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(息子が痙攣重積型《二相性》脳症と診断されたときの備忘録です)●2/1(金)もともと予約していた時間に病院へ行く。診察の前に採尿があったので、いつものようにコップをもらいトイレへ行く。これまではトイレに行き、「オシッコして」と言えば上手にできた息子。この日は「できない」と言った。お水を飲ませ、しばらく待ってもう一度トイレへ。3,4回繰り返したが採尿はできなかった。ただオシッコが出ないのではない。出せないんだ。そう思った。結局採尿は後回しにし、診察へ行くことになった。「さぁ
痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子。現在6歳、ピカピカの一年生になりました知的支援級で頑張っています息子が入学して4ヶ月、夏休みに入りました特別支援学級に息子が入学して感じたこと。同じ小学校でも娘のときとは全然違うってこと。今回は関東地方のとある特別支援学級の実態をご紹介します。特別支援学級とは…障害を持った児童生徒を対象とした少人数の学級自立活動や学習や生活の困難を克服するための特別の指導を、児童生徒のニーズに合わせて行う特別の場
2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子病後6年・9歳、特別支援学校小学部4年生です笑顔で元気をモットーに頑張りますまとめ記事急性期治療編★回復期リハビリ入院編★就学相談編★支援級→支援学校転入編★新年度が始まり、娘は6年生、息子は4年生になりました『春休みミッション❶』2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子病後6年・9歳、特別支援学校小学部3年生です笑顔で元気をモットーに頑張りま…am
一般病棟に転棟後、大好きなプリンもゼリーもわからなくなってしまった娘ですが、OTさんが15分かけて一口だけプリンを食べさせるに成功しました。OTさんには入院中のリハビリで大変お世話になりました。県立病院は退院(今は近所の大学病院に行っています。)してしまったのでもうお会いすることはできませんが、あの時のOTさんのおかげで今の生活ができているのだろうなぁと思っています。意識戻った時はこんな感じ。おしゃべりは一切できずに、童謡を歌うだけ。お風呂はシャワーやドライヤーに怯えてパニックになる。
今日で病後1年半が経過しました。現在、週3回の母子通園をしていますが福祉型は1年間という決まりがあるので、今月いっぱいで卒園します。4月からは保育園に通います🌸この1年半、年中から就園するのを目指して頑張ってきました。周りの人に助けて頂きながら自分が出来る限りのことはしてきたつもりですが、不安はあります。障害児の息子は定型の子に受け入れて貰えるのか、トラブルを起こさないか、楽しく通えるか…今から心配ばかりです🥲でも保育園に通い出して定型の子達からたくさん刺激をもらって、少しでも成長してく
退院してわずか2日。外来のため、再び病院へ行ってきました。自宅に帰ってからの息子の様子を報告。特に悪くなった点はなく、自宅に帰ったことで息子にいい刺激があったと感じています。先生も「うん、いいねいいね〜」と言ってくれました。不安を落ち着かせる薬を飲んでいるのですが、少し減らしてみることになりました。2週間後、またまた通院予定です。発症後1ヶ月になるので、脳波・MRIを撮るそうです。MRIでは眠る薬を点滴で入れるので、日帰り入院という形になるとのこと。リハビリについては、リハビ
私は孤独になり行く当てもなく義実家に行くことにしたのです🏠それがとんでもない説教が始まったのです「〇〇から聞いたけど(息子の名前)何であなたは何もしないの何で〇〇ばかりにやらせるのあなたは愚痴ばっかりで悲劇のヒロインだと思ってたら大間違いよ何でうちばかりに来るの自分の実家があるでしょあなたはそれでも母親なのれんがこうなってから1回でもハグしたことある私は1回もあなたがハグしたところを見た事な
