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【南会津郡】※各神社のブログ記事へは神社名のリンクをクリックしてください。【南会津郡下郷町】1社◆高倉神社【南会津郡南会津町】3社◆田出宇賀神社◆熊野神社◆龍口神社【南会津郡只見町】2社◆瀧神社◆三石神社
菅舩神社(すがふねじんじゃ)。福島県須賀川市塩田字西清水に鎮座。御祭神は天照皇大神(アマテラスオオミカミ)、猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)、天太玉神(アメノフトタマノカミ)。社格は村社。御由緒によると、神武天皇より850年後に遠藤右近太夫が蓬田岳に御参社された。その後養老二年(718年)、当地に鎮守菅船大明神を造立。猿田彦大神と天太玉神を奉斎した。その後、第五十代桓武天皇の御代(781~806年)、四道将軍坂上田村麻呂が当地において『天照皇大神』と書き白旗を立て「元帥の法」を行
富士神社(ふじじんじゃ)。福島県南相馬市鹿島区北屋形に鎮座。御祭神は木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)。南山中津島の城代・紺野美濃守重義の次男、紺野伊賀守義治は永禄年間(1558~1570年ころ)に北屋形藤廹へと移り住んだ。そして藤廹義治と名乗り、舘を築いた。義治の子である紺野伊賀守善清までの親子二代でこの舘に住んだのだが、この舘の有った場所こそが現在の富士神社の鎮座地であり、紺野氏の氏神こそが富士神社である。つまり、富士神社の境内は紺野伊賀守の舘跡ということになる。その後
鎌足神社(かまたりじんじゃ)。福島県須賀川市に鎮座。御祭神は鎌子大臣命(藤原鎌足公)。社格は村社。後鳥羽天皇の御代、建久元年(1190年)に岩瀬郡四ツ清水城の廓内に鎌足大臣霊を奉斎したのがはじまり。当時、鎌足公の子孫であり関東将軍藤原義定の次男である小次郎義政が四ツ清水城に在城したため勧請したのだという。【鳥居】石造りの明神鳥居。周囲の木々の枝がかかっていてあまり目立たないかも。ちなみに隣の建物が社務所です。【参道】鳥居をくぐった先の参道。けっこう急な階段になって
瀧神社(たきじんじゃ)。福島県南会津郡只見町に鎮座。御祭神は瀬織津姫命(セオリツヒメノミコト)。社格は村社。新編会津風土記によると、治承四年(1180年)の勧請。御神体は金幣であると伝えられている。旧只見村を流れる只見川は古来より暴れ川として有名で、氾濫によって田畑・家屋が冠水・流失し、人々を毎年のように困らせていた。享保年間(1716~1736年)、相変わらず洪水に悩まされていたため、当時只見村熊野神社の神職であった赤塚伊勢守尹直は只見川の鎮撫を祈願。しかし、熊野の御祭神は戦神
隠津島神社(おきつしまじんじゃ)。福島県郡山市湖南町に鎮座。御祭神は市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)、多紀理姫命(タギリヒメノミコト)、多岐都姫命(タギツヒメノミコト)。社格は郷社。延喜式内社「陸奥國安積郡隠津嶋神社」の論社のひとつ。貞観八年(866年)の六月、筑紫國宇佐郡に鎮座する宗像大社より勧請し、隠津島神社の号を称した。境内・社前に菅が多く生い茂るため、「菅明神」とも称された。この菅は旱魃の際に社前に備えられ、雨乞いを祈念すると必ず雨が降ったのだという。ただし、いつの頃か
①福島県の御朱印【中通り北部】②福島県の御朱印【中通り中部~南部】③福島県の御朱印【浜通り】④福島県の御朱印【会津地方】【会津地方】※市町村ごとに分類しておりますので、下記のリンクより御覧ください。◆会津若松市の神社の御朱印まとめ◆喜多方市の神社の御朱印まとめ◆耶麻郡(猪苗代町・西会津町)の神社の御朱印まとめ◆大沼郡(会津美里町)の神社の御朱印まとめ◆南会津郡(下
愛宕神社(あたごじんじゃ)。福島県会津若松市に鎮座。御祭神は火産霊命(ホムスビノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)、月読命(ツクヨミノミコト)。天応元年(781年)、門田小田の里・谷地沼に18メートルもの大蛇がいて人々を害していた。そこへ玉泉という僧が沼のそばに祠を営み、大蛇を退治。その場所へ愛宕山権現を勧請したとのこと。僧によって勧請されたことからか、当社は古来より当山派によって管理されてきた。当山派は修験道の一派で、平安時代から江戸時代まで存続したものの、明治時代の神仏分
【石川郡】※各神社のブログ記事へは神社名のリンクをクリックしてください。【石川郡玉川村】1社◆大雷神社【石川郡平田村】1社◆菅布禰神社【石川郡石川町】1社◆石都々古和気神社【石川郡古殿町】1社◆古殿八幡神社
嶽駒神社(たけこまじんじゃ)。福島県福島市北沢又に鎮座。御祭神は保食神(ウケモチノカミ)。社格は村社。大同四年(809年)に空海が羽州湯殿山に参詣の帰路、当地を過ぎようとしたところ、吾妻嶽の荒駒がいた。その荒駒は秋ごとに村里に現れ、耕作の障碍となって人々を悩ませていたのだという。折しも時は9月。晴天だった空がにわかに曇りだし、暴風雨が吹き荒れた。近くの松川という川は洪水となり、人が通ることすらできない。これを解決しようと空海がこの荒駒を捕縛せんとした……その時!なんと、どこから
鹽澤神社(しおざわじんじゃ)。福島県二本松市に鎮座。御祭神は栲幡千々姫命(タクハタチヂヒメノミコト)。社格は郷社。御祭神の栲幡千々姫命は高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)の娘。天照大神(アマテラスオオミカミ)の子である天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)と結婚し、天孫降臨で有名な瓊々杵命(ニニギノミコト)を生んだ神様。織物の神として信仰されているんだそうです。福島県内では小手姫神社や機織神社のように、小手姫伝承が残っていて機織といえば小手姫!という感じなので、栲幡千々姫命を祀る神
菅布袮神社(すがふねじんじゃ)。福島県石川郡平田村に鎮座。御祭神は猿田彦命(サルタヒコノミコト)、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)。社格は村社。蓬田岳の山頂近くにある菅船神社・総本社の遥拝殿。そのため、上の画像の社号標には『総本社』の文字が刻まれている。景行天皇の四十二年(113年)日本武尊が東夷征伐に赴いたものの、蓬田嶽に「水鬼」「風鬼」という賊徒が住み着いていた。日本武尊はこれらを攻めようとしたものの、水鬼は水を流し、風鬼は風を起こして邪魔をしたという。水で邪魔されるのならば
宇迦神社(うがじんじゃ)。福島県東白川郡棚倉町に鎮座。御祭神は倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)。社格は県社。第十三代・成務天皇の御代、白河の国造に塩伊野己自直(しおいのこじのあたえ)が任じられた。『古事記』などによると成務天皇は武内宿禰を大臣とし、即位後の五年九月に諸国に対して国造を任命したとされているので、この時のことだと思われる。で。その際、土地を拓くために飯沼の近くに倉稲魂命をお祀りしたという。時は流れて江戸時代。関ヶ原の戦いで西軍についたために浪人となっていた立花宗茂が