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シリーズ過去記事はこちらからどうぞ。▲六甲山の瀬織津姫・1▼地上の北斗七星に封印された瀬織津姫▲六甲山の瀬織津姫・2▼役行者さんの祈りの中の北斗七星▲六甲山の瀬織津姫・3▼「弘法大師像」に描かれた暗号。という考察。***10月7日にまきろんさんの参拝記事を読んで、初めて「籠神社」という場所を知りました。その中であれ?と思ったのが「真名井神社」真名井マナイ神呪寺の真井御前(マナイゴゼン)と同じ漢字?……と思っていると、ご本人が当時の籠神社宮司の姫様
ご訪問ありがとうございます。前回は、浦嶋子(浦島太郎)は、古代出雲一族と初期大和王朝の王であるニギハヤヒの血がが交わった「海部族」の末裔であるという伝承についてお話をしましたでは、前回、新たに出て来た伝承の「浦嶋子は海部族の末裔」だとすると、以前にお伝えした「海幸彦=浦嶋子」という話とはどう繋がるのか?という新たな疑問が出てきました。以前、私は、シャーマンの間の口伝では「海幸彦は、浦嶋子なんじゃないか?」という推測があるとお伝えしました。以前
前回からの続きです。『『荒脛巾(アラハバキ)神』自らの生命を恵む『豊穣の女神』』前回からの続きです。『『荒脛巾(アラハバキ)神』水を司る縄文の女神・月神の使いたる蛇神』前回からの続きです。『『荒脛巾(アラハバキ)神』イザナミの『よみがえ…ameblo.jp『月』と『水』との関係についてみてきました。古代、月はその青白い姿から水をたたえると信じられその月がもたらす若返りの霊薬は『変若水(おちみず)』と呼ばれていました。月とは水であり雨・霧・夜露などの形で、もたらされる。かつて
妙見信仰の続きですが、妙見神とは、神仏習合になっており、天帝とよばれた星は動いていない(ようにみえる)ため中心を司る最上とされました。その周りを巡回してまわっている北斗七星が一昼夜でその周囲12方向を指すことから、時間に現わされる。さて、今回は、伝説と縄文遺跡との関係なのですが、妙見菩薩が「カカセオの化身」と伝わる秩父妙見があります。この話は、後で登場しますのでその時に詳細かきますが、「星は石」と考えると、カカセオなり妙見菩薩とは「隕石」ではないか?と思ってしまう伝説が埼玉県
麓神社(ふもとじんじゃ)丹後国與謝郡京都府宮津市難波野(境内に駐車可能、アクセス道が細いので籠神社もしくは眞名井神社から10~15分ほど歩くか)■祭神弘計皇子(ヲケノミコ)億計皇子(オケノミコ)丹後国一ノ宮籠神社の北東400~500mほど、宮津市「難波野(なんばの)」に鎮座する社。奥宮の眞名井神社と同じく「成相山」の山裾に位置します。◎当社は南を免れるため丹後にて隠棲したという弘計皇子(ヲケノミコ)・億計皇子(オケノミコ)を祀る社。5世紀終わりのこと、次々と政敵を殺めて一掃
皆様、超寒いですね〜諒有子は冷えにヤラれていますさて、春ツアーのお誘いです。今回は、魔女達の遠足も合流致します。火(太陽)と水の融合=変容の地、天橋立に参ります。諒有子的には、この地は、ご自分の中に眠る、才能を引き出し、自分らしい道を指し示してくれるエネルギーがあると思います。たくさんの魔女達が、ここで種を開花させて行かれたのを見てきました。魔女塾生の皆様、惑星の後押しがまき起こる時期に、波に乗るしかありません。是非ご一緒致しましょう!天橋立は、天と地をつなぐ龍神。運命を現実化す
世界の終末を告げるオノゴロ島「隠岐」の謎その24空海の母親「玉依御前」(たまよりごぜん)とは「玉依姫」(たまよりひめ)と呼ばれて巫女で、「玉依姫」とは「竜宮城」の「乙姫」の妹とされ、「神武天皇」の母でもある。あくまでも神話ではるが。そしてその「竜宮城」こそが「隠岐」と深くつながっているのであるが、「竜宮城」の話は一旦、横に置いておく。空海が海部氏の「媛巫女」の「真名井御前」から「籠神社」の宝珠「潮満珠・潮干珠」を授けられたは、空海の出自が「物部氏と秦氏」の王家の血を引く者だったから
