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個人は自身の存在の意義を求めるが意味付けられた世界に実際の意味はなくなぜなら世界は表現世界の中で得る満足は永遠ではなく真の充足は存在の実質個人の生は活動の部分であり部分は変化しゆくが全体は微動だにせず世界の非実在性を人が信じようが信じまいが物質として固定され存在する何もない個人が存在する世界は見かけであり自ら創造と破壊の活動的な
TakeyourInnerBeingeverywhereyougo.あなたが行く何処にも内なる実在を同伴しなさい。IfyoutakeyourInnerBeingtotheparty,it'sgoingtobeagoodparty!もし、あなたがパーティーにあなたの内なる実在を同伴するならば、(計画通りの)良いパーティーになるだろう。内なる実在とは、外界に対する内界に実在している本当の自分、既にボルテックスの中にいる自分のこと
「心」は‟金の斧がいつか掴まれる事‟を期待して待つがその願いに利己心含まれる限り本もの(真に価値あるもの)は掴まれない「探求者」にとり‟金の斧を持つ事が幸せ‟で‟手に入らなければ不幸‟だがその様な信念こそ真に価値あるものを観ること妨げているもの「世界」は鏡の如く在るままを反射するまっさらなままいらっしゃい全てを通し働いているは
光とは「体験」闇は一切の体験持たず光は闇より出で闇に光が反射する闇に光射せば潜在している質が浮かび上がる「世界」は光の表現であり闇は光以前あらゆるものの正体は「見えている部分」とは関係のない無
「世界」には高次のメッセージを伝える人ヒーリングを施してくれる人未来や過去生を見れるという人真理についての教義を説く人etcたくさんの先生がいるが真の導きは内在性覚者なる人の言葉をどんなに読み漁りそしてそれをどんなに深く理解しようとも本当に知りたいことは概念で得られるものではない「体験」は現実でありながら現実ではない本当に知りたいことは人の生死の中にない
あるがままを‟他力本願とする解釈‟は誤解を生じさせるなぜなら「自分」が‟生に対するもの‟自ら他力に頼らなければならない「二次的な存在」ではなく自存性「自分」に対し‟大いなる何かが存在する‟は概念自力とか他力とか事実に‟相対する立場‟なく実存のみ
「本」の中に答えはない概念の中には真に求めているものは見付からない‟本を読んでも無駄って事?‟‟本を出している人に失礼じゃないか‟「本」も「想い」も非実在実在描写不可能
「個人」は‟私は長い間ずっと探求している‟と感じているが‟自らを探求者としている事‟が誤りなのであり実存個人ではないフィルムの回転によりスクリーンにその映画の中の人々の生活が現実的に映し出されるとしても「映像の中の世界」は実在しない「映像の中の役者」は理解により‟真実に近付いている‟気がしているがスクリーンとの距離はない「分離の劇」は
「心」は‶置かれた場所で咲きなさいって言うし今いるところで満足しなきゃな‶等とどこかで目にした言葉に倣い自身を戒める生は‟この場所で花咲かそうとする‶個人の労力ではない‟置かれた場所で咲かなければ‶ではなく置かれた場所に咲いている本質的に人がその様に在ることはその人の責任ではない‶置かれた場所で咲かなければいけない‶と心に感じられてい
人の抱える虚しさはどんなに多くを得ても満たされない頑張っても頑張っても空回りしているよう‟人や物事との関わりは普通にあるけど家族も友人も仕事も活動も誰一人として何一つとして私を完全には満たしてはくれない‟充足を外に求める勿れ時に容姿にも才能にも恵まれている人が自ら命を断つ出来事が起こり「心」は‟幸せそうな人生
世界の有り様は個の有り様「心」は世界に混乱を見て平和に向けて奮闘するが平安は在るのであり「心」は無知ゆえにすでに在る平安の中で‟平和の為の戦い゛に明け暮れる「問題」は個人的であり且つ個々で存在しているものは何もない自覚は各々の内で明かされる個人的なものだが明かされるは個人の不在太陽自らは自らが全てを照らし輝かせ
「心」は解放について個人的ではないという知識はあっても‟自分に起こる‟期待を拭い切れない「所有」は二元の劇‟解放される‟誰もいない実存「個人の知覚」とは全くの別もの自覚は愛であり愛に分離なし
「心」は‟素晴らしい気付きを得た‟と高揚に舞ったかと思えば転じて‟どいつもこいつも!‟と悪臭を撒き散らす「心」は両極へ振れ動く起伏の探求中毒者‟悟る事‟への執着なければ何を楽しんでいるだろう?「心」はまさに今拡がっている生の奇跡に無頓着奇跡は今起きている‟蓄えてきた知識‟は無用開かれるにつれそれまでは聴
