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1964年国際劇場
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さすらいがブログを始めたのは2005年8月16日の事です。まだ舟木さんの事を書くブログという事で始めた訳ではなく、ブログと言うものを始める事が第一で、何を書くかも決めていない頃です。ですから、残っている記事を見ていると一貫性もなく、ただただ何かを書いているだけです。20年も前ですから。私もまだ50代の半ば。そう考えると長くブログをやっているものです。ここの所、以前にどんな記事を書いていたか、どんな写真を使っていたか、覗くことが多くなりました。単純に考えて20年×365日と考えると
何度か取り上げた写真ですが、実際にこの写真が撮られた番組は見た事がありませんでした。実際何の番組かも判らなかったのですが、資料を片付ける中に、DVDを発見しました。実際見てみると映像が乱れていて、とても見るに堪えないものでした。ですからこのDVDを舟友さんから頂いたにも拘らず、見る事がなかったのだと思います。番組の詳細も良く分かりませんが「NHK特番」とだけ記されていました。「夕笛」の曲から始まっています。続いて「初恋」が歌われますが、その曲に女優の秋吉久美子さんの朗読が間
今年は、今までにないほど舟木さんのコンサートに行っていますが、6月に行われる茨城県水戸市のコンサートを知って、少し、行ってみたいと思うようになりました。そして思い出す事があります。ブログが機縁で舟木一夫コンサート2005年8月16日、初めてブログを書きました。1カ月の出張は、水戸市での仕事でした。長期の出張は初めてで、マンスリーマンションを借りて、自炊の生活です。長くなる事は判っていたので、使い始めたばかりのパソコンを持参しました。パソコンは、使うものではなく、ネットを見るだ
(過去記事1)で扱った「宝仙理数インター事件」そのことについてまとめてあった動画があったので引用する.霊夢と魔理沙の【ゆっくり闇事件】2024.9.15A君が入学したのは2020年4月だそうだから,同級生はそのまま高校へあがっているそうだから2025年4月は高校三年生だろう.私学だからそのときの教員もいまもそこにいる可能性が高い.校長も2015年から変わっていない富士晴英氏だ.Googleで検索した結果宝仙学園共学部理数インターの校長は、富士晴英(ふじ
12月上旬のある日の昼休みにて環奈「あっという間に12月に突入しちゃったね〜。」美波「本当だね〜。私達が高校生でいられるのは三ヶ月だけなんだよね。」優乃「ねぇみんなクリスマスの予定はどうしよっか?」環奈「私はクリスマスは歌番組があるし・・・。」美波「私も大学入試共通テストが近いし、今は勉強に集中したいし・・・・。」萌歌「私は短大の試験勉強に集中したいし・・・。」遥「みんな受験と勉強で忙しいんだね・・・。」優乃「本当はみんなでクリスマスキャンプやり
こんにちは今日の内容は吉田美奈子さんに関することですふとYouTubeに現れたこちらのライブ音源(古いものです)とても貴重です70年代の美奈子さんは聴いたことが無かったのですがノスタルジーの極み・・1970年代といえば私が6歳から15歳の時代かっこよく言えば感受性の塊だった時代1970年代の大半電車に乗り東京に気軽に遊びに行けるくらいの土地に住んでいたこともあり1973年ごろでしょうか姉と私はピンストライプのパンツスーツを着て(お揃いで着せられ?)家族で(母方の
芸能生活60周年を過ぎ、更に80歳を迎えた舟木さんですが、その舟木さんを見ながら、昔語られてインタビュー記事を読むのは、実に楽しいのです。ご自分が、そして舟木一夫のするべきことは・・・いつでもそれを考えている舟木さんの凄さが判ります。唯一無二の「舟木一夫分析官」あるいは「舟木一夫研究者」でもあるのでしょう。いつもさすらいは「舟木さんの考え方は、どの時期でもブレがなく、一本筋が通っている」と言う様な事を書いてしまうのですが、これは間違いでない事でもあるのですが、その歳その歳で、そ
