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事実の分かち合いは個人同士の観念のやり取りではなく自らの呼びかけ覚者は観念であり体験の中には誰もいない世界は知覚されるが体験は限り自らは限りなき誕生以前の叡智自分が考えていると当然に感じられていた自分は考えていない気付いている人は気付かれているもの不在が全てであり何もする必要なくすでに起きている呼びかけられている人と
本来制限のない存在に制限を課しその制限を超えようともがいている探求は劇探しものは一時も失われておらず探している人の背後に常に在る完全までの道程なく分離は錯覚分離は起きていないとは自分に体験されている世界は一体である意ではなく自分本位に生が体験されている自分そのものの不在関係性の現実に生きている個人にとり自身が生の主体だが見かけの関係性は無境界の愛
他者の責任を負う必要はない事実の分かち合いは他者への献身ではなく分離なき自覚自分の責任を負う必要もなくされど表面的に責任を放棄する様な個人的解釈に自由なく根本的に起きている世界から自ら自由起きている事を心理的に受け容れようと受け容れまいと世界の中で自分で選択している感覚は体験の内容対比の体験は自分という性質ゆえであり他者が備えている資質や他者に為
もがく事を止めれば自然に浮くと言うがどうせ死にたい様な毎日だったのだから何もかもを明け渡してしまおうと決意したとしても事あるごとに自分主義の心されど未だ海の中にいるのにもう自分は岸に辿り着いている等と白昼夢に耽っている心よりは開かれている現象に囚われては気付かれ現象に囚われては気付かれされど自らは海の中でもがいている人ではない事実はもがけとも
自由は自分のしたい事をする行為ではなく無行為心は思い通りに行かない生に苛立つが創造に個人的関与なし自ら要求ばかりのおしゃべりな心ではなく背後の静けさ体験が変わる必要ではなく体験は現象個人が日々の従事に追われている時間世界は虚構であり生は時間の中の計画ではなく瞬間の愛の交わり人の日常と非日常的体験は同じ何時何時までに悟
スピリチュアルな人間になる必要ではなくスピリチュアルな探求の終焉どんなに崇高に見える教えでも特定の教義への傾倒や執着は純粋性への覆い誰も一秒後の事さえどんな風が吹くのか知り得ないが自らは神に委ねるしかないお人形ではなく生命の自由体験は起きている風に揺れている光景頬を撫でる風の感触風に揺れる木々の音色人や物事を掴んで離さないのではなく変わり
外部的な問題を一つ回避したところで根本的な事実が自覚されない限り別の個人的問題の状況が現れ人はその繰り返しの中関係性の問題は生に対する自分そのもの本来全てから独立して存在する何もなく充足に関係性は関係ない外部環境は内部環境であり距離なき自覚により関係性の問題は存続し得ない全ては在る様に在り存在の愛は何も排除しない体験は解決され
意識的になるにつれ他者のネガティブな目がより一層自分を攻撃してくる様な感覚強まり意識的に在りたい心とは裏腹にネガティブに呑み込まれ自己嫌悪個を基点に生が体験されている限り出来事の影響は免れないが全ては見かけ個々の存在が間違いではなく攻撃してくる人も奪おうとしてくる人も自他分離は錯覚徹底的に独り苦しみを他者や環境のせいには出来ない
実存以外が体験される事はあり得ない心は世界を対象的に体験するが内と外は同一どうやって生計を立てようか等の個人的問題は事実において存在せず実存無限の自由限界は虚像限りある自己は自らではなく自らは限定されない内なるものが外なるもの天地は分かたれていない
個人は自身の存在の意義を求めるが意味付けられた世界に実際の意味はなく世界は表現世界の中で得る満足は永遠ではない一過性の体験であり真の充足は存在の実質個人の生は活動の部分であり部分は変化しゆき全体は微動だにせず世界の非実在性を人が信じようが信じまいが物質として固定され存在する実体はない個人が活動する世界は見かけであり自ら創造と破壊の活動
