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詩人西條八十大正から昭和にかけて「青い山脈」「東京行進曲」などの流行歌や、「カナリヤ」などの童謡などを次々と生み出した詩人。西條八十の詩は、その情景が目に浮かび、静かに心に溶けていく。身近な所から題材を見つけ、言葉の響きを大切に、生涯1万5000もの詩を書き続けた。西條八十|人物|NHKアーカイブス大正から昭和にかけて「青い山脈」「東京行進曲」などの流行歌や、「カナリヤ」などの童謡などを次々と生み出した詩人。西條八十の詩は、その情景が目に浮かび、静かに心に溶けていく。身近な所から題
今日は暖かいなあと思っても…突然…北風が…枯れ葉を巻き上げます…やはり…季節は…間違いなく…進んでいるのですね〜感傷に耽ってる場合じゃありませんね…また…日を跨いでしまいそうです本日11/29の…zakzak‼️〝主役〟支えた大親友・林与一舟木について語った「あの方に脇役はできません…いつまでも神輿を担いでいきたい」2024.11/2911:00一日駅長のイベントで並ぶ舟木(中)と林(右)。左は長谷川稀世詳しくはこちらで…【舟木一夫出会いと別れの80年Part2】〝
テスト受けたのは五月十四日だった。父は上京した日に帰ったので、僕は堀社長や社員の安倍さんに連れられて、内幸町のコロムビアへ行った。五月晴れと言うがスカッと晴れた日だった。国会議事堂の白亜の建物が五月の陽にきらめいていた。それを見た瞬間、今日は上手くいくぞ!と思った。やはり「湖愁」を歌った。テストは合格だった。さぁ、やるぞ!僕は胸を叩いて小躍りした。が、一方不安なものが心の隅に引っ掛かっていた。後でわかった事だが、コロムビア、ビクター、キング、テイチク、東芝、クラウン、ポリドール(
舟木一夫「オン・ザ・ロード2014」⑤10年前にチャンネルNECOで放映された「舟木一夫オン・ザ・ロード2014」に合わせて執筆しましたコラムをそのまま再掲載しています。元の原稿がネットから消えているのと、お読みになっておられない方もいらっしゃるようなので、思い立って続けています。舟木さんの発言などには“古さ”を感じませんし、今に繋がっているようにも思います。文中、敬称は省いています。<BIG3(後編)>前回に続いて「青春歌謡BIG32014」の後編は、舟
マイクの前で歌うのは、覚悟の上だから、度胸を決めて舞台にも立つし、テレビカメラの前にも立つが、映画ときた日には、全く見当が付かない。本当に心細かった。(柄にならない事をやって失敗でもしたら)という心配もあった。演技などというものは、僕は何も知らない。そんな素人が、経験充分の映画スターでも、中々難しい主役が、つとまるだろうかという不安である。「何も心配したり不安がる事はない。カメラを怖がったらかえって自分をスポイルされる。君の地のままで行けばいいんだよ」井上芳夫監督は親切だった。僕にコンプレ
河口湖から望む富士山「舟木一夫出会いと別れの80年」11月25日~29日まで“続編”掲載へ―舟木が「初恋」を歌う紅白歌合戦の再放送決まる!!!―11月5日発売の夕刊フジ・ぴいぷる欄に載った舟木一夫さん本題に入る前に―。二十四節気では「小雪(しょうせつ)」の時期になりました。山々では雪が舞い始め、初雪の便りが届く頃です。まだ積もるほどには降らないため、“小さな雪”と表します。小雪の間に暦は12月に変わっていき、いよいよ師走です。七十二候では「虹蔵不見(にじかくれて
僕は、CBC(東海テレビ)の「歌のチャンピオン」に応募して、めでたくチャンピオンになった。自信はあったが、こうまで上手くいくとは思ってもいなかった。いつも歌っていた大好きな松島アキラさんの「湖愁」だったから、どうやらチャンピオンの座につけたのだろうが、その時は鬼の首を取ったように有頂天だった。(やっぱり俺は歌手になる。俺には天分があるんだ。やるぞ)今から思えばこうしたウヌボレは、冷や汗ものだが、高校一年の僕には、良く言えばでっかい夢を見ていたのだ。だが、翌日学校へ行くとペシャンコ