ご訪問ありがとうございます。丹後国の謎がこんなに大きいとは思わず、最初は入門編にしていたのですが、表題を改めることにいたしました。どうも丹後には「古事記」「日本書紀」とは全く別の、海洋系の神話世界が広がっているような感じで、入門編という感じではなくなってきたのです。そこで、いよいよ、天橋立まで行った成果をと思うのですが、これはなかなかたいへんです!そこで、とりあえずこのまえからお話ししている「籠神社の海部氏系図」を見てみることにいたしましょう。(「元伊勢籠神社御由緒略記)による)後で
世界の終末を告げるオノゴロ島「隠岐」の謎その22まさか「隠岐」に「空海」の影が深く刻まれているとは予想もしなかった。さらに本伊勢「籠神社」の神官「海部氏」の「媛巫女」(ひめみこ)だった「真名井御前」(まないごぜん)もである!どうももと来た道に戻ってしまいそうで怖いのだが、これは正面を突破するしかなさそうだ。しばし「如意宝珠」=「潮満玉・潮干玉」とこの二人の謎を追いかけるとしよう。◆如意輪観音と室生山「室生寺」(むろうじ)は「室生山」(むろうさん)の麓に佇んでいる古刹である
籠神社(このじんじゃ・かごじんじゃ)丹後国與謝郡京都府宮津市字大垣30(P有、有料500円)■延喜式神名帳籠神社名神大月次新嘗の比定社■社格等[旧社格]国弊中社、官弊大社[現在]別表神社丹後国一ノ宮元伊勢吉佐宮の論社■祭神彦火明命[相殿]豊受大神天照大神海神(ワタツミノカミ)天水分神神代の頃より当社奥宮である匏宮(よさのみや、表記は「與謝宮」など多くあり)から、和銅六年(719年)に遷座された社。その匏宮では豊受大神を、天照大神の孫神である彦火明命
「本系図」巻頭*画像はWikiより◆丹後の原像【87.古代海部氏の系図~8】いよいよというか…ようやくというか…本題に進みます。たかだか130ページ余りの書にここまで50ページほどが割かれ本題は薄っぺらいな…。これまで気楽に記事を起こしてましたがここからはそうもいかん。しっかり取り組んで参ります。…その前に!やらねばアカンことがあるんや!今回は少々長い記事となります。最後までお付き合い頂ける方がおられましたらさいわいです。~*~*~*~*~*~*~*~*~*
籠神社の名誉宮司海部光彦氏が11/8未明に永眠なされました。御歳91歳であったとのこと。早々に籠神社よりお葉書が届きました。これほどのお方になるととてもじゃないですがお話をできるほど私も図々しくはありません。境内でお見掛けしても、最大限の笑顔で会釈するのが精一杯。(顔をこわばらせながら…)神々しいオーラを放っておられました。神社を拝する作法というか…間合いみたいなものは、海部光彦氏をマネたものにしています。柏手を打つ仕草は人それぞれで正解というものなど無いのでしょうが。
「本系図」巻頭*画像はWikiより◆丹後の原像【81.古代海部氏の系図~2】前回の記事にて、それまで行ってきた「丹後叢書」の現代語訳を一時中止し、「古代海部氏の系図」という著書を元に新しい題材を行っていくという旨を綴りました。そして序章として、この題材を始める経緯や、「海部氏系図」の概要等について触れました。今回はその第2回目。ゆるゆると本題へと向かいます。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事『◆【丹後の原像】過去記事一覧』新井崎神社の鳥居越しに仰ぐ「冠島」「
(1)古代物部王国と籠神社古代日本は、物部王国であった。彼らは、海のシルクロードを渡ってきたイスラエルの失われた十支族の中の一部の者たちである。日本の建国はBC660年であり、失われた十支族が建国したと考えても良い年代である。(北朝が滅亡したのはBC722年。物部氏については未知の部分が多く、現在、調査中である。)最も勢力を誇っていたのは、東海地方から畿内まで治めていた尾張氏(尾張地方の名の由来)と、畿内から丹後付近までを治めていた海部(あまべ)氏である。尾張氏は代
