならいあつめたる智慧は往生のためには要にもたつべからず。さ
〈人間主義の哲学の光彩池田大作先生の講義に学ぶ〉第29回幸福をつかむ信心自他共に遊楽の人生を【大白蓮華】www.seikyoonline.com
ゴールデンウィークが到来した!と、思ったらすぐに「七夕」になり…そのまま「夏・本番」に突入する!「本番」と言っても愛染恭子が、前張りを付けずに濡れ場を演じたハードコア・ポルノ「白日夢」ではナク「本格的な」と言う意味ですな今のうちから「夏を楽しんでやるぞ!」とそんな気構えでイナイと「暑い!暑い!」と言ってるだけで夏は終わってしまう「今年の夏が、自分の人生・最後の夏」とは言わずともあと10回?多くて20~30回くらいだろう日本の四季を楽しむつもりで、夏を
【島根】〈師弟不二の島根小説「新・人間革命」と共に〉第10巻「幸風」の章あらすじ・希望の指針【地方発】www.seikyoonline.com
(ルシの声)百の空しい詩より、ひとつの静かな響き。耳を満たすより、心を静めるもの。言葉は多ければよいのではない。魂にしみる一語こそ、真に尊い。ダンマパダ第102偈は、前偈に続きながら、さらにはっきりと「言葉の質」の大切さを示しています。現代語でやさしく言えば、こういう意味になります。「無益な語句でできた詩を百も唱えるより、聞いて心が静まる詩をひとつ聞くほうが優れている。無益な言葉や詩は、何度聞いても心を静めない。それよりも、心が休まる有益な詩をひとつ聞くほうがはるかに良い。」ここ
「瑩山」禅師の「天台密教の禅」では、「豁然、大悟」の物語が必要になる!だから、主著『伝光録』の「釈尊の条」では、最初に「明星を見て大悟す物語」がある。「梵我一如」の体験である。「全宇宙と、自己とが、一体感の、中に、永遠に、時間が止まって、存在する」しかし、釈尊ご自身は、そんな事は、一切、言っていない。つまり、「明星を見て大悟する、物語」は、修行者に対しては、無意味である、と言う事である。逆に、教えているのは、具体的には、「人間とは、五蘊(色・受・想・行・識)の集まりであ
文殊菩薩は、後に「龍趣尊上王仏(りゅうしゅそんじょうおうぶつ)」となられる存在であり、人間ではなく龍から成った菩薩であるため、その寿命は極めて長いとされています。過去七仏の時代よりも前から存命であるのも、そのためです。『法華経』提婆達多品第十二においても、大海の龍宮において龍族を相手に教えを説く文殊菩薩の姿が描かれています。龍樹菩薩は龍宮から大乗仏法を学びましたが、ナーガラージャ(龍王)が住む龍宮では、仏法が至宝として大切に守られています。龍樹が龍宮で「中観(ちゅうがん)」を学んだことと、文殊
『松野殿御返事』(建治二年十二月九日聖寿五十五歳)大聖人様は現当二世にお救い下さる仏法を知れば、徒(あだ)に儚(はかな)き人生は一転し永遠の仏果を得る貴重な人生となる気がかりな記事その94のつづきところが、この儚い人生において「但昼夜に今生の貯(たくわ)えをのみ思い、朝夕(ちょうせき)に現世の業(わざ)をのみなして、仏をも敬わず法をも信ぜず、無行無智(むぎょうむち)にして徒(いたずら)に明かし暮らして」と。●まさに多くの何も知らない衆生のことである。あらゆる無関心層の
一人ひとりに使命がる。一人ひとりに違がある。個性を磨き自分らしく生き抜いていく中に、世界を変える力がある。自信を持って生き抜いていこう。今日もお元気〈ストーリーズⅡ池田先生の希望の励まし〉第24回君だけの花が咲く桜梅桃李編①【企画・連載】www.seikyoonline.com
(『人間革命』第4巻より再編集)102〈怒涛〉3「事ここに至るまで、いったい、どうしたことか、ずいぶん考えもした。反省もした。初めは、わからなかったが、このごろになって、いよいよはっきり、わかってきたんです。今、それを諸君に話す時期ではないから、言わないが、ありがたいことに、仏法というものは本当に厳しいものだよ。この厳しさがあればこそ、この世のどんな不幸も救われるのだ。結局、ぼくは信心では、絶対に
ある時、いつも怒り妬んでいる小乗の法師がおりました。ナーガールジュナがこの世を去ろうとした時、彼はその小乗の法師に尋ねました。「あなたは、私がこの世界に長くいてほしいですか。」法師は答えました。「もちろん、否。」そこでナーガールジュナは、はなれの部屋に退去し、終日出てきませんでした。彼の弟子たちが扉を壊してみると、彼は蝉が羽化するように肉体を捨て、この世を離れておりました。彼が去ってから百年が経ちました。まるで仏を崇拝するかのように、南インドのさまざまな地で、彼のために寺院が建てられています
いつでもどこでも助けようとする力が働いています『任せろ。今助ける』絶体絶命のピンチでこんなセリフを聞いちゃうと泣いちゃうよねそして圧倒的な力で困難から助け出しすべてが丸く収まる言葉にならんくらい…カッケーよ全然関係ないようだけどコレ仏教にもよく精
先ず、「道元」和尚の「仏法」と「瑩山」禅師の「仏法」とは、「同等」であり、「正統」であり、同じではないが「両方」共が「正しい宗教」である。〇〇〇「懐奘」禅師も「義介」禅師も、「道元」和尚から「嗣書」を授かっていない。これから、当然、「瑩山」禅師の法系では、「嗣書」が、残っていない。他方、「義尹」和尚は「道元」和尚から、直に、「嗣書」を授かっているので、「道元」和尚が、「如浄」禅師から授かった「嗣書」と同じ形式の「嗣書」が、この法孫に伝わり、残っている。
(ルシの声)時代が濁れば、光はなおいっそう際立つ。浄化とは、何かを壊すことではない。本来の輝きを取り戻すことだ。今こそ、心を整え、歩みを上げる時である。いま世界でも、国内でも、そして身近な暮らしの場でも、何かしらの“浄化”が進んでいるように見えます。地獄的世界や悪しき影響、さらに宇宙の闇勢力による混濁が長く地上を覆ってきた。しかしその流れは、いつまでも続くものではありません。汚れが深いほど、浄化の力もまた大きく働くものです。その意味で、今の地球は、ただ混乱しているのではなく、次