いきなり…2014年NHK歌謡コンサートの映像が…たまに…この番組見てますが…こんな番組冒頭から…ゲストが出てきたのは初めてです舟木さん…やはり…昨日の今日ですから…お顔が…少しお疲れ気味かしら…?タイトル司会者…舟木さんと言えば…デビュー55周年酸いも甘いも噛み分けた…?舟木さん…いえいえまだなんにもわかっていませんよ…そんな年寄り扱いしないでくださいよまずは…デビューへの道筋から…毎日「我が道」読んでるから…みなさんお詳しいですよね♫高校三年生230
秋が深まった。成幸の部屋も窓からは、一面の稲穂が見え、それが全て美しいい黄金色に揺らめいている。この一週間ばかりというもの、成幸は今西に会っていなかった。何となく懐かしくなって、彼は自転車を取り出した。今西の家は、萩原の駅を左に見て、更に百メートルほどまっすぐ行ったところにあった。成幸は自転車を降り、勝手を知った窓際で今西の名を呼んだ。「マコちゃん!マコちゃん!」窓が開いた。しかし中から顔を出したのは今西ではなく、彼の母親だった。母親の表情を見て、成幸は立ちすくんだ。彼女の目から
その日2月9日。僕にとっては一生忘れられることの出来ない日であった。内幸町のコロムビアのスタジオに着くと、僕は吹き込み時間までのわずかな時間を控室の椅子に掛けて、じっと目をつぶっていた。(舟木一夫が生まれる、舟木一夫が・・・)数日前、遠藤先生の所へ行くと、「おい、芸名が出来てるよ」と言ってくださったのが、この舟木一夫であった。僕はその名に何か懐かしい感情が込み上げて、もうひとりの自分・・・そんなものを感じた。勿論大好きな名である。上田成幸から舟木一夫へ。しかし今日の吹き込みが成功
舟木一夫「オン・ザ・ロード2014」⑥10年前にチャンネルNECOで放映された「舟木一夫オン・ザ・ロード2014」に合わせて執筆しましたコラムを掲載時のままの形で再掲載しています。元の原稿がネットから消えているのと、お読みになっておられない方もいらっしゃるようなので、思い立って続けています。舟木さんの発言などには“古さ”を感じませんし、今に繋がっているようにも思います。文中、敬称は省いています。<役者(前編)>9月の東京・新橋演舞場公演に続いて、10月28日から名古
1963年11月1日舟木一夫日記より10時からNHK「歌謡寄席」の音どり。金原亭馬之助さん、林家珍平さんらとの愉しい仕事だった。夜7時から、読売のインタビュー。それが終わって、今度は雑誌社の仕事で吉永小百合さんとの対談。代々木西原町の吉永さんのお宅を訪問する。僕の住む四谷と違って、静かな住宅地の一角に吉永さんのお家がある。愉しいお喋りに時間が経つのも忘れてしまう。デビューして半年の舟木さん。既に、映画界のプリンセスとして活躍していた吉永小百合さんとの対談が、雑誌社の企画で行わ
舟木一夫後援会会報浮舟No.690~692令和6年9月10月11月号届きました今回3ヵ月のまとめての会報でしたが舟木さんご多忙の中でも本当にマメな執筆ですNo.6909月号9月4日~8日名古屋の御園座公演にて御園座さんからの大入袋写真に矢印を入れましたが分かります超レジェンドですよ御園座さん素晴らしい(*´艸`*)(´∀`*)ウフフけっしてイタズラではありませんよネッ舟木さんこの事についていろいろと楽しく
舟木さんと林与一さんの出会いは、皆様ご存知のNHK大河ドラマ「赤穂浪士」での共演でした。出演者の中では、一段と若いお二人。舟木さん19歳、与一さん21歳の時です。舟木さん演じる矢頭右衛門七は四十七士の浪士ですが、与一さん演じる堀田隼人は、原作の大佛次郎で描かれた架空の人物で、吉良方の密偵でした。そんな関係から、お二人の絡みは無かったと思われます。ニヒルな堀田隼人役で、一気に人気を博したものでした。初のテレビ連続ドラマの出演であり時代劇出演の舟木さんに、大石内蔵助役の長谷川一夫さんが
「やれば必ずできる!」それは今や、上田成幸の信念となっている。彼は何としても東京に出たいと思っていた。地方で幾ら名前を上げた所で、所詮は犬の遠吠えのようなものでしかないのだ。東京と言う大都会で認められてこそ、はじめて真の意味の「一流」になれるのだと成幸は信じた。しかしその東京の、一体どこに行けば良いのか?その問題に行きつくと、彼ははたと困惑してしまうのだった。一流の作曲家や流行歌手の門を、見ず知らずの少年が叩いた所で結果は見え透いていた。「どういう方法で上京しようか?」成幸はそればかりを
