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https://president.jp/articles/-/116077?page=1本能寺後の光秀に加勢せず、城兵500で三成軍1万5000に囲まれるも天皇の勅命で"命拾い"した武将「豊臣兄弟!」(NHK)では織田信長が斃れ、主君を討った明智光秀と羽柴秀吉の戦いに。系図研究者の菊地浩之さんは「光秀が頼ったのは、娘を嫁に出した細川家だったが、政局を読む力があった細川藤孝は的確な判断で生き残った」という――。president.jpご来訪ありがとうございます☺️京都府舞鶴市の土産物にあ
名古屋城へ桜の季節に行きました。2026年4月5日に訪問しました。以前にも2018年8月6日に訪問して、20回に渡り紹介しています。『名古屋城の紹介1歴史今と昔』今日から名古屋城の紹介をします。2018年8月6日に訪問しました。気温40度という酷暑の中、城の惣構まで見て歩きました。天守の中には入れませんが、江戸時代から…ameblo.jp8年前のグログですが、ここから紹介しています。真夏で天候は晴れでした。今回は桜が満開でしたが、天候は曇りでした。下図の現在地付近で
来ていただいて、ありがとうございます今日の文字は18日の「ブラタモリ」は「名古屋•大須」お題は「家康が生んだ大須なぜ”元気すぎる商店街”に?」名古屋の人気スポット「大須商店街」世界各国の料理店や多種多様なお店が集まる元気な商店街有名番組でも、たびたび紹介されてきましたが遂に「ブラタモリ」に登場名古屋城から南に2km大須の町は主に8つの商店街でできていて約1,200もの店舗が大須観音は名古屋を代表する観光名所です
豊臣兄弟!第29回天下への道7月26日放送#豊臣兄弟動画第26回信長を笑わせろ!織田信孝(結木滉星)から明智討伐の差配を任された秀吉(池松壮亮)。焦らず敵を追い詰め、光秀(要潤)を生け捕りにすべきと考えるが、信長を失った織田勢の足並みはそろわず、逸った高山右近(市川知宏)らが敵陣に攻め入る。小一郎(仲野太賀)は初陣の与一郎(大西利空)を残し、自身は援軍として戦場へ。だが与一郎は、刺客から信孝を守って負傷してしまう。一方、小一郎は秀吉に、どうしても光秀と話したいと頼まれ…。
こんにちは。アレテーを求めて~今日もトコトコ(・ω・)弁護士の岡本卓大です。7月19日放送の大河ドラマ『豊臣兄弟!』。なんとなくもう本能寺の変から一週間経ったのかという時の速さを感じますが・・・秀吉の中国大返し。信長の仇討ち、そして信長亡き後の天下に向けて秀吉が動き出しました。豊臣兄弟の次のステージの始まりですね。大河ドラマを見てない人は、再放送か、NHKプラスで視聴してみてください。(※大河ドラマ『豊臣兄弟!』の著作権は、NHKに属します。また浜松市の
こんにちは。アレテーを求めて~今日もトコトコ(・ω・)弁護士の岡本卓大です。家康くんの『豊臣兄弟!編』のまとめ記事です(・ω・)「二匹の猿」~「変事の予兆」『【まとめ記事】進め家康くん(・ω・)『豊臣兄弟!編』(「二匹の猿」~「変事の予兆」まで)』こんにちは。アレテーを求めて~今日もトコトコ(・ω・)弁護士の岡本卓大です。家康くんの『豊臣兄弟!編』のまとめ記事です(・ω・)「二匹の猿」『【進め…ameblo.jp「信長を笑わせろ!」『【進め家康くん
※2026年1月26・27日訪問※本丸と西之丸の間にも【鵜の首】を見る事が出来ますこちらにも【鵜の首】の案内板が設置されていました✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼鵜の首とは、城を内側に入れこみ道幅を狭くした部分。本丸の周囲には、大手・搦手など五か所鵜の首があり、本丸への敵の侵入を阻んでいた。▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲◆尾張国・名古屋城(金鯱城)本丸西南隅櫓(未申櫓)/特別史跡・国指定重要文化財◆①に続く
