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潰瘍性大腸炎になりました3月から下痢下血10日程粘ったけれど救急車で肝臓移植した大学病院へ搬送されそして現在も絶食中の入院中移植後ということで使えるお薬が限られ2週間前にオンボー点滴明日大腸カメラで薬の効果判定効いていなければ翌日からレミケードに変更できるよう既に手配済みとのこと(やっぱり効いてないと思ってるんだよね…)私は潰瘍性大腸炎の重度潰瘍が深く大腸壁が薄く食事をしたら穿孔(穴が開く)可能性があるらしレミケードが効かない場合は大腸全摘のため大腸外科に
原発性硬化性胆管炎(PSC)とは簡単にいうと、肝臓から十二指腸へ向かう胆管という管が徐々に硬くなり、だんだんと狭くなる病気です。少し前までは約10万人に1人とか言われていましたが、最近調べたら約1万人に1人となっていました。徐々に増えてきとる病気なのかな?※日本胆道学会HPより引用原因名の通り原因は不明ですが、自己免疫が暴走して自分の臓器を傷つけている。もしくは、潰瘍性大腸炎(指定難病、患者は結構多い)を3割くらいで合併するので、大腸との関係も研究されてい
2019年に入ってか入る前からか2ヶ月に1回の外来診察が月1回になりました。昨年の夏、消化器内科のMZ先生に『少しずつゆっくり悪くなっているからもう一回移植外科の外来予約しましょうか』と言われました。『いえ。もう1ヶ月様子見させてください。来月更に悪くなっていたら移植外科の外来予約お願いします』と、答えました。仕事は、急にやることが増え、ストレスにはなっていたものの、まだまだ働けるし体調は自分ではそんなに悪くないと思っていました。その頃のアンモニア値は軽く100を
術前に、主治医と担当医移植コーディネーター私と主人、両親達とで手術についての説明をうけました。私の病気、原発性硬化性胆管炎について今の肝臓の状態主人の肝臓を切除し、私に移植する際の手術時間、予想出血量、合併症など。そのなかでも合併症については特に細かく説明してくれました。私が経験した合併症は1拒絶反応→ステロイドにて回復2拒絶反応による腹水増悪→輸液で脱水回避3繋ぎ目血管の血流不良→検査でフォロー4上記3による血栓形成→血栓溶解の点滴(現在は内服)5感染
私と夫、そして長男の遺伝子検査の結果遺伝子の異常は特にないと医師から説明がありました。ただ、エコーやステロイドの薬で進行が遅くなることからおそらく原発性硬化性胆管炎だろうと診断をいただきました。小さい子供にはとても珍しい病気らしく難病指定されている病気です。長男が生きて行くためには❶内服薬で肝臓の繊維化の進行を遅くする❷肝臓の移植が必要になります。ひとまず内服薬で進行を遅くして数ヶ月に一度肝生検を行うこととなりました。内科的に難しい状況になったら移植外科のある病院
この日私は大きな手術をしました。主人がドナーで私がレシピエントの生体肝移植。PSCと診断されてから3年。10月末に検査入院して、そのまま手術となりました。今、拒絶反応や感染症、腹水のコントロール繋ぎ目血管の血栓溶解。色々な合併症と闘っていますが、一つひとつ治療しています。痛くて、苦しくて、辛くて悔しいけど、また家族と幸せな毎日を過ごすため、なんとか耐えています。生きていることに感謝し、主人に感謝して☺
そもそもいつから肝機能が悪かったのか。2009年長男、2011年に娘を出産後おそらく娘5ヶ月位で職場復帰しました。当時は、管理職ではなかったし普通に業務をこなし、0歳と1歳を平日夜はほとんど1人でお世話。主人は土曜日日曜日は仕事だったので子供達が赤ちゃん👶と言う時期はほぼ、職場保育園家スーパー以外行かない閉鎖的な生活でした。食事の用意をする際にはアルコールを嗜み(ガッツリいってたかも)それでもネグレクトではなくて💦子供達とは楽しく過ごせていました。主人も転職後
