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上京した成幸は、自由が丘学園高校に転校する一方、四谷若葉町の「青葉荘」と言うアパートに落ち着いた。ホリプロの安倍と言うマネージャーが住んでおり、成幸は当分彼のもとで、面倒を見て貰う事になったのである。夜は週一度、西荻窪にある遠藤実歌謡学院に通い、本格的に歌の指導を受けた。アパートの近くに「梅の湯」と言う風呂屋があり、たまたまそこで歌の練習をしていた成幸が、巨人軍の私設応援団長である関矢文栄と知り合い、彼の口利きで成幸の後援会が「梅の湯」の中に出来た。昭和38年2月。成幸はやっと
11月19日(千穐楽)の新橋演舞場=東京都中央区銀座舟木一夫新橋演舞場の千穐楽に行って来ました!!~来年のシアターコンサートは“ブルースの夕べ”を~―和服姿で来場の和泉雅子さんも公演中はノリノリ―舟木一夫さんが2024年11月15日(金)から東京・銀座の新橋演舞場で行っていたシアターコンサートの千穐楽の19日(火)、初日に続いて再び観に行って来ました。演舞場は連日の「満員御礼」のうえ、来年の公演開催が決定したという嬉しいニュースもありました。千穐楽は舟木さんの歌&トー
新橋演舞場=東京都中央区銀座新橋演舞場が似合う舟木一夫―スタンディング曲に選んだ「田舎の教会」――美しい曲「今日かぎりのワルツ」と「たそがれの人」―本題に入る前に―。たまたま見ていたBSテレビで若山彰さんが「惜春鳥(せきしゅんちょう)」(作詞・木下恵介、作曲・木下忠司)という歌を歌っていました。珍しいタイトルの歌だと思って調べたら、1959年4月に発売されたもので、同月28日に公開された同名の映画(監督・木下恵介)の主題歌でした。「惜春鳥」はウグイスの異名で、春という季節のうつ
今年一番の寒さの中…舟木一夫シアターコンサートin新橋演舞場千秋楽へと…向かっています!仕事の都合で…初日と…楽しか…参加できませんでしたが…今までの集大成と思えるような…素晴らしいコンサートを見ることができて…本当に…幸せでした…この空間に身を置けるだけで…幸せと思うのです❤️“舟木一夫ここにあり”〜そんなふうに思わせる…コンサートでした〜永年…真摯に歌と向き合い…お客様と向き合い…常に…前を…上を…目指し…一度として…歩みを止めず…精進されたからこそだと思い
この方『90歳の青春〜母が…舟木さんに夢中❤️』岐阜市の映画館「ロイヤル劇場」を存続させるクラウドファンディングに支援の申し込みをなさった女性…教員の板橋さん(53)は…〜2年ほど前、ふとしたきっかけで舟…ameblo.jp『90歳の青春〜母が…舟木さんに夢中❤️②』大宮のコンサートの後…書かせていただきました…お母様のこと…『90歳の青春〜母が…舟木さんに夢中❤️』岐阜市の映画館「ロイヤル劇場」を存続させるクラウドファン…ameblo.jpも…待望の演舞場初参戦でした…‼️別のお友達か
11/18(月)…演舞場4日目‼️いつものお友達から…いつものように…写真が…届いていました〜❤️〜はやる気持ちを抑えながら…演舞場辺りの香りから…お届けしま〜す❣️懐かしい…階段❤️到着で〜す‼️ワクワクしながら…入場しました‼️❤️(休憩時間に…お知らせが‼️)〜本日は…2階も〜3階も〜埋まっていて‼️満員御礼🈵の看板が出ていました❗️1部‼️軽〜いハプニングあり!〜舟木さま‼️近づいて見れば、見るほど…ええ…男❤️❤️(ゲ・ス・な言い方で…ごめんなさい
岐阜市の映画館「ロイヤル劇場」を存続させるクラウドファンディングに支援の申し込みをなさった女性…教員の板橋さん(53)は…〜2年ほど前、ふとしたきっかけで舟木さんの特別公演を見に行ったところ、すっかり心を奪われてファンになった。「歌も、しぐさも素敵で見とれてしまう」。全国のコンサートに出かける。〜と言う…なかなか…大宮コンサートの続きが書けない私…それが書けたら…書かせていただこうと思っていたのですが…少し前に…私のブログにコメントいただいたことのある…女性から…大宮のコンサ