真実の語り場が起こりされど言葉はすでに二次的語り手も聞き手も起きている光景の中の住人であり住人は常在ではないが実存は永遠性体験に影響されない自由は自らの自覚により実際に生きられる愛が全てで在り愛は無償ただ存在し求めていない自らは光景の中の住人ではなく不動の事実
先日、SORAさんの"感情解放ワークショップ"に参加しました↓↓『本音ゆるゆる配信/ワークショップいただいたご感想②』お知らせ感情解放・エネルギー浄化グループワークショップ3月26日(日)20時~~ネガティブを味方にして解放へ~こんな方におすすめ✔︎︎︎︎内観をしすぎて疲れ…ameblo.jp更にクリアになるためにいつもされている"感情を感じきるワーク"を教えていただきました私のやり方はどこか内向的というかずぅぅぅんとなったり、どんよりする
心は自分が望んでいる自分の印象を相手に受け取ってもらいたいと望むがどんな自分も一過性の印象に過ぎず印象は実在ではない個人に感じられている自分の印象の重要性は自分を自己としている錯覚ゆえであり体験の中で得たり失われたりする幸福感は架空他者に自分を印象付けようとしている向かい側にもこちら側にも誰もなく関係性は意識の一人芝居世界は壮大な思考でありされど自分の思考では
他者のルールで生きる必要はない他者が持つ固定観念への批判ではなく批判の対象が存在しない生きる窮屈さは世界のルールではなく想像の中以外には世界は存在しない束縛は観念ゆえに体験の因果関係なく豊かさの享受は即時豊かさの享受に時間なくすでに起きている有限の世界は無限の反射
何かに気付いているものが個人であり気付きは分離の体験分離が起きていないとき気付いている人はいないより気付いている必要ではなく気付き以前自覚は時間と空間の錯覚の終焉実存気付き以前の純粋生命
人の現実では自分を尊重する事の大切さが謳われるが自分を大切にすべき等の議論以前に議論の題材が存在しないこれは信頼に関するが信頼する必要性ではなく自ら全てで在る生命そのもの自分の存在以前に世話は為されている自己の不在において自分についての議論は不毛であり起きている事は生命の遊戯生命そのものは個人に何が体験されていようとも全く関係のない永遠の
人は自身に向けられたものとして出来事を体験するが体験は誰にも向けられていない自分は自分を感じながら体験を経験しているがその自分は表現探求者にとって探求は実在する現実だが探求が起きている中には誰もいない探求者にとって師は実在する人物だが師に生徒は存在しない教義を通し真実に辿り着こうとしている探求者は虚像事実において真理を指し示している
思考は日常と神秘を分類するが日常が神秘体験神秘が表れている日常は個人の目には既知に映り実は自分は何も知らない事を個人は知らない心は自身に理解されている事が事実ではない事を気付かれるのを避けては虚像に戯れる個人に起きる一瞥は体験の一つであり個人に為される理解は知られる範囲内だが心は自身の体験や理解に執着しされど存在は体験や理解ではない
自らは対立するどちら側の人間でもなく立場なきもの善も悪も正しいも間違いも肯定も否定も観念全ては一なるとは対立する他者も自分という意ではなく他者も自分も実在しない誰も本当に実在していないのかという議論は事実において無意義であり事実は概念以前個人的に生が捉えられている限り自由なく概念の世界は実在せず自ら存在の原理見かけに過ぎない
舞踊芸術家で話題の書籍『ガイアの法則Ⅰ・Ⅱ』『0フォース』『タオの暗号』などの著者の千賀一生さんが主催する『わの舞』学んでいます😊わの舞の先輩のブログの中で、千賀一生さんの言葉をみて、あらためて地球、そこに住む私たち、未来にとって重要だなと思い、先輩のブログからお借りして、千賀一生さんの『地球のためにしてほしいこと』を掲載させて頂きます😊今の世の中で、実行していくことは難しいことかも分かりませんが、自分自身のため、地球のため、未来への私たち子供のために、意識だけでも共有できれ