またまた…遅くなってしまいました…昨日11/27から…七十二候は…二十四節気「小雪」(「こゆき」ではありません「しょうせつ」)の…次候…「朔風払葉🍁」(きたかぜこのはをはらう)〜「朔風(さくふう)」とは北風のこと…冬の冷たい木枯らしが吹き始め…木の葉を払い始める頃…と…言うのに…昨日、今日は…ポカポカ陽気でしたね。それが書きたくて…調べていたら…「朽葉色」というのが…あるというのを…知りました…〜「赤朽葉」、「黄朽葉」、「青朽葉」、「薄朽葉」、「濃朽葉」など…日本の伝統色に
ふもとっぱらキャンプ場から見る富士山の夕暮れ「舟木一夫出会いと別れの80年」夕刊フジ・PART2に作家・西條八十夕刊フジに連載しました「舟木一夫出会いと別れの80年」PART2の最終回は作家&仏文学者の西條八十さんです。2024年11月29日(金)発売の夕刊フジに掲載されました。全文をお見せ出来なくて申し訳ありません。30日(土)の夕刊フジの公式サイトzakzakに掲載されましたら転載してご紹介します。舟木さんはよく言います。お千代姉さん(島倉千代子)が亡くなってから
伊志井寛・舟木一夫・光本幸子舟木さんと光本幸子さんの共演は、舟木一夫明治座初出演舞台です。舟木さんが、見染めた形での事のようです。このお二人の共演には、斬っても切れない方が、新派の長老格である伊志井寛さんです。伊志井寛さんは、プロデューサーの石井ふく子さんのお父様です。と言っても石井さんで実子ではなく継子です。サトウの鏡餅まる餅入り990gAmazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}維新の若人春高楼の花の宴ファンと
BS朝日8月16日(水)放送昭和偉人伝『大衆をこよなく愛した詩人、作詞家西條八十』2時間スペシャルとても…見応えのある番組でした…日本の流行歌は全て…西条八十によるものではないかと錯覚しそうな…我らが舟木さんの扱いが…終盤の一番いいところでした…せっかくまとめたのに…ミスタッチで一瞬に消えてしまい…昨日アップができませんでした…改めて…印象的な舟木さんのところから…王将は100万枚を突破‼️だが西条の体調にも異変が…昭和39年咽頭がん発症発見が早く、
舟木さん21歳。当時のファンからの呼び名の愛称は「ヤエちゃん」日活映画の仲間たちは「舟木くん」と今でも呼んでいます。雅子ちゃんもチーちゃんも西尾さんも。同年代の女優さんたちと共演の多かった舟木さん。ガールフレンドになりたかったのは、一体誰だったのでしょうね。「ヤエちゃんの女性交友録」楽しみにお読みください。高田美和1947年1月1日生まれ1962年デビュー京都出身。京都女子高から転校し、日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業大映映画では「大魔神」「座頭市シリーズ」「
夕刊フジ「出会いと別れの80年part2」では、舟木さんの大親友である林与一さんの登場です。舟木さんとはデビュー翌年に出会った林与一さん。お付き合いの長さも、舟木さんの芸能生活とほぼ同じになります。NHK大河ドラマ「赤穂浪士」では、新人歌手の舟木さんの出演は大きな話題になりましたが、堀田隼人役を演じだ林与一さんは、独り占めにする程の人気を得ました。時代劇映画スターとして、大物俳優の長谷川一夫さんのテレビ出演も、大きな話題です。当時は、ビデオテープも貴重な時代で、他
長い間二人はそこに座っていた。成幸は自分の家の事や、仲良しの友達である、斎藤昇や今西誠の事を少女に話した。少女は、自分の家がP町にあり、父親が早く亡くなったため、一家で織物の内職をして、生活を支えている事を、少しずつ少年に語った。「偉いんだなぁ、君って」成幸は、少女に初めて会った日、自転車の荷台に角ばった荷物を一杯積んでいたのを思い出した。それは、内職用の機織りに違いなかった。「偉くなんかないわ。私、どうかすると、綺麗な着物とか、流行のスカートとか靴とかが、無性に欲しくなる事があるの。旅