舟木さんの故郷、愛知県一宮市は、濃尾平野の中央にあり、尾張一宮とも呼ばれるます。繊維の街としても有名で、舟木さんの主演映画「花咲く乙女たち」では、繊維の街の女工さんたち出てきます。愛知県の中心地名古屋にも近い場所ですが、木曽川を渡れば、もうそこは岐阜県に入ります。1975年に、そんな舟木さんの故郷を紹介した記事があります。現在連載中の「小説舟木一夫」と合わせてお読みいただきたい記事です。
尾西線の電車の中から、成幸は飛ぶように萩原駅のホームに降り立った。改札口の時計は、一時十分をさしていた。土曜日なので、高校は昼までなのである。改札口に立っているのは、顔見知りの若い駅員だった。「やぁ!」と気軽に声を掛ければ、それだけで楽に出入りが出来る。しかし成幸は、ポケットから定期券を取り出して、おもむろに駅員に示した。定期券は、萩原、名古屋間で、その淡い青色の券には、赤い字で「学」と言う字が記されてあった。昭和三十五年四月、成幸が名古屋市内にある私立愛知学院に入学した時、初めて買っ
アップ前に…不覚にも…ちょっと睡魔に…入ったら…入り口右側で…パンフレット発売していました‼️1階右奥では…舟木さんの顔写真のついた…お菓子なと…売っていました…拡大すると…舟木さんのアクスタを載せられる…新橋演舞場のアクスタなども…ちょっと❗️アップ‼️2階には…グッズ売り場❗️演舞場のアクスタに…舟木さん飾りたくて…アクスタ…ゲット‼️1階左奥には…CDコーナーそして…今日は…もう…素晴らしい歌に‼️素敵なお姿に‼️完全ノックアウトされました‼️のっけから…
その夏祭りがやって来た。神社の境内は朝早くから子供たちの歓声と太鼓の音でにぎわった。綿菓子屋が出る。植木屋が出る。金魚すくいが出る。夕方から、成幸は今西を誘って、人でごった返している萩原神社に出掛けた。「斎藤のやつ来てるかな」成幸が言った。斎藤も誘ったのだが、彼は出掛けていて留守だった。「お祭りは良いなぁ。僕はこういう、人間が心から楽しんでいる風景を見るのが好きなんだよ」今西はしみじみと言った。今西は、いつの間にか思索的な、静かな少年に成長していた。成幸はふと、風車を売っている露店に目を
私は17日はお休みして前後で四日間鑑賞してまいりました18日もスムーズで二階最高段でした段差もあってステージの綺麗なこと菱形のライトが回りながら右から左丸型も、楽しませて下さいます絶唱の時はライトも密かな構成舟木さんを集中して照らしています文章では難しいですねアイエススタッフ半纏です楽屋口からの演舞場裏手になります💯今日のトークでは昔は一曲一曲が大らかでしたただ綺麗な曲は少ない[本当に懐かしい曲で引
舟木一夫シアターコンサート新橋演舞場11/15~11/1911月17日(日)中日あらためまして~の2回目の新橋演舞場ですいつも満員御礼は嬉しいですネ感謝の気持ちを込めてお礼を~予定では11時に【舟木一夫展】に行く予定だったけれど~お友だちが舟木さんをお待ち・・・とのことで私も急遽参列に加わってにこやかな舟木さんをお迎えしてからの12:00やはりお腹を満たしました~ハヤシライスもプリンもとても美味
お早う御座います曲の追加訂正お願い致します和物二曲目江戸っ子だいが抜けていました申し訳ありませんでした[私のふるさとですl〕この日を待っていましたお席がとても良いのでルンルンでした舟木さんは一部では日本調ものを集めて曲目はかずヤンさんからお借りしましたパンフもあってかなりのおおにぎわいですもう銀座はクリスマス仕様ですかね舟木さんは良いお声一部分45分お衣装は髭和服うす紫右袖の縦にした色抜きされてい