タイトル通り私にとって麻酔から目を覚ましたらそこは地獄のような所でした。手術が終わるとレシピエントは第1ICUへドナーは第2ICUへ帰室しました。手術室に向かったのは朝8時、出たのは夜中12時近くらしく父と義父が病院に残り義母が子供達の世話をしてくれていました。第1ICUには3日間いましたが3日3晩、幻覚が見え幻聴が聞こえていました。家族で私のお通夜やお葬式の段取りを決めている声が聞こえたり、面会に来れるはずのない子供達の声が聞こえたり。目を開けると、小人が天
覚えている限り記載します。血液検査尿検査細菌培養(咽頭・尿・便)リンパ球クロスマッチ用採血心電図肺機能心臓超音波胸部レントゲンCT(造影)MRI上部内視鏡下部内視鏡乳腺超音波マンモグラフィー婦人科細胞診婦人科受診顎歯科受診乳腺外科受診循環器受診この中で、私が引っ掛かったもの。親知らず即日、抜歯されました。治療対象の虫歯がある場合も抜歯するのだそうです。恐怖です。他には、上部内視鏡にて食道静脈瘤。後日、内視鏡にて治療しました。手術への準備は着
2019年9月消化器内科の先生から半年前と比較すると緩やかに進行しているので移植を急ぐわけではありませんがもう1回移植外科を受診しておきましょう。と言われました。来年になったらそろそろ移植を考えないとな位に思っていたのですが2回目の移植外科受診の際には次回は双方のご両親も一緒に来てください。と言われました。結局10月の上旬に家族で受診し生体肝移植か脳死肝移植か家族で話し合うよう言われました。生体肝移植なら・一人っ子・両親高齢・子供未成年の為ドナー候補
3週間検査入院をするねと言って仕事を休んでから10ヶ月移植退院後も何度か入退院を繰り返しやっとこの9月から復職する事ができました職場からの配慮もありまずは2時間の時短で体を慣らしていく予定ですしかし復帰して2週間でまた39度の発熱😰先日のステントがもう詰まってしまったのと他の胆管も詰まりかけていたそうで4泊の入院でERCPステント交換して来ました。再発⁉️とびびっていますが悩んだって仕方ないので以外と前ほど悩まなくなりましたパパさんを出張から呼び戻し子供たちを
こんにちは。去年辺りからPFAS(有機フッ素化合物)という言葉を聞く機会が増えたような気がします。具体的には、PFASの一種であるPFOAとPFOSに人体への悪影響があるという話です。発がん性についても心配ですが、潰瘍性大腸炎と関連性があるらしいです。PFASは水に溶けやすく分解されにくいので、水道水、飲料水に紛れ込んでいます。日本の基準値は他の先進国と比べて甘いようですが、ほとんどの地域で基準値以下です。詳しくは、調査結果マップを参照下さい。あなたのまちの
生体肝移植後3年5ヶ月最近の血液検査結果は徐々に肝機能が上昇数日前から全身の痒みが出始めました体感はPSCの再発心の準備ができていない私主人がドナーで血縁者じゃないから私は大丈夫だと勝手に思っていました久しぶりの外来ではまだ結果はでないけど外来を待つこの時間が生きた心地がしません来月は転職予定この先どうなるのかしら~。悩んでも仕方ないか。
地元の病院で紹介状を書いてもらい、大学病院へと向かいました。採血を行い、地元の病院の資料をみていた先生は何か浮かない顔をしていました。私はドキドキしながら先生の様子を伺っていると、先生は、膵胆管合流異常の話しの前に、「確かに合流異状もありますが、これはもしかすると、IgG4関連硬化性胆管炎か自己免疫性胆管炎、もしくは原発性硬化性胆管炎の疑いがあります」と告げられました。突然、聞いたこともない難しい病名を3つも言われ、かなり困惑しました。「とりあえずプレドニン(ステロイド)1ヶ月を飲ん
ニューモシスチス肺炎疑いは結局のところ解らずβDグルカンは少しずつ下がってきたので2週間の経過観察入院を経て退院となりました🙌しかしその3日後息も出来ない起き上がれない苦しくて歩けないという症状に陥りました。間違いなく『貧血』👀‼️退院の朝生理になりこの3日間、月経血量があり得ないくらいの量でした。もう無理だ…と思い大学病院に電話をしました。行って採血してみたら貧血評価の項目Hb4.8g/dl👀‼️担当の先生には『入院して輸血ね』と言われその日から5日
