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名古屋クラス神戸クラスのあと月曜は休みにしてどこかに立ち寄り休憩しています。今回は籠神社へいきたくてかおちゃんにお付き合いいただきました。三ノ宮から高速バスで福知山までそこからは丹後鉄道で天橋立へ乗った特急がめちゃくちゃ素敵で感激!こちら自由席なのですよ。パッチワーク柄のシートに全て木で作られた車内が素敵すぎました。丹後鉄道丹後の海-京都丹後鉄道(丹鉄/たんてつ)京都丹後鉄道で『海の京都』をイメージした新しい特急列車が登場!trains.willer.co.jp自
籠神社(このじんじゃ・かごじんじゃ)丹後国與謝郡京都府宮津市字大垣30(P有、有料500円)■延喜式神名帳籠神社名神大月次新嘗の比定社■社格等[旧社格]国弊中社、官弊大社[現在]別表神社丹後国一ノ宮元伊勢吉佐宮の論社■祭神彦火明命[相殿]豊受大神天照大神海神(ワタツミノカミ)天水分神神代の頃より当社奥宮である匏宮(よさのみや、表記は「與謝宮」など多くあり)から、和銅六年(719年)に遷座された社。その匏宮では豊受大神を、天照大神の孫神である彦火明命
弘法大師「空海」と真言密教の謎その13◆「如意宝珠」と空海の遺言室生寺の奥の院に秘蔵される「如意宝珠曼荼羅」の掛軸には、栗のような形をしている「如意宝珠」が描かれている。室生寺の五重塔の石段を少し上がったところには登ってはいけないとされる「如意山」(にょいやま)という小高い丘があり、ここに如意宝珠が埋められていると伝えられているのが、それは門外不出とされ世に出ると災いが起こると言う。実はこれ、京都の東寺に残された空海の遺言状『遺告二十五箇条』の二十四条に記されているので
こんにちは。さあ、いよいよ元伊勢・籠(この)神社の秘密に迫っていきましょう❗️わたしはそもそも、「ニギハヤヒについて書いてくれないか」と2022年の夏に誰かから頼まれて(人ではないが)、このような世界に飛び込んでしまい、アリスなみに「えらいこっちゃ」という感じになっておりますが、真の日本の歴史を巡る旅路、けっこう楽しくめぐっております✨さて、丹後国一宮、籠神社の祭神は「彦火明命(ヒコノホアカリ)」と言いますが、別名「饒速日(ニギハヤヒ)」と呼ばれています。
世界の終末を告げるオノゴロ島「隠岐」の謎その22まさか「隠岐」に「空海」の影が深く刻まれているとは予想もしなかった。さらに本伊勢「籠神社」の神官「海部氏」の「媛巫女」(ひめみこ)だった「真名井御前」(まないごぜん)もである!どうももと来た道に戻ってしまいそうで怖いのだが、これは正面を突破するしかなさそうだ。しばし「如意宝珠」=「潮満玉・潮干玉」とこの二人の謎を追いかけるとしよう。◆如意輪観音と室生山「室生寺」(むろうじ)は「室生山」(むろうさん)の麓に佇んでいる古刹である
『出張の合間の神社巡り大阪編『星田妙見宮(小松神社)』~星が落ちた場所を巡る~』『出張の合間の神社巡り大阪編『星田神社』~いざ、星の街へ~』『出張の合間の神社巡り和歌山編『伊太祁曽神社②』~吉野川で繋がっている~』『出張の合間の神社…ameblo.jp↑のつづき。さて、今回は神社巡りから少し離れて、『瓢(ヒサゴ)』のお話を。『瓢』とは「瓢箪(ひょうたん)」のことである。最近のワタシの愛読書は、もっぱら『道は阿波より始まる』である。道は阿波より始まるその一阿波風土記