2009年のブログに、着メロと待ち受け画面の事が書いてある。携帯電話自体、もう懐かしい代物で、もうすでに携帯電話を持っている人を、ほとんど見る事がなくなりました。携帯電話は「ガラケー」と呼ばれたものです。正式には「ガラパゴス携帯」と呼ばれ、日本特有の機能で、日本でしか使えない携帯電話で、島で囲まれて独自の生態系のガラパゴス諸島からとった名前です。その後は世界基準の携帯電話となりますが、スマートフォンが出て、スマホ時代になってからは、携帯電話の事を全てガラケーと呼ぶようになりまし
松の内の終わった1月15日、正月飾り、破魔矢などを“お焚き上げ”する「どんど焼き」が行われる舟木一夫と「高校三年生」①~10編からデビュー曲を選ぶ~―「夕刊フジ・さよなら号」が15日発売―~保存版“さらば、オレンジ色のニクい奴”~―「新春演歌祭り2025」は15日で終了―~再生回数は舟木が15万超えで断トツ1位~本題に入る前に―。旧暦では1月15日あたりはその年最初の満月の頃で、満月はめでたいとする風習から、この日を1月1日の大正月に対して「小正月(こしょうがつ)
予告編高校三年生のSamut(Gemini)は学業の優等生だった。彼は学校の代表として学力コンテストに出場していた。しかし、あるトラブルに巻き込まれて退学処分を受けたことで、輝かしい未来は消え去った。転校した先の学校では、トラウマから学校への情熱を失っていた。ある日、Samutは古代のサイコロを見つけ、それによって彼と他の七人の生徒が謎のボードゲームに引き込まれる。8人の生徒たちは、この謎のゲームで生き残るため、互いに競い合い、出し抜き、裏切り合う。彼らの命がかかっており、ゲームから脱出す
舟木一夫さんと千昌夫さんは、お二人とも作曲家の遠藤実先生の門下生です。千昌夫さんは高校生時代に遠藤実先生に弟子入りし、1965年に遠藤先生の曲「君が好き」でデビューします。翌年に「星影のワルツ」を発表し、ご本にの努力もあり、徐々にヒットしていきます。本文にもありますが、「高校三年生」を歌って遠藤門下に入ります。昭和の時代、大ヒットした曲は、殆ど遠藤先生の作曲によるものでした。1977年には「北国の春」がミリオンヒットします。千さんは、テレビの中でも「憧れの人」「大好きな歌手」「私の
1970年婦人生活「豪華なマイホーム~新築したスターの家~」という特集です。1969年に世田谷区祖師谷に豪邸を建てた、舟木さんのお宅も紹介されました。160坪に2階建て10室のお宅です。この年は、前回の大阪万博が行われた年でした。他にも浜美枝さん、中村賀津雄さん、張本勲さん、ミヤコ蝶々さんなどのお宅が紹介されました。当時はまだ、エアコンなどは普及されておらず、暖房は石油ストーブ、電気ストーブ、ガスストーブ、電気こたつなどの暖房器具の特集が組まれ、更に練炭などの広告な
高田美和さん高田美和(たかだみわ)本名:梶浦美知子(かじうらみちこ)1947年1月5日生まれ、78歳。京都府京都市出身の女優、歌手。オフィス天童所属。父:高田浩吉(俳優、歌手)母:宏橋照子(元女優)甥:大浦龍宇一(俳優)兄:高田由紀夫(元俳優)妹:高田瞳(元女優)同志社女子中学校卒業後、京都女子高校に入学。その後、日本大学鶴ヶ丘高等学校に転校。高校1年生だった1962年、大映に入社し、同年、三隅研次監督『青葉城の鬼』でデビュー。以後、『座頭市
舟木さんのバックバンド「about9」のギターリストのウエキ弦太さんと、アッチさんのYouTube番組「atachannel」に、パーカッションの佐久間義之さんがゲスト出演しています。舟木さんのコンサートでは欠かせない「高校三年生」を、アレンジを加えてパーカッションとギターで演奏してくれます。なんとも新鮮に聞く事が出来ます。そして、昨日の記事のもありますように、舟木さんのコンサートでは、カリプソのリズムを取り入れるために、パーカッションをバンドの中に入れています。そのパーカッショ
