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『学校へ行ってみようかな』娘の口からそんな言葉が出たので、ちょうど始業式だった中学校へ、1年ぶりくらいに行ってみることに久しぶりに見る娘の制服姿に、胸が熱くなりましたクラス替え後の初顔合わせで、朝の会だけでも出られたらいいなと思って登校けれど式典も出席できて、最終的に帰りの会まで居ることができましたみんながとても温かく迎え入れてくれたおかげで、娘は安心したようですそして以前、同級生の親御さん達がプロフィール帳を作って、プレゼントして下さっていました少しでも、娘が安心して登校できるよ
今週火曜に(3月29日)に退院出来ました18日間の入院でしたPCR検査で陰性確認となり退院したのですが免疫抑制剤を服用している為、ウイルスがまた増えてきてしまう可能性があるので今週日曜にまた病院に行ってPCR検査をしなければなりませんそしてまたコロナ陽性だったら入院になってしまうよ〜先生の話によると免疫抑制剤を使用している方が退院した日にまた熱が出て病院に戻ってきた事例もつい最近あったようです恐るべし…そして退院した主人の様子はずっと寝ています。体調が悪いと言
術後半年の検診に行ってきたいつものように、採血をして待つこと1時間、ほぼ予約時刻に呼ばれた血液検査の数値を1つ1つ見ながら丁寧に説明頂いたまた、先日胆管炎を起こした際、原因が胆管狭窄(移植時の縫合箇所が詰まり、炎症を起こす)でないかを確認するため、ERCP(内視鏡的逆行性胆管膵管造影)を行った問題無いことはその時聞いていたが、映像を見ながら丁寧に説明してくれた最後に「順調ですね」という嬉しい、嬉しいお言葉を頂いた移植前の数値と今日の数値を比べると
【万波誠先生を送る会】(宇和島)11月28日付愛媛新聞記事宇和島市の病院で、数多くの腎移植手術を手掛け、10月に81歳で死去した、万波誠氏を「送る会」が、27日、同市住吉町の葬儀場であった。万波氏が執刀した患者や、親交のあった病院関係者らが、全国から訪れ、功績や人柄をしのんだ。式典は実施せず、参列者は、祭壇の前で手を合わせ、会場に飾られた、万波氏の生い立ちや白衣姿の写真に、静かに見入っていた。16年前に、万波氏の執刀で腎移植手術を受けた、
正午過ぎになると、私たちのブースに、衆議院議員の若きT議員が、立ち寄りました。『臓器移植ドナー』という言葉を目にしたT議員は、「私は、デジタル省で、河野太郎さんのもとで、仕事をしているのですが、河野さんは、肝臓のドナーになって、お父さんの洋平さんを助けましたよね。臓器移植がもっと広まると良いと思っています。何かありましたらお声掛け下さい」と、議員らしい目配りで、臓器移植について、話しかけて来ました。平成生まれ初の衆議院議員と言われているT議員は、地元での清
転院先の大学病院は、元々子宮筋腫の摘出手術(腹腔鏡下)を受けた病院でした。その時も、どうしても腹腔鏡下手術を、と希望してネットで探しまくりました。子宮筋腫の時も、いつも外来は混んでいましたが、嚢胞で通っていた時もやっぱり大混雑でした。嚢胞の外来は2ヶ月に一度、先生の診察があり、どんどん大きくなるお腹を診て頂いていましたが、やはり経過観察。利尿剤を頂いていました。そんなある日のこと、先生から動脈塞栓術に、興味ありますか?とのお話詳しく聞いたところ、動脈塞栓術の治療をしたからといって急激にお
話を戻して、改めて、Nフェスはその後、どうだったかと言えば…初めてのNフェス出展用に用意した、クイズ用紙とカラークリアファイルは、予想を上回る人出だったので、午後1時過ぎには、すべて出尽くしました。あとは、来場者や会場スタッフへの、チラシ配りをして、3時に完了。一日だけの出展だったので、会場の後片付けをして、帰りはブラリブラリ、ゆっくりと歩きました。晩秋の夕暮れは早く、まだ4時前なのに、冷たい風が、吹き始めていました。それでも、ささやかな充実感に
