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諏訪神社(すわじんじゃ)。福島県田村郡小野町に鎮座。御祭神は建御名方命(タケミナカタノミコト)、下照比売命(シタテルヒメノミコト)。社格は郷社。光仁天皇の御代、宝亀年間(770~781年)。東北は蝦夷と呼ばれていた。その蝦夷の伊治村の城主・砦麻呂が反逆し、国司の広純公を殺害してしまう。国司を殺害した砦麻呂は勢いづき、民衆をも殺戮。暴虐の限りを尽くしていた。宝亀十一年(780年)五月、これを鎮めるべく、征東使として藤原継縄(ふじわらのつぐただ)が任命される。そして当地に陣を張り、
①福島県の御朱印【中通り北部】②福島県の御朱印【中通り中部~南部】③福島県の御朱印【浜通り】④福島県の御朱印【会津地方】【会津地方】※市町村ごとに分類しておりますので、下記のリンクより御覧ください。◆会津若松市の神社の御朱印まとめ◆喜多方市の神社の御朱印まとめ◆耶麻郡(猪苗代町・西会津町)の神社の御朱印まとめ◆大沼郡(会津美里町)の神社の御朱印まとめ◆南会津郡(下
隠津島神社(おきつしまじんじゃ)。福島県郡山市湖南町に鎮座。御祭神は市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)、多紀理姫命(タギリヒメノミコト)、多岐都姫命(タギツヒメノミコト)。社格は郷社。延喜式内社「陸奥國安積郡隠津嶋神社」の論社のひとつ。貞観八年(866年)の六月、筑紫國宇佐郡に鎮座する宗像大社より勧請し、隠津島神社の号を称した。境内・社前に菅が多く生い茂るため、「菅明神」とも称された。この菅は旱魃の際に社前に備えられ、雨乞いを祈念すると必ず雨が降ったのだという。ただし、いつの頃か
愛宕神社(あたごじんじゃ)。福島県会津若松市に鎮座。御祭神は火産霊命(ホムスビノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)、月読命(ツクヨミノミコト)。天応元年(781年)、門田小田の里・谷地沼に18メートルもの大蛇がいて人々を害していた。そこへ玉泉という僧が沼のそばに祠を営み、大蛇を退治。その場所へ愛宕山権現を勧請したとのこと。僧によって勧請されたことからか、当社は古来より当山派によって管理されてきた。当山派は修験道の一派で、平安時代から江戸時代まで存続したものの、明治時代の神仏分
【耶麻郡】※各神社のブログ記事へは神社名のリンクをクリックしてください。【耶麻郡猪苗代町】3社◆磐椅神社◆土津神社(1)◆土津神社(2)◆小平潟天満宮【耶麻郡西会津町】2社◆大山祇神社(遥拝殿)◆大山祇神社(御本社)
嶽駒神社(たけこまじんじゃ)。福島県福島市北沢又に鎮座。御祭神は保食神(ウケモチノカミ)。社格は村社。大同四年(809年)に空海が羽州湯殿山に参詣の帰路、当地を過ぎようとしたところ、吾妻嶽の荒駒がいた。その荒駒は秋ごとに村里に現れ、耕作の障碍となって人々を悩ませていたのだという。折しも時は9月。晴天だった空がにわかに曇りだし、暴風雨が吹き荒れた。近くの松川という川は洪水となり、人が通ることすらできない。これを解決しようと空海がこの荒駒を捕縛せんとした……その時!なんと、どこから
【いわき市】23社※各神社のブログ記事へは神社名のリンクをクリックしてください。◆子鍬倉神社◆立鉾鹿島神社◆愛宕花園神社◆大國魂神社◆佐麻久嶺神社◆温泉神社◆金刀比羅神社◆住吉神社(小名浜)◆飯野八幡宮◆小名浜鹿島神社◆小川諏訪神社◆國魂神社◆植田八幡神社◆泉諏訪神社◆小名浜諏訪神社◆八剱神社◆三島八幡神社◆釜戸諏訪神社◆豊間諏訪神社◆江名諏訪神社◆四倉諏訪神社◆久之浜諏訪神社◆二俣神社