ご訪問ありがとうございます。丹後国の謎がこんなに大きいとは思わず、最初は入門編にしていたのですが、表題を改めることにいたしました。どうも丹後には「古事記」「日本書紀」とは全く別の、海洋系の神話世界が広がっているような感じで、入門編という感じではなくなってきたのです。そこで、いよいよ、天橋立まで行った成果をと思うのですが、これはなかなかたいへんです!そこで、とりあえずこのまえからお話ししている「籠神社の海部氏系図」を見てみることにいたしましょう。(「元伊勢籠神社御由緒略記)による)後で
◎籠神社から「誕生祭」を(令和七年)今年も籠神社にて御祈祷頂き御守護の自祓串や撤饌(てっせん)等が送られてきました。これは崇敬会会員の特典の一つ。撤饌の内容物はここ数年毎年少々変わってる。予算的なもんかな。取りたくもない歳をまた一つ重ねましたが大神神社といい籠神社といいこのようなお社の偉大なる大神に一年を御守護頂けるのはこの上ないしあわせなこと。今年は未だ丹後に行けてない。禁断症状が出そう(笑)今年の予定は…5月末に丹後神社ツアーの案内役を予定。夏終わりか秋始
「日本」を封印した「聖徳太子」その13聖徳太子と蘇我馬子は、推古天皇のもと共同で政治を行ったとされている。二人は親戚関係にあったが、その仲については政敵でライバルだったという説と協力者だったという正反対の説が存在する。だが、これまで見てきたように、聖徳太子は滅ぼした相手の物部守屋を祀るなど、常に太子の影には物部氏の存在が登場する。それはまるで太子を守護しているかのようにである。◆「聖徳太子」の母方の出自「厩戸皇子」(うまやどのみこ)と呼ばれた太子は、蘇我氏と強い血縁関係にあった
弘法大師「空海」と真言密教の謎その3空海の母の家系である「阿刀氏」は饒速日命を遠祖とする物部氏と同祖で、祭祀に長じていた阿刀氏のルーツは、古代イスラエルの祭祀支族「レビ族」の可能性が高く、それは物部氏の中でも祭祀を司どった王族たる「海部氏」のこととした。なぜ「海部氏」なのか。それは、空海が愛したとされる女性が「眞名井御前」(まないごぜん)だからである。「眞名井御前」は、丹後一宮の元伊勢「籠神社」(このじんじゃ)の神官「海部氏」の娘で、幼名は厳子(いずこ)といい、10歳のときに京
シリーズ過去記事はこちらからどうぞ。▲六甲山の瀬織津姫・1▼地上の北斗七星に封印された瀬織津姫▲六甲山の瀬織津姫・2▼役行者さんの祈りの中の北斗七星▲六甲山の瀬織津姫・3▼「弘法大師像」に描かれた暗号。という考察。***10月7日にまきろんさんの参拝記事を読んで、初めて「籠神社」という場所を知りました。その中であれ?と思ったのが「真名井神社」真名井マナイ神呪寺の真井御前(マナイゴゼン)と同じ漢字?……と思っていると、ご本人が当時の籠神社宮司の姫様
伊勢旅の疲れで、意識するだけで精一杯だった、中秋の名月。お団子ひとつ、食べていない………。うむ、それで、ここ数日、追いかけるように、竹取物語、かぐや姫が気になりだしました。竹取物語といえば、日本昔話の中でも、最も古いとされる物語。平安時代には書かれたとされますが、作者は不詳となっています。ただ、空海が書いたという説があります。ではないとしても、何らかの手を加えた可能性は、あるような。もしくは、自分を重ねたか。なぜなら。かぐや姫を見つけて育てた、竹取の翁は、讃岐造(さぬきのみやつこ)の名で
人気ブログランキング私が初めて古代の神話に興味を持ったとき、初代天皇である神武天皇よりも前に大和の王だったという饒速日(ニギハヤヒ)のことがとても気になりました。その饒速日(ニギハヤヒ)の存在はのちに、封印されていたようです。京都に籠神社(このじんじゃ)という古い神社がありますが、↓↓主祭神の彦火明命はその饒速日(ニギハヤヒ)と言われています。籠神社の社家「海部氏」は、饒速日(ニギハヤヒ)から続く