娘の進学のため、京都へ初めての桜の京都🌸🌸。幻想的な街並みと抹茶に心癒され、次女の旅立に涙し…。今日から、娘のいない生活がスタートしました寂しいですね…。みんなこれを乗りこえていくんだなぁ…と。さて、4ヶ月経過するとステントつまった感が…でてきました有症状(痛みと吐き気)の時間が増え尿の色も、日に日に濃くなりやすい。あと、疲れやすい日が増えた…気がします。でも、今回は久しぶりの、4ヶ月越。なのに、症状はまだ軽度。お守りのレボフロキサシンの出番もなく…。冒険
年明けの検査入院からしばらくして、検査結果を聞きに外来を受診しました。先生からはまだ100%確定はないが、原発性硬化性胆管炎でおそらく間違いないだろう。という話でした。やはりかぁ。私はもう覚悟はできていたので、動揺とかはありませんでした。むしろ、とりあえず癌ではなかっただけマシか!と前向きに病気と向き合おうと決めたのでした。ここから私の本当の闘病生活の始まりです。
この時期発熱するとCOVID19を疑います。土曜日夜寝る前に37度3分だったのが2時間後には39度8分‼️夜中大学病院に電話しても救急外来はなかなか繋がらず保留20分😣諦めて朝方電話したらなんとか繋がって入院準備して病院に行きました原因がわかるまでは勿論COVID19対応されるのですが陰性が確認されて造影CTにて胆管炎と判明しました点滴して解熱しましたが翌日にはERCPにてステントを入れました数日で退院できましたが看護師さんには『なんか最近よく入院してな~い
倒れてからしばらく、入院中今までにも増して食事制限が厳しくなりました。入院中いつも、唯一許されていた水分もアウト。ジュースやスポドリには塩分が入っているからご飯がどうしても食べれないとき食べていたお菓子類もアウトさらには、じゃあ、飴なら大丈夫か!!と思ったらしっかり塩分有…意外と探してみると塩分がない食べ物は少なくて。何軒か薬局回ってやっと塩分なしの飴を見つけましたでも、やっぱり食べられないって、ストレスでおまけに、動くのもあまり…と言われてしまい…車椅子生活に…。旦那のスト
https://ameblo.jp/09290426/entry-12620961450.html『パパの思い長男の願い』前回のブログに書いた長男の夏休みの宿題の作文珍しく、何度も何度も書いては消し、書いては消し…何書いてんだ?と思いながら、早く終わらせなさいよ~と、焦らせていま…ameblo.jp↑長男がパパの為にと夏休みの宿題で頭を抱えながら書いていた作文です。つたない文章ですが、読んだときパパは涙していました。生きなくちゃ!と勇気を貰ったようです前回のブログの続きです旦那が痙攣
パパの思い長男の願い『パパの思い長男の願い』前回のブログに書いた長男の夏休みの宿題の作文珍しく、何度も何度も書いては消し、書いては消し…何書いてんだ?と思いながら、早く終わらせなさいよ~と、焦らせていま…ameblo.jp↑以前書いた長男の作文です。後に長男が『この作文を読んだ人の何かの為になるといいね。誰かが何かを感じてくれたらいいな』と話していたのを覚えています。お時間ある方読んでみてあげてください通院日血液検査をすると…CRP(血液検査でわかる炎症の値)が以上に高い即入院♿🏥動
『パパの思い長男の願い』前回のブログに書いた長男の夏休みの宿題の作文珍しく、何度も何度も書いては消し、書いては消し…何書いてんだ?と思いながら、早く終わらせなさいよ~と、焦らせていま…ameblo.jp↑長男が旦那について、難病につて、書いたものです。良ければ読んであげてください前回の頃の旦那は2ヶ月に一度は具合が悪くなり、救急車で運ばれることが増えてきましたあまりにも運ばれ過ぎて、救急隊のかたに、覚えられてしまうほど…。病名やかかりつけ病院まで覚えられてしまいましたそんな旦那が一度だけ