「この前お祭りに来ていましたね」ぽつりと成幸は言った。なにか言わねばならぬと、そう思いながら、どうしてもこの場に最もふさわしい言葉が出て来ないのだった。「ええ・・・」少女がうなずいた。澄んだ声音であった。そして少女の次の一言は、いたく彼を喜ばせた。「あなたもいらっしゃいましたね。風車の所で・・・」成幸は、はにかみながら笑った。少女が自分の事を認めていてくれたのが、彼には新しい発見であり、歓びでもあった。「あの時、君は白っぽい浴衣を着ていた。僕は君を追って行こうとしていた、でも出来なか
この話はよく覚えていて、いつか載せようと思っていました。(笑)今から20数年前の話です。芸能人と言うのは、プライベートを完全に遮断して、生身の(仕事以外の生活)を全く明かさない方は沢山いらっしゃいます。例えば古くは原節子さん、市川雷蔵さん、そして田村正和さんなどを思い浮かべます。しかし現代では、マスメディアだけではなく、SNSなどでいろいろ発信される事で、プライベートな部分も、本人の意思に関わらず公になっていきます。舟木さんの場合、デビュー当時から多くのメ
秋が深まった。成幸の部屋も窓からは、一面の稲穂が見え、それが全て美しいい黄金色に揺らめいている。この一週間ばかりというもの、成幸は今西に会っていなかった。何となく懐かしくなって、彼は自転車を取り出した。今西の家は、萩原の駅を左に見て、更に百メートルほどまっすぐ行ったところにあった。成幸は自転車を降り、勝手を知った窓際で今西の名を呼んだ。「マコちゃん!マコちゃん!」窓が開いた。しかし中から顔を出したのは今西ではなく、彼の母親だった。母親の表情を見て、成幸は立ちすくんだ。彼女の目から
昨日、おととい(土、日)は…2日で…40名以上の…来年成人式を迎えられるお嬢さんの…成人式の前撮り(ヘアメイク、振袖着付け、写真撮影)のお手伝いで…息つく暇もないほど忙しく動き回っていました…そんな中…中日(なかび)の…演舞場の舟木さんを見に行かれた…何人もの…お友達から…もう地続きにいるような…(私もその場にいる気になってしまうような…)熱い…LINEが続々…届いていましたまず…手始めに…いつものお友達から…1部と2部の間の休憩時間に…すでに今…休憩中❤️(もう❤
「やれば必ずできる!」それは今や、上田成幸の信念となっている。彼は何としても東京に出たいと思っていた。地方で幾ら名前を上げた所で、所詮は犬の遠吠えのようなものでしかないのだ。東京と言う大都会で認められてこそ、はじめて真の意味の「一流」になれるのだと成幸は信じた。しかしその東京の、一体どこに行けば良いのか?その問題に行きつくと、彼ははたと困惑してしまうのだった。一流の作曲家や流行歌手の門を、見ず知らずの少年が叩いた所で結果は見え透いていた。「どういう方法で上京しようか?」成幸はそればかりを
舟木一夫「オン・ザ・ロード2014」③―後半に「昭和万謡集」に「高校三年生」―本題に入る前に―。七十二候が立冬の初候に変わり「山茶始開(つばきはじめてひらく)」の頃(11月7日から11日)になりました。“つばき”と言っても椿ではなく、ツバキ科の「山茶花(さざんか)」を指します。“茶”というのは昔、葉の部分をお茶として飲んでいたことに由来します。椿に似た花を咲かせますが、山茶花の開花時期が11月から3月であるのに対して、椿は1月から4月になります。大きな違いは山茶花は花びらが一枚一
11/15〜19天候にも左右されず本当によかったと思います16日はご自分のスケジュール1日のOFF日に舟木さんのコンサートを鑑賞されにいらしてた山内惠介さんに遭遇しました言葉も交わさせていただきスタンディングには後ろの方を気遣って座られていてアンコールの幕が締まると私達に軽く手を振って静かに気付かれずにお帰りになりました。17日には一宮から来られる資料館の管理もされている