感謝してます!まるかんのお店美来の中川典子です!いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます「身体」「心」「魂」の三位一体で、人生を豊かにするお手伝いをしています新商品・ohセレブホワイトベージュDX入荷しました!ミラーのような上質なつや肌に!『ohセレブ新商品!ワンランク上のつや肌に!』感謝してます!まるかんのお店美来の中川典子です!いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます「身体」「心」「魂」の三位一体で、人生
眞名井神社丹後国與謝郡京都府宮津市字大垣小字諸岡86(P有)■祭神[磐座主座(上宮)]豊受大神[相殿神]罔象女命彦火火出見尊神代五代神[磐座西座]天照大神伊邪奈岐大神伊邪奈美大神籠神社の奥宮であり、公開された社家極秘伝世の「邊津鏡」と「息津鏡」から創祀は2050年以上に遡るものと考えられます。養老三年(719年)に籠神社が創建され当社から遷座、それまでは「匏宮(よさのみや)」と呼ばれていました。◎御神体ご本殿裏側に磐座が三座あり、それがご神体。現在に至るまで磐
籠神社の名誉宮司海部光彦氏が11/8未明に永眠なされました。御歳91歳であったとのこと。早々に籠神社よりお葉書が届きました。これほどのお方になるととてもじゃないですがお話をできるほど私も図々しくはありません。境内でお見掛けしても、最大限の笑顔で会釈するのが精一杯。(顔をこわばらせながら…)神々しいオーラを放っておられました。神社を拝する作法というか…間合いみたいなものは、海部光彦氏をマネたものにしています。柏手を打つ仕草は人それぞれで正解というものなど無いのでしょうが。
こんにちは😃わたしは京都の元伊勢、天橋立の近くにある、丹後国一宮、籠(この)神社を参拝しました✨※天橋立ここは、伊勢神宮と酷似する神明造りの元伊勢となります。しかし、西暦717年にこの場所に移ってくるまでは、籠神社はこちらの場所にありました。※真名井神社(これより先は撮影不許可エリア)奥宮、真名井神社ですね。そうです、籠神社は、もともと真名井神社から移ってきたのです。ここにいらっしゃるのは、外宮の女神さま、豊受大神(トヨウケオオカミ)ですね✨※籠神社「吉佐宮(よさのみや)」
籠神社(このじんじゃ)・狛犬狛犬と言えば先ず思い浮かぶのが、丹後国一ノ宮・籠神社の狛犬。国指定の重要文化財で、「日本一の名品」とも言われる狛犬です。「狛犬」は阿形と吽形一対の霊獣と思われていますが、実は一方が獅子でもう一方が狛犬なのだそうです。以前、狛犬マニアの方とお互いのブログを通じて交流していたことがあります。一言で「狛犬」と言っても実はいろいろな種類があるそうです。形、産地、材質、蹲踞(そんきょ)型や構え型などの姿勢の違いや作られた時代に
「いろは歌」と「即身成仏」の謎その34令和3年に開催された「聖徳太子1400年遠忌」の際、全国各地で開催された「千四百年御聖忌記念特別展」にて「四天王寺縁起(後醍醐天皇宸翰本)」(ごだいごてんおうしんかんぼん)が展示された。「四天王寺縁起」とは四天王寺の歴史や逸話が記されていたもので、元の「根本本」は聖徳太子の自筆とされるものという。「宸翰」(しんかん)とは天皇自筆の文書のことで、「後醍醐天皇宸翰本」は、建武2年(1335)に後醍醐天皇が四天王寺を訪れた際、太子自筆の書を書き写し、