武蔵野舟木組のさすらいの初陣となる「舟木一夫コンサート2025」神奈川県民ホールに行ってきました。2025年の最初のコンサートである大宮ソニックシティでのテレビ取材を見て、大倉明さんの「akiraの青春賛歌」を読み、更には舟友さんたちの話を聞き、ワクワクしながらのコンサートとなります。神奈川県民ホールも、今年3月末を持って休館し50年の歴史の幕を閉じます。そんな思いも、中野サンプラザホールの休館や、夕刊フジの休刊も相まって、長い歴史を閉じていく時代の流れと共に、さすらい自身の歴
舟木一夫コンサートを支えているバックバンド「about9」の二人のギターリスト、中野秀一さんとウエキ弦太さん。舟木さんが信頼を置く方々です。ウエキ弦太さんとアッチさんと二人で配信している「atachannel」に、中野秀一さんがゲスト出演した時のものです。アッチさんが、舟木さんのコンサートに行かれた後に、お気に入りとなった歌が「麦笛」と「みんな旅人」でした。そこで、中野さんをゲストに招いて、お二人のツインギターによる演奏の後に、舟木さんの事を語られています。仲の良いお二人です。
時には宿泊を伴うスクーリングをこなし、個別授業を受けて、進級に向けてのキャンパス長との面談を続ける末っ子の日々。月に1回の精神科への通院と服薬は続け、犬の散歩へ行ったり、夫の仕事を手伝ったりと、穏やかな日々を過ごす。ある日、「遊びに行ってくる」と言う。詮索はしないようにと気をつけてはいたものの、やっぱり聞いてしまった。「誰と?」答えは「あぁ、1年の時のクラスのヤツら。」と、想像の上を行く嬉しい返事。夫に報告すると「本当に、2年のクラスがダメだっただけなんだな」と言う。そうだね。親
舟木一夫「高校三年生」で初出場第14回NHK紅白歌合戦再放送舟木一夫さんがデビュー曲の「高校三年生」を歌って初出場した1963年大晦日の第14回NHK紅白歌合戦が、3月8日(土)午前9時半から12時15分までNHKBSでリマスター版として再放送されました。NHKに番組の形として残る紅白歌合戦の中で最も古い超貴重映像です。第14回の視聴率は81.4%で、これを上回る視聴率の番組はその後出ていません。約8000万人の国民が“目撃”した、まさに国民的行事だった時代の紅白歌合戦。大げさな
「舟旅」一年でも長く一緒に歌手・舟木一夫さん80歳に「今が一番良い状態」2025年2月1日の舟木さんの故郷の新聞である「中日新聞」に舟木さんのインタービューが掲載されました。2025年に入り、1月30日には「舟木一夫コンサート2025」が大宮ソニックシティで開催がスタートし、2月23日には、舟木さんの故郷、愛知県一宮市にある「一宮市民会館」の開館50周年を記念して「~お帰りなさい一宮へ~舟木一夫コンサート2025in一宮」が行われます。故郷への凱旋コンサートが行われる事で、イン
1963年12月31日大晦日に行われたNHK紅白歌合戦の再放送がありました。歴代最高視聴率81.4%を上げたこの年、まずは当時の世の中の背景を調べてみましょう。翌年1964年は、東京オリンピックの開催も決まっており、テレビの普及率も上がりつつあり、テレビへの関心も高まっていた頃です。ご存知、我らが舟木一夫さんが「高校三年生」で輝かしくデビューした6月。坂本九さんの「上を向いて歩こう」がビルボード誌で「スキヤキ」の名前で全米トップになりました。「草加次郎」事件では,吉永小百合さん宅に
今年の舟木一夫通常コンサートでは、どっしりと据えられた曲が、松島アキラさんの「湖愁」です。80歳を迎えた舟木さんの中で、歌謡界の世界にご自分を導いてくれた曲と位置づけ、大事に歌われています。「舟木一夫=高校三年生」は、当たり前の事実ではありますが、舟木さんご自身の中では、絶対に忘れられない思い出の曲でもあります。今年何度となくコンサートで聴いてきた「湖愁」終わってからの仲間たちの話の中でも、この曲がとても良かったと、話し合う事が多いのです。舟木さんのデビュー前、松島さんが歌われている頃か