1月に退院して、家で過ごせています白血球の値もいいので、みんなにたくさんたくさん遊んでもらいましたバーベキューやカードゲーム、ビンゴやお菓子作りを一緒にやってくれて、娘は本当に本当に楽しそうでしたお出かけもできるくらい元気にしていますが、腫瘍マーカーのAFPがどんどん上がって来ています。何回も何回も画像検査をして、今回やっと怪しい箇所が見つかりました。いっぱいいっぱい泣きましたが、娘は開腹手術を決断してくれました。本当に、本当にすごい娘です。来週から入院します。もし良かったら、応
2024年9月11日(肝移植8日目)体感的には3日ぐらいもう一週間も経ったんだなぁ私は朝から点滴が外れ、ホチキスを取ることに(え!もう!?)昔、母の手術跡がまるでムカデのようで、ひどくショックを受けたが、今は全然ムカデじゃない今の技術ってすごいや(汚い腹ですみません)そして、私は大部屋へ(さようなら個室)娘のところへ行ったら、外れたはずの鼻から胃への挿管チューブがまたついているどうやら昨日吐いたらしく、薬を吐かずにキチンと飲めるまでは挿管チューブのままとのこと挿管チューブが大人サ
コツコツ続けていると言えば…立憲民主党の党首に返り咲いた、野田佳彦さんが、今でも駅前で、政策パンフレットを配っている、というのは、有名な話です。このブログでもお話したように、私は、チラシ配布活動を実際に経験して、その大変さを痛感している身なので、なおさら、元首相という肩書を持つ、野田さんが、酷暑だろうが厳寒だろうが、途切れることなく、この行為を続けているという点には、敬意を表します。ましてや、若くもない体ですから、立ちっ放しの配布は、足腰へのダメージもあ
術後の抗ガン剤3クールが終わったところで腫瘍マーカーの下がりが停滞していたのでCTを撮ったら肺に転移が見つかり急遽手術をすることになりました退院の話も出ていた中でいきなり飛び込んできた手術の話に娘は『また痛い思いをするの!?』と泣いて本当に可哀想でしたが頑張ってくれました無事に手術も終わり経過は順調です一筋縄ではいかない事は分かっているつもりでしたがこんなにも早く再び手術になるとは思ってもみませんでしたどうかこのまま腫瘍マーカーが下がってくれますように!!!!中学
主治医と家族の話は、ロクな内容ではありません。今回の不吉な予感は、娘の眠い💤という話前の状況も、重なっておりました。しかし、私は肝性脳症から目覚めた自信がみなぎっておりました。不思議です。亡父が、肝性脳症から目覚めることなく亡くなった時、主治医が目覚める確率はほぼ無いと言っていたから。目覚めればいいけれど、と。異常なアンモニア値だったらしいです。でも、私は目覚めた‼️それが、何よりもの自信でした。まったく根拠はありません。約束の時間が近づき、夫と娘が病室に来ました。主治医の話も、3回目
駅のコンコースや階段下などで配っている、商売用のチラシは、可哀想なくらい、受け取ってもらえないようだけれど、幸いにもここでは、勘違いも相まって、「売り込み用のチラシではない」と、思ってくれる人も多く、それどころか、「ありがとうございます」と言って、カイロが要るような寒い日に、わざわざポケットから手を出して、受け取ってくれる若者も、たくさんいてくれて…本当にありがたい。令和の若者の素直さが身に沁みます。そうこうしていると、向こうから相棒(夫)がやって来ました。
2024年10月22日(肝移植49日目)34.8kg今日の院内学級は、午前3限受けることができたけれど迎えに行ったら、何だか泣きそうな顔の娘病室へ戻るやいなや、ポロポロと涙がどうしたの!?と聞いても『分からない』と娘しばらく涙は止まらなかった午後の授業は、お休みさせてもらうことに久しぶりの勉強で、全然ついて行けないのがショックだったのかなぁ友人たちにLINEで相談して、色々アドバイスをもらい、そのLINEを娘にも見せて話しているうちに落ち着いて来たみたいどうやら今は好きなこ
今日、夫の昔のサークル仲間が亡くなった。夫は、このサークル仲間との交流が一番楽しいと言う。夫が同期3人と立ち上げたので、それ以外の人は皆年下。それぞれが独身の間は、我が家でしょっちゅう飲み会をしていたので、私もよく知っている。お調子者、おしゃべり、気配り上手、大人しい等、個性は様々だったけど、悪い人が1人もいない、いいサークル。下戸から大酒飲み迄、各種取り揃えていたけれど、今日亡くなった人は、大酒飲み。顔色や態度も変わる事がなく、限界が来るとパタッと倒れて寝る、そんな人だった。5
