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◇子連れの坊さん、勉強する、(酒井雄哉大阿闍梨)将来、住職になれるかどうかの保証も何もない四十の男が、食事の世話から掃除、洗濯、買物、子どもの遊び相手まで、ひたすら小僧になりきって働いた。それに学校も加わった。昼の疲れから、いつも夜八時頃にはぐうぐう寝ていた。ある夜、夜中に目がさめたら、書斎に明かりがついている。覗いてみると、小寺師が一生懸命勉強していた。次の日も次の日も、同じように勉強している姿は変わらない。学校に行くようになって、酒井阿闍梨は、「えらいことになったなぁ、とおもったんだ
◇比叡山への道(酒井雄哉大阿闍梨)戦後、GHQによる「神道指令」により、国家神道は廃止され明治維新後から廃仏毀釈により肩身の狭い思いをしてきた伝統仏教教団や、戦前から厳しい規制にさらされた新宗教も息を吹き返しおびただしい数の宗教、宗派、団体が派生しました。「信仰の自由」は広く庶民にも浸透していた。酒井阿闍梨の叔母は、比叡山の弁天さまを篤く信仰していました。「お山に行かへんか。」妻に先立たれ毎日を放心状態で過ごす酒井阿闍梨を立ち直らせるには何か精神的な支えが必要であると考え、ある日、
◇堂入り①(酒井雄哉大阿闍梨)いよいよ、千日回峰の行のなかでも一番の荒行といわれる「堂入り」である。無動寺回峰では天正年間以来、四十五人がこの「堂入り」を満行してるが、飯室回峰は永く絶えていたばかりでなく、「堂入り」するお堂がなかった。飯室回峰の酒井阿闍梨の堂入りをどうするか、先達会議が開かれた。いくつかの古い書類も持ち出されたが、無動寺のなかに「七百日以降は本流に従うべし」という一項目が記されていた。先達会議の結果「堂入り」八百日目の「赤山苦行」「京都大回り」も無動寺谷で行なうことに決定
今日も見えない世界がはたらきかけてきた不思議な話です。輪王寺の護摩祈祷でもらったおふだを寝室に飾ってからよく眠れるようになってとても助かっているんですがあるとき夜3時頃だったか変な時間に目が覚めて眠れないということがありました。起きたはいいけど何もする気になれない…。しかたなくリビングのテレビをつけました。以前、見えない世界が私にあるお寺を見せたくて夜中に私を起こしてテレビをつけさせたということがありました。
いつもご覧下さり有難うございます先月半ば、上原(うえはら)行(ぎょう)照(しょう)大阿闍梨(1994年に千日回峰行を満行され、戦後11人目の北嶺(ほくれい)大行(だいぎょう)満(まん)大阿闍梨となられた方です)の御法話を聴きに、比叡山延暦寺へ行ってきました*北嶺とは、役行者様を祖とする南山修験に対してこう呼ぶそうです。講演は午後1時半からだったので、午前中は前々から気になっていた無動寺谷の明王堂を訪れる事に比叡山延暦寺には、千日(せんにち)回(かい)峰(ほう)行(ぎょう
相応和尚比叡山の千日回峰行は、「此の峰を巡礼し山王の諸祠に詣じて毎日遊行せよ」と、根本中堂の薬師如来の夢告を受けて相応和尚によって始められました。なぜ歩くか。行を始めて最初の700日は、自分のために祈って歩きます。何を祈るか。他人のために祈れる資格を自分が得られるようにと祈るのです。700日目と701日目の間に、千日回峰行中最大の難行「堂入り」があります。自利行(自分のために祈る)から他利行(人のために祈る)に移る節目の行です。9日間、断食、断水、不眠、不臥といい、つまり一切食べ物も水も
☆【外伝】『高倉健と二人の阿闍梨』酒井雄哉阿闍梨と『魂の交流』、、御前様永らく御無沙汰致しました。半年振りに仕事をする事になり今日京都に着き御会い出来るのを楽しみに来ましたが御不在なので残念です。留守中なのに御瀧を受けさて戴きます。御許し下さい。御身体になにかあったのではないかと案じて居ります。近日中に又参ります。その時を楽しみに。六月二十五日夜八時半高倉健この手紙を、ヤッさんがおよそ四十五年ぶりに目にしたのは、健さ
❖食事は一日二回千日回峰行のうち、七百日までは自利行という自分が不動明王に近づくための修行をする。そのうち百日につき一日だけは、利他行といい、人のために祈る修行をする。七十五日目のこの日、『京都切廻り』をする。この日は比叡山を下り、京都市中四十五キロを行をしながら歩く。多くの人々が沿道にひざまづき、首(こうべ)を垂れて阿闍梨さんのご加持を待つ。不思議にこの日には便意をもよおさないと阿闍梨さんはいう。千日回峰行中でも最高に体調がよいときは何日も便意がない。便そのものが体中にないのだとい
前回のこの不思議な話には実はまだつづきがありまして。『夜、誰が私を起こしているんだろう』今日も見えない世界がはたらきかけてきた不思議な話です。輪王寺の護摩祈祷でもらったおふだを寝室に飾ってからよく眠れるようになってとても助かっているんです…ameblo.jp今日はそのつづきです。45年前のNHK特集『行~比叡山千日回峰~』が再放送されて1週間くらい経った頃です。夜、私は寝ようとしてリビングでつけっぱなしになっていたテレビを消
