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せっかく書いた記事が消えると意気消沈ね😮💨ブログ復帰をしてからというもの、乗馬のこと以外はリハビリをしたことも手伝って、闘病記路線に入っている感じがする、、、。でも、私のブログは『外傷性脳損傷を生きる』です。真実を求めて必死に戦った後にタイトルをこれに変更。だから、今度は戦闘中に書いたこととはちょっと違う感じで、実態を書いて行こうかなと思い始めました。私が戦っていた当時は、外傷性脳損傷という言葉は日本では医療者の側からの情報がネット上で皆無と言っていい状況でした。今は、沢山ある(軽度外傷性脳
高次脳機能障害者の家族の会の交流会に2度めの参加をしてきました。今回は、70代のご夫婦が息子さんのことを相談にみえていました。とても切実な内容で考えさせられました。高次脳機能障害と言っても、症状、状態、悩みは、それぞれで…いろいろな方のお話しを聞いているとひとくくりに出来ないことがよくわかります。どんな状態なのかを説明するのも一苦労で…そこに、ウチの次男のように身体的な障害がある方、てんかん発作がある方など、困っていることもさまざまと感じました。今回、「介護者の負担感」のお話しがあ
雨の日が続いていますね気持ちの浮き沈みがあるものの…なんとか過ごしています。先週の水曜日は祝日🎌だったので、主人と2人で面会に行ってきました。最近は、タブレットの五十音を打ちながら、口を合わせて動いていることがあるようです。木曜日の夜ごはんの時に、介助する方が上手ではなかったようで…喉に何かが引っ掛かってしまいひどくむせてしまうことがあったと報告を受けました。自分でムセを治して大丈夫だったらしいのですが…その時まぁまぁの声量で突然声が出たと。「えーん、えーん」と何度も言ったとのことで
前の記事に、メールで問い合わせてもダメで、会って話さないとなんだねと解釈しています(そうならそうと言って欲しいですが、アメリカ人て面倒なことや会って話さないとなことって、メールの返信して来ない)。と書いたけど。アメリカでは本当に何度も経験してて。7年前のPTザック君なんて質問あればメールしてと言って名刺を渡しておきながら、いざ実践してみたら「ボク、メールが苦手なの。返信が大変だから😅君はテキストなんてどう?」とか平気でぬかしスルーを正当化した経緯があるのだ。彼のケアの中にまだいるというの
事故の13日後気管切開術を受けたものの、自発呼吸は安定せず人工呼吸器に管理されている状態。そんな中、リハビリ(理学療法)が開始されました。事故の14日後頭の右側を損傷したため身体の左側を下にした状態が長く続いたために左側の肺が潰れ酸素が取り込めていない→肺炎状態→右向きに体制を変えて様子をみることになる。フローテーション枕というコンニャクのような枕を使用事故の15日後左の肺に痰がつまっている。人工呼吸器で管理されてはいるが、呼吸数が落ち着いてくる。警告音が常に鳴っていたのが…この
行けました桜🌸見られました事故から5度めの春…🌸おとといの日曜日に次男と桜🌸を見ることができました。大きな公園まで…とも思いましたが、お天気がよかったので混んでるかな?と思いやめました。グループホームの近くの坂を下ったところにある公園まで主人と3人で行ってきました。水辺のある公園で、奥のほうにあずまやがあります。その近くで桜🌸が満開でした。とってもきれいでした🌸次男的には、桜🌸より「おやつ」でしたがカカオトークにはヤクルト、カルピス、ファンタグレープ、CCレモン、コーラ、オロ
事故の翌日早朝1番の飛行機でかけつけた病院では、まずドクターから説明がありました。脳の画像を見せてくれました。白くなっている部分がたくさんありました。右側に損傷があるため左側は麻痺が残ること、びまん性軸索損傷と言って強い衝撃を受けたため脳内で脳がねじれて損傷した部分がたくさんあるということを説明されたと思います。その後、本人に会わせてもらうと…人工呼吸器をつけ、たくさんの管につながれ…たくさんの機械音が鳴り響くなかに次男はいました。事故の2日後ドクターから脳の損傷から5日めが一
事故の7日後痰を自力で出す力が弱く、酸素の数値が下がるため痰を出しやすくする機械を使用するのことになる。熱は高いままで、苦しそう。鼻から胃に栄養を入れてみるが、半分以上吸収されず中止となる。事故の8日後ICUから→HCUに移る。脳の腫れのせいで目も腫れていて閉じない状態。頭の手術のあとのガーゼが外される。事故の9日後熱は相変わらず高い。痰で苦しむ回数は減ったかも。目の保護シートは、閉じないので縦に貼られる。事故の10日後熱は高い。胃に入れる栄養は中止のまま。事故の11
自宅から1000キロ近く離れたところでの事故だったため私たち家族は最初の数日間は近くのホテルに泊まり、その後は病院から教えて頂いたファミリーハウス?マクドナルドハウス?のような…本来は病気のお子さんの家族が泊まるところで過ごしながら面会に通っていました。息子は当時24歳でした。母である私は当時「死」ということは考えることなく…ずっと「次男は大丈夫!次男は大丈夫!次男は大丈夫!」と唱えるように思っていました。自分の感情というものはなく…というか、感情は麻痺してました。その後、私は長い期間自分
2019年の秋に、次男はある事故で重度の障害者となりました。事故から今年で4年になります。事故当初はドクターから「一生このままの状態かもしれない」と言われました。遷延性意識障害という言葉は、のちに知りますが…このまま寝たきり?ずっと?そんなはずない…と何度も何度も思いました。同じような境遇の方は…どんなふうに回復していくんだろう?その家族はこの状況をどうやって乗り越えて行くの?誰か教えてほしい…と本を漁ったりしましたが、詳しく書かれているものには出会えず、唯一頼りにしていた本は「8年
事故から1ヵ月前後人工呼吸器がついている状態だとリハビリ病院側の受け入れが難しいかも…ということで様子をみながら転院の準備が進められる。そんな中、全身にひどい薬疹が出始める。肺炎による抗生物質のお薬か、てんかんのお薬か…抗生剤をストップしたり、てんかんのお薬を違うお薬に変えたりして様子をみる。この頃、瞬きをしたり、あくびをしたり、くしゃみをしたり、少し反応がある。テレビドラマなどでは、目をパチッと開けて意識が戻る!みたいなシーンがあるけれど…現実は、そんなことはない!と知る。リハビリ
クリスマスですね気持ちはザワザワするものの…昨日、クリスマスプレゼントを持って次男のところに行ってきました。1ヵ月以上前から、クリスマスプレゼントに何がほしい?と聞くと…「レゴブロック」と答えていました。時々、「バスケットシューズ」とジェスチャーする時もありましたが…「レゴブロック」と答えることが多かったので、今年はレゴブロックにしました。高次脳機能障害の症状の1つに幼児化というのを聞いたことがあります。確かに、次男の場合、怒ったり、暴れたりはないものの…幼くなったと感じることはよ