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1カ月間、人気投票にお付き合いくださった皆様、ありがとうございました。Instagramでのコーディネート課題も、あと少しで締切です。いただいた応援のポイントを持って、レッスンでのポイントなどが加算され、あとは予選でのランウェイに向かいます。今年はファイナルまで進めたらリベンジが叶いますが、まずは今を楽しんでくれたらと願っています。体調は、なかなかギリギリで浮腫みが強くなっておりますが、今は入院も感染がリスキーなので、まだ元気が残ってるうちは、踏ん張ってみようと思います。このま
次男が持ち直したあたりから、私は長女と長男の預け先をパタパタと探し回っていた長男はいいとして、長女は生後7ヶ月離乳食は急速に進んでいるものの、まだまだ母乳からは離れられそうにないICUいたときから師長さんやワーカーさんに、夜間帯の付き添いは困難と打診していた師長さんはその旨了解していただき、夜間帯は夜勤者で対応してくれることになっていたしかし師長さんから連絡があり、転棟してから夜間帯の状態安定が確認できるまで付き添ってほしいと医師から言われたと連絡がきたモニターだけでは不十分だと
夜トリクロを入れてもらっても、2時間は頑張る次男ですそのくせ昼寝をしないので、そこしれぬ体力があるのでしょうか…リハビリが開始されましたというのも、ココ数日は午後からしかいけなかったので、時間が合わずにいたのでした行ったらちょうど始まってて、PTさんに抱っこされて関節ほぐしをしてもらっていました腕が後ろに広がっちゃうので、両腕をできるだけ内側にいれるようにして、背筋をピンと支えるように、それこそ座禅のような姿勢にすると、お腹に力が入るようになってくるそう首もだいぶ支えら
突然ですが、昨日病棟に上がりました発作性頻拍からちょうど一ヶ月この一ヶ月、生きた心地がしなかった次男を想い、これからの体制を整えることだけでいっぱいいっぱいだった死の淵からエクモ離脱し、抜管し、透析がはずれ、今は経管栄養の鼻管と点滴一本のみで病棟に上がれるなんて、誰もが想像していなかったもちろん、いろんなお土産付きだけど。。ICUの先生からは、先週頭の時点ではこんなに早く病棟に上がるとは思っていなかったICUにいると、看護師と医師だけの関わりになるから、できるなら病棟でたくさん人
今日実家から、アパートに戻りました悪夢の出来事からまもなく一ヶ月アパートはあの日のままで、時が止まっていました午前中、循環器科と神経内科から脳波の結果と今後についてお話がありましたまずはこれまでの治療経過の復習、そして現在の本人の様子を踏まえ、脳波の結果から考えられることを話されました告知のあたりで撮った脳波はほんとに波がゆっくりで凹凸も少なかった多臓器不全から心臓も奇跡的な回復をとげ、先日再撮影した脳波は、前回よりは動きが見られるが相当のダメージを受けた印象があるそのため今本人
手術の説明日。これも予約だった。予約時間に外来に行くと、手術の説明は主治医ではなく病院のトップ2か3か?みたいな人だった。たんたんと説明が始まった。それはもう…たんたんと。首を切って手術する。甲状腺の3分の2と、リンパをいくつかとる。1時間程度で終わる。首にドレーンをつけるかも。術後のリスクについての説明。さら〜っと終わった。1時間の手術。そんなに早く終わるならたいした手術ではないんだろう。しかし、私は病児とチビを抱えた33歳。たかが癌?されど癌。一日留守をするの
4月になり、街並みの桜もだいぶ開いてきました前回の投稿から、1年半ほど経ってしまいました。あれから無事に幼稚園を卒園し、予定していた地元の公立小中一貫学校に弱視クラスを設立してもらい、1年生になりました夢にまで見たランドセル姿の1年生1年生になることすら、諦めた数年前。この1年間は担任の先生に恵まれ、支援学級のお友達にも恵まれ、驚くほどの成長を見せてくれました体調も大きく落ち込むことはなく、年間出席数を経った7日程度しかやすみませんでしたそれも受診や、気分が乗らないと