日本書記でいうところの三大神宮である石上神宮(他は伊勢神宮、出雲大神宮)で、神剣「フツノミタマ」顕現150年記念特別参拝が開催されており、普段は入ることの出来ない禁足地後方から本殿を参拝できるというので、9月23日に行ってきました。※因みに延喜式神名帳による三大神宮は伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮です。結構各地から参拝に来られており驚きました。また数名のボランティアガイドさんもおられたので、説明を聞きながら参拝しましたが、ニギハヤヒあるいは物部氏というキーワードがよく出てきました。
「日本」を封印した「聖徳太子」その13聖徳太子と蘇我馬子は、推古天皇のもと共同で政治を行ったとされている。二人は親戚関係にあったが、その仲については政敵でライバルだったという説と協力者だったという正反対の説が存在する。だが、これまで見てきたように、聖徳太子は滅ぼした相手の物部守屋を祀るなど、常に太子の影には物部氏の存在が登場する。それはまるで太子を守護しているかのようにである。◆「聖徳太子」の母方の出自「厩戸皇子」(うまやどのみこ)と呼ばれた太子は、蘇我氏と強い血縁関係にあった
神戸の六甲比命神社。この神社を知ったのは、謎解きで有名なハリー山科さんの動画。こちらの動画に登場する、地元の歴史研究家の方とハリーさんの話を簡単にまとめてみたい。-----六甲山にある六甲比命神社には、六甲比命大善神という巨大な磐座がある。瀬織津姫を祀っているらしい。その磐座は兎の形をしていて、頭が北西を向いているとのこと。その頭が指し示す方向を辿ると京丹後市峰山町の久次岳にあたるらしい。久次岳の頂上は、豊受大神が籠った場所とされていて、山麓の比沼麻奈為神社には豊
『卍(まんじ)のルーツとムー大陸の内緒話』『ホピ族と太陽十字の内緒話』『沖縄のロゼッタストーンとホピの予言の内緒話』『ロゼッタストーン』。エジプトの「ロゼッタ」という町で発見された古代エジプトの文…ameblo.jp↑のつづき。『十種神宝(とくさのかんだから)』。天地開闢から推古天皇までの歴史が記されている『先代旧事本紀』では、「天璽瑞宝十種(あまつしるし-みずたから-とくさ)」として登場する10種類の宝物。記述によると、『饒速日命『ニギハヤヒ』が天降りする際に『天神御祖(
いよいよ古代史の謎にせまります!😆もちろんそれは…籠神社⛩今回は神社の宮司家である海部氏についての考察はまた別の機会にします。元伊勢大神宮籠之宮神話では崇神天皇の時代までは天照大神の御魂が宿る三種の神器の一つ八咫の鏡は天皇が住む場所で祀ることが決まっています。それは天照大神が孫の瓊瓊杵命が葦原中国に天孫降臨する際、神勅を命じました。五つの神勅を出し、そのうちの一つ宝鏡奉斎の神勅吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎の鏡となすべ
「本系図」巻頭*画像はWikiより◆丹後の原像【89.古代海部氏の系図~9】前回の記事に於いて、国宝指定されている「海部氏系図」(本系図)は、まったくの偽系図であり信用し得る箇所が一辺も存在しない…そのような宝賀寿男氏による、完全排除の説を載せました。理由は理路整然としたものが多数掲げられており、判然としたものばかり。当ブログに於いてはこの説を支持していくことにします。今回の記事では、もう一方の「勘注系図」についての記事となります。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過
今回、海部氏の系図をかなり参考にし、尾張氏の系図に手を加えました、精査して分かったことは、「尾張氏、海部氏、和邇氏」の三氏族は同族として活動していた事が分かるものでした。現在はそれぞれに別々の氏族の様に思われていますが、少なくとも雄略朝頃までは同族として活動していた事が、代々の宮司の名前から分かります。基本は丹後の家から出しますが、跡継ぎが途絶えたり何かあった場合には他家から宮司を迎えている様子が残されていました。尾張氏からは、十世孫小縫命十四世孫小登與命十五世