◇延暦寺の総理大臣小林隆彰②(酒井雄哉大阿闍梨)延暦寺の僧侶の階級は、権律師・律師・中律師・大律師・権少僧都・少僧都・僧都・権大僧都・大僧都・権僧正・僧正・権大僧正・大僧正と十三の位(階級)があります。その他に、長臈など呼び名がありますが、探題大僧正が最上位にありその筆頭が『天台座主』、次席が次の座主になるなど厳格に規定されています。一方、『天台宗』という宗教法人も存在します。こちらは天台宗の寺院を包括するもので、事務一切仕切るのが「天台宗務庁」になります。『天台宗総本山延暦寺』、組織
こんばんは。ご訪問くださり、ありがとうございます。こちらのブログでは、基本的には腎不全や腹膜透析のかたに何らかのお役に立つと思われる情報を書くようにしております。今日は、病気平癒祈願などとの関係で、霊験あらたかな生き仏と言われる、比叡山の千日回峰行者の大阿闍梨様による護摩祈祷とお加持を受けられる比叡山の千日回峰行者特別祈祷と、比叡山無動寺谷明王堂の護摩祈祷についてご紹介します。【千日回峰行者特別祈祷について】比叡山の横川中堂で、毎年9月に行われており、今年は9/1〜9
◇家族の絆(酒井雄哉大阿闍梨)酒井阿闍梨が比叡山にあがって、親きょうだいの中で、最初に酒井阿闍梨に会いに来たのは四女で末っ子の慶子だった。霊山院の住み込みの小僧となって間もなく、新婚旅行で奈良や京都を回った慶子が夫を伴って、霊山院を訪ねて来た。夫に兄を紹介するためだったが、慶子がそこで見たもは、双子の世話を焼き、子どもたちのお守りをしながら、掃除、洗濯、買物と雑事に追われている兄の小僧生活だった。坊さんになったとだけ聞かされていた慶子は、想像もしていなかった兄のそんな姿を初めて知って驚き、新
☆【外伝】高倉健と二人の阿闍梨京都に、西村泰治(敬称略)という実業家がいる。酒井雄哉大阿闍梨が二千日回峰行をする時に『京都大廻り』の際に、先導を勤めた人である。その破天荒な人生は、前の記述で紹介したが、酒井阿闍梨に心酔した一人である。通称「ヤッさん」、昭和のスーパースター、「高倉健」の付き人を四十年以上つとめてきた男でもあり、芸能界の裏側を知り尽くした男でもある。令和二年、高倉健七回忌にあたり、ベストセラー・フリーライターである山平重樹が著した、『高倉健からアホーと呼ばれた男西村泰
【外伝】正井観順大阿闍梨①比叡山の荒行『千日回峰行』、二千日を満行した行者は三人。その中に三千日に挑んだ行者がいた。正井観順大阿闍梨その人である。前回の投稿で、小林隆彰師の書籍から正井阿闍梨の足跡を紹介させて頂いたが、阿闍梨についての文献は少ない。その中で、正井阿闍梨の故郷、青森県黒石市が地元の中学生に向けて「伝記」をつくっているのでご紹介させていただきます。(正井観順大阿闍梨)「大廻りのあじゃりさんがいらはったよお母さん、早うおいで」「はいはい、カンジザイボーサーツ、ハンニャハー
パソコンが2週間の入院になったので、スマホで慣れない投稿をしている鹿吉です。こんばんは!購入したときから動きが悪くって、いろいろと努力をしていたんですが、CPUの性能だけ重視したのが敗因でした。その性能に見合うメモリとハードではなかったので、新しく移植することが決定したんです。無事に退院してくれること、期待しています。さて本日は母がいただいた言葉を改めて思い返して感銘を受けたので書かせてください。過酷な行としても有名な千日回峰行を満願された偉大な阿闍梨さまの講演会に行ったときのことで
◇京都大廻り、、(酒井雄哉大阿闍梨)「千日回峰は、まあだいたいスムーズにいったけど、この赤山苦行だけは本当に大変だった。行をやっているんだから、辛いのは当然てま、そのつらさ、苦しさを基準にして、なおかつもっと辛かったのが赤山苦行だったね」二月十五日、尾崎大顕師が西塔・浄土院での十二年籠山を結願した。十二年間、比叡山から一步も出ず、傳教大師の廟所のある浄土院でひたすら清掃と勉学の毎日を送る。横川の看経、東塔の回峰行と並ぶ比叡山の「三大地獄」の一つである。回峰行を動とすれば、静に徹する苦行であ
前回の続きですかなり間が開いてしまって、すみません九州国立博物館九州国立博物館は今から17年前、平成17年(2005)10月に開館しました元々は、菅公千年祭記念の明治26年「鎮西博物館」設立が計画され、内務省の許可も下りていたところ、日清戦争勃発のため、凍結その後、岡倉天心が古来から外交の要として九州に博物館設置の必要性を主張昭和46年には建設用地を確保(約17万㎡のうち、14万㎡は太宰府天満宮から寄贈)ホントに長~いこと、いろいろあって、たくさんの人
律院(りついん)御朱印*山号【比叡山】*院号【律院】*寺号【】*正式名称【比叡山律院】*宗派【天台宗】*ご本尊【釈迦如来】*札所等【びわ湖百八霊場第10番札所】*開基【玄俊】*創建年【1583年】*住所【滋賀県大津市坂本5-24-13】律院はかつては松禅院という比叡山・横川の総里坊であったとされています山号は「比叡山」坂本には比叡山の延暦寺で修行を積んだ老僧の隠居坊、「里坊」と呼ばれるものが50近くあるそうです律院も里坊の1つ小さなお寺のようです