寝不足で迎えた手術当日。術着と紙パンツを渡された。看護師さんが来て、手術までの流れと術後の流れを説明された。言われた通りに着替えを準備。絶食、絶飲。娘は検査のたび、10回以上の手術のたびに経験していること。水分制限をしている娘にとっては、この喉の渇きが日常だということ。それを自分が経験するいいチャンスだと思った。彼女は毎日、死への恐怖と口渇感を味わっている。私はたかが数時間のことだ…弱音を吐いてる場合じゃない。生きる!生きる!何があっても私は生きなければならないんだ!!そう
見に来ていただいてありがとうございます。いいねやフォローしてもらえると嬉しいです。自己紹介はこちらりょうちゃんのことはこちら天使のりょうちゃんのことはこちら今回は心臓病についての続き。①はこちら↑この本を使って勉強してみる。(といっても読むだけなんですが、、、)そしてりょうちゃんの診断と照らし合わせてみる。・左心低形成症について先天性の心臓病は赤ちゃん約100人に対して1人の割合で発症するようだが、さらに左心低形成症候群の子は先天性の心
待合室では、その時に出会った同じ年頃の女の子と話した。彼女も初診。東北から来てホテルに泊まってから、病院に朝6時に入り受付したようだ。彼女は腫瘍ではなく、バセドウ病疑い。色んな病があるものだ。51番。呼ばれた。中へ入ると、首の触診。足の浮腫み。首のエコー検査結果と採血結果を見て、紹介状を見ながら話す。紹介状の記載が間違えていて、腫瘍の位置が左右逆になっていた。おい、おい(^◇^;)危ない間違いだぞ!しかも、前回の病院では、一箇所の指摘だったのが、もう一つ小さいのがあ
暇…。朝から暇すぎる。窓から見えるは、表参道のブランドビルのキラキラ✨せっかく7年ぶりくらいにきた表参道で、しかも1人気ままの自由なのに…出られない😭😭😭うぉーーー😭なんてこと。カフェとか、服とか、大好きなラーメン屋さんとか、昔よく買いに行った有名な豆大福とか…すぐそこなのに行けない😭😭😭上げ膳据え膳は、ありがたき幸せだけどつまらない。隣の芝生は青いって奴だな。個室フロアの廊下には誰も人が出ていない。隣の部屋からは、ゲホゲホと痰を出す声ばかり聞こえて来て恐怖。風邪がう
パパさんには、会社と話してもらい心臓病の手が離せない子供がいること、二歳の息子もいること、を伝え、1か月有給を使い、自宅で仕事をすることを特別に許可してもらった✨✨それもこれも、優秀社員だったおかげ。ありがたや。おかげで、退院後の生活の安全は確保。今じゃテレワークが当たり前だが、10年前はそうはいかない。しかし、営業の為、毎日自宅作業は無理があり、クライアントとの打ち合わせのたびに出社。その間は、親に泣きつき手伝ってもらった。娘は、救急にいつ運ぶかわからないので、誰もい
伊藤病院。調べると、表参道のブランド街に位置。風邪が怖く人混みを避けて生きて6年目。いやいや無理。まじかーーー。行きたくない。旦那さんは仕事だから、電車で行くしかない。予約システムはないらしく、行くしかない。受付時間を調べると6時。検査開始は8時。診察時間は9時。え?6時?早いけど、空いてるうちに終わらせたい。まだ真っ暗な4時に起きる。タクシーを5時に呼び、始発に乗り込む。始発だから大丈夫だろうと甘くみたが、サラリーマンでぎゅうぎゅう。人との接触を避けてきた私が、
先天性心疾患や左心低形成症候群で検索して引っかかった方現在、障がいを抱えている方障がいのある子を育てている方·介助されている方そして、きょうだい児の方…もし、このブログを見ていたら不安な思いだったり、不快な思いをさせてしまったかもしれません。申し訳ありません。(タグ検索か何かでイキナリこのページに飛んできてしまった方。これ以前の投稿は中期中絶について書かれたブログになるので、見たくない方は下記のページ以外には飛ばないようご注意下さいどうしてブロ
かなり時間があいた投稿になりますログインできない時間が長く、メッセージくださったかた、お返事できず大変申し訳ありませんでした。年長児になった次男の近況です。心臓のほうは比較的安定しています。頻脈を起こす前の状態までほぼ回復し、家族内でヒトメタや謎の風邪が蔓延しつつも、うつらずに過ごせていて、みんなびっくりしています。幼稚園生活では、年長児になってぐんとやることが増えたり、判断能力を求められるような場面も多くなりましたが、「お友達についていきたい!」想いもあるなかで、自分のペースも