最近、京都の伏見稲荷大社へ御守りのお返しと新たに戴こうと思って、京都行き大阪淀屋橋駅から二階建京阪特急の二階に乗り、ネットサーフィンしてました。西宮神呪寺の真名井御前(丹後一宮の籠神社の所縁の方で淳和天皇の第四妃だったという開祖如意尼)と空海さん(神呪寺の本尊如意輪観音をつくられた)事を調べていると、なんと、京都の六角堂にも縁があるとの事で六角堂も行く事にしました。京都六角堂では、「花戦さ」のプロモーションもされてました。花いくさと六角堂http://ameblo.jp/bambo
こんにちは。昨夜は満月でしたね🌕さて、わたしは満月と新月に元伊勢・籠神社と真名井神社を参拝すると、天地万物の生成の御神威が高まるとされる、「むすひ詣り」に行って参りました。ここは京都、天橋立にある丹後国一宮、籠(この)神社です。♪伊勢へ詣らば元伊勢詣れ♪♪元伊勢お伊勢のふるさとじゃ♪ですね😆✨ものすごくむすひ詣りで盛り上がってました👀「え、満月に何かあるの?」とみなさん首を傾げてましたが、満月と新月は、太陽と月と地球が一直線上に並ぶ日なのです😅それはそれはすごい潮汐力によ
何がかくされているのか元伊勢籠神社・眞名井神社の続きです。前の記事は下に貼っておきます。籠神社、ご祭神は彦火明命。社家は海部家。そして昭和62年に、2000年間封印されてきたご神宝を公開しました。公式サイトでご覧ください。宝物|丹後一宮元伊勢籠神社(このじんじゃ)奥宮真名井神社(まないじんじゃ)海部家に伝わる神宝や籠神社に伝わる宝物をご紹介致します。神宝海部氏伝世鏡邊津鏡(学名内行花文昭明鏡)息津鏡(学名内行花文長宜子孫八葉鏡)昭
今回、海部氏の系図をかなり参考にし、尾張氏の系図に手を加えました、精査して分かったことは、「尾張氏、海部氏、和邇氏」の三氏族は同族として活動していた事が分かるものでした。現在はそれぞれに別々の氏族の様に思われていますが、少なくとも雄略朝頃までは同族として活動していた事が、代々の宮司の名前から分かります。基本は丹後の家から出しますが、跡継ぎが途絶えたり何かあった場合には他家から宮司を迎えている様子が残されていました。尾張氏からは、十世孫小縫命十四世孫小登與命十五世
超現実主義のスピ嫌いから一転!!神様に呼ばれて365日神社参拝🙏全国各地にご縁を繋げて貴女の人生を豊かに✨🐴スピリチュアル神社ナビゲーター🐴👑紅茶王子です👑牡牛座の満月綺麗でしたね〜🌕月食の事を知らなかったので満月なのに何で欠けてるん❓❓❓はにゃ❓❓❓っとなりつつ空を見上げて多幸感に浸っていました朝晩の冷え込みも徐々にきつくなりすっかり秋めいて来ましたね🍁もう寒いかなとも思いつつ、10月も行って来ました〜🐉大人の遠足滝行ツアー@和歌山🙏今回は更にバージョンアップ
天橋立籠神社⛩️奥の院真名井神社⛩️へ雨も上がりキラキラ輝く奥の院ほんとに気持ちいい場所神のお使いもやってきてしばらく一緒に過ごしました龍神様に宝珠を授けられ天橋立をこうやって覗きこみ沖縄の女神が阿蘇で受けたメッセージから始まった旅阿蘇〜高千穂〜天橋立へ天橋立で日本海の宮津湾から仕切られた内海を阿蘇海ということ高千穂のお守りに藤の花藤の花は高千穂町の町花であり豊受大神を現していること謎解きみたいに楽しい😀今宵はラグジュアリーホテルで一泊手羽先ともつ鍋とセ
似非歴史学者、ヤマグチポッターですm(__)m天橋立への旅行の後、あらためてこの丹後地方の歴史深さに感銘を受けています。そこで、番外編として歴史モノを上梓します。今回の記事は、天橋立のある丹後国そしてその一の宮たる籠神社(このじんじゃ)にまつわる歴史のお話です。まあまあ長くて、古の日本の歴史に興味がないとかなり退屈です(^^;)先に謝っておきます(笑)以前もお話しましたように、そもそもは北側から見たこの眺望がいわゆる天橋立でした。その天橋立のある丹後とはいかなるところ