2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子病後6年・9歳、特別支援学校小学部3年生です笑顔で元気をモットーに頑張りますまとめ記事急性期治療編★回復期リハビリ入院編★就学相談編★支援級→支援学校転入編★息子が9歳の誕生日を迎えましたチョコが大好きなのでケーキは毎年チョコだったのに、今年は珍しくモンブランをチョイス当日になってコレじゃないと言われそうだったので何度も確認したけれど頑なにモンブランと言うのでドキドキしなが
今週、息子のリハ入院が終わります。最終日もリハビリがあるようで、その他にも主治医の先生との面談があるので忙しい一週間なりそうです。リハ入院をしている今の病院は、急性期に入院していた病院とは別のところです。リハビリ専門の病院で、下は2歳から上はご老人まで、たくさんの患者さんがいます。医師、看護師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、臨床心理士、ソーシャルワーカー…各分野の専門家がチームを組み、日々リハビリが行われています。息子の担当医(主治医ではない)は30代前半くらいのママさんド
新生児の頃はあまり寝ない子でしたが首が座った頃から少しずつまとめて寝るようになりましたお食い初めベビーカーに乗せたらすぐ寝てくれて電車でもあまり騒ぐことなくよくお出かけしてましただけどやっぱり今思うと大人し過ぎだったかなと思います。首は4ヶ月ごろにすわったけど、そのあとお座り寝返りハイハイに全然進まずでしたあと赤ちゃんってよく笑うけど、ニヤリって感じでめっちゃ笑うこともなかったし全然笑わないということもなかったおもちゃへの興味もそんなにないけどちょっと触るくらい。目はしっかり合って
前回の続きです『急性脳症②〜覚醒、再痙攣〜』前回の続きです8月5日息子が目を覚まして私たちのことを認識できるか、今後の心配や不安の中夜が明けました。朝が来ない日はないそんな言葉の通り、どんな出…ameblo.jp8月9日痙攣があったことを聞きショックを隠しきれませんでした。先生から再度痙攣が起こるか起こらないかは重要ポイントと話されてた記憶があります。今回の痙攣は点滴ですぐにおさまったそうですがこの日から追加でイーケプラという抗てんかん薬の内服が開始となりました。
息子を施設でお世話になるか在宅医療にするかまだまだ悩み続けていましたそして夫の意見は「俺は家に連れて帰りたいな施設は良いイメージがないんだよね虐待とかのニュースも見たしねそれに施設に行ったら会社にも行きにくいしここに住むのも嫌だなそれに主治医も大体の人は在宅に移行するって言ってたし」という意見でした私の意見は「パパは昼間会社に行っちゃうけど私は昼間一人で介護しないといけないそん
ブログに訪れてくださりありがとうございます皆様に支えられて私たちは日々前へ進むことができています7月末に痙攣重積型急性脳症を発症し2ヶ月間の入院生活を経て新生活をスタートした息子(こうちゃん、3才、アンジェルマン症候群、伝い歩きから一転して今は寝返りもできなくなり食事も経管栄養)のお話ですブログでも度々話題にしていた息子の保育園ですが、実は入院中に退園手続きを済ませてしまいました。園からは、入院中も何度かお電話をいただき、またママ達からも、担当の先生方がすごく心配し
現在までの経歴が書き終えたので急性脳症になった時の話を詳しく書きます。日記を書いていたのでそちらをもとに書いて行きます。当時私が感じたネガティブな感情もそのまま引用します急性脳症になった年の経過はこちら『経歴⑤3-4歳』3歳から療育園で週2回の親子通所と民間の療育が始まりました親子通所の日はいもうとを保育園に預けて、療育園へ向かう生活をしてたけど結構な距離を自転車で移動してま…ameblo.jp2018年8月2日この年の夏は猛暑でこの日も気温35度超え。親子通所後そのまま帰
DBSの電気刺激はいろんなパターンが設定できる。症状に合わせて刺激強度やオンオフパターンを変えられる。右だけ、左だけといった刺激も可能。副作用がメリットを上回るのであれば、刺激自体を止めることも可能。妻の場合、右側からてんかん波が広がっていくような画像だったことから、今のところ右側だけ電流刺激をしている。刺激強度はまず3mAから開始し、10日程度で4mAに上げた。4mAにしてからも発作は起きていなかったが、気持ちが今までにないほど落ち込む瞬間があり、それを先生に伝えたところ、刺激の強