何がかくされているのか元伊勢籠神社・眞名井神社の続きです。前の記事は下に貼っておきます。籠神社、ご祭神は彦火明命。社家は海部家。そして昭和62年に、2000年間封印されてきたご神宝を公開しました。公式サイトでご覧ください。宝物|丹後一宮元伊勢籠神社(このじんじゃ)奥宮真名井神社(まないじんじゃ)海部家に伝わる神宝や籠神社に伝わる宝物をご紹介致します。神宝海部氏伝世鏡邊津鏡(学名内行花文昭明鏡)息津鏡(学名内行花文長宜子孫八葉鏡)昭
日本には、神社が8万社以上もある。その数はコンビニよりも多いらしい。『保久良神社』は兵庫県神戸市、金鳥山の中腹に鎮座する。その主祭神のひとり、『椎根津彦命』。神武東征において、船路を先導した人物。なんと、亀に乗っております🐢椎根津彦命は元々、『珍彦(うづひこ)』のいう名だった。『渦』、つまり↓『カタカムナ』のことですよね~。※カタカムナはあまり調べ過ぎると消されてしまうらしいので、喋り過ぎないようにしよう。珍彦は亀の背に乗ってやってきた。『浦島太郎』っぽいと言えば簡単だが、
さぁ、砥鹿神社さま奥宮へ今年のお礼参りへと。(なんせ、歳またいでますが、開き直ってます。)途中途中、寄り神社したいとこはあるのです。今度来ま~す。と、車からパンパン礼。と横着者でございます。でも1社、行きたいと思ってしまった。宮嵜神社さま。前に○○さんと桜舞う乙女前神社さまお参りした後、行ってみる?って連れて行ってくださった「石座神社」さまその石座神社さまを調べてたときに宮崎という言葉が出てきた。そのときは九州の宮崎だと思っていた。間違えてるので、読
似非歴史学者、ヤマグチポッターですm(__)m天橋立への旅行の後、あらためてこの丹後地方の歴史深さに感銘を受けています。そこで、番外編として歴史モノを上梓します。今回の記事は、天橋立のある丹後国そしてその一の宮たる籠神社(このじんじゃ)にまつわる歴史のお話です。まあまあ長くて、古の日本の歴史に興味がないとかなり退屈です(^^;)先に謝っておきます(笑)以前もお話しましたように、そもそもは北側から見たこの眺望がいわゆる天橋立でした。その天橋立のある丹後とはいかなるところ
世界の終末を告げるオノゴロ島「隠岐」の謎その35「陰陽道」は隠岐が発祥の地であった。島前は「陰の六芒星」、島後は「陽の五芒星」を成す「五六合わせ」で、これが「鬼の五六島」、「隠の五六島」で国産みにおける最初の島「オノゴロ島」の正体だった。そこには古代ヘブライの神宝=鬼の宝が隠されていたが、それらは「ヨシュアの宮」の名を持つ「吉佐宮=籠神社」を作った一族によって「眞名井神社」と「出雲大社」へと移された。では、いったい誰が「隠岐」に古代ヘブライの神宝と神事を持ち込んだのか、ということである
超現実主義のスピ嫌いから一転!!神様に呼ばれて365日神社参拝🙏全国各地にご縁を繋げて貴女の人生を豊かに✨🐴スピリチュアル神社ナビゲーター🐴👑紅茶王子です👑牡牛座の満月綺麗でしたね〜🌕月食の事を知らなかったので満月なのに何で欠けてるん❓❓❓はにゃ❓❓❓っとなりつつ空を見上げて多幸感に浸っていました朝晩の冷え込みも徐々にきつくなりすっかり秋めいて来ましたね🍁もう寒いかなとも思いつつ、10月も行って来ました〜🐉大人の遠足滝行ツアー@和歌山🙏今回は更にバージョンアップ
元伊勢籠神社についてはこちらの記事が超絶分かりやすいです。オススメ!↓【note】宮津市広報さん宮津にある「元伊勢」!?神秘の神社を大解剖〜籠神社〜読み応え&お写真も綺麗ですで、ここからは、わたくしのスマホカメラ写真…写真はありませんが、手水舎は、近づくと反応して、水が出るタイプです。「あ〜、水出てないね〜。」という声が聞こえて来たことがあったので念のため重要文化財の狛犬さんです。ニコッとして下さってるような…御朱印で
世界の終末を告げるオノゴロ島「隠岐」の謎その34古代ヘブライの神宝であった七本首の金の燭台「メノラー」は元々は隠岐に鎮座していた。だが、「国譲り」が起きた際、出雲の築木に新たな出雲大社が創建された時に、隠岐から出雲へと強制的に移動させられた。だから隠岐の人たちは出雲人を嫌う。七本首の蛇を型どった金の燭台「メノラー」と「八角形の台座」が、海を渡って出雲へと移されたことで、「八岐大蛇」(ヤマタノオロチ)が海から上がってきたという伝説になっているのだが、なんで7本首の蛇なのに8本首の龍となってい