余命3ヶ月の宣告を受けてから1年が経ちました1年前、奥さんと一緒に面談室で先生から話を聞きました「非代謝性肝硬変で完治見込みがなく、対処療法(腹水を抜く等)をしていくしかありません。何もしない場合は3ヶ月くらいの余命です」私が鈍いのだろうけど、実感がわかず(肝性脳症だった?)人ごとのように聞いた記憶があります実感がわかない私に変わって、奥さんは色々調べて生体肝移植の道を見つけてくれました息子は私に肝臓を提供してくれました医療スタッフの方々は、最善を尽くし
2024年7月17日(闘病66日目)34.1kg胸囲64.0cm腹囲63.6cm朝から何度も鼻血が出てヒヤヒヤ昨日血小板輸血をしたけれど、血小板40(基準値158〜348)と相変わらず低い24時間蓄尿検査の結果、尿たんぱく0.27(基準値0.02〜0.08)、尿中β2ミクログロブリン8691(基準値30〜100)と腎機能がだいぶ低下しているみたい次の抗がん剤を延期するかどうか、話し合われているみたい500を切ると感染症にかかりやすくなる好中球も300と低く、ベッドサイドに
わたしの姉は肝硬変から肝臓がんになり最期は肝臓がん破裂で亡くなった。姉は定期的にCT撮影していたのにもかかわらず肝臓がん破裂まで癌が発見されなかったのです。倒れた日は丁度いい夫婦の日で夫婦水入らずでウナギをたべにいった日だった。わたしに「今日は体調悪いんだよね!」とといいながら普通に歩く事もできていたのに…外出から帰って突然トイレで倒れた。そして二日後他界した。あんなにまめにCT撮影していたのに…癌とは診断されず…疑問を救急の医師に質問したところ
手術が無事に終わりましたけれど、横隔膜の怪しい部分は腫瘍ではなく横隔膜ヘルニアでしたまた最初から腫瘍を探すことになりましたが、腹膜播種は見つからなかったので安心しました本当に、本当によく頑張ったねまた痛い思いをさせてしまってゴメンね娘は今、ICUにいます『ちいかわ』に出てくるウサギも、ずっと一緒に居てくれています大阪にいる私の中学時代の友人が、娘へのお見舞いに送ってくれましたそのおかげで、娘は『ちいかわ』のウサギが大好きにどこへ行くにも一緒手術が恐くて泣いている時も、アニメの
2024年10月15日(肝移植42日目)34.6kg今日で、術後抗がん剤1クール目のイリノテカンの投与は終わりイリノテカンの副作用の下痢症状がひどく、娘はかなりつらそう食べるとお腹が痛くなるので、食べない方が楽になってしまったイリノテカンが腸内で悪さをして下痢になっているので、むしろ早く排出した方が良いらしいので下痢止めは使えないとのことツムラの漢方薬、半夏瀉心湯(ハンゲシャシントウ)を処方してもらう同じように娘ちゃんが小児がんと闘っていた友人から、プレゼントと手紙が届いた手
2024年8月19日(闘病99日目)33.8kg2日前に外泊してから1回も吐いてないここのところずっと吐いていたのに…やっぱりストレスだったのかなぁ💦うどんが食べたいと娘からLINEが来たので、仕事帰りにIH対応の鍋焼きうどんをゲット吐かずに食べてくれるようになって良かった2024年8月20日(闘病100日目)33.8kg今日は、午前中に腹部エコーを撮ってから外泊しても良いとのこと腎機能も少しづつ良くなってきたし、吐かずにいれるのはホント良かった旦那さんは仕事でいなかったけれ
2021.7.30浅い眠りの中、夜中はずっと吐き気で辛かった。昨晩から担当の看護師さん、若い男の子です。不思議…この男の子、私の思っていることを何でも分かってくれる。男の子(看護師)「喉乾いてきたね、少しお水飲もうか。同じ体勢で身体痛いでしょ?クッション用意してあげるね。少し寒いね、お布団肩までかけておこうね。」昨晩からずっと看病してくれてほんとに助かりました。何故か心地良い感じがして癒された。変な例え方だけど、つい最近亡くなった愛猫が側に居てくれているよう