毎朝6時前にICUへ向かう日中はお昼頃と夕方あとはみんなが寝静まった22時過ぎ毎回長い廊下を、短いなぁと思いながら向かう足取りは先週より軽いだろうか…筋弛緩剤が止められていた舌がピクピク動いているすごくなにか欲しそうに瞼もたまにピクリとする声をかけると、血圧が上がる主人がお菓子の話をしたら、爆上がりしたそう呼吸器の警告音で返事をする次男の意思が少し垣間見える一瞬ここから呼吸器のサポートを下げて、自発呼吸ができて、血圧が維持できればフォンタン循環は成立するじゃ、それ
...2025.3.26退院2025.3.31脳波・MRI検査結果外来結果からいうと、てんかんのような異常は見られなかった。けれど、今回痙攣時間が長かったこと同じように検査結果に異常がなくてもてんかんを繰り返す子もいるのでてんかんではないと言う断言も出来ない。ただ、今回搬送された次の日の朝に39度台の高熱をだしてヒトメタとわかっているので熱性痙攣も疑われるがなんとも言えない結論的にはどっちも疑われるという感じでどちらとも断言出来ないニュアンスでした同じ事が起
朝だ。少しは眠れたみたい。首が苦しい。締め付けられてるみたい。喉が痛い。挿管のせいか。痰がやたら出る。咳こむ。その度にティッシュに痰を出す。隣の部屋の人が咳をしていたのは、このせいか。風邪じゃなかった。うぅ。だるい。ご飯はお粥から。ここの食事はすごく美味しい✨✨暇だ。とりあえず外に出よう。体力が落ちないように、無駄に階段を行ったり来たりを繰り返す。談話スペースに行くと、1人のおばあさん。つまらないなら楽しい環境に変えればいい!が私のモットー。おばあさんに話
今日の結匠くんはずいぶんお話をした午前中リハビリ午後からは神経科の先生の診察左足はけっこう動く様にはなってきて左手はまだちょっと動きが少ない…けど、頑張ってちょっとだけ腕が動く😁唾もまだダ~ラダラ流す…飲み込みちょっと不安…(前回は…反回神経麻痺での嚥下の問題あり)今回はおそらくそれはない…と勝手に思っている大好きな看護婦さんにお遊びリハビリしてもらって超ご機嫌しかし!お座りは厳しいらしく首が…首の座りたての赤ちゃんみたいにカクンッって術後1週間寝ちゃうとここま
年末から、セカンドオピニオンを進めていました。11月に行ったカテでの電気生理検査の結果が出て、なかった「方法」に、「ちょっと良くなるかも」が見えました。しかし、その「ちょっと」にかけるには、あまりにもリスクが多すぎるオペ。簡単には決断できない。しかし、決断しないと、予想はついている。同病院では、施設基準がないのでそのオペはできない。まずは、この「ちょっと」という結果と、オペを急ぐべきかの意見を聞きたくしっかり納得してから、本人が選択できる事を一番に!セカンドオピニオンを。主
こども病院を無事に退院しました。10月15日からHCUに移り「(一般病棟に)移るかも」とほぼ毎日言われ、長男えいくんの保育園登園時には勝手に夫婦で「最後かも」とお見送りをしながら過ごしていました。それほど順調に回復していき、10月22日は酸素も離脱して、一般病棟に移りました。眼科にも診てもらえて、心配していた瞼のつながり?も無事に切開してもらいました。まあ、目が大きいこと。病院で一か月検診も終え、退院しました。自宅では4日間
あっという間に、その日はやってきた!入院グッズは完璧!仕事を抱えている母も義母も、交互に家にサポートに来てくれることに。水分制限で水水叫ぶ抱っこが必要な5歳児と、見えなくなると泣いてすぐに吐く2歳児。大変だろうが、託すしかない。大金払って泊まる、特別個室はホテル並み✨✨広い部屋に、お風呂にトイレ、長いソファにテーブル、大きな壁掛けTV、ベッド、電話。とりあえず、1時間かけて全てを消毒しまくる。コロナ前から感染を気にする私は、これが当たり前のルーティン。夜になると、前職の先輩や