リハビリテーションセンターの退院日が決まり、3ヶ月ぶりに自宅に帰れる事になりました。息子と一緒に家に帰ることで、痙攣時の様子がフラッシュバックしたり、病前の息子を思い出して辛くなったりするかなと思い少し不安でした。悲しくならないように、予めおもちゃを片付けておきました。電池を抜いたおもちゃを段ボールに入れて、目に付かない所にしまいます。片付けている最中にアンパンマンことば図鑑プレミアムのタッチペンに録音されている息子の音声を聞いて大泣きしました。「ママ」を連呼している声に、これだけは大切
2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子病後5年・8歳、特別支援学校小学部3年生です笑顔で元気をモットーに頑張りますまとめ記事急性期治療編★回復期リハビリ入院編★就学相談編★支援級→支援学校転入編★娘は今年、年女12歳になります娘が生まれて母になり干支がひと回り、12年が経つなんて感慨深いです娘が生まれ、息子が生まれ、ずっとどちらかと添い寝をしてきました。ここ数年は2枚のシングル布団に3人で寝ていました。(掛布団は
1年間通った児童発達支援センターの母子通園を卒園しました🌸入園時と比べて、出来る事が本当に増えました。私の住んでいる地域では母子通園型の児発は無く、母子通園がある地域まで1時間半かけて通っておりました😂週3回片道1時間半もかけて通う意味はあるのかと悩みましたが、それでも障がい児になった息子との関わり方を学べる親子通園が魅力的でした。入園前の面談で保育士さんから、「療育を通してどうなって欲しいか」と聞かれました。その時は人への興味関心が全く無かった為、「クラスの先生やお友達と関わることで
2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子病後5年・8歳、特別支援学校小学部3年生です笑顔で元気をモットーに頑張りますまとめ記事急性期治療編★回復期リハビリ入院編★就学相談編★支援級→支援学校転入編★子どもたちは冬休みが終わり、元気に登校しています初日。娘はあっさり登校しましたが、心配なのは息子久しぶりなのでバスに乗るかドキドキしましたが意外にもサクッと乗ってくれました。今日はドアの前で「乗らない」って言われヒヤリとしま
息子が3歳になりました。2歳最後の1ヶ月はインフルエンザ→入院と慌ただしく終わってしまいましたが、何はともあれ、自宅でお誕生日を迎えることができて本当に嬉しいです!ちょうど息子の誕生日の日に、保育園の行事がありました。退院したばかりなので悩んだのですが、何か息子の刺激になることはないかと途中退出も考えながら参加しました。1年間に作成した作品がたくさん飾られていて、ひとつひとつじっくり見ました。自画像とインタビューが書いてある作品は、めくらないと誰の作品か分からないようになっ
また息子は目を覚ましてくれると信じていましたが、息子は朝になっても目を覚ますことはありませんでした。この時点で母親である自分も熱発し、コロナ陽性が確認されました。自分もしんどいけど、息子が起きない事への不安が大きくてそれどころでは無かったです。医師からは、「脳炎か脳症を疑っている」「MRI、CTの検査してその結果次第で大学病院への転院となる」と告げられました。午前中のうちに検査をしましたが、結果は異常なしでした。意識は戻りそうになく、その日午後に大学病院のこども医療センターへ転院することが
息子は2歳9ヶ月の時にコロナから痙攣を起こし、指定難病『痙攣重積型急性脳症』と診断されました。後遺症として重度知的障害があります。病前の息子は、歌とパズルが好きな男の子でした。病気になった日を境に、親である私の事も話し方も何もかも忘れてしまいました。病前はトイトレも済んでおりパンツでしたが、病気になってからまたオムツに戻ってしまいました。数ヶ月間、オムツ替えをする度に病前の息子を思い出して辛かったです。「お兄さんパンツ!」と喜んでいた息子が忘れられなくて、今でもパンツを捨てられずにいる母で