大学病院の精神科を受診する日。旦那、私、義母、義姉の四人でいきました。今思えばこれも間違い義母連れていかなければ良かったと後悔。義母は旦那の担当の先生と会うと、民間療法の訳のわからない怪しい薬の話。自分の話。後は旦那が病気になったのは子供の頃からの生活態度が原因。と言い張り、一切先生の話に耳を傾けません。私は悪くない。そればかり。自分の話を聞いてくれる人=医者だと思い込んでいるのです。そんな義母の愚痴を私と旦那は永遠診察室で聞かされます。そして、旦那がいいかげんにしろとキレる。このパタ
『…T先生が?俺が強いって?』『そう。Nは普通の人なら耐えられないことや逃げたくなること。辛い治療も痛い治療も全部乗り越えてきたから、きっと大丈夫って思ったみたいだよ。長い間Nを診ていてくれたからこその言葉だなって私は思った。』『そっか…。』この日は旦那は何を言うわけでもなく、この事についてキレるわけでも、落ち込むわけでもなく、ただただ淡々と過ごしていました。次の日の朝。『耳鳴りが工事の音じゃなくなった!何か例えるなら妖精が草原走ってるイメージ』『は?なんか、良くわからんけど昨日まで
前回のブログに書いた長男の夏休みの宿題の作文珍しく、何度も何度も書いては消し、書いては消し…何書いてんだ?と思いながら、早く終わらせなさいよ~と、焦らせていました(笑)実はこの作文を読んで、あぁ。こういう風に考えてるんだなぁ。と私は初めて知ったんです。そして、何か、長男と旦那の為に出来ないかなぁと考えて、某ブログにシェアをお願いしつつ書いたことがありますたくさんの方に読んで頂き、励ましていただき、拡散して頂き…ブログって凄いなと思いました長男に話したとき、『パパ以外にも同じ病気で苦しん
https://ameblo.jp/09290426/entry-12620961450.html『パパの思い長男の願い』前回のブログに書いた長男の夏休みの宿題の作文珍しく、何度も何度も書いては消し、書いては消し…何書いてんだ?と思いながら、早く終わらせなさいよ~と、焦らせていま…ameblo.jp↑今回のブログのひとつ前のブログに小4の頃の長男の願いが書いてあります少しでも多くのかたに読んでいただけたら嬉しいです実はこの作文を書いている頃の2016年辺りから旦那は年に何回か入院するよう
お義母さんに移植を断られてから、暫くの間、旦那は何事もなかったかのように、過ごしていました。ただ、時折、夜に何であんな母親なんだよ…。と涙していました。何度か私がドナーになろうか?私がドナーになるよ。と言いましたが、頑なにうんと言ってはくれませんでした。旦那の中で、自分はいずれ死んでしまう病気。しかも、移植が100%上手くいくとは限らない。ドナーになった私とレシピエントの自分。二人して共倒れになったら…という思いが強かったようです。そんな中、次男が一歳になるころ。旦那は眠れなくなっていま
↓小学校低学年の時に長男が書いた作文です。今の医学が少しでも進歩し治る病が増えるよう研究が進みますように。願っています。大学病院に着いたのはもう、大分遅い時間。それでも、受け付けに事情を話し、入院病棟へ急ぎました。入院してたはずの病室の扉を開けると、ベットは空。頭真っ白。嘘でしょ…。『しずく、ナースステーション行くよ!』促されて行き、看護師さんに『あの…携帯の留守電に先生からメッセージがありまして…主人の部屋に行ったらいないんですけど…』『ああ!○○さんの奥さんですか?ご主人
ブログを更新しました。腹水とむくみの話、後半です。※肝硬変末期の意識がなくなるまでのこと、写真など載せているので閲覧に注意してくださいhttps://takasaku.com/ascites-2/利尿薬開始からは腹水コントロールが可能な状態でした。しかし1年ほどで効果が薄れ、徐々に自覚できるほどの腹水が溜まりだし「難治性腹水」と呼ばれる状態になっていきました。その後の話です。改めて考えると、昨年までの話なのですが遠く感じます😑よろしければ押してください