真実の語り場が起こりされど言葉は事実を捉え得ない言葉はすでに二次的語り手も聞き手も起きている光景の中の住人であり事実は不動何にも影響されない事実は自らの自覚により実際に生きられる愛が全てで在り愛は無償ただ存在し求めていない自らは光景の中の住人ではなく不動の事実
全ては一つとは‟あの人もまた私なんだ‟という「概念」から世界を体験する事ではない‟理解している‟人の不在個人の資質や生まれ育った環境etc「個人の体験」は‟すでに与えられている‟が苦しみは置かれている環境ではない目にするもの聴こえるもの香り味覚触れるもの全て愛愛に常に触れている
切ない~~~涙涙じゃなかったですかBS朝日で放送中のドラマ『王は愛する』昨朝5/29(金)の放送の「14話/全20話」切な~~いが描かれましたぁ何度観ても泣けますwwMarcall朝からシクシク韓国史劇の巧みな技~ですよね≪史実を基に
史劇観るたびにムズムズして史実との関連を調べたくなる私今回も「知れば知るほどガーン」な事が可笑しな目線で深読みMarcall可笑しなブログにどうぞお付き合い下さいねフㇷ。。。。。。。。。。。。。。では新史劇『魅惑の人』等々新しい史劇も始まっていて視聴もしているのですが
(というわけで本日二回目の投稿。先のブログの続きです)「またの名をグレイス」カナダ人作家マーガレット・アトウッド(79歳現役)が描いた歴史小説(メイド物)なんですが、サスペンス仕立てでドラマにもなっています。1843年のカナダで起きた実話(殺人事件)を元に、殺人犯としてつかまったメイドの心理を掘り下げていく作品です。“またの名をグレイス”なのは、“もうひとつの名をメアリー”(親友で、堕胎処置の悪さで死亡)として登場するからでしょう。堕胎処置の悪さで死ぬ壮絶さについては、同時代(1859年
こんにちは!!kchocollatteです。今回は、実在するキラキラネームを紹介していきたいと思います。あと、最近ブログ更新できてなくて、すいません。(本当にすいません。)という事で、実在するキラキラネームを紹介していきたいと思います。今回は、ランク別に紹介していきたいと思います。(本編は、とても長くなっているので時間がある時や暇つぶしの時にご覧になってください)(後、ランク10が、とてもお勧めなので、ランク10だけでも見てください!)<<ランク1>>こ
こんばんは今回は、会社の所在地の検索についてお話ししたいと思います。日頃不動産業務にて、会社でのお申し込みもそれなりにありますし、勤務先も会社であることは多々ございます。しかしながら、その会社は存在しているか?を調べるにはどうすればよいか。費用と時間を掛ければ、法務局に行って登記事項証明書を取得すればよろしいです。しかしながら、会社としての証明書としてとるなら別ですが、存在だけを知るには費用対効果が悪いような気がします。勿論正確性を求めるならベストですが^^そ
食脱医師って知ってますか?=くだくすし。病死した人間の腐肉を食し、体内で免疫を作る。そして己の血肉を薬として同じ病に苦しむ者に与え、どんな不治難病もたちどころに治したそうだ。ジャンプコミックス【幽遊白書】単行本18巻参照。私は幽遊白書でしか見たことがないんですけど、実在したんでしょうか?いつも「ネガティブな感情を味わっている時」この人が出てきます。ネガティブな感情を取り入れる時って苦しいです。でもたとえば私という誰かが免疫を作る=負の感情と統合してそれを許したら、集合意識が少
1960年代に世界中を騒がせた実在の天才詐欺師フランク・W・アバグネイル(レオナルド・ディカプリオ)。両親の離婚のショックがいやされないまま16歳で家を飛び出した彼は、パイロットに医師と姿を変え、小切手を偽造しわずか数年で400万ドルを荒稼ぎ。そんな彼を執拗に追うFBI捜査官カール・ハンラティ(トム・ハンクス)は顔の見えないその犯人がまだ子供だと気づき、いつしか彼を保護したい気持ちにかられていく。医者のフリ(ちょっと冷や汗)□シナリオ・リスト/キャッチ・ミー
人は自身に向けられたものとして出来事を体験するが体験は誰にも向けられていない自分は自分を感じながら体験を経験しているがその自分は表現探求者にとって探求は実在する現実だが探求が起きている中には誰もいない探求は物語であり教義を通して真実に辿り着こうとしている探求者の存在は虚像探求者にとって師は実在する人物だが師に生徒は存在しない事