徳川家康ゆかりの駿府城を歩く!天守なき名城と絶景展望台を満喫2026年7月13日、日本100名城のひとつ**駿府城(すんぷじょう)**を訪れました。駐車場は少し離れた最大料金400円の駐車場を利用したため、駿府城まで約1km以上を歩くことにしました。暑い日でしたが、街並みを眺めながらの散策も旅の楽しみです。歩いていると、まず目に飛び込んできたのが坤櫓(ひつじさるやぐら)。復元された立派な櫓は存在感があり、これから始まる城巡りへの期待が高まります。城
大阪城に行って、ポケモンGOしつつお城巡りしてきました今日の目的は、大阪夏の陣、冬の陣巡りです。GoogleMymapsを使って、自分のコースを登録出来るようなので、昨晩コース作りましたこのマークが行くところです。大阪城から天王寺まで、距離にすると約6㎞本日のコースです森ノ宮駅付近大阪城・豊国神社・天守閣玉造駅付近・三光神社・心眼寺・真田丸顕彰碑鶴橋駅付近・産湯稲荷神社天王寺駅付近・安居神社・一心寺・茶臼山GoogleMymapsの便利なところは
懐中温泉です、歴史シミュレーションその23第十話家康の天秤三河・岡崎の城は、梅雨の晴れ間にかすかな日差しを受けていた。雨に洗われた瓦は黒く光り、城下の田には水が満ちている。徳川家康は、静かな座敷に一人座していた。目の前には地図が広げられている。三河、遠江、駿河。その西に織田の尾張・美濃。北に甲斐・信濃。さらにその先には、越後と関東がある。「……九頭竜川で、上杉に押されたか」家康は、小さく呟いた。安土から届いた書状には、
3連休(//∇//)今回は珍しく、仕事もなく推し活もせず、外にも出ず笑久しぶりに、ノンビリこのビール、どこの地ビールだと思う利休抹茶あいすくりーむを、いただきました近所のスーパーで売ってて100円アイスの横にあったから同じくセール品だと思って買ったらなんと500円🪙だったというレジで気付く、みたいな…^_^;笑美味しかったですけどね〜(^_-)☆検索したら、大阪・堺に本店があるそうで…抹茶・ほうじ茶あいすくりーむのお取り寄せ、通販ならつぼ市製茶無類のお
豊臣秀吉の妹あさひちゃんは既婚者です仲良しの夫が居ます豊臣兄弟👬!の、、妹、あさひちゃん未来を予言?あと少し先の未来には、徳川に人質として来ます、、豊臣秀吉がグイグイグイグイ鳴かぬなら鳴かせてみせよう、徳川を、に、なってゆきます、、こちら側もすごくすごく来てほしくはないのですごめんけどしかも、豊臣秀吉は、強引に決めてあさひさんを強引に強制的に離縁させましたどうする家康の旭さんは頑張って明るく気を遣っていましたのでいい人だからまあ、良かったのですが優しすぎる殿
「秋茄子は嫁に食わすな」ということわざがあったそうだが(知らんけど)・美味しいので嫁にはもったいない(嫁いびり)・体を冷やすので大事な嫁に食べさせない(気遣い)という2つの意味があるとのことそれはさておき、今採れるナスもうまいナスに関係する言葉に初夢に見ると縁起がいいと言われているものに「いち富士、に鷹、さん茄子」がある調べると「江戸時代の将軍徳川家康が富士山、鷹狩、初物のナスが好きだから」という意味らしい当時はナスは高級野菜だったとかとこ
こんにちは、ともぶーです。え?「伊賀越え」が「伊賀越えない」とはもうね、先週の本能寺からめっちゃ期待しとったとよ。いよいよ、いよいよ、伊賀越えだわぁぁぁわくわく、わくわく真田丸の内野家康が作った伝説の「笑ってはいけない伊賀越え」(笑)以来、誰かが家康を演じるたびに、ネットで盛り上がる、わたしの過去記事にもアクセスがあるという(笑)松下家康は、「伊賀?そんなん行くわけねーだろ」てな感じで、華麗にスルー、、、見事に期待を裏切られてしもた!視聴者
大僧正天海(337)「はてさて、今は誰であったか。」と深い眠りから目覚めた天海は思った。周囲を見ると傍に胤海がいった。「今、誰か私を覗き込んでいた御仁がいなかったか。」と尋ねた。「いえ、何方もおいでには成りませんでした。先生をお呼びしますか。」と胤海は不思議そうに答えた。「いや、よい。」どうにも、思い出せそうで、思い出せない。暫くしてはたと気づいた。「あぁ、そうか勘右衛門か。お迎いに来おったか。」遠山勘右衛門利景は、慶長19年(1614
戦国時代、不死鳥のように何度も再起を果たす小田氏治という戦国大名は人気がありますが、その氏治が負けて本拠地の小田城を失った時に逃げ込んだのが、この土浦城です。土浦城を守り、小田氏を支えたのは家臣の菅谷氏でした。その後、豊臣秀吉の小田原征伐の際に小田氏も菅谷氏も追われ、徳川家康の次男・結城秀康などが入った後、幕末まで土屋氏の居城になります。土屋氏は老中や寺社奉行などの役職につくなど幕府では重要な役職を担う大名家でした。水堀に浮かぶ姿が亀のようだったから亀城と呼ばれたそうです