なぜか…遅くなってしまいますしかも…私のところは…夕刊が翌朝しか買えない…そんなハンデと…毎日仕事で…11月も今日で終わりですねそんな日の…zakzak‼️最終回は…西條先生‼️舟木一夫、レコ大の歌唱賞「絶唱」のワンコーラスに驚愕西條八十が「2週間待ってほしい」といい出来上がった詞2024.11/3015:00和泉雅子(左)と共演した「絶唱」は、西條八十の詩でさらに注目された西条八十詳しくはこちらで…【舟木一夫出会いと別れの80年Part2】舟木一夫、レコ大の歌唱
山梨県富士宮市ふもとっぱらキャンプ場「舟木一夫出会いと別れの80年」~夕刊フジでPART2の連載始まる~―初回は「銭形平次」の俳優・大川橋蔵―2024年11月25日(月)発売の夕刊フジ紙上で、「舟木一夫出会いと別れの80年」PARTⅡが始まりました。29日(金)発売分までの連載です。PARTⅡの初回(11回)は俳優・大川橋蔵さんです。舟木さんにとって、橋蔵さんは大御所俳優・長谷川一夫さんとともに“娯楽時代劇の恩師”です。舟木さんが今日ある一つの大きな原動力は
BS朝日【2017年8月16日(水)放送】今回は…われらが⁉️…西条先生…特集です‼️『大衆をこよなく愛した詩人、作詞家西條八十』戦前から戦中・戦後・高度成長期まで約50年に渡り、童謡から流行歌まで幅広く作詞を手がけた巨星・西條八十。「東京行進曲」「東京音頭」「蘇州夜曲」「青い山脈」「越後獅子の歌」「この世の花」「王将」「絶唱」など。早稲田大学仏文科教授を務めつつ、大ヒット曲を生むマルチな才能に一部から批判が集まりますが、西條は「詩に貴賎はない」との信念で、大衆の心を癒やす詞を書き
1963年12月2日日記大阪のサンケイホールで北原謙二さんのリサイタルがある。飛行機が嫌いなので義兄と一緒に第一こだまで大阪に向かう。ボクにとっては初の大阪入りだ。記者会見で、これからもちょいちょい大阪に来るように言われる。ありがたかった。名神高速道路は素晴らしい。旅館・川太郎で、橋幸夫さんと対談。橋さんは、食当たりで具合が悪いようだが、話は大いに弾む。無造作に着こなした和服の貫禄。気さくに話しかけて下さる橋先輩。まことに有
10月28日8:00締切分津軽リンゴが付いてきます2005年8月にブログをスタートした年です。それまでは自分のブログを書く事はなく、他の方のホームページなどにコメントするぐらいでした。8月に茨城県の水戸での仕事で出張し、ウィークリーマンションで1カ月ほど一人住まいをしました。どうせ夜はヒマになるだろうとパソコンを持ち込んでいた、書き始めました。毎日の様にスーパーで買い物。するとサッカー台の上に置かれていたのが、「舟木一夫60才コンサート2005」と書かれた優待券でした。それ
この話はよく覚えていて、いつか載せようと思っていました。(笑)今から20数年前の話です。芸能人と言うのは、プライベートを完全に遮断して、生身の(仕事以外の生活)を全く明かさない方は沢山いらっしゃいます。例えば古くは原節子さん、市川雷蔵さん、そして田村正和さんなどを思い浮かべます。しかし現代では、マスメディアだけではなく、SNSなどでいろいろ発信される事で、プライベートな部分も、本人の意思に関わらず公になっていきます。舟木さんの場合、デビュー当時から多くのメ
1963年12月1日日記雷門にあるJOLFのサテライトスタジオでディスクジョッキー。大変な人だかりだった。以前もここでやったけど、その時は雨で、傘の骨が人の目に刺さらないかと心配。今日は晴れていたので、その心配はなかった。しかし、後で聞くと商店から苦情が出たという。余り人だかりするので、商売に差し支えるというのだ。思わぬご迷惑をかけ、申し訳ないと思った。午後3時から9時まで、NHK「花の星座」終わって新宿コマ劇場の稽古。ドバイチョ
それからと言うもの、成幸は何となく落ち着かなかった。途方もない幸運が、自分のすぐそばまで来ている様な気がする。しかしその幸運を、しっかりと自分の手でつかむまでは、まだ達していないのだった。もっともこの間に、成幸はCBCののど自慢に出場した時、審査員の一人だった森一也氏の推薦で、ある酒造会社のコマーシャルソングを吹き込んだ。デュエットで、相手はCBCの専属の、これも若い女性タレントだった。作曲は森一也氏で、成幸はこの謝礼として、CBCから三千円貰った。のど自慢の時は記念品で、賞金は出なか