ICUから病棟までベッドで移動する途中、ドアにガツーン!(手荒っ)それをきっかけに、段々気持ち悪く…病棟へ着くと、10人くらいの看護師さんが待ち構えていた(何事っ)背中から入れていた硬膜外麻酔のせいだと思うが、そこからもうオエオエYeahYeah娘は、まだ眠ったままだったようだ2024年9月6日(肝移植3日目)この日も朝からひたすら気持ち悪く、吐いていた二日酔いみたいな感じ尿管カテーテルの導尿もうまく行かず漏らしてしまいカオスけれど、まだ背中からの硬膜外麻酔が効いているようで、傷
2024年8月23日(闘病103日目)34.4kg腹膜播種の疑い来週の肺の手術時に、腹膜播種がないか調べる為におヘソからカメラを入れる審査腹腔鏡もやるとのこともしそこで腹膜播種が見つかれば、肝移植は適応外になるとのこと適応外…何それ…もう肝移植は出来ないってこと?そんな恐い話はないとりあえず、仕事へ向かう今日は最終出勤日で、またしばらくお休みさせてもらう事となる職場には色々と配慮してもらい、しばらく休職扱いにしてもらえるとの事で、本当にありがたい。みんな温かく送り出してくれて
こんにちは〜シングル母さんの古野崎ちち子(このさきちちこ)です!↓はじめての方はコチラから登場人物紹介〜毎日毎日暑いですね〜1日が終わると、もうヘトヘト嫌な家事はついつい後回しにしてしまう私ですが私はよくこんなコトがあります寝落ちした朝のいたたまれないほどの嫌悪感と言ったら。。。誰かお姫様だっこでお布団へ運んでよ〜とは、言わないけどそっと毛布くらいかけてくれる人はいないのかよ!な〜んてわびし
2024年8月30日(闘病110日目)34.3kg今日は午前中にCT撮影のため、朝から絶食テンションがめちゃくちゃ低かったが、9時に呼ばれた早いっ!CT撮影では、脇下の手術跡が痛むので、腕が上げられないことをすごく気にしていたが、腕を上げなくても撮れるとのことやったね!CT撮影の帰りに、院内のコンビニへ寄って食べたい物を買い込んだプチシューやカツサンドを食べ満足そう今日は吐いてないし良い調子手術の時に採取した、腹水の病理検査の結果が出た結果は陰性で、がん細胞は見つからなかったや
2024年9月1日(闘病112日目)34.9kg昨夜は移植前最後のウォーキングに精を出した友人が台風の雨風の中、地域限定ペイペイ20%オフ最終日で、ずぶ濡れになりながら旦那さんと買い回った話で大爆笑した身体を動かして笑うって、本当に最高のストレス発散だと思う変に気を遣うことなく、以前と同じように接してくれる友人たちに感謝しかない病院へ戻る前に『移植頑張って!』と、友人が本の差し入れを持ってきてくれた娘の大好きな鳥の本と、私用にレタスクラブ気分転換になりましたありがとう娘は今日も色
「それでも、退社モードに突進している娘は、言うことを聞かないから、『今後は一切連絡を取らなくていい』と、突き放したの。そうしたら娘は、『親は今まではいつでも、応援してくれたのに、なんで今回は、ここまで強力に、辞めるなと言うんだろう』と、立ち止まって考えたみたいで、『親子が決別するようなことではないので、退社しません』と、撤回のメールが一週間後に送られてきて、あっけなく終了。あの時、もの分かりの良い親だったら、娘は『若気の至り退社』を、していたでしょうね」
2024年7月27日(闘病76日目)34.2kg今日も抗がん剤ドキソルビシン投与開始ヘモグロビンが8.0(基準値11.6〜14.8)なので赤血球輸血もする朝の検温の時に、体温計がピピピッと鳴っているのに全然気がつかない娘どうやらもう高音域がだいぶ聞き取れていない様子抗がん剤の影響か分からないけれど、爪が黒ずんできた脱毛もだいぶ進んで来て、病棟を出る時は医療帽子が必須に💦でも、娘は生きている娘には申し訳ないけれど、生きていてくれればそれでいい担当医のS先生が来て、この前のCT
前回のブログが、アメーバトピックスに掲載して頂けたとのことありがとうございます『副作用の下痢が良くなったと思ったら…』2024年10月18日(肝移植45日目)34.0kg術後抗がん剤、イリノテカンの副作用の下痢が良くなってきてホッけれどホッとしたのも束の間、次は骨髄抑制の…ameblo.jpいいねやコメントを頂き、励みになります2024年10月21日(肝移植48日目)35.1kg最近、便が白から普通の色へ肝臓で作られた胆汁が、順調に腸へ流れて行っている証拠みたい胆管チュー