萩原銀座の商店街が、もうすこし切れる辺りで、ようやく少女に追いついた。「あっ」成幸の姿を認めて、少女は自転車の速度を遅らせた。「君って随分早いんだな。俺も自転車じゃ相当に飛ばす方だけど、君にはとても追いつけないよ」成幸は笑った。そこは「正瑞寺」と言うバスの停留所辺りだった。停留場のすぐ前に、正瑞寺という寺がある。ささやかな鐘つき堂を持っているだけの、ほんの小さな寺だったが、幼い時、成幸は日光川にザリガニを取りに行った帰り、今西や斎藤と一緒に、良くこの境内で遊んだものである。「久し振り
さすが…コロムビアさんの案内‼️分かりやすいです‼️舟木一夫展東京会場、いよいよ16日(土)より開催!!!東京会場より発売する新グッズ発表!!!舟木一夫へのバースデイメッセージ、募集スタート!!!日本コロムビア株式会社2024年11月13日12時00分1963年6月5日、シングル「高校三年生」で鮮烈なデビューを飾り、一世を風靡した舟木一夫(79)。2024年の今年はデビュー62年目、そしていよいよ12月12日には満80歳のお誕生日を迎えます。2月2日(金)の大宮ソニック
更新を…待ちに待っていた…歌舞伎の評論でお馴染みの上村以和於さんのサイト…今月の演舞場のパンフレットにも…書いてくださっています…演劇評論家上村以和於公式サイトが…更新されました…随談第602回歳末あらかると新橋演舞場のところだけ…抜粋させていただきました…新橋演舞場の舟木一夫公演で「忠臣蔵」を昼夜通しという、相当の意気込みが感じられる舞台を見せている。映画や舞台で昭和の初期から演じ継がれてきた「時代劇」というジャンルと、それが培い、伝承してきた芝居作りのメソッドは、新
「お前のど自慢に出て見ないか?」そのあくる年の、昭和三十七年一月。たまたま遊びに来た斎藤昇が、突然成幸に、こんな事を言い出した。中学卒業した年から、数えて、既に三年、今では斎藤も、家業のパン屋が板についていた。「シゲちゃん知ってるだろう?俺たちの二年先輩で、萩原銀座で下駄屋をやっている富田さん、あの人、先週CBCテレビの『歌のチャンピオン』に出たんだぜ。おれ、店番しながらテレビを見てて、偶然に判ったんだ」「それでどうした?」「アウト!残念でした」斎藤はおどけて言った。その富田という先輩は
舟木一夫さんシアターコンサートに行ってきました✨大好きな新橋演舞場、初日の15日に行きました☺️1部は和服での登場!和服姿がよく似合い、色っぽい!失礼ながらこの御歳でこんなに艶っぽい方は他にいらっしゃらないと思います2部での洋装姿🧥ジャケットを何度も変えて若々しい!学園ソングを歌われた時には一瞬にして青春時代に戻ってしまいウルウルしてしまった(;_;)お隣に座ってらした方も何度も目頭を押さえていました😭舟木さんがデビューした頃、私はまだ小学生でしたので御三家にも興味なく毎週読んで
昨日から始まった「舟木一夫シアターコンサートin新橋演舞場」そして今日から始まる、「舟木一夫展79~80」へは、本日さすらいも伺う事になっています。さすらいにとっては、今年最後の舟木詣であり、舟木さんの80歳になられる前の、最後のコンサートになります。先日の渋谷公会堂での、まもなく80歳を迎える人とは思えないほどの声量と歌唱には、圧倒されました。60年を超える現役歌手として、素晴らしい人生を送られ、50周年、55周年、60周年、そして80歳傘寿と、その年その年前向きに目標
「今度の先生怖そうだな」斎藤が言った。「ああ、頭が良さそうだしな、おれ、あんなタイプ苦手なんだ」成幸が答えた。「予習しておかないと、しぼられそうだね。でもしげちゃん、その方が結局良いのかも知れないよ。仕方なしに勉強するから、後で中学に行くようになってから楽さ」今西が、一語一語つぶやくように言った。「すげえなぁ、マコちゃんって、随分先の事まで考えてるんだ」成幸は感心して言った。そこは萩原神社の裏手にある、小さな丘だった。三人とも、草の上に寝転んでいた。3,4年前はここでよく、かくれんぼをし