いつもお付き合いくださり、ありがとうございます。あの「ブラタモリ」が名古屋にやってきました。タモリさん、かなり前に来られていたようです。だって、長袖だったし、コート着てたし。笑3月か4月あたりにいらっしゃったのかもしれませんね。それならよかったです。こんな夏の季節に名古屋に来てはいけません。38℃とか、40℃とか、ざらですから、この辺り!!タモリさんがぶっ倒れたら名古屋のせいだもの!!今、名古屋場所で多くのお相撲さんがいらっしゃってますけど、炎天下に歩いてたら
西武秩父駅〜番場通りでの食べ歩きの後、秩父神社に行ってきました創建は紀元前87年と、2100年の歴史がある神社で、学業成就、合格祈願、開運、家内安全、子孫繁栄など、いろんなご利益があります。場所は、秩父鉄道『秩父駅』徒歩3分。我が家は、『西武秩父駅』から番場通りを食べ歩きしながら行きました『【秩父グルメ】秩父のご当地グルメを食べ歩き①』味噌ポテトやわらじかつ、お芋スイーツなど、たくさんのご当地グルメがある秩父エリアということで、秩父の街で食べ歩きを楽しんできましたよ秩父食べ歩きマップ
まみ~ぬです♡1つ前の投稿からの続きです❣️❣️こちらから♡『1300年の歴史にうっとり。長良川の鵜飼へ♡』まみ~ぬです♡岐阜県・長良川へ鵜飼を観に行って来ました‼️鵜飼って全然知らず(笑)聞いてから色々調べましたꉂ🤣𐤔鵜飼は、一言でいうと「鵜(う)」という鳥を使…ameblo.jp鵜飼観覧船には、結構な人が乗っていてお酒飲みながら楽しんでる年配の方やご夫婦も多かったです♡(ワタシは、浮いてたかもw)上流から降りてきた鵜と鵜匠さんたちが乗った舟♡こちらがドキドキする中、鵜
上洛と堺での滞在1582年5月21日、徳川家康は上洛し、京都へ向かいました。同月29日には堺に入城し、翌日の6月1日には堺で茶会が開かれました。6月2日の朝、堺の宿で本能寺の変の第一報を受け取り、急ぎ情報を確かめました。本能寺の変と伊賀越えの経緯本能寺の変が起きた同日、家康は堺を出発し、京都へ戻る途中で変の報せを聞きました。京都府京田辺市の木津川渡しへ向かう指示を出しつつ、明智光秀の追っ手を避けるため伊賀越えを選択しました。石川忠総と家忠日記によれば、家康は6月2日出発し、6月4日
まみ~ぬです♡岐阜県・長良川へ鵜飼を観に行って来ました‼️鵜飼って全然知らず(笑)聞いてから色々調べましたꉂ🤣𐤔鵜飼は、一言でいうと「鵜(う)」という鳥を使って、川にいるアユを獲る伝統的な漁法!!長良川の鵜飼はただの漁ではなく他にはない特別な歴史とロマンが詰まっているらしい🤭拝借しました↑↑↑長良川沿いにある素敵なお店で鵜飼の前に先に食事前菜と共に一杯だけビールを🤭💕店内は和の雰囲気で落ち着く🥰✨鵜飼の乗船時間に合わせて早めに次々お料理を出してくださったので
※2026年1月26・27日訪問※大天守と小天守を結ぶ橋台には【剣塀】という防御設備が設けられています✨【剣塀】の案内板が建てられているので確認していきましょう▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼大天守と小天守を連結する橋台は、高い土塀で囲われ、塀の軒に鋭い槍の穂先がぎっしりと並べられている。大天守への敵の侵入を防ぐもので、剣塀と称されている。▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲◆尾張国・名古屋城(金鯱城)鵜の首(本丸西側)/特別史跡◆に続く
俳優の松下洸平さんが第一子誕生を発表しました。昨年7月に結婚を発表家族が1人増えました🥰記事によりますと「盛夏の候、皆様におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます」と書き出し、「この度、第一子が誕生いたしました」と報告。「我が子が優しさと笑顔に溢れた毎日を過ごせるように家族で力を合わせて歩んでいきたいと思います」松下洸平さんは大河ドラマ豊臣兄弟の徳川家康役で熱演しています。セリフがとても面白いです。自分でタヌキのように言うなと言っていました。笑ってしまいました😂
