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広島県まで来た一番の目的はこちらの沼名前(ぬなくま)神社です〈広島県福山市鞆町後地(ともちょううしろじ)〉↑鞆は伝統的な街並みを保存していてどこを歩いてもおもしろかったです♪↑こちら1の鳥居をいだく参道ですが、鞆は参道じゃなくても参道みたいな路地でしたよ↑クランク型の参道、気になります目的の2の鳥居も見えてきました!↑ハイ!これ!肥前鳥居と言いたいところですがそれの上に鳥が乗った鳥衾(とりぶすま)形鳥居と呼ばれている鳥居だそうです。鳥さん、首が欠けてるようですが。肥前の住
【問題】徳川秀忠の最初の妻・小姫の説明として正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】伊達政宗の姉武田勝頼の妹織田信雄の娘佐竹義宣の姪【正解】織田信雄の娘【解説】天正18年(1590)、徳川秀忠は織田信雄の長女で豊臣秀吉の養女となった小姫(おひめ)と結婚した。小姫は当時6歳で翌年死去したため、婚姻は形式的なものであった。
今日は岡山砦の紹介です。大坂冬の陣及び夏の陣で、徳川家康の三男:徳川秀忠が本陣を置いた場所といわれています。岡山砦(御勝山ともいいます)は、岡山古墳を利用した陣城です。前回の難波パークスに行く前にここに来ました。徳川家康の長男:信康は去年のNHK大河ドラマでもありましたが、武田と通じたと、信長に言われて殺害されています。次男の結城秀康は母の身分が低いので、他家に預けられていて、徳川家を相続できませんでした。松江城の紹介でその子孫が松江藩松平家になったことを書きまし
南光坊天海(154)「世に伝ふる所は、毛利甲斐守秀元長府にあり。長門守秀就萩城に住す。秀元より萩城に使を五六度つかはし、出陣をすすむるといへども、秀就は遅延して出陣せず。家老福原越後、兒玉豊前は先達て兵庫迄出陣すといへども大坂へは進まず、秀元一人手勢を具し馳上る所に、播州室津に大坂より番船を出し、これをとどむる中をおし分て、明石と岩屋と両方より鉄砲を打ちかくるを事もせず、関東の味方毛利宰相と呼はり。舟を乗ぬけて五月七日の曙に参着せり。秀就あとより出陣せしが、はや大坂落城
こんにちは。昨日の総合ジャンルランキングは15位でした。前日ランキングタイでした<良かったのか?今頃、ジャンルランキング10位内に入れない...頑張らねばどうぞ応援をよろしくお願いしますいつも訪問やいいね!を本当に有難うございます。人気記事ランキングで100位内に2記事もランクイン出来ました!9位【刀剣乱舞無双】残影の章・第一次上田城の戦いを攻略。真田がキーマン?お願い、家康自刃しないで!70位【ポケモンSV・藍の円盤】伝説ポケモン・テラパゴスと対峙!後編完結。ああ、これ
こんにちは。昨日の総合ジャンルランキングは15位でした。んぎゃーっ!!!ランキング大幅ダウン?!<ショック!!!何卒、応援をよろしくお願いしますいつも訪問やいいね!を本当に有難うございます。人気記事ランキングで100位内に【刀剣乱舞無双】新章の第5章・残影の章「伊賀越え」を攻略。とうとう第一部隊が出陣!徳川メインが73位にランクインしました。(人ω・*)ありがとうまいにちみくじを引いてみました!今日は「吉」!おおっ、久しぶりに良い御神籤引けたんじゃない?大分、運
「姫路城」(兵庫県姫路市)といえば天守群とその周囲を取り巻く櫓群をイメージしますが、もう一つの見所が「西の丸」にある「化粧櫓」とそれに続く多聞櫓の連続「百間廊下」ですよね。「西の丸」の北側(「大天守」より見下ろす)「西の丸」の南側(「大天守」より見下ろす)「化粧櫓」は、もう誰でも知っている「千姫」が住んでいた櫓。「千姫」は、祖父の「徳川家康」が仕掛けた「大坂夏の陣」で最初の夫「豊臣秀頼」とは死に別れ、父親の「徳川秀忠」のもとに「坂崎直盛」によって助け出されて無事送り届けられま
敦賀方面「日帰りお城巡り」の三番目は「敦賀(鞠山)陣屋」(福井県敦賀市)です。前回のブログの最後に記載しましたように、この場所のナビ設定で目的地に「敦賀陣屋又は鞠山(鞠山)陣屋」と打ち込んでも反応なし、勿論電話番号も判らないので検索もできず、仕方なく「鞠山」とつく建物に目的地を設定しました。後から気が付いたのですが、事前に「敦賀観光協会」から頂いた道路マップでは「敦賀藩鞠山(まるやま)陣屋跡」が「鞠山神社」横にスポットされていましたので、「鞠山神社」で目的地設定したら良かったのかも。
「小諸城」(長野県小諸市)の前編のブログでは、「本丸」跡入口辺りまでお届けしました。前編は↓『お城紀行2日目「小諸城」(前編)は、”三の門”と野面積み石垣の共演』8/3(火)~5(木)二泊三日の城巡りツアー2日目です。高崎のホテルで1泊しましたが、夜中に左足ふくろはぎがこむら返り、右足の筋が痙攣という二重苦に襲われ…ameblo.jp「懐古園」案内パンフレット本日は、私が「当城」を歩いた中で最も驚いた「北谷(地獄谷)」からです。そこには「酔月橋」が架かっていますがそ
前回のブログで、「”現存三重櫓”を色々な方向から顔・姿を見る」を番外編含め、合計12基+1基で終了しました。「現存三重櫓」(12基+1基)は、下記をクリックしてください。https://ameblo.jp/highhillhide/theme-10112595030.htmlしかし「三重櫓」は、現在でも「天守」にも勝るとも劣らず魅力的な建造物が、数多く存在しているのを見てきました。江戸時代通じて、「三重櫓」を備えた「お城」は、今回紹介してきた「お城」の「三重櫓」以外にも存在し