(息子が痙攣重積型《二相性》脳症と診断されたときの備忘録です)●1/25(土)救急外来から帰宅後、眠かったのか息子はお昼ご飯食べずにお昼寝をしてしまった。数時間後、起きた頃から異常行動が見られた。異常行動といっても、よく聞く、叫ぶ・外に出ようとする、などではなく「暴言を吐く」「物を投げる」という行動だった。なんの脈略もなく突然「バーカ!」と言ったり、クリスマスプレゼントにもらってから毎日毎日夢中になって遊んでいたトーマスのおもちゃを「こんなのいーらない!」と床に投げつけたり。。
PICUに入ってから度々看護師さんや先生が電話をして下さり、息子の状態を教えて下さいました。電話がなる度に、状態が悪化した報告ではないかと緊張が走りました。どうか「意識レベルが回復し、話しました」と言って欲しい、そんな気持ちでいっぱいです。PICUに入った日に成分輸血をして、血小板の数値が7万まで増えました。同時にステロイドパルス療法も続けて行い、脳を保護するビタミン剤も入れていたみたいです。PICUに入って3日後、少しだけ安心できる報告がありました。「昨日は目を閉じていて体動もなかっ
救急搬送から1週間、息子の病気について医師から診断を受けました。「検査の結果、お子さんは痙攣重積型急性脳症です。」「典型的な脳の画像でした。」「一生歩けないかもしれません。歩けたとしても高確率で神経学的後遺症が残ります。覚悟しておいて下さい。」(神経学的後遺症=知的障害)告げられた言葉は残酷で、ただただ胸が苦しかったです。その場で泣き崩れました。"人生でこんなに辛い事ってあるんだ""私の命と引き換えにこの子が元気に過ごせるのなら私は喜んで死ぬのに""なんでうちの子なの?""もうマ
2017.12.21この日はなかなか起きなかった。朝、看護師さんが検温に来て無理やり起こされたからか、娘めちゃくちゃ不機嫌熱を測ると37.4℃微熱があったりなかったりだったから、また微熱かぁ…熱が完全に下がらないと退院は無理だろうなぁ…なんて思ってた矢先、娘が痙攣し始めた💦右側だけピクピクして目は明後日の方向…最初の痙攣も手足だけ冷たくて、今回も同様に冷たかった。痙攣中失禁もした。バタバタとお医者さんや師長さんがやって来て、様子を見てすぐに痙攣止めの薬を取りに行った。けど、す
息子が入院して1週間が経ちました。けいれん重積型脳症(二相性脳症)と告げられ、ステロイドでの治療を3日間。最初はPICU(小児集中治療室)にいましたが、そこから隔離病室(インフルエンザ・RSウイルス陽性のため)に移動。昨日感染症の再検査が陰性となり、ようやく一般病室に移動できました。プレイルームに行けたり、シャワーを浴びられるようになりました!息子はというと、病気に加えて長引く入院生活のストレスも重なり、落ち着かない様子。。。私を突然たたいたり、自分の腕をかんだり、ベッドの
(息子が痙攣重積型《二相性》脳症と診断されたときの備忘録です)●1/25(金)娘がすでにインフルエンザA型に罹患していて、まもなく外出禁止が解かれようとしていた。この日、息子は朝から38℃の発熱があったため、保育園を休んだ。とうとううつってしまったか…そんな気持ちだった。発熱してすぐに病院を受診すると、インフルエンザの検査が陰性になることがある。そんな変な知識?があったので、すぐに病院には行かなかった。(この日は夫が休みを取ってくれ、私は出勤した)昼過ぎ、熱が40℃になったと夫
私はだんだん介護ストレスがたまっていきどう頑張っても元の息子には会えない悲しさで夫に愚痴を言うよになってしまったのです初めは夫もうん、うんと聞いてくれてたけど夫も介護に疲れてきてストレスがたまっていってそこに私が愚痴を言う事によって夫も爆発してしまったのです「そんな愚痴ばっかり言うならもう帰ったら」と言われてしまったのです私は悲しくなり黙って帰る準備をして病室を出たのです病院の外は温かい
やっと木曜日。あと一泊すれば外泊で家に帰れる!今日からST(言語療法)が始まりました。案内されたのは狭い個室でしたが、泣くこともなくスタート。それだけで一安心。まず始めに安定の電車のおもちゃで遊びました。慣れたところで机が付いている椅子に座り、数種類のおもちゃで観察スタート。先生の読む本を聞いたり、型はめのおもちゃをしたり、数種類のボタンがあり押すと中から動物が出てくるおもちゃをしたり…その中で先生は息子を観察しているようでした。普段と同じで、やりたくてもできない、やりたくな