人の混乱は実在していない現実に気を揉んでいる様子昨日や明日がどこに存在するのか全ては今にのみ存在し今さえも実在しない時空間は意識の中に存在し意識の外では何も起きていないゆえに個々の体験を思い煩う必要は全くない全ては身から出た錆でありされど錆の原始は錆ではない人の視線が外を向いているがゆえに見過ごされているだけで内なる愛が全て
存在は世間に発見される必要はない世界で活動している覚者達の様に発見され同じ様に成る必要はないその心の物語つまり世界の不在が事実において明かされる存在は成る必要なく全て人がどこに行き何をしていても在るは同じ在るは何者でもない全体性
怒りを抑えて寛容さを心掛けなければと考えるが心怒りを抑えて微笑んでいるその人は自然に反し自然に調和していないゆえに苦しい観念から態度を繕うその人はどれだけ善人を演じても現実は完全に満たされずむしろその人にはより一層生は理不尽に感じられるゆえにその人がどの様な態度でいるかではない生きられた表現は消えるのみ痕跡は残されていない
戦わないことは我慢する意ではなく我慢を強いられていた観念からの自由個人は観念であり観念は虚像個人に体験されている世界はすでに作られた観念であり自分の体験を自分はコントロールできない何が体験されていようと自分を卑下する勿れなぜ私の体験はこの様なのかではなく体験者錯覚体験される対象は自らではなく自らは体験されない体験はいつも優しいわけ
どんな事態にあろうとも戦わない慣れ親しんだ解釈はその事態を問題として扱うかもしれないが思考には事実が見えていないだけ生は未知起きている事に対する自分が実在しないものであり心に生がどの様に解釈されていようと解釈は起きている観念に過ぎず生は理解ではない理解ではなく遊戯心は理解を所有したがるが個人はその表れ以上の何でもなく起きている表現
世界には様々な問題が浮上するが全ては現象体験はその個人そのものであり理解し合えない他者や世界の質が低いのではなく分離は錯覚全ての境界なく同じ命が全てを生きている未来に何が体験されるか等の怖れは自覚されていない心でありされど心は実在しない成功への観念に倣い自身を律しながら生きている心は観念であり存在は自由存在自らは仕事にもお金に
解体される実体はない個人は実体なき印象何者でもない何も起きていない全てはそのままで完全だが個人の理解ではなくゆえにどんな博識な人も事実に無知在らば未だ関係性の問題の渦中心は何かをする事で充実感を得るが純粋な悦びに原因はない心は自身が不幸せな原因を幾つも並べ立てられるが純粋な幸福感に原因はない存在そのものの悦びにそ
体は純粋な顕現であり体の中に誰かがいるわけではない体の中に誰かを見ている心が災いの因世界に争いを見ているその災いは世界に起因しているのではない世界は表現であり創造する力を持たない世界に創造する力なく体の中には誰もいない在るは何か穏やかに在りたいという個人の願いとは裏腹に瞬時に怒りに燃え盛る心存在の平安は状態ではなく本質状
独りで満足できない人は誰といてもどこに居ても満足できない自らに在る人は誰といてもどこに居ても自由あなたは私の為に存在し私はあなたの為に存在し互いの距離なく調和の内他者のない絶対性に疑念は入り込めない事実ではない事に脅かされる誰もいない偽ものに欺かれない誠実さと辛抱の恩寵に感謝愛ではない瞬間なく無駄な時間と捉える心の解釈がまやかし
他者の行為への怒りは感情をただ見守り事実を観る機会に使えば問題に発展しない本来関係は存在せず何を愛し愛さないか等の選択肢はない不快感をその場しのぎの癒しや賑やかな交友関係で紛らわさず独り向き合うことは孤独ではなくそれが全てで在る叡智に支えられている全ては永遠の夢であり解決する必要なく消える自身の為に他者を利用しようとする人は永遠に満た