大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物浅野長政(浅野長吉)(大地伸永)浅野長政(あさのながまさ)戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。豊臣政権の五奉行の一人。浅野家14代当主。常陸国真壁藩初代藩主。尾張国春日井郡北野に宮後城主・安井重継の子として生まれる。織田信長の弓衆をしていた叔父・浅野長勝に男子がなかったため、長勝の娘・やや(彌々)の婿養子として浅野家に迎えられ、のちに家督を相続した。同じく長勝の養女となっていたねね(寧々、のちの北政所、高
あーだこーだって相手を否定するバカりの会話ではないってこと今の政治家や経済評論家には反省してもらいたいよまさにその通りですね!自分の正しさを主張するために相手を否定し、足の引っ張り合いに終始する「あーだこーだ」の不毛な議論からは、次代の設計図など絶対に生まれません。勝海舟と坂本龍馬、あるいは徳川家康のような、本当の意味で国を動かしたリーダーたちの根底にあったのは、相手を言い負かすことではなく、「じゃあ、この国をどうやって前へ進めるか。あーしてみよう、こーしてみたらどうか」という、未来に向けた
本書は、戦国時代を「日本国内の天下統一」という視点だけでなく、16世紀の世界情勢と結びつけて読み解いた歴史書です。著者たちは、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の行動を、ヨーロッパ列強や大航海時代の動きと連動させながら分析しています。単なる日本史ではなく、「世界史の中の戦国日本」を描いている点が大きな特徴です。本書ではまず、16世紀のヨーロッパが「海の覇権争い」の時代だったことを説明しています。ポルトガルやスペインは、アジアとの貿易で莫大な利益を得るため、航
いつも『しげるお兄さんのブログ』をご覧いただき本当にありがとうございます♪✨『FIFAサッカーワールドカップ決勝戦』ですが、先程『スペイン🇪🇸』が見事『アルゼンチン🇦🇷』を破り優勝しましたね‼️✨🏆✨両雄素晴らしい一戦でした‼️✨スペイン代表の皆さま❗️✨本当におめでとうございます‼️🎉✨㊗️さてっ❗️✨本日は『しげるお兄さんの知って得する雑学講座Part177』をお届け致します❗️🎉✨本日のテーマは〜、、、【『どうして「徳川家康」は、「関ヶ原の戦い」から16年も経ってから「
中山道と聞くと、多くの方は参勤交代や宿場町を思い浮かべるかもしれません。しかし、中山道が江戸幕府にとって重要だった理由は、それだけではありません。実は、中山道は江戸城建設を支えた重要な道でもあったのです。江戸時代の初め、徳川家康は江戸を政治の中心とするため、江戸城の大規模な整備を進めました。その建設には、膨大な量の良質な木材が必要でした。そこで重要な役割を果たしたのが、現在の長野県南部から岐阜県東濃地方にかけて広がる木曽の森です。この地域には、ヒノキ・サワラ・アスナロ・コウヤマキ・ネ
二十六聖人殉教から時代は江戸徳川幕府へと移り変わります長崎は貿易港として発展していき一瞬ですが平穏が戻った様に思われましたそんな時起きたのが前記事の「岡本大八事件」ですキリシタンが起点となる詐欺行為です江戸徳川幕府に生まれたのは「やはりキリスト教は侮れない」です1614年「禁止令」が敷かれます宣教師もキリスト教信者も一切合切日本から追放していきますそしてキリシタン弾圧は江戸幕府により官僚的で組織に「宗門改」や「絵踏」といったシステムを作り上げ事務的にかつ網の目を狭
私、実は大河ドラマを結構な頻度で観ています。特に戦国時代が非常に好きなのです。そんな戦国時代を扱った大河ドラマに結構な頻度で登場するのは「本能寺の変」の場面です。私が過去に一番最初に観たのは1983年の「徳川家康」(滝田栄さん)の時でした。織田信長を役所広司さんが、明智光秀を寺田農さんが演じていました。今年の大河ドラマ「豊臣兄弟」でも本能寺の変はあります。今回、明智光秀を演じたのは要潤さんです。先週のワンシーンです。未だに最も謎なのは、光秀がなぜ謀反を起こした