暗黒モードの1週間だった。甲状腺の手術をした姉からは、「どんな結果がでようが、必ず、有名な甲状腺専門病院のセカンドオピニオンに行きなさい。」と言われた。ついに、結果を聞く日。ザ!緊張!やだやだやだ、こわい〜。もし癌だったら、この子達どうしよう。こんな大変な病児抱えてんのに、どうしろっていうんだよ〜。延々とそればかり。結果は、、、、「濾胞癌グレー」ハーフ、ハーフ。ピザじゃないをんだからっ😤何これ、一番すっきりしない。「とりあえず、どちらとも言えないから一年後の経過観
入院仲間とわいわい過ごしているうちに退院が近づいてきた。看護師さんから、退院の注意事項の説明があった。「傷口は濡らさないで消毒してから傷を綺麗にするテープを貼ってください。」細かく切った茶色いテープを何枚も、フランケンシュタインのように傷にそって貼る。これは、どなたかのブログでチェック済み。ふむふむ。濡らさないって、、、子どもとのお風呂やばいな〜😅どうしよ。「傷口は日に当てないでください。」ふむふむ。ストールしよう。「運転はしばらく控えてください。」え?マジ?たしかに、首がま
※注意※妊娠6ヶ月で中期中絶という選択をしました。その記録となります。どうしてブログに記録するのか不安·不快に感じられる方もいらっしゃるかと思いますので、これ以下についてはご自身で、読み進めるかのご判断をして頂ければと思います。12月5日20w6dこの日、本当は仕事でしたが、休みました。正直、仕事が出来る精神状態ではなかったです。夫は仕事。長男は保育園へ。私は休んで家に居るのに申し訳ないと思いながら…この日はとにかく心臓病の本を読んだりネットで色々調べたり…中
検査結果当日。念のため、主人には半休をとってもらい一緒に病院へ。半か?丁か?「乳頭癌ですね〜」あまりに当たり前のように告知された。当たり前〜♪当たり前〜♪あたりまえ体操〜♬♪あまりの当たり前的告知に、こちらも、「そうですか〜。」と当たり前に返してしまった。え?どう反応するのが正しいの??全然わかんない。乳頭癌、私が調べた限りでは、かなりヤバイやつではない。それだけはわかっていた。ひとつの大きいやつはやはりグレーの腫瘍。もうひとつは。7ミリの微小癌。「手術はどう
病児の母である私が入院手術するというのは、大ピンチ❗️一人で子育てしているのに近い生活。薬のこと、微妙な体調変化、食べさせちゃいけないもの、時間ごとに分けた水分管理、曜日ごとの宅配関係と電話番号、体調にトラブルが起きた時の対応、各病院で書かなきゃいけない事、説明しなきゃ行けない事、感染病とその対応…沢山あった。私がこのまま、いなくなったらヤバいじゃん!ってことが沢山あった。薬の名前は見ればいいものの、間違えた場合の対応、体調によっては飲ませちゃいけないもの、細かい事は、自分の頭の
5年生の記録を残そうと思っていたら、あっという間に5年生も終わり春休みに…もうすぐ6年生え!6才のまちがいじゃ…幼さはありつつも本人のペースでゆっくり成長中おしゃべり大好きごっこ遊びは変わらず好きで5年生でソーイングを習うと家ではお医者さんごっこ…として気がつけばぬいぐるみ達が犠牲に歌うの大好きMrs.GreenAppleにハマったはるはるさん!テレビにミセスが映ると歌のパフォーマンスを真似てライブごっこ⁉︎YouTubeも好きゲームはSwitchのピク
次男には3つ上のお兄ちゃんがいる今年小学生になった次男が生まれた年、彼は3歳目前彼の3歳のお誕生日は、次男が病棟に上がる日になり、前倒しのお祝いだったそれから半年近く離れて過ごしましたが、彼は寂しいと泣きわめいたりすることはなかった次男が退院してから自分が朝保育園ないし幼稚園に行き、帰ってくるとお母さんと次男は入院になってたなんてことがほとんどそれでも彼は寂しいと泣くことはなく、父親もしくは、祖父母の家で過ごしていた今回の入院も1週間くらいで帰ってくるんでしょう
手術が終わった…らしい。個室なので、回復室には寄らずに、術後そのまま部屋に。意識が朦朧とするなか、主人と父の声。「大丈夫か?」って言われたような??覚えてない…そして、夜も遅かった為に、「じゃあな。帰るからな、頑張ってな。」みたいな声が早々に聞こえたような。私の細めた目からはぼやけて影しか見えない。うなずいたのか、何をしたのもわからない。それより、自分の怠さで精一杯。陣痛時のような気持ちだ。心細いけど,誰にも何もできないから一人でいい。動いちゃいけないのは3時間。